耳をつんざく轟音が周囲を揺らし、四方八方に走った閃光に目を開けることもできなかった。 再び目を開けた視界に、紅蓮の炎がいっぱいに広がった。地下空間の天井に達するまでに高く強く。 地獄の業火、という言葉が胸をよぎった。離れた場所にいても、吹き付ける風だけで髪が燃え上がりそうなまでに、熱かった。 「……これが、霊圧のオーバーロード、っスか」 魅入られたように浦原が呟く。 周囲を諸共に巻き込むオーバーロードを見ることができるのは、ごく稀なことだ。 今回のようにはるか昔から張り巡らされた強固な結界がない限り、この距離だと爆発に巻き込まれるのが落ちだからだ。 「日番谷は!」 馬鹿者が。そう何度も心の中で繰り返しながら、あの小柄な姿を業火の中に探す。しかし、どこにも見当たらない。 ―― 「ひとつ、賭けてみるか」 日番谷の言葉が胸をよぎる。なぜだ。めまぐるしく炎を見回しながら、夜一はもう一度吐き捨てた。 この場で負けたところで、命を取られることはないだろう。 仮に氷輪丸を倒せなかったところで、他の手を考えることもできるだろうに。 なぜ、こんな無謀としかいえない、捨て身の勝負に出なければならぬ? 炎に舐められる、穿界門。わずか数十分前、あの門を見上げて立ち尽くしていた背中を思い出した。 「生き急ぐな!」 炎に飛び込もうとした夜一の肩を、浦原が強い力で引き戻した。 「浦原!」 「日番谷サンは今、強くなるために勝負に出ている。決して負けてはいけない戦いもあるんです」 「しかし、これはもう勝負ではない! 助けねば!」 浦原はその言葉には答えず、炎の一点に目を留める。視線の先を追った夜一も、すぐにそれに気づいた。 「あれは……」 爆炎の中に垣間見えたのは、炎の中に砕け散る、氷龍の姿。 その体の中から、炎の中でも白銀に輝く一振りの刃が投げ出された。 「氷輪丸か!」 クルクルと空中で回転した刀が、急に動きを止める。 視界が悪い炎の中で、夜一はハッキリと捉えた。炎から伸びた手が、その柄をがっしりと受け止めるのを。 「霜天に座せ、氷輪丸!」 炎をも切り裂く、澄んだ一喝。斬魂刀「氷輪丸」から、白い輝きが放たれた。 「……あぁ」 浦原は帽子を脇に挟むと、嘆息した。 「アタシは今、氷輪丸が『氷雪系最強』と呼ばれる理由が、分かった気がしますよ」 「……そうじゃな」 隣に立った夜一も、静かに頷いた。 ひゅぅ、と大地を乾いた風が吹き抜ける。その風は、冷たくさえあった。辺りは、静まり返っている。 地下空間を飲み込むほどに圧倒的な質量の炎は、少年の一声で幻のように掻き消えた。 まるで、君臨するものの出現に、影も残さず消え果てたのように。 しかし、氷龍の姿はおろか、日番谷もどこにも見当たらない。 「まさか……」 最悪の状況を予測し、夜一が慌てて周囲を見回した時、 「……しまった」 どこかふてぶてしい、少年の声が聞こえた。 声の方向……前方の岩上に、日番谷の後姿が見えた。 気が抜けたように空を見上げている。 死覇装のあちこちから煙が上がり、その銀髪も白い肌も、煤で汚れている。 その右手には、美しい一振りの刀を携えていた。 「氷輪丸を消しちまったら、肝心の答えが聞けねぇ」 夜一が、その姿にゆっくりと歩み寄る。 「馬鹿者が」 ピクリ、とその肩が動いた。 「いつでも死ぬ覚悟があるのは、死神として当然かもしれぬ。しかし今の戦い方は、あまりに無謀じゃ。 無駄に命を投げ捨てる真似は感心せんな。お主が死ねば、どれほどの者が嘆き悲しむか分からぬのか。 分からぬなら、お主はどれほど強くなろうが、未熟なままじゃ」 日番谷冬獅郎、という天才少年の噂は、前から夜一の耳に入っていた。 流魂街の出身でありながら卓越した能力を持ち、史上最年少で隊長の座についたという少年に、会ってみたいと思っていたのだ。 彼よりも遥かに経験のある他の死神が、喜んで彼の前に頭を垂れると耳にしてからは更に。 「……分かってるさ。自分が未熟だってことくらい」 さりげなく言い放ったつもりなのかもしれないが、その言葉はわずかに震えた。 藍染に一矢も報いることなく倒された過去を、夜一も知らぬわけではない。残酷な詰問だと分かっていたが、敢えて口にした。 「ただ。今ここで退いたら、二度と同じところには戻って来れないような気がしたんだ」 決して負けてはいけない戦い。浦原はそう評した。 めんどうくさいのう、と夜一は思う。勝負に拘り、誰かに拘り、自分に拘る。 何にも拘りを持たず生きていくことを身上としている夜一にとっては、当の昔に捨てた感情だ。 ただ……そんな生き方をする男を、嫌いではなかった。 衣擦れの音に視線をやると、被った帽子を片手で押さえた浦原が、ひょいと日番谷の隣に降り立ったところだった。 更地と化した周囲を見渡すと、へぇぇ、と子供のような反応を見せる。 「危ない危ない。もう少しで、ここを覆う結界そのものが吹き飛ばされるところでした」 この浦原の苦笑いは、きっと本物だろう。さすがにわずかに疲れが見える日番谷を見下ろした。 「賭けはアナタの勝ちですよ、日番谷隊長」 「全く全く、危ないところでした! 眼鏡にまたヒビが入ってしまいました」 突然背後から現れた人影が、日番谷の全身を背後からすっぽりと覆い隠す。 「誰だ?」 日番谷が背後を振り向いた先には…… 「おや! 着物のあちこちが燃えてますな。これはいけません」 筋肉三つ編み男、テッサイがいた。こういうタイプの男に免疫はないのか(無理もない)、日番谷がおそらく無意識に、一歩下がる。 「誰だって聞いて……」 「私が消して差し上げましょう。この鋼の筋肉で!!」 無駄に元気に言うが早いか、テッサイは日番谷の背後から、がばっ! と抱きついた。 その激しすぎる体格差のせいで、半ば自分を抱きしめているように見える。 「てめっ! 離せ!」 日番谷の抗議は、テッサイの分厚い胸板に遮られた。 「あらあら。これ、写真撮って瀞霊廷通信編集部に送りつけたら、買ってくれますかねぇ」 「……お主、本当にロクなこと考えぬな」 「日番谷冬獅郎男に抱きしめられる。話題性はタップリですよ、きっと」 「このまま儂らが放っておけば、『絞め殺される』にタイトル変更が必要じゃな……おぉっ!」 三分後。 「いやぁ。これまで抱きつく度、皆さんいろんな反応をされるんですが」 テッサイは、自分の分厚い腕を大事そうに撫でさすっていた。 「噛みつかれるというのも、新鮮で良いものです」 「この変態野郎……!」 日番谷は、たっぷり十メートルは離れた岩の上に座り込み、恨みがましい目でテッサイをにらみつけていた。 口元を押さえている。どうやら、そうとう歯ごたえがあったらしい。凍らせなかったのは、一片の良心というものだろう。 「あちこち火傷だらけじゃないですか! 仕方ない、ここはこの私が……!」 「治さんでいい!! 寄るなっ!」 どうやら、この少年の心にトラウマ並みのダメージを与えてしまったらしい。 「そうは言っても、その肩の傷。診ておいたほうがよいぞ」 右肩に、じんわりと血がにじんでいるのが死覇装の上からでも分かる。 襟元から覗く襦袢が赤く染まっている。これは氷輪丸の戦闘でついた傷というより、もともとの傷が開いたものだろう。 「ンなことより」 日番谷は苛立ちの残る声で、鞘に収めた斬魂刀を取り上げた。 「氷輪丸は、『答え』を知りたければ刀を取り戻せと言った。勝負には勝ったが何の糸口もつかめた気がしねぇ。どういうことだ」 ふむ、と浦原がうなる。 「確かに、まさか消されるとは思わなかったんですかねぇ、氷輪丸も。……もう一回呼び出して、聞いて見ますか」 「またかよ」 日番谷がうんざりした表情を返したとき、 「その必要はない」 その声は、どこからともなく聞こえてきた。
次の話から、オリジナル色強くなります。 苦手な方はご退出くださいm(_ _)m
[2009年 5月 9日]