瀞霊廷は、現世と同じく快晴だった。気候はぐんと春めき、時折照りつける強い日差しは、初夏の兆しさえ見える。
「三百環のお買い上げになります!」
ニッコリ笑った甘味どころの娘から胡麻団子を受け取り、口に放り込みながら歩く。
―― 呑気なものじゃのう。
この四楓院夜一は百余年の昔、五大貴族の権利を剥奪の上、瀞霊廷から追放された罪人であるのに。平気な顔をして団子を売るか。
見渡す限り、瀞霊廷の街は平和そのものに見えた。……夜一の目には、風前の灯としか言えないが。
大通りの突き当りには、「一」と大きく墨書きされた巨大な門が見えた。
この門を見るのも、久しぶりだった。二度と見ることはないと思っていたが、何の感慨も沸かない。
まったく百年前と変化が見えないのに、驚いたくらいだった。
「何者だ?」
門も前にいたると同時に門番に鋭く問われ、少々辟易する。
名乗るのはたやすいが、余計もめそうだ。さてどうするか、と思った時、扉が内側から押し開けられた。
「……四楓院夜一。このような所で何をしている」
「……白哉」
門の内側に佇んでいたのは、薄絹の肩掛けを風になびかせた朽木白哉だった。
漆黒のその瞳からは、まったく感情が読めない。初っ端から、難しい男に出会ってしまったものだ。夜一はため息をついた。
「日番谷冬獅郎の頼みでな。一番隊に保管されておる書類に用があるのじゃ。そこを通してくれぬか」
「認めぬ」
答えは思ったとおり、あっさりと返された。
「貴様は百年も昔、この瀞霊廷を追放されている身。いかに日番谷隊長の命であろうと、一番隊に入るなど言語道断」
古くからの慣習や秩序を蹴飛ばしてはばからぬ日番谷と、命に代えても遵守しようとする白哉。
隊長陣ももうちょっと認識あわせをしておくべきじゃ、と夜一は心中ぼやく。
「お通ししてあげてくださいな」
どうしようかと白哉の仏頂面を見上げたとき、穏やかな声が聞こえた。決して大きくはないが、その場によく通った。
「烈……」
「ご機嫌よう、夜一さん」
にっこりと微笑を浮かべて、その場に現れたのは卯ノ花烈、四番隊隊長だった。
その笑顔は、夜一がソウル・ソサエティを裏切る前と全く変わらない。
「しかし、卯ノ花隊長。この者は、すでに追放の身だ」
「中央四十六室の決定が、いつも正しいとは限りませんよ?」
卯ノ花は、白哉を見上げてそう言った。
「もう中央四十六室はいません。私達は自分達の目で、何が正しく、何がそうでないかを見極めねばなりませんよ」
まるで言い聞かせるような言葉遣い。プライドの高い白哉からすれば、到底受け入れがたいだろう。
その言葉が真実を突いているなら尚のこと。白哉は視線を険しくしたが、無言を貫いた。相手が卯ノ花だ、ということが大きかったのだろう。
「お通しして差し上げてくださいな」
卯ノ花は穏やかな声のまま、白哉と門番を見やったが、それに反駁するものはもはや居なかった。
そして軽く夜一に会釈し、隊長羽織を翻し背中を見せた。
その後に、白哉。さらにその後から、更木、涅が現れ、夜一にちらりと視線を向けてから、門の外へ出て行った。
「ああ、そういえば」
通り過ぎた卯ノ花の声に、同時に振り返って視線を交わす。
「今隊首会だったのですが、この4人で虚圏へと出向くことになりました」
まるで、近くの喫茶店へ行ってきます、とでも言うような気軽さに、さすがの夜一もちょっと呆れる。
「……武運を祈っておるぞ」
「ええ。全て終わったら、また四番隊へお立ち寄りくださいな。ふたりで、積もる話をしましょう」
戦えるとも思えないこの女性が、いかに強いかを知っている。夜一は微笑みを返した。
一番隊へと足を踏み入れた時だった。
「あっ!」
大きな声が敷地内に響き、夜一は首をめぐらせる。
金色の長い髪を腰まで伸ばした、青い目をした女死神だった。自分に負けず劣らず巨大な乳房が、大きく開いた着物からこぼれそうに覗いている。
ここに来る前に、日番谷に言われた言葉を思い出した。
―― 「長い金髪で、目が青くて、露出狂のケがある女がいたら、声をかけてくれねぇか?」
「お主、松本乱菊か? 日番谷の副官の……」
「はい! 四楓院夜一さんですね。ウチの隊長は元気ですか?」
表情を明るくして、書類を胸に抱えていた乱菊が駆け寄ってくる。
「ウチの隊長」という響きに、家族にも似た親しさを感じ、夜一は気づけば微笑んでいた。
「やれやれ、用事のひとつがこれで済みそうじゃ。日番谷からお主に、近況を話してくれと言われておる。
それほど長居するわけにもいかんのでな、立ち話じゃがよいか」
「はい!」
日番谷の休職中、どれほどの負担が彼女にいっているか、隊長だったことがある夜一にはよく分かる。
書類を抱えた指先に、白くなるほど力がこもっている。
夜一は軽く息をつくと、日番谷に起こったことを手短に話した。
***
「何それ……じゃあ氷輪丸は斬魂刀なんかじゃなくって、死神が姿を変えたものなんですか?」
「ああ。実質は憑依というか……平たく言えば、日番谷に氷輪が取り憑いておる状態じゃ」
「なんでまた?」
乱菊が発した疑問に、夜一は思わず苦笑した。
なんでまた、とは言い当て妙だ。実際のところ、それが一番の謎だった。
二人は、一番隊の門から少し離れた、人気のない中庭に場所を移していた。
もしこんなことが広まったら、日番谷の隊長生命にも関わる。自然と互いに小声になっていた。
「……『約束』……」
乱菊は、噛んで含めるように呟く。
「隊長格が束になっても敵わないような死神が、隊長と共に在ると決めたほどの『約束』……一体、どんな内容なんでしょうね」
「日番谷は思い出せぬ。氷輪は語らぬ。よってどうしようもない」
夜一はあっさりと匙を投げる。
「大体、天才児なのに、そんな重要な約束を忘れるとは、とぼけすぎではないか?」
「無理ないです」
乱菊は夜一の言葉に苦笑する。
「隊長のおばあちゃんから聞いたことがあるんです。死者の門ってあるでしょう?
現世で死んだ魂が列を作ってて、流魂街の各エリアの振り分けが決まる場所。
そこで、おばあちゃんは隊長を見つけたんだそうです。で、目の前で治安の悪いエリアに振り分けられてるのを見て、
かわいそうになってつれて帰ったんだって」
「なるほど。心温まる話じゃの。しかし……」
「おばあちゃん、言ってましたよ。『自分の身の丈よりもうんと高い刀を持ってねぇ。何事かと思ったもんだ』って」
ああ。
思わず夜一は頷いていた。そういうことか。
ソウル・ソサエティの住人は基本的に、生きていた頃から、ソウル・ソサエティに辿り着いたばかりの頃の記憶がない。
日番谷が死した直後に氷輪と出会っていたのなら、覚えていないのも無理はない。
「……て、待て」
夜一はそこで顔を引きつらせる。
「更に問題を持ち込むな。そもそも日番谷は、どうやって氷輪丸を手に入れたのじゃ? 現世で、とでも言うつもりか?」
うぅん、とうなり、問題を振り払う。
夜一は探偵でもなければ心理学者でもなく、科学者でもない。そんな問題をぐるぐると考えるのは苦手だった。
「もうよい。それは浦原にでも考えさせる。儂がここに来た理由は一つ、死神の名簿から『氷輪』を探すことじゃ。
所属や経歴が分かれば、まだ背景が分かるかもしれぬ」
「……隊長」
どこか寂しげにうつむいている乱菊を、夜一は見下ろした。
電話で自分で伝えればよい、と夜一が言った時、それはしないと頑固に言い放った日番谷のことを思い出していた。
―― 「自分で納得できる力を手に入れるまでは、松本に会わせる顔はねぇ」
こんないい女を待たせるとは、幼いながら罪な男じゃ。
「……お主の隊長から、伝言じゃ」
ぽん、と肩を叩いて、夜一は笑って見せた。
「『俺は元気だ、心配はいらねえ。お前は自分にできることをきっちりやればいい』とな」
「隊長らしいわ」
微笑んだ乱菊に送られ、夜一はその場を後にした。