数時間後。
「戻ったぞ、浦原」
夜一は、浦原商店の地下で、岩山の上に座っている背中に声をかけた。
「おかえりなさい。どですか? 氷輪サンの名前、死神名簿にありました? ……おや、どうしたんですかそのクマ」
「三回は調べた。何があろうが、ここにはない! 嘘だと思うなら見てみるがよい」
バーン、と投げ出された5冊ほどの名簿を見て、おやおや、と浦原は困った風でもなく呟く。
「それは機密書類でしょうに。もちだしちゃダメですよ」
「瀞霊廷が滅びる滅びない言ってる時に、名簿くらい何じゃ! ケチケチするでない」
ふわぁ、とおおっぴらに欠伸をしながら、浦原の隣に腰を下ろす。
「居眠りしてたんじゃないですかぁ?」
「したが、ちゃんと調べたぞ。儂にこんなことを二度とやらせるな」
「日番谷隊長に言ってください」

そう言いながらも、浦原はぺらぺらと名簿をめくった。一瞥するなり、子供のように声を上げる。
「うわ、こりゃすごい。これを作った人は、全部見ようなんて輩が現れるとは思ってなかったんでしょうねぇ」
「全部は見ておらぬ。氷雪系で、著名な者だけじゃ。あの実力を見ろ、雑魚なんぞ見たところで始まらぬ」
「ふーむ。しかし、ここに載ってない死神、となると……」
「何か心当たりがあるのか?」
「分かりませんねぇ」

全く気合の抜ける男じゃ。
もう一度欠伸したとき、夜一はジン太とウルルの頭を下に見つけて目を止める。
「おい二人とも、そんな所にいては巻き添えを食うぞ! 奴らの戦いは本人達でもコントロールできん所があるからな」
「いや、最近はそうとも言えないですよ」
「ん?」
「見ての通りっス」
浦原は、剣戟が響き渡る岩下を指差した。夢中になって見入っているジン太が声を上げる。
「すげえ……勝てるんじゃねえか、今度は!」
「……なに?」
その声に、夜一は浦原が指差したほうを見下ろした。



ガキンッ、とひときわ大きな金属音と共に火花が散り、二人の体が飛び離れた。
「霜天に座せ……」
中空に飛びのいた日番谷が氷輪丸を片手で構え、体の前でくるりと一回転させた。刀の軌跡が円を描く。
「氷輪丸!」
同時にその円が青白く発光し、その中から牙を剥いた氷龍が飛び出した。地面に着地した氷輪に至近距離から襲い掛かる。

さすがに氷輪もまともに受ける気はしなかったか、背後に飛んで避ける。
「次から次へと、よくも新技を思いつくものだ」
「当たらなきゃ意味ねぇ」
その返事は、氷輪の背後から返された。氷輪が振り向くと同時に、その背中が背後で待ち構えていた日番谷にぶつかる。
「ちっ!」
振り向きざまに、氷輪が刀を一閃させる。続けざまに膝蹴りを胴に放った。
日番谷は氷輪の膝を足の裏で軽く受けると、そのまま背後に飛び、ふわりと地面に着地した。

「お前を見てると、やっぱり死神の基礎を学んでるようにしか思えねぇんだが……」
日番谷は、すぐには打ってかからず氷輪を見返す。氷輪は、相変わらず髪ひとつ乱れていない。
修行僧のような気配はそのままに、しかし二週間前に見せたような狂気は、嘘のように成りを潜めている。
日番谷はスッと目を細めた。
「……でも、違うんだな」
「なぜ、そう思う?」
「俺は、過去の氷雪系の死神は全員調べてる。実力者なら空で名前を経歴を言えるくらいに。でも、その中にお前の名前はない」

「っと、待たんか」
突然話に割り込んできた夜一に、日番谷と氷輪が振り返る。
わなわなと震えた夜一が、岩の上に立ち、名簿を振りかぶっていた。
「儂を数時間、死んだほうがマシなほど退屈な目に遭わせておいて、名前はない? なんじゃそれは!」
「……お前、いつの間に戻ってたんだ」
日番谷が肩をすくめる。無表情のために分かりづらいが、慣れてきた夜一には「しまった」と考えているらしいことが分かる。
「万が一のためだ。記憶なんて絶対じゃねぇしな」
「ほう。万が一とな。今の今までその辺の事情は黙っておったわけじゃ」
本当は乱菊に事情を知らせに行ってもらいたいが、それだけだと抵抗があるから、無理やりこじつけただけじゃないのか。
そんな理由だとしたら……許せん。

「……行くぞ」
氷輪が刀を構えたのと、キレた夜一が名簿の一冊を投げつけたのは同時だった。
「氷龍旋尾!」
一閃させると同時に、巨大な氷の刃が打ち出される。振り返った日番谷は、その時点ではまだ避けられただろう。
しかし彼は飛んできた名簿を受け止めることを優先させた。
「っと!」
名簿を空中で掴み取り、氷輪を振り返ろうとしたが、時すでに遅し。あっという間に、日番谷の全身は巨大な氷の中に飲み込まれた。


「ああっ! あいつ、呑まれおったぞ」
「名簿を護って呑みこまれるとは。お悔やみは、『彼は最後まで隊長の中の隊長でした』でどうっスかね」
「言っとる場合か。あれでは息ができん。助けて……ン?」
突然。日番谷を氷漬けにしていた巨大な氷が、粉々に砕けた。
「え、ちょっと、日番谷!」
中で凍り付いていたのだから、どうなったのか見るのも恐ろしい。目を凝らした浦原が、
「残像だったんですねぇ。いませんよ、氷の中に」
のんびりと呟いた。

「スキだらけだぜ」
たん、と音を立てて、日番谷が氷輪の懐に飛び込んだのは、その刹那。
思い切り、至近距離で刃を振り上げた。
「『月牙天衝』!」
霊圧の刃が、氷輪の胴体に炸裂する。堪えられず、その体が背後に吹っ飛ぶ。
地響きを立てて、背後の岩に激突した。
「……けっこういい技だが燃費はよくねぇな」
着地した日番谷が、刀を肩に担ぐ。少しだけ息を切らせていた。その懐からは、名簿が覗いている。

ほぅ、と浦原が目を丸くした。
「他人の技を放つなんて、なんでもアリですね。まあ、本家には及びませんがやってみようと思うところがすごい」
「氷龍旋尾と似てるんでな。思いついた」
ふわり、と降り立った日番谷の周囲に、バチッと霊圧が弾ける。風が吹いたかのように土が巻き上げられた。
「霊圧の磁場、か」
夜一はそれを見て呟いた。何度か見たことがある。
高まる霊圧が頂点にまで達した時、その中心点である死神の周りに現れる現象だ。
「卍解の前兆でもあるらしいですが……どうでしょうね。
あれから色々考えてみたんですが、『氷輪丸』も、魂で作られているのには変わりない。ただ、他人なだけでね。
完全に共鳴すれば、卍解も可能なのかもしれませんね。前例がない以上、やってみないと分かりませんが」

「他人と完全に共鳴なんて、できんのかよ……」
氷輪が激突した辺りを見やっていた日番谷が、浦原の言葉にうんざりした声を出す。
「結婚すると思ったらいいですよ。他人が似たもの同士になると思えば」
「話をまぜっかえすな」
腹を立てる気もしなかったか、日番谷がため息をつく。土煙の中でゆらり、と立ち上がった氷輪の輪郭が見えた。
その二人の横顔が、妙に似ている気がして夜一は一瞬、目を凝らす。
それにしても。確かに二人の霊圧はわずかに異なっている……が、赤の他人同士の霊圧が此処まで似通うことはありうるのだろうか?
他人同士だと知れば逆に、その霊圧の近しさが異様に思えてくる。

氷輪はひゅっ、と手にした刀を横に振る。同時に生み出された氷の矢が、日番谷に向かって放たれた。
日番谷は土煙の向こうの輪郭を見据えたまま、あぶなげなく攻撃をかわす。
土煙の中の姿に刀を向けた瞬間だった。
日番谷の肩を、刀の峰がトン、と打った。
全く反応できなかった日番谷が、泡を食った表情で振り返る。
「……残像とはこのように使うものだ」
日番谷の肩に刃をつきつけた氷輪が、無表情のまま見下ろしていた。

日番谷の前で、土煙の中の姿がふっ、と消えた。
さすがにあれは分からない、と夜一も思う。浦原も気づいていたようには見えなかった。
「これは、そろそろ割って入ったほうがいいですかね……あの体勢はあまりにも分が悪い」
日番谷のような子供がまた串刺しにされるのを見るのは、夢見が悪い。夜一も身を起こした。
「……氷輪」
日番谷がそのままの体制で、背後を振り返った。身長差がありすぎるせいで、のけぞるような体勢になっている。
ギラリ、とその喉元で刃が輝く。それが視界に入らないはずはないが、そのまま続けた。
「腹減った」

身を限界まで乗り出して観戦していたジン太が、文字通り落ちた。
「ンだよそれ! 真面目にやれ!」
その肩をポン、とウルルが叩いた。
「冬獅郎くん勝てなかったから、賭けはまたあたしの勝ちだね……300円」
「コラァ! 冬獅郎! 弁償しろ!」
「うるせえ、人を賭けに使うんじゃねえよ」
話をする気にもなれない、と日番谷は呆れ顔で二人を見上げた。
「ンだよ、やる気かア?」
「ジン太じゃ絶対に勝てませんって」
いきり立ったジン太の肩を、浦原がやれやれと押さえる。

夜一は、氷輪が無言で刃を引くのを見守った。
「昼飯食ったら、また頼む」
「かまわぬ」
二人が垣間見せた表情の柔らかさに、意外な思いを抱きながら。