キュッ、と蛇口を音を立てて捻り、シャワーの冷水を頭から浴びた。
雛森辺りがそれを見たら卒倒しそうだが、日番谷は戦いの前は、真冬でも水を浴びる癖がある。
全身の筋肉が緊張し、引き締まっていくのを感じ、しばらく水を出したままにしていた。
この肌の白さは我ながら気に食わないが、自分でも驚くくらい体つきが変わっていた。
2週間、食う寝る以外は戦い続けていたせいで、腕も足も明らかに筋肉がついてる。
結論だけ言えば、卍解を手に入れることはできなかった。卍解にこだわるならば、絶望的になった、とすら言ってもいい。
でも、隊長格が数人でかかっても全く歯が立たなかった、氷輪の力がこの体の中には眠っている。
そう思うと、体の芯が一本通ったような安定を感じる。二週間前、スタークを前に感じた焦燥は消えていた。
―― でも。
不意に、思う。
日番谷が感じた限りでは、氷輪は生にしがみつくようなタイプの男ではなかった。
それなのに、日番谷の中にとどまり、共に戦ってくれる。その理由とはいったい、なんだろう。
「……約束、か」
自分を奥深くさぐれば、海の底にひそむ龍のような氷輪の気配を感じる。
戦いが終わったら改めて氷輪に聞こう。そう思った。

シャワーの水を止め、適当に手ぬぐいで体を拭うと、真新しい死覇装に袖を通した。
部屋に戻って隊首羽織を纏い、氷輪丸を背負うと、一気に気持ちが引き締まった。
「……何見てんだよ、気持ちわりい」
少しだけ開いた、障子の向こうに声をかける。
そこに立っていた乱菊は、日番谷と目が会うと微笑んだ。
「なんか、ちょっとだけいい男になってますよ、隊長」
「微妙なこと言うな」
こんな時にいい男になってどうする。しかもちょっとだけって何だ。
そういうと、言葉のアヤですよ、と余裕の表情で笑って見せた。
こいつはホントに……変わらねえやつだな、非常事態でも。

「往くんですね、虚圏に」
「ああ」
「連れて行ってくれって言っても、ダメなんですね」
日番谷は顔を上げて、乱菊を見返す。
井上織姫が虚圏に連れて行かれてから、事態はさらに深刻味を帯びている。
副隊長は全員結界を護る拠点へ赴き、その地を護るよう指示がでたと聞いている。
「ダメだな」
にべもなく日番谷は返す。心のどこかでは、理由ができたことにほっとしていた。
乱菊と、市丸を出会わせることは。ある意味、藍染と雛森を出会わせるよりも危うい気がして。
普段平気な表情を見せている乱菊のふとした素振りに、そう思ってしまうのだ。

「……俺がいない間、十番隊と雛森を頼む」
「分かってますって」
きゅっ、と帯を閉めなおし、廊下に歩み寄る。もう、自分以外の隊長は一番隊舎に着いているはずだ。すれ違う直前、乱菊が呟いた。
「ギンに会ったら……」
日番谷は思わず乱菊の顔を見上げた。この期に及んで、彼女は綺麗な微笑を浮かべる。
「もう絶交だって、言っといてください」
「……バカヤロー」
ホント、意地っ張りな奴だと思う。弱みを見せないことにおいては、自分といい勝負だろう。
「絶対に連れて帰ってきて、お前の前で土下座して謝らせてやる。待ってろ」
乱菊は吐息のような声を漏らした。嗚咽だったのかもしれない。それを見て、気持ちを新たにする。
俺じゃ、こいつを救ってやれない。それは俺の役割じゃない。
でも……こいつを護ることなら、きっとできる。
日番谷は敢えて振り返らず、その場を後にした。


***


日番谷が二週間ぶりに一番隊舎の隊首室に足を踏み入れると、思ったとおり室内には、すでに浮竹と京楽がいた。
特に体の弱い浮竹のことを心配していたが、
「おーー、日番谷隊長! なんかちょっとだけ、背が伸びたかい?」
開口一番の大声と、満面の笑みに心配が吹き飛ぶ。
どいつもこいつも、なんで「ちょっとだけ」なんだ。そこを強調しなくともいいだろうに。

仏頂面に気づいたか、京楽が口元に笑みを浮かべて歩み寄ると、日番谷の肩をポンと叩いた。
「収穫、あったみたいだねぇ」
「……まぁな」
「……ただし。まだ完成はされていない」
「実戦で何とかするさ」
「画竜点睛にならなきゃいいけどねぇ。龍の目は大切だ」
「何が言いたいんだ?」
「ここに残らないか? 君は若い、そして爆発的に伸びる素質がある。今、死地に出すには勿体ないよ」
死地。京楽は、ためらいなくそう言った。

「……バカ言うな」
日番谷は、二人の顔を相互に見やった。
「浮竹隊長。あんた、次はいつ血を吐くんだ?」
え、という表情を浮竹が返す。
「京楽隊長。女の破面がでてきたら、戦えんのか?」
「まさか。正々堂々と逃げるよ僕は」
とんでもない、と京楽が手を振る。
「お守り役が必要だな」
不適な笑みと一緒に、思い切り毒づいてやる。二人はそろったように目を見開いて……そして、大声で笑った。

「いやぁ、嬉しいなぁ。老後の介護は俺に任せろって言ってもらった気分だよ」
「言ってねぇ。大体、お断りだ」
浮竹と言い合っていると、背後で笑いやんだ京楽が涙を拭いた。
「……君は、いいねぇ。生き延びなきゃいけないよ。例え、何があってもだ」
その言葉は、背後からカツンと当たった小石のように、意識に引っかかった。
一瞬、肩越しに振り返った京楽と浮竹が、目配せをしたような気がして。
嫌な予感が、胸の中に広がった。
「おい……」
日番谷が声をかけようとしたとき。
「2週間ぶりじゃな。浮竹隊長。京楽隊長。そして、日番谷隊長」
聞きなれた声に、三人は会話を止めて一斉に振り返った。




「目的を達するまで待つつもりじゃったが、時間がなくすまんの、日番谷隊長」
「いえ。収穫はありましたから」
「……そのようじゃの」
総隊長は肩越しに日番谷を見下ろした。髭のせいで分かりづらいが、少し微笑ったように見えた。

「ついてくるように」と言われ、三人は総隊長の後について、一番隊舎の長い廊下を歩いていた。
午後の穏やかな陽光が、廊下の中にも差し込んでいる。今から死地へと向う相談をするには、あまりにも不釣合いな平和さだった。
歩きながら、総隊長が日番谷を見下ろす。
「霊圧をはっきり感じられるよう、軽く攻撃をしかけてみてくれと更木隊長に頼んでおいたのじゃが。かなり力を上げているのを感じて、安心したぞ」
あれか。
更木が笑顔で降ってきたのを思い出した。実際のところ、まったく軽い攻撃ではなかった。
はっきり言って、二週間前の日番谷なら、アレを真っ向から受けようとは夢にも思わなかっただろうし、受けたとしたら唐竹割りになってたかもしれない。
それを弾き飛ばした分、確かに力は上がっているに違いない。


「……この部屋じゃ」
押し開けられた扉の向う。広々とした殺風景な部屋の真ん中に穿界門を見つけ、三人は顔を見合わせた。
浦原商店の地下にあったものと似ている。
「……? もう、虚圏に行ける穿界門は瀞霊廷にあるんですか?」
だとしたら、わざわざ卯ノ花たちが浦原商店までやってきた理由が分からない。
 
総隊長は、穿界門を見上げながら頷いた。
「虚圏では、外部から虚夜宮へ侵入するのはきわめて難しいのじゃ。あの広大な砂漠が立ちはだかる上、城には強固な結界が張られているのでな。
しかし、涅に調査させたところ、内部はその分警戒が薄いようじゃ。懐にまで入り込んでしまえば破壊はさほど難しくないと読んでおる。
そして、浦原商店にある穿界門は砂漠へと通じ、昨日できたばかりのこの門は城内へ通じておる」
「……浦原商店から行った奴らは、それを知ってるんですか?」
日番谷は思わず聞いた。二週間前に飛び出していった一護達はとにかくとして、
昨日同じ門を使っていた隊長たちが気の毒な気がする。

思ったとおり、総隊長は首を振った。
「まあ薄々は気づいておるかもしれんし、涅は知っておる。あと、協力した浦原喜助もじゃ」
「……」
シレッと効率が悪いほうの穿界門に送り出した、浦原の飄々とした横顔を思い出し、日番谷は思わず絶句した。

「そ、それは、先に行った一護君や隊長達がちょっと気の毒だね……」
「まぁいいでしょ。ホラ僕ら、年寄りと子供だし、走る量は減らしたいねぇ。大体、敵の腹の中に飛び込むのだって、あんまり画期的じゃぁない」
「そんな分類なわけ、ねぇだろ。俺達三人は破壊向きだからな」
最後の日番谷の言葉に、うむ、と総隊長が頷く。
「その通りじゃ。お主らの鬼道の腕は、隊長の中でもトップクラス。思う存分、破壊して来い」
はい、と三人の声がそろった。


その時、日番谷は外に気配を感じ、振り返った。
その霊圧は探るまでもなく、雛森のものだった。
「……日番谷隊長」
見下ろしてくる浮竹の表情に色濃い憂いが見て取れる。

……雛森と離れたこの二週間、冷静に考えて分かってきていたのだ。
藍染は、日番谷と雛森の仲を熟知している。
そんな男を敵に回すことが、どれほど自分達にとって危険を伴うかを。

「……ちょっと、待っていてくれませんか。雛森と話がしたい」
総隊長の返事を待たず、日番谷は背中を返した。