女は微塵のためらいも見せず、白銀に輝く刃の切っ先を自らの喉に突き立てた。
仰向けにのけぞった白い喉から、物言わぬ断末魔の代わりのような血柱が、高く、高く青天に吹き上がった。
その血は、女自身を、地面を、そしてそれを眼前にした砕蜂(ソイフォン)の体を、しとどに黒く濡らしていく。

「う・・・」
それを見守る男の目が、ひとつ。
何も映さぬ深い穴のように、その瞳の中には奈落の闇が見えた。
音もなく。男の中で、何かが砕け散るのを聞いた気がした。

女の体は、引き絞られた弓のように大きくしなり、背中から地面へと沈む。
駆け寄った男の体が、ガタガタと不器用に震えだす。

その拳が、血管が浮き上がるほど固く錫杖を握り締めた。
その口が、背後にいる僧達に怒鳴る。


「死神どもを、一匹たりとも生かして帰すな!!」


打てば響くように、背後に続く法衣をまとった男たちが、錫杖を振りかざし雄叫びを上げた。
彼らの持つ錫杖から、恐ろしいまでの霊圧が放たれる。
そして、彼らは最早迷うことなく、砕蜂率いる隠密機動に一斉に襲い掛かった。

―― 一体・・・

砕蜂は、斬魂刀を構えながら思う。
取り返しがつかない、泥沼の戦いが始まってしまったことは分かっていた。

―― どこで間違ったのだ?私達は・・・!


かくして、嚆矢は放たれた。

 

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それより3日前。2月15日の夕刻のことである。
「よく来てくれたの。二番隊隊長・砕蜂よ」
「はっ!」
まばゆい夕焼けの光が差し込む第一番隊舎の隊首室で、砕蜂は山本総隊長の前に片膝をついた。

漆黒の髪を持つ、痩せた小柄な女である。
一見したところ、護廷十三隊隊長と隠密機動総司令官を兼任する身とは思えない。
しかしよく見れば、そのムダを潔いまでに斬りおとした体は引き締まり、全身それ自体が刃のように、鋭い霊圧を放っていることが分かる。

「お主の担当区域のひとつ、北流魂街で不穏な動きがあるのは知っておるか」
「は。新興宗教のことでございますか?」
砕蜂は、視線を床に落としたまま答える。
「そうじゃ。ここに組する僧達が力を隠し持っているのでは、という報告が入っておる」
「力、とは」
「斬魂刀か、それに類する力じゃ」

砕蜂は、眉間にかすかに皺を寄せ、山本総隊長の顔を見上げた。
斬魂刀を持てるのは、瀞霊廷に認められた死神のみと厳しく定められている。
瀞霊廷に届出がない斬魂刀を所持するのは、死罪に相当する絶対の禁忌。

「すぐに隠密機動を動かし、調査いたします。もしも斬魂刀を発見した場合は・・・」
「直ちに瀞霊廷に拘引せよ。反抗した場合は、即時排除を命ずる」
石のように確固とした総隊長の声が、砕蜂以外無人の隊首室に響き渡る。
「かしこまりました」
砕蜂は抑揚のない声でそう答えると、一礼し立ち上がった。


バタン、と隊首室の扉が閉まる音を背に、総隊長はかすかに息をつき、その腹の辺りまで伸びた、白い髭を捻った。
そして、隊首室の窓に視線をやり、声をかける。
「待たせてすまぬな、日番谷隊長。お主も一つ頼まれてくれぬか」

その声に、窓の近くの扉を開け、入ってきたのは小さな少年だった。
銀髪に夕日が差し込み、茜色に輝いている。
そして、その夕日の光も差し込まぬ、深い翡翠の瞳をしていた。