もう何度目だろうか。
砕蜂と清十郎の体が交錯し、シンメトリーのように飛び離れた。

清十郎の腕といわず胸といわず、蝶のような独特な紋様が刻まれていた。
二撃必殺の砕蜂の技の、一打目が刻まれた証拠である。
同じ場所に二度食らえば、いかなる相手でも命はない。

―― さすが、よく調べられているらしいな。
かすかに息を荒げながら、砕蜂が向かい合う清十郎を見やった。
紋様がある箇所を狙おうとすると、いつもひらりと体をかわし、場所を逸らす。
初めから戦い続けたからだろう、清十郎の息は砕蜂よりも遥かに上がっている。
それでも、瞳に浮かんだ憎しみは、まったく陰りがない。

あの、白羽とかいう妻のためか。
「やさしい・・・本当に、やさしい女だったんだ、白羽は」
不意に、清十郎が顔を伏せた。その表情は、影になっていてよく見えない。

「でもな・・・あの日、白羽と揚羽は大喧嘩をしたんだ。
踊り娘になって家を出るっていう揚羽を、白羽は何とか止めようとした。
そして最後に白羽が口にしたのが『戻ってこなくていい』・・・。
後悔してたなぁ。
次会ったら、踊り娘になってもいい、って言って抱きしめてやるんだって、そう泣いてた。
それが2人の最後の会話だ。もう二度と分かり合えないんだぞ!」

顔を上げた清十郎の表情に、砕蜂は動きを止めた。
泣いている。
戦いの最中に、憎しみも恐れも忘れたかのように、ただ涙を流している。
「お前達にとってみれば、どれも同じ魂魄に過ぎないのかもしれん。でも、俺達も1人1人生きているんだ!
分かるか?いきなり日常を断ち切られる苦しみが!大切な人間を失う悲しみが!」

ふっ、と砕蜂の頭に流れ込んできた記憶があった。
ソウル・ソサエティから追放され、一切の消息を絶った夜一を思った何千もの夜のことを。
なぜ、自分も連れて行ってくれなかったのかと泣きに泣いた、永遠にも思えた長すぎる時間のことを。
「死神には・・・感情は、要らぬ」
ポツリ、と砕蜂は呟いた。


2人の間を断ち切るかのように、建物の柱が唐突に倒れてきた。
砕蜂は息を飲み、建物を見やる。
―― 建物が崩れてゆく・・・
それは、日番谷たちの張った氷結結界が第二段階に進んだことを示す。
天道が長年建物に張り巡らせていた「不燃」の結界が崩れ去ったのだ。
ごう、と炎が建物から上がり、少しずつ崩れる建物から、死神や僧が次々と飛び出してきた。
「見事な術だ」
それを見上げた清十郎の瞳は、いっそすがすがしかった。
その表情は、死に際の白羽を思い出させた。

「日番谷と昨夜、接触したのか・・・?」
砕蜂は、清十郎に問いかける。それが、気になっていたのだ。
日番谷が昨夜ここにいたと知ったときは、天道側に付き、死神を裏切るつもりかと思った。
しかし、日番谷の行動は蓋をあければ、全て砕蜂が指示した通りで、期待以上と言ってもいい。
清十郎は、炎の中で、少しだけ微笑んだように見えた。
「誰のことかな」

そして、清十郎の足が地面を蹴る。
最後の力を振り絞って、砕蜂に覆いかぶさるように錫杖を振るった。
対する砕蜂の初動は明らかに遅れていた。しかし、腕は半ば無意識のうちに動いた。

 

「・・・」
砕蜂の肩に、ずしり、と清十郎の体重が重くのしかかった。
清十郎の胸、蝶の紋様の真ん中に、砕蜂の斬魂刀の先が深く食い込んでいた。
清十郎が、大きく一度、あえぐ。
錫杖を取り落とした手が、空を掻くように、一度大きく動き・・・だらりと垂れた。
「頼む・・・」
崩れ落ちようとする間際、清十郎は砕蜂の腕をがしりと掴んだ。

「どうか、この地に流れる血が・・・これで最後になるよう・・・この地を護ってくれ」
ヒューヒューと鳴る苦しい息の下で、それだけ言うと、清十郎の腕から一気に力が抜ける。
無言で立ちつくす砕蜂の真横に、その体が崩れ落ちた。
「あ・・・げ・・・は」
それが、天道清十郎の最期の言葉だった。
砕蜂はやや置いて顔を上げると、周囲を見渡す。
既に、戦況は大きく死神に傾こうとしていた。

 


ギィン!!
乾いた金属の音と火花を残し、日番谷と揚羽がすれ違った。
ダン、と音を立て、日番谷は右手に刀を下げ、木の幹に着地する。

―― アイツ、どこに・・・
思った直後、ぞわり、と日番谷の背筋が凍りつく。
理解するよりも先に、背後を振り返っていた。

「遅いわね」
日番谷の真上に位置する枝の上に、揚羽が立っていた。
ギラリ、と輝く瞳が、日番谷を真っ直ぐに見下ろしている。

「飛閃氷!」
「狂炎!!」

二人の声が、同時に空間に木霊した。
氷と炎が真っ向からぶつかり、あたりが白い水蒸気で覆われる。
―― ここか!
水蒸気の向こうに、日番谷らしき人影がうっすらと見える。
揚羽はそれを捉えると同時に、ためらいなく突っ込んでいた。

しかし。
その人影は、揚羽の錫杖が届く直前に、ふっと掻き消える。
「荒っぽい戦い方だな」
声に上空を振り仰げば、十メートルほども高い木の枝の上に、日番谷の姿が見えた。

「目障り?」
口元だけで、揚羽が笑う。
「あたしはこの森で育ったから、地の利はあるはずなんだけど。あんたこそ、なかなかすばしっこいじゃない」

「俺はもともと隠密機動の出身なんだよ」
日番谷は淡々とした声で、それに返す。
「隠密機動・・・?あの女の?」
揚羽は怪訝そうに眉をひそめ、日番谷を見やった。
それには答えず、日番谷は揚羽に再び、氷輪丸の切っ先を向けた。
「砕蜂は、強ぇぞ」
「心無い者は、真の力もまた、持つことができぬ。・・・父様の受け売りだけどね」

心は人を迷わせ、狂わせ、苦しませる。
それでも前に進もうとする者にしか、真の力は振り向かない。
だから。
揚羽は、錫杖の切っ先を日番谷に向けた。
絶対に、父様はあんな女に負けたりしない。

日番谷は、スッと目を細めた。
その表情から、感情は一切読み取れない。
「だからアイツは強いんだ」
アイツって、誰よ。
そう揚羽が返そうとした時だった。

揚羽にとって間違えようも無い力が、ふっと蝋燭の炎を吹き消すように、消えたのは。


「・・・とうさま」
その、まだあどけなさが残る唇が、言葉をつむぐ。
日番谷が、瞑目する。

それは一瞬の間のようでいて・・・永遠のように長く感じる時間だった。

唖然としていた揚羽の瞳が、カッと見開かれる。
「どいてっ!」
一喝するが早いか、錫杖を大きく横に払うと、日番谷を脇に押しやろうとする。
しかし日番谷は揚羽の前に回りこみ、錫杖を斬魂刀で受け止めた。
ジリジリと刀と斬魂刀が押し合う。
「どけっ!あたしが行ったところで、もう戦況は変わらないでしょ!」
「だから行くなと言っているんだっ!」
日番谷が揚羽に負けず劣らず、激しい口調で言い返す。
それを聞いた揚羽が、一瞬体の動きを止めた。

「なによ・・・それ」
見開かれた瞳に、感情はない。
「やさしさのつもりなの・・・?」
「『生きるのを諦めるな』っていうのが・・・お前の父親の遺志だったんだろ」
揚羽の体から突然力が抜け、錫杖をだらりとぶら下げた。
対する日番谷も、斬魂刀を退く。2人は、至近距離で向き合った。

「なんで。なんであんたが、父様の言葉を知ってるの・・・?」
問われても、日番谷は無言のまま揚羽の目を見つめている。
続けた揚羽の言葉は、はっきりと分かるほど震えていた。
「まさか。父様があたしをここによこした理由は・・・」
「・・・寺院からお前を引き離すためだ」
「なによ。明日殺しあう敵同士・・・のくせに。二人であたしを騙したの?」
「それでも、分かり合えることもある。目的が同じだったからだ。それが何かくらい分かるだろう!」

揚羽は、錫杖を持っていない方の手のひらで、ぎゅっと自分の胸を握り締めた。
市丸との戦いで付いた傷のせいで、緋色の着物が血の色に染めなおされてゆく。
「・・・そういうこと、なのね」
揚羽は、かすかに口角を上げた。
しかし、日番谷には分かる。こんなのは、この娘の笑みではない。

「それでも。それでも、あたしは・・・行くわ」
全てを断ち切るかのように、錫杖を一振りすると、日番谷に突きつけた。
「あたしは許さない。あんたたち死神を」
殺すか、殺されるか。
覚悟を決めた者の静謐な瞳が、まっすぐに日番谷に向けられる。

―― 人は、名前で呼ばないといけないんじゃなかったのか。
初めて会ったときの、揚羽の言葉が耳に蘇る。
俺たちが唯一つの名前をもつということも、死神とか、天道教とかいう立場の前には、意味がないものなのか。
動き始めた歯車は、もう、止まらないのか。


冬の町に咲く鮮やかな花。舞い踊る揚羽。
彼女の琥珀の瞳が、自分の眼を捉えた瞬間を思い出す。
そして花開くように、微笑んだその刹那を。


「覚悟っ!!」
揚羽が錫杖を大きく振り上げ、一足飛びに日番谷の懐に飛び込んだ。
日番谷は、ぎり、と歯をかみ締める。
氷輪丸の柄を握る手に力をこめる。
ごとり。
歯車が、また終末にむけて、動くのが聞こえるように思った。
ひゅっ、と刀と錫杖が空気を裂く。

見上げた日番谷の頬に、ぽつり、と何かが散った。
「・・・!」
泣いて、いる。
歯を食いしばり、瞳をゆがめて。
散る涙を拭いもせず、揚羽は錫杖を振り下ろした。
対する日番谷は、大きく一歩、踏み込んだ。


鈍い音が、静まり返った森の中に響き渡った。
鮮血が、揚羽の腕に、体に、頬に、真紅の紋様を描いてゆく。
揚羽は無意識のうちに、倒れ掛かってきた日番谷の体を受け止めていた。
錫杖を握っていた手の平を視界に入れると、それは、真っ赤に染まっていた。
「なんで?」
ぽろり、と言葉が口から零れ落ちた。
口を開こうとした日番谷が、力なく何度か咳き込み、その口元からも血がボタボタと落ちた。
その胸の真ん中を、揚羽の錫杖が貫き、それは背中まで突き抜けていた。

「・・・揚羽」
日番谷は、致命傷を負っているのが信じられないほどの力で、揚羽の肩を捕まえた。
「誰かのために命をかけるには、どれくらいの時間が必要なんだ・・・?」
「なにを・・・なに言ってんのよ!」
「一年か?それとも・・・一生か?」
ゆらり、と日番谷の体が揺れる。
「きっと・・・そんなには、いらねえよな」
揚羽の手から、錫杖がすべり落ちた。

揚羽は膝をつき、倒れこみそうになった日番谷の体をとっさに支えた。
「わかんないよ・・・そんなの」
揚羽は一回、大きくしゃくりあげた。大粒の涙が、次から次へと頬を伝った。
日番谷は、一度だけ空気を求めるようにあえいだ。
そして、掠れた声ながらはっきりと、言い放った。
「・・・生きろ」

揚羽は、その場に凍りついたように立ち竦んだ。
今、この瞬間にも、寺院では霊圧がひとつ、また消えた。
しかし、今ここで温いところから、冷たいところへまっすぐに流れ落ちようとしている命がある。
揚羽は、その場から動けずに慟哭した。