同日2月18日、正午。
日番谷冬獅郎は、部下の副隊長・松本乱菊と共に、天道教がある山麓の町にやってきていた。
二人とも死神の制服である死覇装でなく、平服姿である。

「はい。お蕎麦あがりましたよー♪」
地味な茶色系だが、大振りな花柄の着物と、袴をまとった乱菊が、笑顔で日番谷に丼を手渡す。
「ああ・・・」
受け取った日番谷は藍色系の着物に、黒い袴をまとっていた。
男にしては白い肌に、深い藍色が映えている。

端から見れば、姉弟にしては外見が違いすぎ、親子にしては年が近く、友人にしては離れすぎている。
馴れ合いすぎているようにも遠くも見えない、言い表せない雰囲気をかもし出していた。
しかしさすがに、2人が死神で、上官と部下の関係などとは、誰も思わないだろう。

蕎麦からあがった蒸気が食欲を誘う。茶屋の机に向かい合い、2人は同時に箸を取った。
「何事もないようだな」
日番谷は、茶屋の窓から見える山の中腹を見上げて言った。
そこには、立派な瓦屋根の寺が小さく見えていた。
そこが彼らの目指す場所――天道教の寺院だった。
「砕蜂隊長だけで十分じゃないですか?あたしたちがわざわざ来なくたって・・・」
「総隊長が言っていた。奴等が隠し持ってるのは、炎熱系の力っていう可能性があるそうだ。いざとなったら協力しろと言われてる」

ふーん、と乱菊は蕎麦をすすりながら、気のない返事をした。
「だからって、何であたし達、こんなコソコソしてるんです?」
「ここでは死神だってばれたらまずい。後は想像しろ」
日番谷はそれだけ言うと、ズズっと茶をすすった。


―― なるほど。
日番谷に言われるまでもない。
砕蜂は、他人に助けられることを徹底的に嫌うのだ。
そんな人物と協力すると申し出るなど、場合によっては侮辱と取られかねない。

中でも、半年前に隊長になったばかりの日番谷を、砕蜂が対等とみなしていないことを、乱菊はうすうす感じ取っていた。
キャリアの短さだけではなく、その少年にしか見えない年齢、流魂街出身という経歴、その全てが砕蜂には認められないのだろう。

ただ、嫌悪のまなざしの中に、微妙な感情が見え隠れしているのを、感じることがある。
自分も同じ感情を、ある男に感じたことがあるから分かる。
天才肌で、どんな試練もやすやすと乗り越えてしまう男に対して、天性の才能には恵まれなかった自分が、時に感じた気持ち。

「はいお茶。お代わりあるよ」
そんな乱菊の思惑など露知らず、日番谷は茶屋の娘に茶を注いでもらっている。
―― 最もそんなこと、この隊長は気づきもしないだろうけど。
ふふっ、と乱菊が微笑んだ。


その時、わああっ、と通りから歓声が上がった。
通りは縁日のような賑わいで、大勢の大人や子供が賑やかに行きかっていた。
「今日は縁日か何か?なんだか人が多いわね」
乱菊が茶屋の娘に声をかけると、娘は人懐こい笑みを浮かべて首を振った。
「お客さん、この辺の人じゃないね。この町はいっつもこうだよ」
「平和ねぇ」
「あそこのお寺さんのおかげだよぅ」
娘は、エプロンで手を拭くと、山の中腹の天道教寺院のほうを指差した。

「あのお寺の人たちが来てから、この町は本当に平和になったのよ。お坊さん達の神通力で、私たちを護ってくれてるの。
みんなホントにあの人たちには感謝してる」
「神通力ってどんなものなんだ?」
日番谷が聞くと、娘は首を捻った。
「知らない、誰も見たことはないみたいよ。でも、野盗達はすごく怖がってるわ」
ふぅん、と日番谷は彼には珍しく子供じみた返事をして、黙った。


一体どんな奴らなんだろうな。
頭に浮かんだのは、素朴なと言ってもいい疑問だった。

ただ・・・結果はそうなっているとはいえ、理由もなく「野盗達が怖がる」ということは、きっとない。
それに足る何かを、天道教の坊主たちはやっていると推測するのは決して難しくない。
―― 所詮、紙一重か。
町を護っているという天道教とやらも、野盗とやらも。

やっぱり、死神というソウル・ソサエティ内の特権階級が、権威で押さえつけるのが一番確実か。
殺しあわず、理不尽な暴力や略奪を未然に防止するとすれば、当事者同士がやりあっても泥沼になるだけだ。
砕蜂なら、権威の使い方というのは、イヤというほど心得ていそうだが・・・

「どうしたんです?隊長。なんか機嫌悪そうですね」
「そんなんじゃ、ねーよ」

ため息と一緒に、茶をぐっと喉に流し込んだ。
力だの権力だのは、流魂街時代は軽蔑してやまなかったのに。
気がつけばこんなことを考えているなんて、自分で自分が納得いかなかった。

 

ひときわ大きな歓声が上がり、日番谷と乱菊は思わず店の外に目をやった。
「行って見ましょうよ、隊長!」
「おい、松本。俺たちは遊びに来たわけじゃ・・・」
「だからって、ここに座って茶飲むくらいしかすることないじゃないですか!
どうせなら楽しまなきゃ」
苦笑する娘の手のひらにチャリン、と金を落とし、乱菊は日番谷の肩を押して通りへと向かった。

 

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軽快な太鼓の音、そして鳴り響く手拍子。
シャリン、と鳴る鈴の音が少しずつ近くなる。
「わっ、隊長、踊り娘さんが来てる!」
人ごみを掻き分け、乱菊が歓声を上げた。
自分より頭一つ分以上小さな日番谷を、自分の前に押しやる。

「綺麗な娘・・・」
乱菊が思わずそう漏らすほど、その娘の容姿は整っていた。
腰まで覆う黒髪が、ひときわ一目を引く。
黒が、これほどまでに明るい輝きを持ち、軽やかに舞い踊るとはこの娘を見ないと信じられないだろう。
娘の溌剌とした動きに、髪も生き物のように踊った。

大きな二重の瞳は濡れたように輝き、頬は桜色に上気している。
袖がなく、白い腕は肩からむき出し。裾も極端に短く、太腿が露になっている。
緋色の着物から伸びる手足は、驚くほどすんなりと長い。
その真っ白い肌とあいまって、女でもその境目にドキリとさせられる。

華奢な手首や二の腕、足や頭につけた鉄製の飾りが、しゃらん、しゃらんと音を鳴らす。
太鼓の音にあわせ、伸びやかに長い四肢を躍らせ舞う姿は、人々の熱狂を呼んだ。

娘の瞳が、ふと日番谷と乱菊に合わせられる。
日番谷の翡翠の瞳を見て、少しだけ娘は目を見開いた。
翡翠色の目はソウル・ソサエティでは滅多に目にすることがないからかもしれない。
しかし、娘はすぐに、日番谷の目を見つめたまま、にっこりと口角を上げた。
そして、ひときわ高く宙に舞う。群衆の中から口笛や歓声があがった。


乱菊が見ると、日番谷は魅入られたように娘を凝視している。
―― あらまあ。仏頂面してても、やっぱり男の子ね。
ほくそ笑む乱菊を、日番谷は眉をひそめて見上げる。
「見ろよあの格好。若い女が腹冷やしたらダメなんじゃねえのか?」
―― ジ・・・ジジくさい・・・
乱菊が絶句している間に、娘の舞が終わった。


沸き起こる拍手の中、息も弾ませずに着地した娘は、軽やかに頭を下げる。
前に置かれた桶に、一斉に金が投げ込まれた。
「あそこに金を入れるのか」
日番谷は見よう見まねで近づき、チャリン、と中に金を投げ入れる。
それを見ていた娘が、背をむけた日番谷の腕をパシッ、と掴んだ。

「多すぎ」
日番谷の目を見て、一言そういう。
乱菊が後ろから覗き込むと、確かにそれは、大道芸を見たにしては、異常に高い金額だった。
しかし日番谷はその辺の加減が分からないらしく、眉をひそめる。
「少ないより多いほうがいいだろ。大体2人分だ」
「2人分にしても多いの!」
「うるせーよ。いまさら戻すな」
娘の手を振り払い、日番谷が背を向けた時、人々から飛んだ声に、日番谷はぴたりと足を止めた。

「お前、寺の娘の癖にそんな格好してたら、親父殿に怒られるぞ!」
「なによー。あんな線香臭いお寺に篭るなんて絶対に嫌!」
「寺?」
日番谷が肩越しに振り返り、娘を見た。
「お前、寺の誰かの娘なのか」
「お前よそ者だな、この娘の父親は、あの寺の当主の天道清十郎様さ」
「・・・」
日番谷は、言葉を止めて娘を見やる。

その数秒の間に、娘は身軽な動きでぴょん、と日番谷に歩み寄った。
「じゃ、たくさん貰った分、あたしが奢ってあげる!甘味処あたしも行きたいし!そっちのお姉さんも一緒にどう?」
「あのなあ、俺たちは今食ったばっかり・・・」
言いかけた日番谷の口を、すかさず乱菊がふさぐ。
「行く行く!」
「オイ松本、お前な・・・」
「ハナシ、色々聞き出せますよ」
その日番谷の耳元で、乱菊が呟く。

「大体っ、甘いものは別腹です!」
「知らねえよ・・・」
「決まりね!一押しのところ案内してあげる!」
娘はパーッと広がるような笑みを浮かべ、先に立って歩き出した。
「おい女、俺たちはな・・・」
「女じゃないっ!」
また逆鱗に触れてしまったらしい。
娘はプーッと頬を膨らませて日番谷を見た。

「人を呼ぶときは、女!とか言わないの。名前があるんだからね!名前で呼ばなきゃ」
「・・・お前の名前しらねーよ」
「揚羽(アゲハ)。天道揚羽!いい名前でしょ」
さっきまでのふくれっつらとは打って変わって、娘は明るい笑みを広げる。

根っから明るい性格らしい。
ころころと表情が変わり、ちょっとしたしぐさも機敏だった。
「あたしは松本乱菊よ」
ふたりにじーっと見つめられ、しぶしぶ日番谷が答えた。
「・・・日番谷冬獅郎だ」

 

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「それにしても揚羽。あんた、なんで踊り娘なんてしてるの?お寺の娘さんなら、そんなことしてお金稼ぐ必要ないでしょうに」
みたらし団子をもぐもぐ噛みながら、乱菊が隣に座った揚羽を見やる。

揚羽は、二杯目のぜんざいをずずっとすすりながら、うーん・・・と考えるしぐさを見せる。
「お寺がね、あんまり好きじゃないの」
「線香臭いからか」
2人の女の食べっぷりに、げんなりしていた日番谷が揚羽を見た。
「やーね、言葉のアヤよ、それは」
ケラケラと揚羽は笑い飛ばした。

「じゃあ何よ?」
「力で周りを脅してるから」
「・・・穏やかじゃないわね」
乱菊が日番谷をちらりと見て、そう言った。

「でも。町の人たち言ってたわよ。あのお寺のおかげで、町は平和だって」
揚羽は、ウン、と頷いたまま黙ってしまう。
常に笑みをたたえていたのが、複雑な表情に沈んだ。

「確かにその通りなの。天道教のお坊さん達の力が強いから、外の人はこのあたりは襲ってこない。
でもやっぱり・・・力で誰かを脅してるのには違いはないでしょ?
無理やり力で押さえつけたって、いつかは更に強い力に負けてしまうと思うの。だから・・・力は嫌い」
その言葉は、日番谷と乱菊を黙り込ませた。
それを見て、自分が余計なことを言ったと思ったのだろう、揚羽は再び笑顔を向けた。

「あたしはね。もっと、皆が笑えるような、愉しくなれるような方法で平和にしたいの。たとえば、私の踊りみたいにね」
そういって、身軽に立ち上がり、狭い店内で、くるり、と回ってみせる。

「だから、お寺には滅多に戻らないわ。自分でお金稼いで、ほとんどこっちで暮らしてるの」
「・・・そうか」
日番谷は、そういって頷くと、大きくため息をついた。

「なによ冬獅郎、急に」
「揚羽。お前、しばらく寺には戻るんじゃないぞ」
「え?」
揚羽が、きょとんと目を見開く。
乱菊が横から、日番谷を突っついた。
あまり色んなことをしゃべるのはまずい、とその目が言っている。

そのときだった。
ハッ、と日番谷は窓の外を見やる。
次の瞬間、

ドォン!!

大砲でも撃ったかのような大音響が響き、山々に木霊した。
「なに・・・」
通路にいた揚羽は、真っ先に外に駆け出す。

「お・・・おい、見ろよ!」
「寺が!!」
人々がどよめきをあげ、山の中腹を指差している。
その先に見える瓦屋根は・・・かなり離れた町から見ても分かるくらいに、炎上、していた。
――くそ・・・やっぱりタダじゃすまなかったか!
日番谷が歯噛みする。その視界の先を、赤い着物が舞った。

「揚羽!待て!」
日番谷が手を伸ばす。
しかし、その指先がかすかに着物に触れただけで、揚羽は人ごみに隠れ、見えなくなる。
乱菊が、その隣へと駆け寄る。
「隊長・・・!」
「松本、俺は寺へ行く!お前はこの町を護ってろ!」
「分かりました。お気をつけて」
乱菊の声に、日番谷は頷く。そして、人ごみの中に身を翻した。