それよりもわずかに前。
当主・・・天道清十郎は、砕蜂たち死神に背を向け、僧達に頭を下げた。
「すまん。お前達・・・」
手に手に錫杖を持った僧達は、無言で首を振り、清十郎の横を通り過ぎる。
そして、清十郎の妻、白羽に刀を突きつけたままの砕蜂の前に、次々と錫杖を投げ出した。
砕蜂に向ける瞳には、憎悪が篭っている。
しかし砕蜂は、眉一つ動かさなかった。

憎まれることには慣れている。
より効率的に戦いを収める。
その目的の前には、汚いも汚くないも無意味だ。


清十郎は歯をぐっとかみ締め、最後に、自分の錫杖を山になった上に放り投げた。
「当主・・・」
「清十郎さん!」
周りの悲痛な声に、深くうつむき清十郎はこたえない。

「さて。天道清十郎とやら。瀞霊廷廷まで来てもらおう」
砕蜂が後ろに視線で合図をすると、隠密機動のうち2人がさっと前に歩み出て、清十郎の腕を両側から掴んだ。
「貴様ら、こちらが黙っていれば・・・」
「やめろ、お前ら!」
気色ばんだ僧達を一喝したのは、清十郎だった。

そして、腕をとられて砕蜂のほうに歩み寄る。
「貴方!」
沈痛な沈黙に支配されたその場を、女の声が鋭く貫いた。
「白羽・・・」
清十郎がはっと顔を上げ、己が妻の顔を見つめる。

―― この女、何を・・・
砕蜂は白羽を捕らえたまま、清清しくさえ見える女の横顔を見やった。
そういえば、これまで一言も発しなかったこの女は、刀を突きつけられて尚、動揺を見せなかった。

「初めて。貴方がこの麓の町に来た時のことを、覚えていますか?」

妻の問いかけに、清十郎が顔をゆがめた。
しかし白羽は、一途に清十郎を見つめて続けた。

「苦しいこともあったけれど。
でも、生きるための略奪が日常化していた、哀しいあの町を立て直してくれたのは貴方だった。
幸せとは奪うものではなく、分かち合うものだと、私は初めて知りました。
・・・貴方との間に、揚羽を授かって初めて」

揚羽。
娘の名を口にしたとき、白羽の声はかすかに、掠れた。

「白羽。お前なぜ、そんなことを言う・・・?」

やめてくれ。
言葉よりも先に、歪んだ表情が恐怖を伝える。

「貴方。愛していますわ」

まさか。
砕蜂が、女の人形のような白い顔を眺めやる。
その赤い唇が、最後の言葉を紡いだ。

「だから貴方。『戦って』」


「やめろ白羽!」
刹那。
白羽は、自分に刃を突きつけている砕蜂の手を両手で握り、一気に自分の喉へと突きたてた。

 


「しら・・・は」
駆け寄りかけた清十郎の頬に、白羽の喉から吹き上げた血が散った。
スローモーションのようにゆっくりとした動きで、白羽の体が弓なりにしなり、仰向けに倒れてゆく。
「お・・・」
よろめきかけた清十郎が、ぐっと地を踏んだ。

―― まずい!
砕蜂は白羽から手を離し、清十郎に向かって駆け出す。
「おおおおお!」
ダン、と清十郎の足が地面を蹴る。
そして一足飛びに地に投げ出された錫杖の山に手を伸ばす。

砕蜂が雀蜂をかざし、清十郎の間合いに入った、と思った刹那。
ガッ、と清十郎の手が錫杖を掴み取る。
固く、固く錫杖を握り締める手に血管が浮いた。
「貴様・・・」
砕蜂が叫んだ瞬間、彼女を見返した、清十郎の瞳。

―― 獣だ・・・!
いや、人でなければ、こうは狂えぬ。
砕蜂は無意識に、背後に下がろうと一旦足を止めた。
「おおおお!」
清十郎が錫杖を砕蜂に向け、一閃させた。

「うっ・・・!」
砕蜂の小柄な体は錫杖の一振りに吹き飛ばされ、後ろの壁に強かに体を打ちつけた。
断ち切れそうになる意識を振るい起こし、衝撃にしびれる体が地面から引き剥がした。
顔を上げた砕蜂が見たのは・・・炎の海と、その中でもだえる隠密機動の姿。
そして、喉をかきむしって倒れる隠密機動の傍でゆらりと立ち上がり、また1人、また1人と錫杖を手に取る法衣の男たち。

一番奥には、白羽の亡骸を抱きかかえ、地に膝を着いた男・・・清十郎がいた。
「許さん・・・」
ゾッ、とした。
千以上の死線を潜り抜けてきた、砕蜂がである。
清十郎は白羽を地面に寝かせ、錫杖を大きく振りかぶり、砕蜂に突きつけた。
「死神どもを、一匹たりとも生かして帰すな!!」
「おお!」
僧達の雄叫びが、間髪射れず清十郎に答え、怖気づいた隠密機動に襲い掛かった。

 

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「退け!一旦退け!」
砕蜂の叫びに、動ける隠密機動たちが、一斉に砕蜂の周りに集まる。

―― ちっ、まともに動けるのは、せいぜい二十人か・・・
わずか十五分ほどの間に、実に八十人がやられた計算になる。
たかが流魂街の人間だ、と高をくくっていたことも、あるかもしれない。
―― しかし、まさかこれほどとは・・・
砕蜂はぐっと歯をかみ締め、目の前の光景を見つめた。

あたり一面、火の海だった。
そして、燃え盛る炎の中、一歩一歩こちらに近づいてくる僧達の姿。

「ひいい!」
隠密機動たち数人が悲鳴を上げて下がるのを叱咤できないほど、その光景は異様だった。
炎の中にいても、この錫杖の遣い手たちは全く熱さを感じないらしいのだ。
この寺院にも何らかの結界が張られているらしく、炎に包まれてはいるが燃え落ちはしない。

使い手がそれぞれ別の力を持つ斬魂刀とは違い、その力は全て炎熱系。
そして、遣い手が集まることで、その力は増幅され、斬魂刀をも上回る・・・

「死神の調査はしていてな。貴様は護廷十三隊二番隊隊長、そして隠密機動総司令官の砕蜂だな。
体術が得意で、それを利用した斬魂刀を使う。が・・・長距離で相手が多い戦いには不向きだ」
立ち上がり、指に取り付けた斬魂刀をかざした砕蜂に、清十郎が言う。
その声音は表面上は平静に見えるが、中では熱く煮えたぎっているのが、かすかに震えた声から分かった。

「下級貴族出身。名家の姫君だった前総司令官の失踪により、やむなく代理で選ばれたと聞いたが・・・
噂は本当のようだ。腕も器も足りぬ」
その言葉に、ピクリ、と斬魂刀を構えた腕が動く。
そして間髪入れず地を蹴った。

清十郎が構えなおすよりも早く、瞬歩で清十郎の眼前まで移動すると、横ざまに蹴りを放つ。
「ちっ!」
清十郎がとっさにかざした腕で攻撃を防ぐ。そして、砕蜂の足首をぐっと掴んだ。
その砕蜂の表情を見やった清十郎が、呟く。
「死神とて、感情に心奪われることがあるのだな」
「黙れ!」
砕蜂は下がるどころか、逆に前に出た。
逆の足で蹴りを放ち、更に受け止められると、両腕で突きを放った。
まともに胸に攻撃をくらい、さすがの清十郎も後方に下がる。

更に突っ込もうとした砕蜂を、周囲から放たれた炎が遮り、歯噛みしながら後方に下がった。
―― 死神とて、感情に心奪われることがあるのだな
今しがた言われたその言葉が、逆に砕蜂の心を冷やした。
感情に縛られるなど、死神として最も恥ずべき行為。


「司令官!」
悲鳴じみた部下の声に、砕蜂は周囲を改めて見回した。
「止むをえん。この場から退け!」
これ以上留まり続け退路さえ断たれれば、砕蜂はともかく、他の死神は全滅の恐れがある。
その砕蜂の声を皮切りに、次々と隠密機動たちの姿がその場から掻き消える。

「逃げるか!」
清十郎が炎の中から飛び出した。後を追おうと駆け出した瞬間、その足がピタリと止まる。
―― この力は・・・
頭の中に閃いた、一枚のイメージ。

森の中を駆ける、足。
銀色に輝く、逆立った髪。
懐から、小さな針のようなものを取り出す。
その針が、一瞬で一振りの刀に、姿を変えた。

その刀の持つ霊圧に、清十郎は反射的に背後を振り返った。
「深追いするな!」
「清十郎さん、しかし・・・」
「いかん、もう1人死神がこちらへ向かっている!」
「何を言っているんですが、死神の1人くらい・・・」
「隊長格の1人に、氷雪系の遣い手が現れたと聞いたが、この霊圧・・・多分その者だ。
我らの天敵になりうる能力。お前達を無碍に危険にさらすことはできん」
「で、でも・・・」
「いいんだ。あいつもそれは望まない」

清十郎の周囲に集まった僧たちが、視線を寺の奥のほうに向ける。
清十郎はそれには無言で、ゆっくりと、ゆっくりとそちらへ歩み寄った。
そこに、眠るように寝かされている白羽の体を抱き上げ、自分の袖で、その顔を汚した血を拭った。
その人形のような白い顔には、苦悩はない。
最期に見せた、あの清清しい表情のまま。

「白羽。お前は・・・分かっていない」
その顔に目を落としながら、呟いた。
「町なんて・・・本当は二の次だったんだ。今更遅いと分かっていても、
お前の前では聖者でいたかっただけなんだ。お前がいなければ・・・」
こらえきれぬ涙が、その頬を伝った。
炎がその涙を巻き上げ、散らしてゆく。


その時。
どよどよとこれまでとは違った声があがった。
「揚羽様!」
「お嬢さん!」
清十郎は白羽を膝の上に抱き上げたまま、庭を見やる。

「何事なの、これは?」
凛、とした声がその場を貫いた。

その瞳は、さきほどの踊り娘の時とは別人のように、強い光を放っている。
これほどの騒動を見ても、全く動揺の色さえ見せていなかった。
炎に照らし出され、ふわりと舞い上がるその髪が、蜜色の輝きを返す。

「父様はどこ?全員、無事なの?」
「・・・ここだ」
その声を聞き、視線が清十郎を捕らえた途端、安堵が表情に広がる。
しかし、その表情は一瞬で凍りついた。
その視線は、父親に抱かれた骸の上で止まっていた。


「なんなの・・・?」
僧達が深く頭を垂れ、揚羽の前に道を譲った。
その僧たちの決して合わせぬ視線が、これが幻でないと知らしめたのだろう。
ひゅっ、と揚羽が息を飲み込むような音が響いた。
それはかすかだったが、布を無理やりに引き裂くような、苦しい悲鳴だった。

ざっ、ざっ、と、灰を巻き上げながら、揚羽は父親に歩み寄る。
その目は、焦点があっていない。
それを見つめる僧達の中から、啜り泣きが漏れた。

「なんなの、これ・・・」
揚羽は音もなく、母親の傍らに膝をついた。
そして、まだ血のあとが残る頬に、その掌をゆっくりと当てた。
その頬から、音もなく次から次へと涙が滑り落ちる。

「かあ、さま・・・」

「揚羽お嬢様。白羽様は、死神に人質に取られ、そして・・・自らの首を」
揚羽の後ろまで歩み寄った僧の1人が、微動だにしない揚羽の肩に手をやった。
「すまん、揚羽」
清十郎が、目の前の娘に、ぽつりと言った。
握り締めたその拳が、激情にガタガタと震えていた。

「・・・」
揚羽は、無言でスッと立ちあがった。
そして帯の後ろに手をやり、そこから、小さく折り畳まれた錫杖を取り出す。
カシャン、と音を立て、それが一振りの錫杖に組み立てられる。

「待てっ、揚羽!」
清十郎が手を伸ばしたが、その手は間に合わない。
揚羽はあっという間に身を翻し、寺を飛び出した。