風がビュウビュウと音を立て、耳元を吹きすぎてゆく。
日番谷は急速に遠ざかってゆく死神たちの気配に意識を集中させた。

―― なんてことだ・・・死神が逆に追われるとは。

砕蜂率いる隠密起動の実力は、瀞霊廷の中でも一目おかれている。
それなのに、一介の坊主達に敗北したというのか?
先を行く死神達の気配の中に、砕蜂が混ざっているのが分かっても、尚信じられなかった。
しかも、怪我人が出ているせいなのだろう、その足取りは遅い。
瞬歩を使った日番谷なら、あと数分で追いつけそうだった。

追っ手が来る。
日番谷は、チラリと背後に視線を走らせる。
天道教があった方角から、何人かの気配を感じた。
特に先陣を切る一人は、日番谷よりも先に砕蜂たちの下に追いつきそうだった。


―― どうする?
一瞬頭を浮かんだ考えに、日番谷は自分で驚いた。
「・・・倒すしか、ねーじゃねえか」
一体なんのために、氷雪系の力を持つ自分が、ここに寄越されたというのだ。
炎熱系の力を持つ坊主達が逆らったときに制圧するために他ならない。


―― 「力は、嫌い。」
その言葉が、耳によみがえる。
さっき別れた娘が、つぶやくように口にした一言だった。

望まなくとも、力を持つ者は存在する。
望まなくとも、そんな者達は戦いを強いられる。
そして、自らの力に支配され、運命すら狂わされてゆく。

自分も、同じだ。

「ごめんな。それでも、俺は」
日番谷はそこで言葉を切り、ぐん、とスピードを上げた。
その瞳にもう、迷いは無かった。

 

 


―― 無様だ・・・
森の中を走りながら、砕蜂は唇を噛んだ。
連れてきた隠密機動の半分以上は殺され、更に半分は重傷を負っていた。
この傷で、追いつかれれば全員の命が危ない。
虚なら、せめて他の死神ならいざしらず、流魂街の住人ごときに負けるとは。
自分の弱さが憎かった。

「大丈夫かっ!」
力尽き、地面に膝を着いた一人に、隠密機動の1人が足を止める。
それを見て、砕蜂は大声で叱咤した。
「何をしている、動けないものは置いていけ!共倒れになりたいか!」

「その冷たさで。母様も殺したのか?」

突如、女の声が森の中に響いた。砕蜂はハッとして上を見上げる。
その視界に一瞬、黒い影がうつる。
「何者か!」
誰何する砕蜂の声を無視し、影は一直線に砕蜂に向かって急降下してきた。

「待て!」
砕蜂の前に、隠密機動2人が立ちふさがる。
ヒュンッ!!
風を切る音が一瞬響いた、と思った直後、錫杖が弧を描く。
小さな影が2人の間に飛び込んだと思った瞬間、錫杖から炎が噴出した。

「ぐおっ・・・」
隠密機動たちがその場から吹き飛ばされる。その間わずか1秒足らず。
「覚悟っ!」
そして、風を捲いて飛び掛ってきた人影の一閃を、かろうじて砕蜂はかわす。
刀を構えた砕蜂の5メートルほど先に、その人物は着地した。
足音もなく自分に歩み寄る人物を見て、砕蜂は目を見開いた。

「こ・・・子供?」
女、だった。しかも、大人というよりも少女に近い年齢だった。
「私の名は揚羽。天道清十郎と白羽の娘だ!」
揚羽の、まだあどけなさの残る顔は、純粋なまでの怒りに塗りつぶされていた。
激情に反応するかのように、錫杖に、その腕に、全身に、炎が絡み付いていく。
その霊圧に、ビリビリと空気が振動する。

―― こいつは・・・

砕蜂は、暑さのためだけでない汗を、額から拭った。
ドクン、ドクン、と心臓が打つ音が聞こえる。
本能が警鐘を鳴らしているかのように、それは全身に響いた。
―― 天道清十郎じゃない。最強の者は・・・まさか

「母様を殺し、父様を苦しめたのは、お前か」
炎が砕蜂の肌をちりちりと焼いた。
これほどの実力者が、力を使うこともせず、静かに野で暮らしていたというのか・・・
―― 天才、というやつか。
ぎりっ、と砕蜂は歯噛みし、やや置いて言った。
「否定はしない」
「なぜだ!」
揚羽は大きく一歩踏み込み、錫杖を繰り出す。
砕蜂は右手の斬魂刀でそれを受けた。

「ちっ!」
すぐさま炎を吹き出した錫杖に舌打ちし、横から蹴りを放った。
揚羽は身軽な動きでそれをかわし、上空に飛び上がると、枝の上に着地した。
すぐさま後を追おうとした砕蜂だが、突如襲った足の痛みに、歯を食いしばる。
清十郎が繰り出した、初めの一撃で負った傷だった。
今頃になって、じわじわと体の動きを奪ってくる。

「なぜか。だと。ソウル・ソサエティの秩序を護るのが死神の役割だからだ」
揚羽は、砕蜂を見下ろし、眉間に皺を寄せた。
「護る・・・」
ぎり、と唇を噛んだ。
「護るだと!?お前達死神が、何を護ったのよ!!」
バッ、と腕を振り上げ、背後を指差す。
山の向こうには、もうもうと上がる煙。破壊の跡が立ち上っていた。

「お前達は私達の秩序を破壊した。私達の最も大切な者を殺した!
なのに護るだと!?よくもそんなことを!!」

その言葉の強さに、砕蜂は一瞬、たじろぐ。
そんな砕蜂に、揚羽は錫杖の切っ先を突きつけた。

「この場は通さないわ。お前達はここで消えていけ」

二人の女の瞳が、交錯する。
この場を通さない。そう思ったのは砕蜂とて同じだ。
この娘をこのまま生かせば、瀞霊廷の脅威になることは想像に難くない。
反逆の芽は、摘み取らねばならない。
砕蜂は足の痛みを無視し、立ち上がった。

 

「閃け・・・『狂炎』」
娘の蕾のような唇が、荒々しい言葉を紡いだ。
その錫杖から、これまでとは桁違いの炎が噴出す。
―― 避け切れん!
受けるには強すぎ、避けるには速過ぎる。そのくせ永遠にも思われる瞬間だった。
―― 死・・・

「霜天に座せ、氷輪丸!」

涼やかな声が、その場を貫いた。
巨大な氷龍が砕蜂の後ろから飛び出し、炎と正面からぶつかり合う。
轟音と共に、水蒸気がその場に噴出し、一瞬何も見えなくなった。
靄の先に、砕蜂は自分の前に立つ小柄な少年の背中を目にして、歯噛みした。
「日番谷・・・冬獅郎」