翌日、2月20日早朝。
「思いのほか、人数は少ないですね。40人というところですか」
屋根から遠眼鏡で門の外をうかがっていた僧が、清十郎と揚羽に声をかけた。

「先頭には誰がいる?」
「3人ですね。更木・・・剣八。十一番隊隊長です。そして横にいる銀髪は、三番隊隊長の市丸ギンでしょう。
もう1人は志波海燕。この男は十三番隊の副隊長ですが、隊長の浮竹十四郎の姿は見えません」

更木、の名を聞いた、僧たちの表情が一様に曇る。
剣神と呼ばれる更木の噂は、流魂街にも知れ渡っていたからだ。
鬼のように強く凶悪で、その上いくら傷を負おうと決して倒れないという。

「更木剣八とは、俺がやろう」
清十郎が立ち上がった。
「しかし、清十郎様。昨日揚羽様が戦ったという氷雪系の力を持つ者が・・・この戦いに来ないはずがない」
その言葉を聞き、揚羽が視線を伏せる。しかし清十郎は首を振った。
「心配ない」
迷いなく、淡々と言い放った清十郎に、物言いたげな視線が集まる。
しかし、無表情のまま死神たちを見やる彼は、それ以上答える気配はなかった。

「・・・大丈夫」
揚羽が、ぎゅっ、と錫杖を握り締め、仲間達を見回した。
「もし来たら、あたしが倒す」
ちらり、と清十郎が揚羽を見やる。
覚悟を決めたその横顔は、自分の娘ながら美しく見えた。
ただ・・・そのままフッと消えてなくなってしまいそうな儚さもはらんだ美しさだ。
清十郎は思いを振り切るように、仲間達を見下ろした。

「皆、屋根の上に出てくれ。目にもの見せてくれる」
清十郎は周囲に呼びかけると、立ち上がった。
「おう!」
50人の僧達が、身軽な動きで屋根の上に散る。
そして、錫杖を一斉に門外に立つ死神達に向けた。


「撃エッ!」
清十郎の声と同時に、彼らの錫杖から炎が噴き出す。
50人分の炎は、圧倒的な大きさまで膨れ上がり、一気に死神たちを覆い隠した。
辺りは真紅に照らし出され、見守る僧たちの産毛をちりちりと焼く。

「なんだ、口ほどにもない・・・」
僧達の1人が呟いた、刹那。
「父様っ!」
揚羽の鋭い声がその場を貫く。
炎の中から、何かが凄まじい勢いで飛んできた、ように見えた。
それが、生き物のように伸びる刀身だと気づいたときには、その切っ先は既に清十郎の眼前まで迫っていた。

ガキンッ!
激しい金属音を立て、交差する。
「揚羽!」
間一髪、それを受け止めたのは揚羽だった。
―― すごい怪力・・・
苦しげに顔をゆがめながら、
「流炎!」
力ある言葉を叫ぶ。その言葉と同時に、ひときわ紅い炎が刀を伝おうとする。
その炎を避けるように、急速に刀身が縮み、炎は途中で立ち消えた。

「やはり、一筋縄ではいかんか」
清十郎が眼下を見下ろした。
炎が晴れた先に見えたのは、焼き尽くされた死神たちの姿ではなく・・・
無傷の彼らの間に創生された、結界が炎を跳ね返した姿だった。

「水結界、か」
死神たちの一番前に立ち斬魂刀を構えているのは、志波海燕。
大きく斬魂刀を一振りすると、その結界が霧散した。
「市丸、てめえ!俺より先走るんじゃねえ!」
「しょうがないやん。隙だらけやったんやから」
「こんな時に言い合ってどうするの、ギン!」

市丸と更木に返した女の声に、揚羽は目を凝らす。
―― あれは・・・
松本乱菊。間違いない。
―― 本当にいないの?
その近くにいるはずの、日番谷冬獅郎の姿がなかった。
それでいい、と思う。

水色を、幾重にも幾重にも重ねたような色の瞳。
深く濃いのに、軽やかに透き通った翡翠。
初めて見た瞬間、ドキリとした。
懐かしい何かを、探していた何かを、見つけたような気がしたから。

でも、物語は唐突に幕を下ろしてしまった。
もうあんな色に出会うことは無いだろうと思う。
そこまで考えて、揚羽は頭の中を支配しそうになった考えを振り払った。

 

「かかるぞ、てめえら!」
更木の野卑な声に、揚羽は我に返る。
「作戦通り行くぞ、お前達!」
清十郎が間髪要れず僧達に叫ぶ。僧達は頷くと、次々と建物の中に消えた。

「俺たちに続け!」
先陣を切って、建物内に乗り込んだのは一角、弓親。十一番隊の席官である。
玄関から足を踏み入れた途端、ふたりは絶句する。
「なんてこった、あいつら・・・自分の建物に火つけやがった」
玄関から先は、すでに火の海だったからだ。

「どうなってんだ?あいつら建物の中に入ってっただろ。まさかもう・・・」
「いや、一角。よく見てみなよ。この建物・・・炎に捲かれてはいるものの、全く燃えていないだろ。
恐らく結界が張られ保護されているんだろう」
弓親は、腕を眼前にかざし、チリチリと身を焼く炎から顔を護りながら言った。

「そして。砕蜂隊長が言っていた。ここの僧達は・・・」
そう弓親が続けようとしたときだった。ニヤリ、と笑い、一角が斬魂刀を前に構えた。
「そっから先は、もう分かったぜ」
炎の中で、ゆらり、と人影がゆらめいたように見えた。
次の瞬間、炎の中から僧が3名、一斉に飛び出すと同時に炎を放った。
「ちっ!」
一角と弓親は俊敏な動きでそれを避けたが、後ろにいた数名は炎に吹っ飛ばされ、自分の服に燃えついた炎に、悲鳴を上げて地面を転がった。

「てめえら!」
一角が踏み込み、刀を振り下ろそうとしたとき、僧達は炎の中にスッと姿を隠した。
「ちくしょう、ストレスたまる戦いだぜ・・・」
炎の中では、追っていくこともできない。
「市丸隊長とか、間合いが長いタイプなら反撃できるんだけどね。市丸隊長は?」
弓親が背後を振り返ったが、隊員たちはそろって首を振った。その時。

「なにボサッとしてやがるんだ!お前ら!」
ズカズカと玄関に足を踏み入れたのは、隊長の更木だった。
「やっほー!」
その肩から姿を現したのは、副隊長の草鹿やちる。
「剣ちゃん!玄関から入るときは草履脱がなきゃダメだよ!」
「うるせえよ」
あまりに場違いな発言に、更木が目を剥いてやちるを見やった。
そのやちるの肩には、こんな季節には明らかに不自然な黒い揚羽蝶が止まっている。

「何をしている、さっさと侵入しろ!」
その蝶から、砕蜂の声が発せられる。
「うるせえ、てめえは高みの見物してろ」
更木はチッと舌うちをすると、斬魂刀を鞘から抜き放つ。
それは、長い間手入れもされないため刃こぼれが酷く、ノコギリの歯のように欠けている。
「おらぁっ!」
更木は野卑な叫びと共に、斬魂刀を一閃させた。

その風圧で炎が撒き散らされ、一角達は顔を腕でかばった。
彼らの前に炎がブスブスとくすぶる廊下が、ゆっくりと姿を見せた。
「ホラ、行くぞ!」
顔を思わず見合わせた一角と弓親を尻目に、更木は何のためらいもなく、建物内に足を踏み入れた。

 


「水天逆巻け、捩花(ねじばな)!」
海燕の凛とした声が響き、斬魂刀から放出された水が、炎を一気に押し戻した。
「ここはどの辺だ?」
汗だくになりながら、海燕が後ろについた死神達に怒鳴った。
「そろそろ中心部です!しかし、このままでは・・・」
海燕は返事をせず、汗を拭った。

途切れなく次々と湧き出す炎。
そして、炎の中からいつ飛び出してくるとも知れぬ僧たち。
もし自分が力尽きれば、後から来ている十人ほどの死神全てが一巻の終わりだろう。
「くっ!」
自分に振り下ろされた錫杖を、海燕は鋭い動きでかわした。
―― 敵のやつら、分かってるな。
攻撃が自分に集中しつつある。

「何だ?震えてんのか?お前ら」
炎の中から、声が聞こえた。続いて、笑いさざめくような声も。
「死神の癖に、死ぬのが怖えのかよ」
海燕は、隣で正体を失ったかのように震える部下の肩をぽんと叩く。
「大丈夫だ」
確かにこの温度、この状況、怖くなっても仕方がない場面だ。

その時。海燕は、見知った霊圧に思わず声をかけた。
「更木隊長!」
返事の代わりに、凄まじい衝撃波が海燕たちを襲った。
炎の中にいた気配がスッと消え、海燕たちの周囲の炎が吹き散らされる。
「追いついたぜ」
姿を現した更木だが、その顔といわず腕といわず全身に火傷の跡があった。
後について現れた、十一番隊士も似たようなものである。

「このままでは危ないですね」
更木と背中合わせに刀を構え、海燕が言った。
チッ、と更木が舌打ちをし、炎に捲かれる建物を見まわした。
「何やってんだ、あのガキは・・・」

しかし、更木は最後まで言い終えることは無かった。
一人の男が、炎を撒き散らし真っ向から突っ込んできたのだ。

シャッ!!と鞘ずれの音が響くと同時に、唐竹割に更木の頭に打ち下ろした。
シャン、と更木の頭につけられた鈴が鳴り、身を翻した更木が繰り出した一撃と、打ち下ろされた一撃が激しく交差する。
「更木剣八。ここで死んでもらう」
それは、別人のように目を爛々と光らせた清十郎だった。

フン、と更木は満足そうに笑うと、跳び下がった清十郎に刀を向けた。
「抹香くせえ坊主と戦うのかと思ってたら、まんざらでもねえ。てめえらからは血のにおいがする」
「否定はせぬよ。こちとら元は野盗の身だ」
「ほぉ。野盗が坊主を名乗るとは、とんだペテンだな」
言葉を交わしながらも、激しく打ち合う。2人が打ち合うたびに、金属の破片が周囲に飛び散った。
「戦いに疲れた俺たちを、この街は受け入れてくれた。この街に根を下ろし、護って暮らすのも悪くないと思ったのさ」
「一度修羅の道に身を落した奴等は、他のものにはなれねえんだよ」
火花が散る中、更木の言葉に、清十郎はかすかに微笑んだ。
「確かに。一理ある」


「おーおー、やってはるなァ」
建物の外から、燃え盛る建物内をみやった市丸は、熱気にイヤそうに顔を引いた。
「あたしの傍にくっついてどうすんのよ。ちゃんと働きなさい!」
「乱菊がそんなこと言うようになるやなんて・・・」
市丸は乱菊の小麦色の頭を見下ろし、ため息をついた。
「あんたんとこの隊長にそのまんま返すわ。このまま出てこんかったら、死人が出るで」
「うちの隊長は仲間を見捨てたりしないわ」
「睨むなや」
猫のような乱菊の両目が釣りあがるのを見て、市丸は顔の前で手を振った。

「市丸!戦況を報告しろ」
その声に、2人は顔を上げる。
そこには、さきほどやちるの肩にいたのと全く同じ姿の黒揚羽が舞っていた。
「まぁ、ボチボチやな」
「適当なことを言うな!」
「建物内全てに火が回っています。志波副隊長の働きで炎を撃退してはいますが、そろそろ限界かと」
「日番谷は何をしている!」
砕蜂の声に、苛立ちが募る。乱菊は、ぎりりと歯をかみ締めた。

「ただな、ちょっと気がついたんやけど」
沈黙を破ったのは市丸だった。そして、塀の上を指差す。
「あそこに、日番谷隊長はんの霊圧がかすかに残ってるんはなんでやろ」
「え?」
市丸の指差すほうを見た乱菊の表情が凍りつく。
「今さっき現れたってほどでもなく、そんな昔でもない。言ってみれば昨晩、くらいやな。
おかしいよなぁ。瀞霊廷で戦闘準備を整えてたはずの時間に、こんなトコで何をしてたんやろな」
「まさか、日番谷の奴・・・」
「大事な話をしてたんかもな。ここにいる誰かさんと」
「適当なこと言わないで!」
市丸と砕蜂の会話に耐え切れず、乱菊が激しい勢いで遮る。
市丸は、笑みさえ浮かべて乱菊を見下ろした。
「でも、乱菊も知らんかったんやろ?この日番谷はんの行動」
「・・・!」
乱菊がぐっと言葉に詰まる。

「まさか、日番谷が・・・」
「『まさか』ちゃうやろ?」
砕蜂に、市丸は笑みを含んだ声で返す。
「あの子ぉと天道教、いわくあったんやろ?それやのに、あんたは十番隊長さんを切り札に選んだ。あんたの失策やで、これは」
切り札に、選んだ?
乱菊は、思わず黒揚羽を見やる。
しかし、黒揚羽の向こうにいるはずの砕蜂は、それには無言だった。


その時。ふたりの頭上に、影が差した。
見上げた市丸がほくそ笑んだ。
「いやぁ、可愛い娘やなあ。こんなトコで何・・・」
市丸の言葉は、途中で遮られる。
娘が手にした錫杖から、一瞬にして巨大な炎が放たれたからだ。
市丸は乱菊の肩を掴み、後方に飛び下がる。
「なんや、あの時ボクの刀を受け止めた娘か」
「あたしは天道揚羽」
乱菊が息を飲んで、その姿を見やった。
それこそ炎のようにたぎる瞳をまっすぐに市丸に向け、揚羽は言い放った。
「次は叩き折ってみせるわ。その斬魂刀を」