その頃。
燃え盛る天道教本山を見下ろしている3人の人影が樹上にあった。
炎の熱が届くほどではないが、夜目に燃え盛るその炎は、まるで天の怒りのように見えた。
ひときわ高い枝に腰を下ろし、炎を見つめる少年の髪は、今は朱色に輝いている。
「隊長・・・日番谷隊長!」
頭上を見上げ、黒髪の小柄な女死神が、凛とした声を張り上げた。
「よろしいのですか?」
日番谷は、自分を見上げる朽木ルキアの黒く輝く瞳を見下ろした。
その隣で、不安げに成り行きを見守る、虎徹勇音の姿も。
しかし無言のまま、再び炎に視線を転じた。
「射殺せ、神鎗!」
「狂炎!」
男女の言葉が、炎の中に木霊する。
市丸が手にした脇差の刀身が、目にも留まらぬ勢いで伸びた。
それと同時に、後方に飛び下がる。炎が、市丸がさっきまでいた地面を舐めた。
「ちっ!」
揚羽も軽やかな動きで、炎の中から弾丸のように飛んできた刀身を交わした。
そのまま炎が渦巻く屋根の上に降りる。
それは、まるで舞っているかのように優雅に見えた。
―― 本当にすごいわ、この娘・・・
それを見守っていた乱菊は、彼女の動きに舌を捲く。
天才と呼ばれた市丸が斬魂刀を始解してもなお、その動きについていっている。
流魂街で、特に訓練も受けていないはずの娘が、百戦錬磨揃いの隊長格と互角だなんて。
この娘はおそらく、市丸をもしのぐほどの才能の持ち主なのだろう。
「ただ、別嬪さんではあるけど、やっぱり経験が足らんなぁ。炎をいつまでも出してればいいってもんちゃうで」
更に炎を打ち付けるように放出した揚羽に向かって、市丸がニヤリと笑った。
「鎌鼬!」
掌を上に差し出す。
その上に、風が巻き起こったが、炎に遮られて揚羽の目には留まるまい。
「なに?」
炎にいくつも切れ目が入ったように見え、揚羽は目を見開く。
揚羽が正体に気づくよりも早く、その真空の刃は揚羽に襲い掛かった。
「・・・ホラ。言ったとおりや」
炎が散ったあと、市丸は視界に現れた揚羽を見下ろした。
その肩と足に、交わしきれなかった真空の刃が傷を残している。
鮮血が腕を伝わり、ポタリ、と地面に落ちた。
地面に片膝をつき、掌で肩を押さえて、揚羽は苦しげに息をついた。
その体勢のまま、その錫杖を大きく後ろに振りかぶる。
「だから。炎はやめとき・・・ていっても、それ以外の技がないか」
市丸の声に、揚羽はかすかに笑みを浮かべた。
「行くぞ!」
声と共に、中空に跳び、錫杖を一閃させる。
「射殺せ、神鎗」
市丸の余裕の声がそれにかぶさる。
視界を覆うほどの炎と、刃が行き交い・・・
見守る乱菊の頬に、上空からポタリ、と血が落ちる。
「投降しなさい、揚羽!」
思わず乱菊は叫び、一歩踏み出していた。
街で踊り娘として暮らしていた揚羽なら、わずかだが死罪を免れる可能性は残っている。
その時。炎の中から凛とした声が響いた。
「破道の四十四、氷走!」
―― なに?
そう思うよりも先に、市丸の刀身がビシビシと音を立てて凍り付いてゆく。
一気に炎が晴れた先に、揚羽の姿が見えた。
神鎗の切っ先は、揚羽の右掌の真ん中を貫いていた。
その右手と、添えた左手で神鎗を受け止め、鬼道を放ったのだ。
揚羽は歯を食いしばって右手を刀身から引き抜いた。
鮮やかな鮮血の雫を残し、ふっ、とその姿が掻き消える。
「ギン!」
乱菊は思わず叫んでいた。
その乱菊の眼前に、揚羽の姿が現れる。
地に伏せるような体勢から全身に力を入れ、錫杖を神鎗に向かって打ち上げた。
ビシッ!
あっけなく神鎗の刀身に罅が入り、いくつかの破片に別れて砕け散るのを、乱菊は唖然として眺めた。
「言ったでしょ。その刀叩き折ってやるって」
立ち上がった揚羽は、体のあちこちから血を流しながらも、爛々と輝く瞳で市丸を見上げた。
「なるほど。何度も熱された後に氷雪系の力使われたら、さすがの神鎗でもたまらんな」
間合いを取り下がった市丸が、根元から折れた神鎗を鞘に収めた。
そして、後ろに舞う黒揚羽を見上げる。
「砕蜂隊長、すんません。負けてもた」
「日番谷の霊圧も補足出来ぬ上、連絡もつかん。しかたない・・・本隊、突撃の準備を!」
乱菊が市丸の前に踏み出し、斬魂刀を構える。
揚羽がそれを見て、体の向きを乱菊に変えた。
「こんな風に再会したくはなかったわね。あんた、踊ってるほうが似合ってたわよ」
「誉め言葉と取っておくわ」
そう言いながら、錫杖の先を乱菊へと向ける。
「本当よ。あの隊長が、誰かに見惚れるところなんて、初めてみたもの」
「何が言いたいの?」
「日番谷隊長は、何とかあんたを護ろうとしてた。その気持ちは今でも変わってないわ。たとえ何があっても」
しゃらん、と炎の中で、錫杖がかすかに鳴る。
「もう遅いわ」
その涼やかな音に、ふと揚羽が錫杖に目を落した。
氷輪丸の刀身に、白銀の光がギラリと渡る。
それを間近にした朽木ルキアと虎徹勇音は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
氷輪・・・凍てついた冬空に架かる月との名を冠されたその斬魂刀。
今その刀とその持ち主を、畏怖を呼び起こすほどに強い霊圧が覆い隠そうとしていた。
「市丸の霊圧が急に下がった」
「おそらく斬魂刀を失ったのでしょう」
日番谷が独り言のように呟いた声に、勇音が返した。
その表情からは、隠しようもない緊張が見て取れる。
ルキアも、堰を切ったかのように日番谷に詰め寄った。
「志波副隊長・・・更木隊長も、もう限界です!」
「知っている」
樹上で結跏趺坐を組んだ日番谷が、上空に向かって氷輪丸をかざした。
ルキアと勇音はスラリと刀を鞘から抜き放つと、左右から氷輪丸の刀身に重ねるように刃を置く。
日番谷は、視線の先に燃えさかる寺院と、あちこちでぶつかりあう霊圧を視ると・・・
スッ、と目を閉じた。
「・・・氷結結界」
ピシリ、と。空気に罅が入ったかのように、大気に違和感が走った。
建物内では、更木と海燕が背中合わせの戦いを続けていた。
「日番谷隊長はまだなんですか!」
「うるせえ、黙ってろ!」
一角の声に、更木が声を返す。
―― 普段なら、こんな奴に遅れはとらねえはずが・・・
海燕が歯噛みし、清十郎の攻撃をかわした。
とにかくこの炎が、こちらの攻撃を一切よけつけないのだ。
パキン。
その時、かすかな音が、炎の中に響いた。
「なんだ?」
海燕は、音のしたほうを見やる。
炎の中でも傷一つ付いていない欄間の一角が、キラリと白い光を放っていた。
「こ・・・氷?」
それに気づいた僧の1人が、思わず声を上げる。
次の瞬間。炎が霧散した。
天井が、床が、襖が、障子が。突如薄い氷に包まれていく。
「なにごとだ!」
姿を現した僧達が、初めて慌てふためいた様子を見せた。
「これは・・・氷雪系の結界か!」
清十郎も更木と海燕から跳び下がり、あたりを見回す。
更木が、ニヤリと笑った。
「待たせやがって、あのガキ大将が・・・」
「砕蜂隊長!今です」
海燕は黒揚羽に向かって叫ぶ。
「畳み掛けろ!」
続く砕蜂の声は、黒揚羽からではなく・・・外から聞こえた。
「清十郎様、新手が上から仕掛けて来ました!先頭はあの女です!」
その声に、清十郎は更木と海燕を尻目に、外へと一気に駆け出した。
清十郎の目に、山の裏手から一気に駆け下りてくる、30名近い隠密鬼道の姿と、先頭に立つ砕蜂の姿が映った。
「砕蜂!白羽の仇を討たせてもらうぞ!」
―― 隊長・・・!
乱菊は、結界の中に紛れもない日番谷の霊圧を感じ取った。
自分が行かねば、部下や仲間は炎にまかれて息絶える。
自分が行けば、死神は助かるが、揚羽たち天道教はその場で死ぬか、生き残っても瀞霊廷で死罪となる。
日番谷の性格なら選べないはずのこの選択肢から、非情ともいえる決断を下した苦渋を思うと、心が痛んだ。
目の前の揚羽は、右手の痛みにも気づかないのか、両方の拳をぎゅっと握り、結界の源・・・南の上空に目をやっていた。
気づいているのだろう。この結界を創りだしているのが誰なのか。
「揚羽!揚羽はおるか!」
建物内から、清十郎の声が響き、揚羽は弾かれたように顔を上げた。
「父様!無事で・・・!」
「揚羽、お前はあの結界の源に向かえ!あれを切り崩さねば、我らの勝利はない!」
「・・・分かったわ」
揚羽は身を翻し、塀の上に飛び移ろうとしたが・・・
そのすぐ上に現れた乱菊が、打ち落とすように揚羽の頭上から斬魂刀を振るった。
「・・・行かせない」
塀の上に代わりに降り立った乱菊が斬魂刀を構え、地面に落された揚羽と向き合った。
「ムリ、と言ったはず」
その揚羽の視線の先で、乱菊の斬魂刀が、ドロリ、と突然溶けた。
「な・・・」
目を剥く乱菊の真横に瞬歩で移動し、手刀をその首元に見舞う。
「揚羽!!」
苦痛に表情をゆがませ、乱菊が揚羽に怒鳴ったときには、揚羽の背中は既に小さくなっていた。
―― 松本。無事だったか・・・
揚羽とぶつかった乱菊の霊圧を感じ取り、日番谷は心中ほっと息をついた。
少し離れれば尚更よく分かるが、乱菊と揚羽の霊圧では、明らかに揚羽に分があった。
「虎徹、朽木。このまま結界を維持していろ。もうすぐ第二段階に入る」
日番谷は両脇に控える二人にそう告げると、抜き身の氷輪丸をだらりと下げて立ち上がった。
「え?日番谷隊長、どちらへ・・・?」
勇音がそう言いかけたときだった。
「何者・・・」
「ぐっ!」
木の下から、次々と悲鳴が上がった。
「あれは・・・警備兵たちか!」
ルキアが慌てて見下ろしたが、木の下は影に覆われ、樹上からは全く様子が分からない。
「ここにいろ」
日番谷は2人に言い残すと、ふわり、と枝から下へ舞い降りた。
「ひつ・・・」
勇音が下を見やったとき、下から弾丸のように何かが上昇してくるのが見えた。
風を鳴らして飛び降りた日番谷が、空中で刀を振りかぶる。
ガキン!!
中空で2人の刀と錫杖が斬り結び、2人とも近くの枝へ着地する。
その緋色の着物を見て、日番谷はふと、昨日のことを思い出す。
ひらり、と軽やかに翻る鮮やかな紅。重さがないかのようにふわり、と舞う肢体。
そして、一点の曇りもない明るい笑み。
出会うところさえ違えば。立場さえ違えば。
一瞬全身を貫いたあの気持ちを、持ち続けられたかもしれない。
ゆらり、と揚羽が樹上で立ち上がった。
「それでもまだ、少しは・・・信じてたのよ、あんたのこと」
「お前が呼んだ通りだ。俺は・・・死神なんだよ」
日番谷が立ち上がり、氷輪丸の切っ先を揚羽へと向けた。
2人の視線が、闇の中でまっすぐに交錯する。
「結界を解きなさい。解かなければ、あんたも地獄へ道連れよ」
「望むところだ」
日番谷の刀が青白い光を、揚羽の錫杖が紅い光を放つ。
刹那、2人の武器が衝撃音と共にぶつかり合った。