大きな牡丹雪が、ふわり、ふわりと瀞霊廷の街並みに吸い込まれてゆく。
京楽は部屋の障子を開け放ち、杯を口元に運びながらその景色を眺めていた。
一番隊管轄の高台に位置するその場所からは、瀞霊廷全体が見渡せる。
「いや、絶景かな……」
大人が寝転べるくらいの広さがある縁側へ出ると、柵に手をかけて見下ろした。
眼下には瀞霊廷一の大通りが広がっていて、死神たちが忙しなく行き来している。
大通りから奥へ入ると住宅街になっており、目で追った京楽は、ん? と口の中で呟いた。
「なんだ? あの赤いのは……」
家々の窓にちらほらと、赤いものが見える。窓から吊るしてあるらしいのだが、そんな習慣などあっただろうか。

京楽が目を凝らしたとき、背後から声が聞こえた。
「クリスマスの新習慣ですよ。赤い靴下を軒先に吊るして、『願い』を書いた紙を中に入れておくんです。
そしたらクリスマスの夜に、その願いが叶うんですって」
パッと周りを明るくする弾んだ声の主は、振り返らなくても分かっている。
蜂蜜色の髪をなびかせて現れた乱菊は、どこか子供のように楽しげな視線を眼下に向けた。

「それは知らなかったな。なんだか七夕とちょっと似てないかい? 笹がないけど」
そう言った京楽に返したのは、落ち着いたテノールの声だった。
「現世の習慣を真似てるらしいぜ。絶対どこか間違って伝わってる気がするが」
「いーんですよぉ。楽しければなんだって」

足音も立てずに現れた年下の同僚が、京楽の隣に肩を並べる。
隊長と副隊長でここまで印象が違うとは、とおかしくなるほど、日番谷と乱菊の気配は水と油だった。
冬の朝が似合う清冽な気配を持つ隊長と、華やかな気配を撒き散らす副隊長と。
京楽は微笑んで、二人を迎えた。
「お揃いでようこそ、日番谷君、乱菊ちゃん」


総隊長がいないことは分かっていたらしい。日番谷は、わずかに怪訝そうな表情を浮かべている。
「総隊長にここに呼ばれたんだが」
「総隊長は、体調が思わしくなくてね。まぁ、寄る年波には勝てないってところか。今日は僕が代理で用件を伝えるように言われてる」
そうか、と日番谷は頷くと、京楽と乱菊に並んで瀞霊廷を見下ろした。赤い飾りを見つけると、目を細める。

「かなうはず、ねーのに。平和ってことだな」
つまらなさそうに言い放つが、冷たい響きはなかった。
「あれが欲しいこれが食いたい、誰に愛されたい彼に幸せになってほしい。願いは尽きぬものさ。年に二回でも間に合わないくらいさ」
日番谷はしばらく黙っていたが、やがてため息混じりにポツリと呟いた。
「こんなに願いがあるのか。クリスマスの神様とやらも大変だな」
かつて天才児と名高かった人物にしては素朴な独り言に、京楽と乱菊は顔を見合わせ、同時に噴出した。

「何だよ?」
振り返った日番谷の目線は、京楽よりもちょっと低い程度だ。
まだ身長は伸び続けているというから、そのうち追い抜くかもしれない。
しかし、驚くほど外見が大人びたのとは逆に、子供のような言動も垣間見えるようになった。
外見年齢で言うと18歳程度、まだ遊びが面白い年頃だろうだけに、年相応になったのだという取り方もできる。
それだけ、子供の頃は背伸びをせざるをえなかった、ということだろうけれど。


京楽は目を細め、欄干から手を離した。
「ヒトには誰だって、心の中に秘めている願いのひとつやふたつ、あるということだね」
白と黒しかない瀞霊廷の景色に彩を添える、赤い点に視線を落としながらひとりごちた。そして、くるりと日番谷と乱菊を振り返る。
「でも、全員の願いの中からたった一つだけ、叶える方法があると知ったら、この景色はどうなるかな?
少なくとも、もう無邪気に願うだけではいられなくなるだろうね」
「……それが今回の仕事と関係あるのか?」
日番谷の声が鋭さを増した。京楽は、笑顔を消さぬまま頷いた。

 
***


寒い寒い、と自分の肩を抱きしめるように腕を回しながら、乱菊が室内に避難する。
「ンな格好してるからだ」
日番谷が暗に、胸元が見えるほど開いている乱菊の襟元を指摘した。
「セクハラです、隊長!」
「セクハラはお前だろ」
そう言いながらも、高台へと続く扉を閉めてやるのが日番谷らしい。

乱菊は部屋に入るなり、火鉢のそばの机の上に置かれた、硝子製のちろりに気がついた。
盆には緋毛氈が敷かれ、おそろいのガラス製の酒盃がいくつか重ねて置いてある。
「やっぱり冬には熱燗ですよね! さすが京楽隊長」
さっそく机の前にぺたりと座り、酒盃を手に取った。京楽と乱菊は週に一度は杯を交し合う仲であり、共に酒豪である。
「あぁ、ちょっと度数は強めだけど景気づけに一杯……おっと」
横目で日番谷を窺ったが、彼は気づかないように視線を逸らした。
おや、黙認かい。意外に思った京楽はさりげなく酒盃を持ち上げ日番谷に示したが、結構だと手で制された。

「で? 説明を聞こうか」
机を挟んで京楽の向かい側に腰を降ろすと、脇息に肘を落ち着けて見返した。
「総隊長からの書類には、なんと書いてあったんだい?」
傍にあった煙草盆から煙管を取りながら、京楽が問いかけた。炭火に煙管の雁首を近づけて火を点す。
「北流魂街四十五番区、『落陽』の争いを鎮圧せよ。具体的には『花守』と呼ばれるその地を束ねる一族と、反抗勢力『朱雀』の闘争の仲裁」
日番谷は、その書類を目の前にしているかのように、すらすらと空読みした。
「どう思った?」
「ありえねぇな」
ちら、と乱菊が日番谷に視線を投げる。

「そんなつまらねぇ依頼が隊長格に来るはずねぇ。だからここに来るまでに、ちょっと調べさせてもらった」
「聞こうか」
京楽はうまそうに一服吸い込むと、どうぞ、というように右腕を広げた。
「最近、四楓院家の連中が、隠密機動よろしく『落陽』に出入りしてるな。四楓院家といえば、王廷から下賜された宝物を預かる一族。
だとすれば長々と説明するにも及ばねぇ」
「オタカラですか!」
既に二杯目を注いでいた乱菊が、目を輝かせる。対照的に日番谷は、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「お気に召さない?」
煙管の煙で白い輪を作りながら、京楽が横目で日番谷を見た。さすがに気に食わないとは返さないが、日番谷の表情が全てを物語っている。
嫌う原因は百年前、かつての友人に強奪された王家の宝を奪い返した事件にまでさかのぼる。
「王家の宝を奪還するのは、君の専売特許じゃないか」
「そんな特許はねえよ」
そりゃそうだねと京楽は笑った。

「で? どんな宝なんですか?」
「笑っちゃうんだけどね。四楓院家の連中が語るに……『持ち主の願いを何でも実現する宝』だというのさ」
「願い、ですか?」
「あぁ。僕だったらちょっとこの胸毛を薄くしてほしいとか願うなぁ。一昔前の日番谷君なら身長かな?」
「ガキの頃の話はすんじゃねぇよ」
日番谷が、調子に乗って続けようとした京楽の言葉の腰を折った。

どこか気が抜けたような表情で、乱菊が杯を口元に運ぶ。
「なあんか、ピンと来ないです。何でもって、本当に『何でも』なんですか?」
「王廷の『何でも』を舐めちゃいけないよ。世界の創造主なんだから、奇跡なんて朝飯前さ。
胸毛とか身長くらいだったらいいんだけどね。誰にも迷惑はかからない、そうだろ?
でもねぇ。やっと平和が板についてきたこの瀞霊廷を滅ぼすことだって、できちゃうだろうね。その気になれば」
笑顔で続けた京楽の言葉に、乱菊がさすがに口をつぐむ。
「ま、彼らの願いなんて分からないよ。案外、禿げを治したい程度のものかもしれないさ。
問題は願いの程度じゃない。そんな物騒なものが、流魂街の間に留まることが駄目なのさ」
日番谷が胡乱な瞳を京楽に向けた。
「それ、カタい話なんだろうな」
日番谷の瞳の光が、強まる。
「当然だよ。その宝は、使いようによっては危険すぎる。絶対に失敗できないから、君に白羽の矢が立った」
京楽が日番谷を見据えた。その瞳はもはや笑っていない。


「その宝は五百年間、四楓院家で眠り続けてた。でも五十年前に盗まれたんだ。もちろん、こんなことは公表できやしない。
『その宝ある処、争い絶えず不幸を撒き散らす』。その伝承を頼りに、四楓院家の家人がご苦労にも、ソウル・ソサエティ全土を渡り歩いた。
その結果、やっと当たりを引き当てたんだ。しかも、願いが叶ってしまう一週間前にね。願いが叶う前に回収したい、それが四楓院家の依頼だ」
「願いが叶うタイミングがあるんですか?」
「具体的には? 取り戻す物は何だ」
乱菊と日番谷が、同時に京楽に問いかけた。まぁまぁ、と京楽は両手を広げ、ぽん、と煙管の灰を灰落としの上に捨て、続けた。

「その宝は一輪の花の姿をしているそうだ。風流じゃないかい? 
五十年に一度、その年の最初の満月の夜に、誰かの願いを叶えるためだけに花ひらく。そして、願いを叶えると散ってしまうというんだから」
「花? 素敵!」
「王廷らしいぜ」
目を輝かせた乱菊とは逆に、日番谷はうんざりした表情を見せた。
「花言葉はきっと『虚飾』か『欲望』だな」
「もぅ隊長ったら、浪漫がない!」
くっくっ、と京楽は二人のやり取りに含み笑いを漏らした。

「年初の満月、か。確かに一週間後だな」
日番谷は、雪雲から月を透かし見るように、白い空に視線を投げた。
「その花の特徴は? 一週間あれば十分だ。咲く前に回収すればいいんだろ」
今にも立ち上がって出発しそうな日番谷を、京楽は視線で制した。
「咲く前には、他の花と見分けはつかない。花開けば、誰の目にも明らかだと言う。つまり咲いた直後にしか回収できないんだ」
「面倒くせぇな……」
「前もって分かれば、おもしろくないとでも思ったんじゃないの? 創造主様は。
ちなみにその花には名も無いんだ。立ち会う人の願いをその身に移し、叶えてはただ散ってゆく。その花に『個』は無い。したがって『名』も無い」

どこにあるのか分からぬ「花」を、血眼になって探す人々の飽くなき欲望。
そして、ただ願いを受けて散るだけの儚い花。
花言葉には「悪趣味」も加わるのではないかと、京楽は思う。
日番谷も同じことを思ったのか、深いため息をついた。

「不幸をもたらすって言われてるのも頷けるぜ。叶う願いはひとつだけなんだろ?」
「そう。だから、『落陽』の争いの火は絶えない。だから、二人にお願いだ。『花』を取り戻して欲しい。願いが叶う前にね」