「地の果てだな……」
強い風のために雪も残らない、氷原と化した地を歩きながら、日番谷はひとりごちた。
辺りを見回しても、見えるのは凍った岸壁のみ。生き物どころか、植物も見当たらない。
この辺りを朱雀がアジトにしているという情報はガセネタだったのか、と日番谷はため息をついた。
いくら流魂街でも、こんな荒野に住むなんて正気の沙汰に思えない。

乱菊はもう花守の里に着いただろうか。
里の外れに降ろしてきたから場所の特定には手間取らないが、一体どうやって潜入したものか。
敢えて突っ込まなかったが、あんな格好であんな寂れた町に入れば、目立つことこの上ない。
ろくな手段をとっていると思えなかったが、その身の心配はしていなかった。
たった一人で敵陣に乗り込ませるなど、その実力を買っていなければそもそも命じはしない。

そこまで考えた時、日番谷は自分のほうへ高速で近づいてくるいくつもの気配を感じ、振り返った。
身を返すと、タン、と身軽な動きで枯れた木々から岩へ飛び移り、崖上へ身を伏せた。


50人、いやもっとか。馬に跨った男たちが、一散に氷原を駆けていくのが見下ろせた。
ただの野盗にも見えるが、手にした武器はどれも使い込まれ、体つきにも無駄がない。
人間というよりも、肉食獣のような荒々しい気配を発している。
霊圧は、感じない。しかし肉弾戦だけ取れば、雑魚とはいえない。

無席の死神たちと戦えばいい勝負になりそうだ、と日番谷は判断した。
先頭に立つリーダー格の男が怒鳴った一言に、耳をそばだてる。
「この辺が朱雀のアジトのはずだ! 手間取ると金が下がる、とっとと片付けて屋敷に戻るぞ!」
なるほど。日番谷は、心中頷いた。
「金が下がる」という言い方からは、この男達が傭兵だという答えが簡単に導き出せる。
重ねて、この辺りで「屋敷」と言えるほどの規模を持つ建物は、乱菊を降ろす時にちらりと見えた、花守の屋敷を置いて他にはあるまい。

「……そこまでして、『花』を独占したいのか」
日番谷は、馬の蹄に踏み散らされた地を苦々しく見下ろした。
花が開くまで、京楽の情報では一週間。花が開いてしまえば、もう願いを叶えて散るしかない。
花が咲いてから散るまでのわずかな間に勝負が決まる。日番谷はスッと立ち上がる。次の瞬間、その姿が掻き消えた。



鬨(とき)の声が上がったのは、それから十分と経たない間だった。
幾多の戦いを潜り抜けてきた日番谷の感覚が、届くはずのない血の匂いを伝える。
花を奪おうとする者たちの最強勢力である「朱雀」。
どれほどの実力かは知らないが、ここで滅びられては日番谷たちの作戦にも支障が出る。
気配を消して近づけば、剣戟の音や、男達の怒号が少しずつ近づいてきた。

どちらが朱雀と呼ばれる者たちなのかは、見てすぐに分かった。
朱雀たちは全員、真紅の布を頭や腕に巻きつけていたからだ。
その数、十数名。傭兵達と引き換え、圧倒的に頭数が少なかった。
「ガキどもが……死ね!」
火花を散らし、刀と刀が打ち合う。傭兵の一人が怒鳴ると同時に、大刀を振りかぶる。
身を落とし、傭兵を見上げた少年は、まだ十代にしか見えない。右の二の腕に、紅い布を巻いていた。

その少年は、手にした長脇差を横に払うと、その大刀を脇へ受け流した。
そのまま流れるような動きで懐に飛びこみ、蹴りを放った。
様子を伺っていた日番谷がほぅ、と息を漏らすほど、動きは敏捷だった。しかし、
「っと!」
相手の腹を蹴りつけると同時に、少年は顔をしかめて飛び下がった。
どうやら、傭兵のほうは懐に鎖帷子でも着込んでいるらしい。
その割りには動きが鈍らない、傭兵も中々の腕と見えた。烈しい剣戟が響き渡り、一振りごとに血の飛沫が散った。

朱雀の方が力は上だが……日番谷がそう思った時だった。音を立てて、少年の持つ長脇差が根元を残してへし折れた。
無理もない、大刀と打ち合うには、その刀はあまりにもろく、質が悪すぎた。
勝ち誇った傭兵が少年に向かって大刀を振りかぶった時――
「あ?」
振り上げた男の腕が、中空でガクンと下がった。
「了(リョウ)!」
折れた長脇差を持って立ち上がった少年が、頭上を見上げて声を上げる。
別の少年が、男の腕の上に器用にも飛び下りていた。長脇差の少年よりも一回り体が大きい。赤い布は、足首に巻きつけている。
「てめ……!」
傭兵が空いた左手で殴りかかるが、リョウは体重が無いかのような身軽な動きで、ひょい、と中空に舞いあがった。

「遅れ取んなよ、陣(ジン)」
言うと同時に、その姿がヒュッ、と消える。
―― 瞬歩か!?
日番谷が目を疑ったとき、
「うぉおお!」
刀を折られた「ジン」というらしい少年が雄叫びを上げ、折れた刀を手に男に突進する。
ドッ、という鈍い音と同時に、大量の血が周囲に飛び散った。
「てっ、てめえ……同じ、獣のくせして……」
「獣じゃねぇ」
仰向けに倒れた男の首には、深々と折れた刀の先が突き立っていた。返り血を浴びたジンは、腕でぐいと顔をぬぐう。
「俺達には生きる目的があるんだ」
倒れた男の大刀を手に取り、そう言い捨てた。


実力も伯仲していて、どちらかが滅びる気遣いはなさそうだ。日番谷は腕を組み、軽く息をついた。
見つめているのは「朱雀」だ。おかしな連中だ、と思っていた。
戦士を見慣れている日番谷が欲しいと思うほどに、この少年達は戦いに長けていた。
特にあの「リョウ」という男、死神でも並みの席官なら相手になるまい。他の少年達も、こんな地の果てに置くのが惜しい人材だ。

しかしそれでもまだ、四楓院家の敵になるほどだとは思えなかった。その理由は一つ、朱雀には指揮官がいないからだ。
てんでバラバラの珠のような連中だと思う。一人ひとりは珠玉に違いないが、糸を失った数珠のように、統率が取れていない。
手当たり次第に目の前にいる敵を倒しているようにしか見えないのだ。
もしかして、指揮官を最近失ったのかもしれない。統率さえ取れれば……日番谷は、戦慄を覚える。この少年達は、化けるに違いない。


「しつけえな、てめえら! 死にたくねぇなら、とっとと引け!」
既に何人もの血を吸い込んだ血刀を一振りし、リョウが叫んだ。
誰かが劣勢になるたび、さりげなく助けに入る遊撃手のような役割を果たしていた。しかし、この少年とて指示はしていない。

「バカ抜かせ、命が惜しくて戦いができるか?」
傭兵たちは、その数を減らしながらも、かえって愉悦の表情を浮かべている。
「生きる目的だと? あんな腐れた花がか? あんなもんに願いを叶えさせるなんて、くだらねえ」
花。その一言に、朱雀の少年達の目つきが、一様に変わった。息を切らせたジンが、噛みつくように傭兵たちに言い返した。
「てめぇら。花があの屋敷のどこにあるか、知ってんのか」
「知るわけねぇだろ! 俺達は花なんかに興味はねえ。金と血と、女がありゃご機嫌なんだよ」
「……救いのねぇ奴らだ」
「こんな場所に、元々救いなんてねぇんだよ。求めるほうが大馬鹿野郎だ」

救いなどない。そう言って入り乱れて戦う男達を見やり、日番谷はふと、思いに沈んだ。
確かに、こんな流魂街の僻地では、傭兵達の言っていることのほうが主流なのだろう。
希望などない、願いなどない、今この瞬間の感情にだけ身を任せられる。
だとすれば。
この朱雀と呼ばれる少年たちの「願い」とは何だろう。


そのとき、日番谷はふと誰かの視線を感じ、顔を上げた。
考えられないことだった。気配を完全に消している自分が、誰かに居場所を察知されるなどと。
とっさに脇差の柄に手をやり、視線の方角を見上げる。

そして、スイッと何の警戒もせず岩場から頭を覗かせた少女に、瞳を奪われた。
砂色の髪。朱雀の証である赤い布を、頭に巻きつけている。
―― 何だ、この女……
全く、覇気や生命力というものが感じられない、影のような印象の女だった。
その鳶色の大きな瞳は見開かれているが、膜に覆われているように濁っている。
戦いの様子を見下ろしているが、景色が目に入っていないかのように、何も映していない。

「新(サラ)! 下がってろ」
いち早く娘の存在に気づいたのはリョウだった。しかし、全く無警戒に現れた少女に、傭兵たちが気づかぬはずがない。
「なんだ、ここにも女がいたんじゃねえか!」
ニヤリ、と娘の間近にいた傭兵の一人が笑い、手を伸ばした刹那。娘は首元を捉えられ、空中に高く掲げられた。
そして手にした刀を、娘の身体の前でまっすぐに引き下ろした。