「動くんじゃねえ、ガキども!!」
ピタリ、と「朱雀」たちの足が止まった。
賊の刃は、娘の胸元から、腰帯にかけてまっすぐに切り下ろしていた。
腰帯が音を立てて地面に落ち、真っ白い肌がちらりと覗いた。

少年達は、凍りついたように動かない。
傭兵達が、一歩前に出た。戦いの均衡が崩れる――

日番谷は、とっさに身を起こした。若い女がいたぶられるのを見物する趣味はない。
その時、娘がまた日番谷に視線を寄こした。現れた時と全く変わらず、動揺した気配もないのに日番谷は驚く。
まともな精神状態とは思えない。その時、リョウが身を起こした日番谷に気づいた。


「お前、何者だ!」
その場の全員の視線が、日番谷に吸い寄せられた。その瞬間、少女を見ていたのは日番谷だけだった。
少女の華奢な腕が、目にも留まらぬ動きを見せる。吊るし上げていた男が腰に帯びていた短剣に手を伸ばし、一気に引き抜く。
あっ、と思った時には、一閃された刃が男の首筋を切り裂いていた。一瞬の間を空けて、おびただしい量の血が噴出す。
「この女! な……」
何かを叫ぼうとした傭兵が、言葉を切る。少女が投げつけた短刀が、その首を真っ直ぐに貫いていた。
着物から覗く肌を隠しもせず、少女は地面に飛び下りた。

なんだ、今の動きは? 日番谷は、思わず目を見張った。
相手に目もくれず、眠っているかのように感情も動かさないまま、二人殺して見せた。
まるで、殺しの方法をプログラムされている人形のような動きだった。
あぁ、殺せる。日番谷はその瞬間に悟っていた。この動きなら、四楓院の者を殺すことができる。
「そこの君」
まったく抑揚のない少女の声が、自分に向けられたのだと日番谷が気づくには、しばらく時間がかかった。
「無関係なら、立ち去りなさい。ここはもうしばらく、戦場になるから」


傭兵たちが戦いの手を止めたのは、わずか数秒のこと。
「何を甘ったるいこと言ってやがる。戦場にいりゃ、自分以外は全員敵だ!」
ヒュンッ、と空を切る音に、日番谷はチラりと視線を向ける。
そのときには、傭兵の中から放たれた矢の先が、過たず日番谷の首を狙っていた。
ふぅ、と息をつく。その腕が、目にも留まらぬ動きで奔った。
飛んでくる矢を下からすくいあげるように素手で受け止めると、掌を返し矢の向きを変え、軽い動きで逆に放ち返す。
それは、全く力を入れたようにも見えない、刹那の動作だった。
「な……」
過たず、その矢は放った主の頭をかすめ、背後の岩に突き立った。
矢の羽が小刻みに震え、その男は、弓を握ったまま固まっている。

「……自分以外は敵、か。一理ある」
まるで自室にいるときのように、日番谷の言動からは肩の力が抜けている。
「な……ンだぁ? 曲芸じみたことしやがって」
ひときわ大柄の、巨大な斧を持った男が、日番谷に一歩歩み寄る。
逆に朱雀の少年達は、一歩背後に下がった。やはり朱雀の方が筋がいい、と日番谷はそれを見て思った。
この少年たちは、気づいたのだ。自分が見せたのが、単なる曲芸の類ではないと。

斧を低く構えじりじりと迫ってくる男に、日番谷は対峙した。
ここで傭兵を倒すのは構わないが、あまり花守の力を弱めてしまうと、混乱を起すことが難しくなる。
うまく受け流すか、と思った時、男が日番谷に向かって、大振りに斧を振り下ろしてきた。
叩きつけるような一撃を、ひょいと紙一重でかわす。
「随分仕事熱心だな。たかが傭兵の癖に」
巨大な武器はどうしてもスピードが遅れるし、太刀筋も読みやすい。
確かにこの男も雑魚ではないが、日番谷には動きが止まって見えた。


「てっ、てめぇ……」
ひらり、と岩の上に舞い降りた日番谷を見て、男は額から流れる汗をぬぐった。
対する日番谷は、かわし続けたにも関わらず、息ひとつ乱していない。
「何者だ! 朱雀の縁者か!」
「どっちの味方でもねぇ」
「ハッ、そうか。どっちの味方でもねぇ、か」
ニヤリ、と男が笑う。
「じゃあ、こっちへ付かねえか」
「なんのために」
行き当たりばったりだが、話の成り行きによっては、味方になった振りをして屋敷に潜入する手もある。
打算も含めて聞き返すと、男は身を乗り出してきた。

「快楽が欲しくねぇか?」
「はあ?」
怪訝そうに眉をしかめた日番谷に、男は唇をむき出して、笑った。
「見たこともねぇような極上の女を、思う存分抱きてぇと思うだろ? てめぇも男ならな」
「……」
日番谷はわざと沈黙を守った。頭の中で、さきほど思いついたばかりの戦略を却下する。
いくら戦略のためだろうが、こんな男たちと同類になるのはたまらない。


「……どこの女だか知らねぇが、最低な奴らだな」
「知ったことか、女の方から勝手に飛び込んできたんだからな」
場合によっては、その女も救出する必要があるな、と考えていた日番谷は、ふと思考をとめる。
訝しげな視線を、男に向けた。
「どんな女だ?」
乗ってきたと思ったのか、男はニヤリと笑う。
「金髪碧眼で、イイ体した女だよ。今朝、兵衛の奴が拾って来やがったんだ。朱雀を討ち取った奴が報酬にもらえるんだとよ。
あの身体を思う存分嬲れると思ったら、たまんねぇよ」
日番谷は無言で、男が泡を飛ばしながら、口元を歪めるのを見ていた。
「俺たちに付けよ、色男。そしたら、遊び終わった後の、骨の一本でもくれてやるぜ」
男の目が、狂ったような光を帯びる。

「……断る」
日番谷の言葉は、低く発せられた。
「残念だな」
全く残念ではなさそうな声で、男が前に出る。手にした斧が、ギラリと光る。
「男なのが残念だが、てめえもいい声で啼けよ?」
一足飛びで日番谷の懐に飛び込むと、下から足に向かって斧を打ち上げる。
足さえなぎ払ってしまえば、あとはどうにでも殺せるという算段か。

日番谷は、動かない。ニヤリ、と男の口角が上がる。
それを尻目に、日番谷が左足を振り上げた。

だん!!
岩が砕ける音と共に、男の腕を衝撃が襲う。
「なに……」
日番谷の左足が、思い切り斧を踏みつけていた。
見下ろした男は、ありえないものを目にする。鋼製の斧に、見る間に亀裂が入り広がってゆく。
「この下種野郎!!」
激昂した日番谷の怒声が、その場に鳴り渡った。
次の瞬間、日番谷が右腕を地面と水平に振り上げる。過たず、その拳は男の顔面を直撃した。

「ぐ……」
悲鳴をあげることもできず、吹っ飛んだ男の身体が岩に激突する。
盛大に顔から血を噴出して倒れたその姿を見て、傭兵たちの視線が日番谷に集まった。
「……アイツには指一本触れさせねぇ」
冷たい炎のように爛々と燃える瞳が、傭兵達に向けられた。

 

それから、十分後。辺りは、奇妙な沈黙に覆われていた。
冷たい風に乗り、血の匂いが濃く鼻を突く。壊れたオブジェのように、おかしな形に折れ曲がった腕や足が見えた。
うめき声が、低い唸りのようにその場に延々と響き渡った。

ピッ、と拳にまとわりついた血を払った銀髪の男の背中に、その場に立っている朱雀の視線が集まる。
そのむき出しの拳は、自分と傭兵達の血が混ざり合い真紅に染まっていた。
ああ力任せに殴りつければ、手の甲の皮膚が破れてもおかしくない。
日番谷は、ゆっくりと朱雀たちを振り返る。翡翠色の瞳が、その場を圧するような力を持ち向けられた――


「やんのか! てめぇ」
ジンが、一歩前に出た。敵から奪った刀をその手にしているが、その刀も刃こぼれが激しい。
日番谷は、無言のままジンを見据えた。力の勝る相手と対峙して、堪えられる者はそうはいない。ジンも例外ではなかった。
「待て! ジン」
リョウが手を伸ばすのを振り払うようにして、ジンは刀を振りかぶり、地を蹴る。日番谷が腰の脇差に手を伸ばす。

その刹那、
「やめな」
静かな声が、思いがけないほど日番谷の近くで聞こえた。
その一声で、それぞれをつなぐ一本の糸が通ったかのように、珠たちはその動きを止める。

思わずぎょっとして見下ろせば、思いがけないほど近くにサラと呼ばれた少女の姿があった。
冷たくも温かくもない小さな手が、日番谷の腕に置かれていた。
日番谷に向けられた温度のない瞳は、熱した日番谷の感情を一瞬で冷ました。

「……お前が、リーダーなのか」
そう問いかけたが、日番谷には確信があった。
腕に置かれたサラの手は華奢な女のもので、振り払うのは容易いはずなのに。
不用意に動くな、と日番谷の中の本能が警鐘を鳴らしている。

ざっ、と足を止めたジンが、サラと日番谷を見比べる。
「サラ、近づくな。こいつ、まともじゃねぇぞ!」
「マトモだよ」
サラは日番谷の腕から手を離すと、ジンに歩み寄った。
「誰かのために我を忘れる人間を、久しぶりに見た」
目を見開いた日番谷を、サラは透明な瞳で見返す。
「ごまかそうとしても無駄だよ。傭兵達の獲物にされてるのは、あんたの恋人?」


ぱしん、と頬を打たれたような衝撃と共に、日番谷は我に返る。
今、自分は何をしていた? 自分の血塗られた拳を、累々と横たわる傭兵たちを見渡し、言葉を無くした。

信じられない。
花守の戦力を削りすぎてはまずい、と今さっきまで思っていたのに、全滅させるなんて。
確かに状況からして、敵地にいるのは乱菊に違いないが、それを命じたのは他ならぬ自分なのに。
何が、自分に我を忘れさせた?
―― 「……アイツには指一本触れさせねぇ」
思わず、天を仰いだ。あんな発言をしておいて、今更無関係だと主張しても無駄だ。


ガシャ、と金属が擦れ合う音に、日番谷は顔を向ける。朱雀たちが、武器を下ろした音だった。
「……そういうのじゃ、ねぇよ」
さっきのサラの言葉を思い出し、そう返す。
その少女は、ほんのかすかに、微笑った。砂に吸い込まれる水のように、淡く一瞬で消える笑みを。
「コイツらは花守が雇った傭兵だ。花守に、お前の女が囚われてるってことか?」
腕を組んだまま、冷静な瞳で日番谷を見つめてきたのは、あのリョウという少年だった。
「…………まぁ、そんな感じだ」
必要以上に沈黙をつなげて、日番谷は頷いた。
「お前の女」の意味くらい分かっていたが、否定したところで逆に話がややこしくなるばかりだ。

「花守を、襲うつもりか?」
ジンが、日番谷の前に一歩進み出る。リョウに比べると格段に表情が幼い。
「まぁな」
「それなら、ここに居れば?」
サラの言葉に、その場の全員の視線が集中した。
「当座の食べ物と住みか。ここにものは金でも何でも持っていっていいよ。それでどう?」
「随分適当だな」
「ただし」
火が消えたように沈んでいる娘の瞳に、一瞬力がこもった。

「仲間の命だけは、持って行かせない。それをやったら、あたしがどんな手を使ってもあんたを殺す」
日番谷の翡翠の瞳と、娘の鳶色の瞳が交錯する。その瞬間、再び日番谷の胸に、さっきと同じ疑問がよみがえる。
一体、この全ての望みが費えたような娘が、かなえたい「願い」とは一体何なんだ。
「……わかった。世話になる」
しばしの沈黙のあと、日番谷は頷いた。
「俺は、獅郎(シロウ)だ」
「あたしの名は新(サラ)。よろしく」