一面花が咲き乱れる優しい景色の中で、ギラリと互いの刃が輝きを放つ。
乱菊と如月。一組の男女が、油断無くにらみ合う。
「……何を、意外そうな顔をしているの?」
乱菊は、灰猫の切っ先をまっすぐに如月に向けたまま、男を睨みつけた。
「約束どおり、彼を撃退したわ。でも、その後のことは何も言い交わしていない。
あたしにも『願い』がある。あの花が一つしか願いを叶えられない以上、争いは避けられない。そうでしょ?」

如月は、刀をぶらりと下げたまま、空いた右手で頭を掻いた。
「よくよく、何考えてるか分からねぇ女だ。俺のやるべきことは二つ。てめぇを俺のものにする。そして花は手に入れる。それだけだ」
ずい、と一歩踏み出す。乱菊は眦を決して如月をにらみつけた。
この男を倒せなければ、あたしはこの先、一歩も前に進めない。かつての弱かった自分自身に、勝つために。
乱菊は全身にバネのように力を込め、地面を蹴った。


パッ、と色とりどりの色彩と共に、花弁が散った。地面に叩きつけられた如月の体が、土をむき出しにしながら花園をすべり、背後の壁に突き当たって、留まった。
「ぐっ……」
背中の痛みに顔をしかめながら、如月が身を起こす。そして、数メートル離れた場所に舞い降りた白皙の死神を見上げた。

「さすが死神。一体どうやって、それほどの力を手に入れた?」
「……ムダ話をする男は好きじゃないわ」
蒼い瞳は、今は触れれば切れるように鋭利な輝きを放っている。
「……へ」
笑うと同時に、口の中の血を吐き捨てた如月が、立ち上がる。その手には灰猫の倍近くの長さがある刀を握り締めている。
「俺を殺すか? 乱菊」
ふっと姿が消えるのと同時に、乱菊は素早く体勢を低め迎撃の姿勢を取った。瞬歩には及ばないが、そのスピードと勢いは、決して油断できない。
「やってみろ!」
野卑な声と共に、目の前に大柄な如月の姿が現れる。突き出されたその手が、乱菊の首に向かって伸ばされた。


「……っ?」
掴まれ、倒され、引き裂かれた、痛み。その瞬間にフラッシュバックしたのは、癒えたはずの過去の傷跡だった。
「ちっ!」
乱菊は舌打ちすると、伸びてきた如月の掌を、交わす。爪先が乱菊の頬をかすめ、血が飛び散った。
「女が、蹂躙された男に勝つことなんてできねぇんだよ」
ぎり、と唇を噛んだ。ふざけるなと唾を吐きかけてやりたい。しかしその反対に、いつもより段違いに、体のキレが悪い。
自分を見下ろしてみて、乱菊は愕然とする。
―― な……に、震えてんのよ、あたしは!
過ぎ去った過去だと片付けようとする心とは裏腹に、体は忌々しいほどに恐怖を訴えている。それに気づいた如月が、ニヤリと笑った。

「泣こうがわめこうが、あの男はもう来ねぇぜ。お前が裏切ったんだからな」
「誰が……っ」
じりじりと勝手に退がる足を意志の力で止め、乱菊は如月を睨みつけた。
「お前がどうなろうが、ざまあみろって唾を吐くだろうさ」
「……あの男(ひと)のことを、お前なんかが口にしないで」
「今更何を言う。裏切ったのはてめぇだろ」
頭の中に、ヒヤリとしたものを押し込まれた気がした。
日番谷の部下だった百年以上もの間。それは、裏切ったからといって一日やそこらでは忘れられない記憶だった。
まだ部下のつもりでいて、そして何度でも思い出す。そして思い知らされるのだ。あの傷ついた翡翠色の意味を。
「……そうね」
もう、戻れない。もう、どうすることもできないのだ。乱菊はぎゅっと目をつぶり、そして目の前の如月をにらみつけた。
左手の指で灰猫の刀身を支え、地面と平行に、如月に向かって構える。
「唸れ……灰猫」
ついに、霊圧が放たれた。


花守の門が鴇の声と同時に打ち壊されたのは、それとほぼ同時だった。
「朱雀だ! 朱雀の奴らが攻めてきたぞ!」
「火矢を持て! 数は圧倒的にこちらが上だ、畳み込め!」
その声と同時に、門の周囲に赤々と火矢の炎が照り映えた。奥まった場所にある花園にも、紅い光が届く。
乳白色の柔らかな光が、一瞬で炎の色に塗り替えられた。怒号が、闇を貫く。戦いの火蓋が切って落とされた。

 
***


「!」
気配を感じ取ったのは、同時だった。日番谷とサラは、同時に顔を上げる。
「松本……!」
戦っている。斬魂刀を始解するなど、かなり本気を出す必要に迫られている、ということだろう。
相手の霊圧を探った日番谷は、慄然とする。最も戦ってほしくない相手の気配が、くっきりと感じ取れた。

「っ、サラ! こんなことしてる場合じゃねえぞ!」
日番谷の肩と右膝に掌を置いているサラを見上げ、叫ぶ。しかし、朱雀の気配を感じ取っているはずのサラは、すぐに日番谷にまた、視線を戻した。
「ハク」
その瞳は、いまだ深い壁の向こうに居る。
「俺はハクなんて奴じゃねえ、眼を覚ませ!」
その肩を掴み、一度大きく揺さぶった。乱菊のことは気にかかるが、目の前のこの少女もまた、放っておけなかった。


「朱雀の連中が、花守に討ち入った。分かるな」
その声に、サラの瞳がゆっくりと瞬き、日番谷の前に据えられる。感情が遮断されたその瞳を、外側から覗き込む。
「アイツらは強い。だが、花守には勝てない。死神レベルの奴が二人もいるからだ。全員、殺されるぞ」
日番谷と乱菊の間に割って入れるほどの戦いぶりを見て、日番谷にははっきりと分かったのだ。
「落陽には、死神レベルの人間が三人いる」そのうちの一人は、間違いなくこの女だ。
奥へ届けとばかりに、鋭い一言を、投げ込む。
「見捨てるのか?」

日番谷には、彼らが戦っている様子が、霊圧から追えた。リョウが、ジンが、傷つきながらも退却せず、奥へ奥へと攻め入っているのが見えるようだった。
サラを、探しているのだ。本人がここにいるなどとは露ほども思わず。
日番谷が眼をやると、サラにも分かるのだろうか。耳を澄ませるように花守の方角を見つめていた。
剣戟の音が、怒号が、今正に聞こえているといわんばかりに。

「ハクとかいう馬鹿野郎と同じことをする気かよ?」
ハク。その名前に、日番谷の肩を掴んだ手に力が篭もった。
「朱雀の奴らが待ってるのは、お前なんだぞ」
悲鳴、が。聞こえた気がした。ジンの霊圧が、眼に見えて低くなる。
「わたし、は」
「起きろ!」


途端。
雷に打たれたように、日番谷の上に屈みこんでいたサラの体がビクンと揺れる。
バネ仕掛けの人形のように跳ね起きたが、すぐにふらりとよろめいた。日番谷が膝を床につき、伏せた顔を掌で覆ったサラに、とっさに手を伸ばす。
「おい、大丈夫……?」
大丈夫か、といおうとした時だった。サラの指の間から覗いた鳶色の瞳に、日番谷はゾクリと戦慄する。
伸ばした手を握りしめると、伺うようにサラを見返した。少女が、覆っていた掌を下ろす。爛々と輝く獣のような瞳が、まっすぐに日番谷に向けられた。

「私は……何をしていたんだ? ここは」
殺気とは、違う。冷酷さや残虐さとも違う。相手の瞳の奥まで一瞬で貫いてくるような、強い眼差しだった。
日番谷がとっさに答えられずにいると、サラは聞き耳を立てるように、片手をこめかみに置いて考えこんだ。
その指が、癒えきらない傷に触れたのだろう。サラは今初めてその傷に気づいたように、顔をしかめた。
「考えてる時間は、ないんだな」
凛と張り詰めた声だった。さっきまでの、砂のようなはかない気配はどこにもない。敢えて言えば、炎のような。

「分かってるのか? 状況は」
「ハクが裏切って私を襲撃した。朱雀は花守に攻め入ってる……けど、もたない」
日番谷から離れ、額の布をきつく締めなおす。その場を蹴ろうとして、日番谷を振り返った。
「君はどうするつもり?」
「行くさ。松本が危ねぇ」
おそらく乱菊は、如月には勝てる。しかし今乱菊に迫っているのは、さらに強い霊圧を持つ人物だ。
その者に襲われれば、恐らく、勝てない。
「裏切られたのに?」
「関係ねぇよ」
サラは厳しい表情をゆるめ、日番谷を見やる。目を少し丸くしたその表情は、自分を取り戻すまでのサラを思い出させた。
その口元が、やがてゆっくりと花開くように、微笑んだ。それは少しだけ、寂しそうにも見えたけれど。
「……そう」

花守の方向を見やったサラの目に、もう湿っぽさはない。
「行こう」
二人は同時に頷き、立ち上がった。