炎は、あっという間に花守の屋敷の柱を舐め、屋敷を走りつつあった。
「ったく。てめぇらの放った火で自分の家を燃やしてたら世話ねぇよ……」
ジンがぼやき、襟元を広げてパタパタと仰いだ。その首元から胸の辺りまで、ざっくりと切り口が覗き、血が光って見えた。
「ジン! お前、重傷なんだから動くな!」
「もう痛ぇともおもわねぇよ」
駆け寄ってきたサクラが、ジンの懐に目をやり、思わずすぐに逸らせた。
しかし、よろめきながら立ち上がったジンに気づき、慌てて肩を押さえる。
「馬鹿、本当に死ぬぞ!」
「あの屋敷には、落陽の人質もいるんだぞ! このままじゃ、焼け死んじまう。……サラなら絶対に見捨てたりしねぇはずだ」
その言葉に、サクラはギュッと唇を引き結んだまま、何も言わずにジンに肩を貸した。
「……サラを、見たか?」
一度だけ、横に首を振る。そしてジンを引っ張り上げるように歩き出した。
「でも、心配要らないよ。サラは絶対に来る」

その時、ひときわ大きな音を立て、縁側を支えていた柱が崩れ落ちた。
サクラはジンの体を自分の後ろに隠し、火の粉を掌で払う。
「! サクラ!」
その時、ジンが緊迫した声と共に、腕に力を込める。腰に差していた刀を、歯を食いしばって引き抜いた。
その頃には、サクラも気づいていた。火の粉の向こうに現れた人影が、何者かを。

「てめえ……兵衛!」
ジンが歯をむき出した。兵衛。いくつもの村を焼き、人を殺し人質に取った、朱雀の誰もが最も憎む仇。
戦いの中心からは逃れていたのか、矢を背負った兵衛は傷らしい傷を負っていない。ジンとサクラを見やると、スッと目を細めた。
「朱雀のガキか。次から次へと」
そう言うと、引き摺っていた何かを、ぶんと二人の方に放り投げてよこした。
ぼろきれのように見えたそれを確認すると同時に、サクラは悲鳴を上げて駆け寄った。
「リョウ! 大丈夫か!」
自分より一回り大きい体を受け止める。ぬるり、と掌がリョウの血で滑った。
その衝撃で、死んだように見えたリョウが何度か咳き込む。
「ちっ、まだ生きてたのか。しぶといガキだ」
兵衛が舌を打つ。


「サクラ! 俺達を置いていけ!」
とっさにジンが、どこにそんな力があったのか、と思うような動きでサクラを突き飛ばした。
「そんな体で勝てるわけ……」
「三人でかかったって勝てねぇよ」
ジンは、刀を投げ捨てた。もう、握る力がなかったのかもしれない。そのまま、兵衛を見据えながら、まっすぐに歩く。
斬られても構わない。そんな覚悟が、その後姿からは見えた。
「てめえは、通さない。命をここで、置いていけ」
「仲間のために犠牲になるか。健気なものだ」
嘲笑いながらも、兵衛が一歩、下がった。死を恐れない者ほど、生きていたい者にとって恐ろしいものはない。

サクラが刀を手に、前へ出る。
「ジン!」
「馬鹿野郎、お前が残ってなんになる! 三人揃って死ぬつもりか! とっとと人質、助けて来い!」
サクラを振り返ることなく、ジンが叱咤する。リョウが、その横で地面に掌を突き、立ち上がった。
ジンが、リョウを横目で見下ろした。
「悪いなリョウ、一人じゃ抑えられなさそうだ。一緒に死んでくれ」
「だっせ……」
血のにじむ口元を、ぬぐう。わずかにその口角が上がっていた。
そんなリョウとジンを見た兵衛が、顔をゆがめる。
「願いが叶う花を目の前に、のたれ死にを選ぶとは。理解できんな」
「……お前は、花守の忠実な手下じゃ、ねぇのかよ」
リョウの言葉に、兵衛は僅かに目を見開いたが、すぐに笑い出した。
「腕は立っても子供だな。この状況で、仲間意識など残るはずがあるまい」
「……ち。全てを不幸にする花ってのは、本当だな」
リョウが、何とか体を立て直し、片膝を立てた体制で上空を仰いだ。
炎が舞う夜空は、ハッとするほどに美しく見えた。

「……同時に突っ込むぞ、ジン」
ゆっくりと、目を前に戻す。
「この至近距離じゃ矢は打てねぇ。刺せたとしても同時に二人は無理だ。刺されなかったほうが、奴を火の中に叩き込む」
火の中に叩き込めば、自分も諸共炎に撒かれる。分かっているが、それ以外にこの男を殺す手段がなかった。
ジンは、血と炎の照り返しのせいで真っ赤になった顔をリョウに向け……笑った。
その笑顔は、ふと、落陽の里で共に育った、幼い日を思い出させた。死ぬのかもな、と他人事のように思う。
「最後に、サラに会いたかったな」
「私ならここだ」
サラリと言い放たれた言葉に、一瞬、誰が口を挟んだのか分からなかった。
その場の全員が、一拍あけて振り返る。その先に、サラが無傷で立っていた。
まるで、ちょっと散歩に寄ったかのように、その足取りからは力が抜けている。
「サ……」
ジンの声が、かすれる。とっさに、声が出なかった。

赤い炎が、白い布を染め上げている。風に巻き上げられ、砂色の髪が金色に輝く。
鳶色の瞳は、今は真紅に見えた。……息を飲むほどに、その少女は美しく見えた。

ジンとリョウの様子を見比べ、兵衛が訝しげにサラを見る。
「……お前が、『朱雀』のリーダーなのか」
「そうだ」
ジンとリョウは、思わず、顔を見合わせる。静かな足取りで歩み寄ったサラは、二人の肩を軽く叩いた。
「代わろう。こんなところで死なれちゃかなわない。みんなで、落陽の里に帰るんだ」
腰に帯びた短剣を、すらりと引き抜く。その時には、サラの目は兵衛に向けられていた。