炎が、十メートルほどの距離を空けて対峙する、二人の男を照らし出していた。
片や銀髪、片や黒髪の二人は、対極のようでありながら、どこかシンメトリーのように似通っても見えた。
白皙の肌、すらりとした長身、そして怜悧な、整った面差し。

先に口を開いたのは、日番谷だった。
「お前の願いは、何だ?」
「瀞霊廷を、滅(け)す」
ふぅん、と日番谷はたわいない会話の最中のように、軽く鼻を鳴らした。葉月の眉がわずかに顰められる。
「たかが流魂街の住民のたわ言とでも?」
「いや。俺ももともと、流魂街の出身だ。結局、ソウル・ソサエティは弱肉強食の世界。
瀞霊廷の死神より強い奴が現れて、戦いを挑まれれば滅びることもあるだろうさ」
これまで、様々な理由で瀞霊廷に牙を剥き、滅ぼそうとした輩の顔が思い浮かぶ。
それぞれ全く別の理由で刀を取り、死神と戦い、そして敗れていった。……今はもう、その者たちを恨む気持ちはない。

葉月はあざけるように日番谷を見やった。
「まるで他人事のようだな。私に滅ぼされてもいいというのか?」
「花に願いをかけるなんて、情けねえやり方をする奴に、瀞霊廷が滅ぼせるはずがねぇ。消したいなら自分の力でやれ」
自分の手を汚すこともせず、口先だけで、瀞霊廷を滅ぼそうとする。
「冒涜だ」と思った。自分達に対してか、反乱を起こして敗れていった元死神たちに対してかは、自分でも良く分からなかった。


炎は見る見る間に屋根を舐め、柱をギシギシときしませた。この屋敷全体が崩れるのも、もう時間の問題だろう。
ちろちろと、炎の舌が花園に広がり始めている。倒れ伏した芥と如月の着物に、ボッ、と軽い音を立てて火が燃え移った。
如月は、自分が死ぬことなど理解できぬとでも言うように、目を見開いている。
この世にやるべきことを残した者の顔だ、と日番谷はそれを見て思う。血がこびりついた、節くれだった指先は、父親の亡骸の肩に伸ばされていた。
まるで最期まで、起きてくれとでも語り掛けるように。
「そいつを殺したのは、お前か?」
「あぁ」
「だろうな」
乱菊ではない。たとえ許せぬ敵であろうと、乱菊はこんな手の下し方はしない。

「憂うか? 死人を生き返らせようとした、この愚か者たちの死を」
「愚か、か」
日番谷は、ゆっくりと瞳を閉ざした。
その時頭をよぎったのは、圧倒的な冷たさで日番谷の前に立ちふさがる、雛森の墓石だった。
あの前に跪く時、いつでも己の無力を噛み締めてきた。雛森が死んで百年間、ずっとだ。
あの微笑が戻るなら、どんな犠牲を払っても良いとなんど思ったことか。
花の存在を知ったとき、それが危険な誘惑として、日番谷の前に立ち現れてきたのは、隠しようもない事実。
その願いが、死罪に値する罪だと分かっていても。自分がその笑顔を見ることが無くても。
「……その通りだ」
再び現れた鮮やかな翡翠は、まるで涙を湛えているように煌いていた。
その背後で炎が烈しく燃え上がり、重々しい軋みと共に、屋敷の大黒柱が崩れ落ちた。地面がその衝撃に揺れ、鳴動しても2人は微動だにしなかった。

葉月は日番谷の答えに、面白そうに唇を歪ませた。
「貴様も、死んだ人間を生き返らせようというクチではないのか?」
「いや」
日番谷は、静かに首を振る。


「死んだ人間は、生き返らない」


なんのことはない、それが答えだ。口に出してしまえば、当たり前すぎる事実だった。
死神として、何千もの死を見てきた。死は空気のように身近で、ただある秋の日に葉が枝を離れるように、自然に誰もに訪れるできごとだと思っていた。
だが、自分自身がそれを受け入れることに、これだけの時間が必要になるなんて。

「それはおもしろい」
いよいよ愉しそうに、葉月は口角を上げた。日番谷が眉を顰めるのにもかまわず、続けた。
「あの女は、お前の大切な人間を生き返らせるのが願いだ、と言っていたのにか?」
「……え?」
日番谷の銀髪が、跳ねる。
「どういうことだ? 松本がそう言ったのか」
なんのことだ。分からないまでも、頭の中がヒヤリと冷える。気づけば、矢継ぎ早に問いかけていた。
「お前に惚れているからだそうだ。……私には到底理解できぬ」
「な……にを」
そんな物語は知らない。自分の外で進んでいた、自分の筋書きの存在をいきなり見せ付けられて、日番谷の心が震える。
「そんなこと、したら」
「死罪、なんだろう?」
ゆっくりと、言葉に抑えきれぬ愉悦をはさみながら、葉月が言葉を下す。
「……」
頷くこともできない。文字通り、頭がくらりとした。
隣にいるという約束を破るのか。そう問うた日番谷に、乱菊は頷いた。
それは、そういうことだったのか?


「……貴様も、愚だな。容易い」
その耳元で、風が鳴る。風と共に、死を思わせる冷たい声が届く。葉月の振りかぶった大刀が、日番谷の無防備な首に叩き込まれる。
その刹那、日番谷が振り向いた。
―― 間に合わぬ。
葉月が、ほくそえんだ瞬間、日番谷が怒声をたたきつけた。
「どけっ!!」
「な……」
次の音を発することも許されなかった。銀色の輝きを視界の端に捉えた、と思った瞬間、葉月の視界は朱に染まった。


ぼやける視界の中で、葉月は自分が仰向けに倒れていることを理解する。体に、力が入らない。
震える息が、地面に広がる赤い液体を、湖面のように揺らす。それが自分の血だということが理解できても、どうしてこうなったのか分からない。
「……これ以上苦しまねぇように、トドメ位はさしてやるよ」
向けられた切っ先。それよりも、自分の上に覆いかぶさるように見える、男の影が恐ろしかった。
「ま、待て! 私は、叶えねばならぬ願いが……!」
「こんな時でも、てめぇの願いかよ」
日番谷の言葉は、どこか寂しげに聞こえた。
「最後の最後に、思い浮かべる誰かの顔はねぇのかよ」
誰かの顔。その言葉を頼りに、記憶を手繰り寄せる。全身が痺れていたのが、もう何も感じない。死ぬのだ、ということを理解した。
「……もし誰も思い浮かばねぇんだったら、てめぇの人生、それだけのことだったということだ」
父と、兄が見えた。
しかし違う、炎に飲まれつつある「あれ」はもう、ただの物体でしかない。
―― あぁ。私は一体、何を……?
「あばよ」
黒い影が言葉を紡ぐと同時に、景色が断ち切られた。