それは、よく晴れた青空が広がる春の日のことだった。満開の桜からこぼれる木漏れ日がまぶしい。
玄弥は、炭治郎・禰豆子・善逸・伊之助・カナヲの5人組に誘われ、藤の里で開かれている桜祭に顔を出していた。大勢人が集まる場所はそれほど好きではないが、毎年鬼殺隊による剣舞が神前に捧げられると聞いて興味を持ったのだ。祭の主催は、藤の里の中央に位置する神社となっている。巨大な桜の木が参道にも境内にも並ぶ、桜の名所として有名な場所だった。

あちこちの屋台やらを冷やかしているうちにすっかり時間が経ち、剣舞が行われる境内についた時には、もう直前になっていた。
「すっげえ人だなぁ! 鬼殺隊って、人気あるんだな!」
善逸が、ぴょこぴょこと人並みの外から顔を出そうとするが、人が多すぎて境内の中が見えない。
「今年は柱による剣舞だって言ってるね。誰が出るのかなぁ」
炭治郎が伸び上がりながらそう言った。禰豆子が横から顔を覗かせるが、炭治郎よりも背が低い禰豆子には当然見えない。
「禰豆子ちゃーん! 俺が肩車してあげよっか!」
善逸が鼻の下を伸ばしながら、どこから出しているのかと思うような甘ったるい声を出した。
「本当に見苦しいよ……」
その様子に、炭治郎がさりげなく辛辣な言葉を吐いた。禰豆子は善逸を見て、それから玄弥をじーっと見た。玄弥は、その辺の男性よりも頭ひとつぶん以上高い。
「いいよ。肩車してやるよ」
玄弥はそう言ってしゃがみこんだ。禰豆子は嬉しそうにその肩に飛びつく。基本的に女性は苦手な玄弥だが、鬼で自我がない禰豆子は例外だった。人間と言うよりも、猫に懐かれている感覚に近い。善逸の殺気を感じたが、善逸に肩車されたところで境内は見えないのだから仕方がない。

「どう? 玄弥、境内の中の様子見える?」
炭治郎に聞かれ、玄弥はあぁ、と頷く。
「境内の脇に音柱が控えてる。前に太鼓を置いてるから音響担当だな。で、剣舞を始めようとしてる柱は二人だな。ええと、般若の面を被ってて顔が見えねぇな……」
「鬼殺隊が鬼の面被るって、何か変だな」
「お前の猪の面のほうがよっぽど変だぜ」
そう言い返した玄弥が、なんだと! とかかってきた伊之助の猪の被り物を大きな掌で抑えながら続けた。
「片方は炎柱。髪の毛と色で一発で分かる。でももう一人は……ええと誰だ? 長い黒髪で、炎柱と同じくらいの背格好の男だ」
「義勇さんだ!」
炭治郎が身を乗り出した。
「くっそー、見たいなぁ……」
「おあつらえ向きな枝があるじゃないか」
伊之助はにやりと笑うと、ひらり、と頭上にあった桜の木の枝に飛び移った。呆れるほどに軽い身ごなしだった。
「俺も、俺も!」
善逸が後に続いた。足が強い雷の呼吸だけあって、こちらも身軽だ。炭治郎と驚いたことにカナヲもそれに従った。枝の間からひょこっと四人の顔が覗く。玄弥に肩車をしてもらっている禰豆子が嬉しそうに兄に手を振った。
「おぉ、見える見える」
高いところが好きそうな伊之助はとても楽しそうだ。周りの人々も、また鬼殺隊だよ、というような顔でスルーしてくれたのがありがたかった。

たんっ!

鼓の音が大きく、境内に響き渡った。音柱・宇髄天元が、前にしていた太鼓を一度、打ったのだ。それだけで、がやがやと騒がしかった境内が水を打ったように静まり返った。
「音柱様だ」
「いつもながら、色男だわァ……」
女性たちの黄色い悲鳴が漏れた。いつも派手派手言っているのに似合わず、神前だからだろうが能面のような無表情だった。丸太のように太い両腕から生み出される鼓の音色は意外なほどに繊細だった。剣舞を盛り立てる、緩急のある連打を刻む。

般若の面を被った煉獄と義勇は、境内の隅に端座している。二人とも羽織がない黒の隊服のみの姿で、腰には日輪刀を帯びている。

ひときわ大きな鼓の音が鳴ると同時に、煉獄が境内の中央に躍り出た。それと同時に般若の面を取って後ろに投げ、にっと不敵な笑みを浮かべて左腕を高く掲げ、腰を落として今にも斬りかかるような型を見せた。
「歌舞伎の見得みてぇ、かっこいいなぁ」
善逸が嘆息した。玄弥は歌舞伎など知らないが、普通の人がやれば大袈裟なまでの粋な身ごなしが似合う男だと見ていて思った。
煉獄の剣舞は、体術を中心とした型で構成されていた。鬼と戦っている時の動きを髣髴とさせる。鼓の音に合わせて舞う姿は生命力に満ち溢れている。跳躍し、だん! と音を立てて着地する。それと同時に腰を落として刀の鯉口を切り、一気に斬りあげた。刀がぎらりと陽光に光り、皆の視線が釘付けになった。

「あ……義勇さんが動く」
炭治郎が呟いたとき、その場の全員の視線が義勇からは外れていた。
背後に影のように控えていた義勇が、面を被ったまま、つ、と立ち上がると、面を被ったまま抜刀した。炭治郎以外は、義勇が刀を抜いた瞬間には気づかなかった。はっ、とした時には、流れるような動きで煉獄と並んでいた。正眼からの一太刀、右薙ぎからの突きと連続して披露する。その動きは静かにして決して留まることがない。
「綺麗な剣術だなぁ……同じ水の呼吸でも、俺とは全然違う」
炭治郎が樹上で感嘆の声を漏らしている。剣術の師範の剣舞を見ているかのように無駄がなく、洗練された動きだった。
陽と陰、動と静、炎と水の特長がこれ以上ないくらいによく出ている。二人が同時に静止し、息を詰めて見守っていた観衆は一斉に歓声と拍手を送った。

「二人ともかっこいいなぁ……」
善逸が嘆息した。その頭に腕を乗せて見入っていた伊之助が胸を張る。
「俺だったらもっと破天荒な、かっこいいやつができるぜ!」
「破天荒だけど、絶対綺麗じゃねぇだろお前のは……」
善逸に言い返され、なんだと? とまた切れた。周囲から炭治郎とカナヲがまぁまぁと押さえた。
玄弥も、息をするのも忘れて見入ってしまっていた。確かにそれぞれ見事な剣舞だったが、兄の剣舞も見てみたかったな、と少し残念ではある。

それにしても、とカナヲが首を捻った。
「お二人とも素晴らしかったけど。二人組の剣舞なら普通、動きを合わせないかしら。毎年そうだったような気がするんだけど」
「確かに。もしかして別々にやったほうが映えたんじゃ……?」
炭治郎が言い終わる前に玄弥は、境内の裏手で悲鳴嶼の大柄な後姿を見つけた。煉獄と義勇に何やら強い口調で話しかけている。
「なぁ。あれ、何やってんだ?」
「あぁ」
耳が極端にいい善逸が耳を澄ませていたが、すぐに笑い出した。
「お前達、煉獄の声かけでよく練習をしていると感心していたら……全く動きが合っていないとはどういうことだ? 二人で何を練習していたのだ」
「動きを合わせるなどの小細工は無用! 個人で最善を尽くしたのみ!」
「互いに、互いの型を練習していた」
「冨岡! 人が話しているときは面を取れ!」
善逸の説明で、このような会話が繰り広げられていると聞かされ、皆噴き出した。
「でもなんか、あの二人が互いに合わせるところってあんまり想像がつかないなぁ」
炭治郎が暗に人選が悪いと苦笑しているなか、ごつん、と悲鳴嶼の巨大な拳が二人の上に炸裂するのが見えた。普通にすごく痛そうだ。
「なになに。次の二人を見て剣舞がなんたるかを学びなおせ、だって。次は誰だろ」
善逸が首をかしげた。

「もし……」
その時、背後から急に声をかけられ、その場の全員がびくりと肩を揺らした。振り返ると、隠が玄弥と樹上の4人を見ていた。
「身内枠がありますので、よろしければもっと見やすい場所へどうぞ」
「身内枠って、誰の?」
「行けばすぐに分かりますよ」
炭治郎の問いに、隠はにっこりと笑った。その場の全員は顔を見合わせた。

「おぉー! すっげえ!! よく見える!」
境内の正面の席に通され、伊之助がはしゃいで身を躍らせて炭治郎に捕獲されていた。
「皆さん、神前ですよ。静かになさい」
ぴしゃりと叱られて振り返ると、細い眉を上げたしのぶがいた。
「すみません」
炭治郎たちが謝ると、表情を和らげて義妹を見た。
「間に合って良かったわね。カナヲ、こっちへいらっしゃい」
「はい、師範」
「姉さん、でいいわよ。今日は任務もお休みだから」
「はい、しのぶ姉さん」
嬉しそうに頷いたカナヲが、しのぶの隣に腰を下ろした。その隣に5人が落ち着いた時、笛の音が響き渡った。

真っ白い髪をきりりと結わえた、陶器のような白い肌の女性が、目を閉じて横笛の音色を響かせている。炭治郎が声を上げた。
「あまね様だ!」
「あまね様?」
「お館さまの奥方様だよ」
「あの人が……」
玄弥は初めて見る。あまねは、笛を奏でながらすうっ、と目を開けた。大きな瞳は驚くほどに黒目がちで澄んでいた。
「……前に時透くんが白樺の精みたいって言ってたけど……ほんと、人間じゃないみたい」
カナヲが魅入られたように呟いた。
なぜか、その姿は玄弥に兄を思い出させた。皆に言っても絶対に理解されないから口にはしなかったけれど。兄の実弥は基本的に怒り狂っているが、そうでない時、ふとあんな表情をすることがある。もともとの顔立ちが優しいから、わざと怒った表情を作っているのではと思うことさえある。

高く低く鳴り響く笛の音は、凛としつつどこか艶っぽい。
その音色に合わせるように、一人の女性が境内に進み出た。鬼殺隊の黒い隊服に身を包み、精緻な紋様が入った真紅の扇で顔を隠している。黒い黒髪がゆったりと腰に流れていた。
「剣じゃねぇんだな」
「扇を使うと言っていたから。剣と扇を使った舞いを『剣詩舞』というのよ」
伊之助の呟きに、しのぶが教えてやっている。笛が鋭く鳴り響いた瞬間、バシッと音を立てて扇を閉じた。その顔が露になる。
「カナエ姉さん……綺麗」
カナヲがため息をついた。いつもは笑顔を絶やさない花柱だが、このときは無表情だったのが尚、整った美しさを際立たせた。

カナエが笛の音色に合わせて、再び扇を開く。そして音もなく前に進み出た。花の周りを舞う蝶のように軽やかな動きだった。足を踏み変え、ひらり、ひらりと一転、二転しながら扇を閃かせ、舞う。カナエが動くと、背後で片膝をついて控えているもう一人の柱の背中が見えた。
「兄貴……」
いつもの「殺」と染め抜かれた羽織はなく、黒い隊服のみなのが新鮮だが、その後姿と白い髪は間違いない。うつむいていたが、笛の音がひときわ鋭く鳴り響くと同時にキッと顎を上げ、振り向きざまに日輪刀を一瞬で引き抜いた。その感情のない双眸と刀の輝きに、弟の自分でさえぞくりとした。

カナエが跪き、その隣で実弥が剣舞を披露する。炎の体術と、水の剣術の両方を採り入れたような動きだった。ただ、水と違って型はなく、自由な体裁きは風のように鋭く、速い。前の二人よりも大柄なのに、まるで体重を感じさせない。神にでも憑かれたようなその無表情は迫力があった。
―― あぁ、この目だ。
見ていた玄弥は思った。あまねと同じ、どこまでも澄んだ、どこか人間離れした漆黒の瞳。

笛の音色に、刀が空気を斬り裂く鋭い音が絡み合い、観客は水を打ったように静まり返った。
「……なんか、人間じゃねえみたいな動きだな。俺、風の派生なんだよな……」
「ああなりたいなら、教えを乞うといいわよ」
しのぶに言われ、いつもなら反発するところ、魅入られたように黙っている。この型にはまらなさに、少年ごころをくすぐられたのだろう。

二人が並んだところで、カナエが立ち上がった。同時に片足を居合い斬りのように大きく前に踏み出す。実弥は刀を、カナエは扇を天に掲げる。身軽に跳躍し、くるりと一回転して音もなく着地した。
そこからの動きは、二人とも鏡に映したかのように寸分の狂いもなく合っていた。互いに全ての息遣い、全ての筋肉の動きを把握しているかのようだった。見守っていた人々から嘆息があがり、静かな波のように拍手がその場に広がった。
ただ、動きが同じなだけに、男を極めたような筋肉質の実弥の体格と、女らしいカナエの体格の印象の差が際立つ。

カナエの舞はいかにも優美で、舞うことはできても戦いなど到底難しそうに見える。と、実弥が刀をカナエに、カナエが扇を実弥に、それぞれ流れるような動きで一瞬で受け渡した。
同時に笛の曲調が、より優美で細い音色にと変化した。カナエは、実弥の刀を丁寧に、しかし慣れた手つきで扱った。そして真紅の艶やかな扇は、意外なほどに実弥の雰囲気に合っていた。そんな一面もあるのだと、見ていた玄弥にも意外だった。実弥は扇を閉じ、カナエと対峙する。カナエが一瞬、微笑したように見えた。
次の瞬間、カナエは至近距離で実弥に向けて横薙ぎの一撃を繰り出した。
―― 当たる!
周囲から悲鳴が漏れる。しかし実弥は跳躍すると、扇を刀の上に押さえるように軽く置くと、鮮やかに宙返りし着地した。
その時、風の呼吸か偶然か、ざぁ、と一陣の風が吹き抜けて桜の花びらが舞い散った。
桜吹雪に、皆が歓声を上げる。最後に、二人とも跪いて舞が終わった。嘆息が漏れ、ついで大きな拍手が境内に鳴り響いた。