「カナエ姉さん! 素敵だったわよ」
しのぶがカナエに駆け寄った。
「見ててくれたのね。ありがとうしのぶ」
微笑んだカナエの額には汗が浮かんでいる。手にした実弥の刀の柄を両手で持ち、やってきた実弥に丁寧に渡した。
「ありがとう。ちょっと私には手に余る刀みたいね」
「そりゃ、まぁそうだろ」
実弥は無造作に、刀を鞘に納めた。
「姉さんが格下ってことじゃないですからね。あなたよりも年上だし、柱としての経歴も長いですし」
しのぶが眉を吊り上げて反撃し、まぁまぁ、とカナエがしのぶを抑えた。なんだァ、と切れるかと思われた実弥は肩をすくめただけだった。女子供には切れないという噂は本当かもしれない、と見ていた玄弥は思った。
「なぁ、なぁなぁ! 俺にもソレ、教えてくれよ」
伊之助が目を輝かせて実弥に付きまとっている。
「俺、そういう型破りな動きがしてぇんだよ」
「型破りな動きがしたいならまず基本を学べ」
至極全うな言葉を実弥に返され、伊之助が唇を尖らせた。それにしても、まっすぐに教えを乞える伊之助が、玄弥はうらやましくもあった。玄弥なら、兄に刎ねつけられるのが怖くてまず言い出せない。基本的に怖いものなどないはずなのに、どうして兄に対してはここまで弱腰になってしまうのか、自分でももどかしい。

実弥がちらりと玄弥を見た。いつから気づいていたのか、それだけで緊張する自分が嫌になる。実弥が口を開こうとした時、
「見事だ。さすがだなお前たち」
悲鳴嶼が、心なしか恨みがましい顔をした煉獄と義勇を引き連れてやってきた。その言葉に、カナエがにっこり笑った。
「長男長女の呼吸です♪ ね、不死川くん」
「そんな呼吸はねぇ」
ふふ、とカナエが笑みを深くして、実弥の背中を突っついた。
「不死川くんは剣舞が得意よね。何年か前に甲だったときに見た剣舞、鳥肌が立ったもの」
「……へぇ。その時も二人組だったのか?」
全然知らない話だ。玄弥が何気なく聞くと、
「昔の話だ」
短く返され、話したくないのだと察した。
「粂野匡近との剣舞だろ。伝説級だぞ、試験に出るから覚えとけ」
大またでやってきた宇髄ににやりと笑われ、実弥は露骨に嫌そうな表情を返した。それに頓着せずに宇髄は続ける。
「24時間ずーっと一緒にいたから、あんなに一心同体の動きができたのかねぇ。どうだい花柱」
急に話を振られたカナエはにこやかに返した。
「残念ながら風柱がつれなくて、実現しませんでした」
「そうなのか? あんたの、不死川の刀の扱い方が何とも匂わせてると思ったけどなぁ。お前らできてねえの?」
「姉さん! 宇髄さんもやめてください」
しのぶが嫌悪感も露に割って入った。話を聞いていただけで玄弥は赤面した。言葉の意味が察せられるくらいは成長していて、それを勝手に想像してしまうくらい思春期でもある。
「どうなのお兄ちゃんよ」
宇髄に聞かれ、実弥はしのぶと玄弥を見た。ますます不機嫌に拍車がかかっている。
「馬鹿かお前らは。こいつらはそうやって、ひと欠片も意味がねぇ会話で暇を潰してるだけだ」
「親交を深めていると言ってくれよ」
宇髄には応えず、くるりと背中を返して歩き出した。その背中に悲鳴嶼が声をかけた。
「不死川。今から出演した柱達で反省会だから、残れ」
実弥は肩越しに振り返った。
「昨晩は任務で徹夜だったから眠ぃんだよ」
「関係ない。残れ」
悲鳴嶼らしい断固とした口調だったが、実弥は顔を逸らして欠伸した。
「反省すべきなのは、てんでバラバラだった煉獄と冨岡だろ! 俺は帰る」

玄弥だったら、師である悲鳴嶼にとてもそんな口の利き方はできない。悲鳴嶼が眉をあげて大声を出そうとしている気配に肩をすくめる。その時、カナエがその背中に声をかけた。
「不死川くん。忘れものよ」
カナエが自分の刀を両手に抱えているのを見て、さすがに慌てて実弥が腰に目をやった。
「お前、スッただろ! いつの間に」
「あまりに眠そうだったから気づかないかなと思ったら、本当に抜かれても気づかないんだもの」
カナエは悪戯っぽい顔で笑っている。さすが、穏やかそうに見えても柱だ。煉獄が二人のやり取りに大笑いした。
「柱が刀を奪われて気づかないとはよもやよもやだ!」
「不死川も刀を奪われたから、私はここで失礼する」
「冨岡さん。関係ありません」
しのぶがどさくさに紛れて立ち去ろうとした義勇の袖を引きとめた。

「返せ」
その場に立ち止まったまま、仏頂面で手を差し出した実弥のところに、カナエはにこにこと歩み寄り、背後に回るとその背中を押した。
「反省会に出たら返してあげます」
「眠いんだよ」
「寝ててもいいから。顔に落書きしてあげる」
「よせ……」
男相手なら、とっくに拳で吹き飛ばしている場面だろうが、どうやら本当に女性には怒れないらしい。そしてカナエはきっとそれを知り尽くしている。
「長女の呼吸、強ぇ……」
見守っていた善逸が呟いた。それにしても、普段は強面を付き合わせている柱が、こんな風に冗談も交わす間柄なのだ、と少し意外でもあった。



その時玄弥は、実弥に向かってヨチヨチと近寄ってくる子供に気づいた。その子供は実弥を見上げると、袴をちょいちょいと引っ張った。二人はそれに気づかずにやり取りを続けている。
「おい胡蝶、袴を引っ張るな」
「引っ張ってないわよ」
ん? 二人が顔を見合わせる。二人の視線が落ちた。

「あら、かわいい」
カナエが子供に気づくなり、しゃがみこんで視線を合わせた。
「こりゃまた、薄汚れたガキだな」
実弥は自分の袴を捕まえた小さな手と、その顔を交互に見た。

栗色の髪で、大きな茶色い目をした色素の薄い子供だった。
「1歳くらいかしら…」
「もっと上じゃねえか」
子どもの着物は古びているが、縫い目細かく継ぎが当てられている。あちこち服も体も汚れているところから、以前は貧しいながらも面倒を見ていた大人はいたが、今はいない、というところか。振り乱した髪から覗く瞳はつぶらで、恐らく女の子と思われた。

その子は実弥を見上げて、あどけない声で一言、言った。
「ととー」
とと?  父親?  その場の全員の視線が実弥に集まった。宇髄がヒュウ、と口笛をふいた。「やるねぇ風柱! そうじゃなきゃ花柱を袖にするはずねえしな」
「な、わけねぇだろ。俺はそういう冗談が一番嫌いなんだ。大体顔、ぜんぜん似てねえだろ」
大人たちの騒ぎを他所に、その子はトテトテと歩くと、実弥の目の前でバランスを崩した。そこに、伸びてきた実弥の大きな掌が子供を掬いあげる。キャッキャッ、と宙に持ち上げられた子供が声を立てて笑った。
「ほらほら、子供の扱い手馴れてんじゃねぇか」
「弟妹が大勢いたからだ。誰か連れはいねえのか」
実弥が周囲を見回した時だった。

「……あの。すみません、僕がその子の兄です」
幼い声が、実弥の背中にかけられた。振り返ると、4歳くらいの少年が実弥を見上げていた。ひょろりと背が高く、何か言いたげな表情でその場に佇んでいる。髪は白く、軽い癖っ毛でふわふわと逆立っている。目尻は上がっていたが、黒目がちのため女性的にも見えた。妹と似たり寄ったりの粗末な格好をしていた。
玄弥が思わず言った。
「……めっちゃ、子供の頃の兄貴に似てねぇ……?」
実弥もそう思ったのだろう、動きを止めてその少年を凝視した。
しのぶがふぅ、とため息をついた。
「ごくごく控えめに言って、軽蔑します」
「畜生いいなぁ! 俺も幸せな家庭を築きたい! 禰豆子ちゃんと!」
どさくさに紛れて善逸が叫んだ。

「だから! 違うって言ってんだろうが!!」
思い切り否定しながらも、実弥の声音にはさきほどまでにはない焦りが混ざっている。炭治郎がすかさず口を挟んだ。
「でも。匂いが似てます。赤の他人じゃないです」
その言葉に、実弥は返答に詰まる。
「……!!」
「認めろ不死川、早く楽になれ」
宇髄が、ずい、とその肩に腕を廻し、実弥は一瞬で跳ね除けた。
「ちょっと待ってください。子供たちが困っています」
カナエがきょろきょろしている女の子を実弥から抱き取り、少年の前にしゃがみこんだ。
「不死川くんは絶対にそんなことしないタイプよね。どうしたの、不死川くんに何かご用? お名前は?」

玄弥も、実弥の隣に並んだ。小声でその耳元に尋ねる。
「……どうなってんの」
「まさかお前まで俺の隠し子とか思ってんのか?」
苦りきった口調に、玄弥は慌てて首を横に振った。
「そうは思ってねぇよ。でも……炭治郎がそう言うんだから、血縁はあるんだろ。親戚とか?」
「俺が分かるかよ……おい、どうなんだ」
後半の言葉は、少年に向けられていた。

実弥と玄弥に見下ろされた少年は、自分が生み出した混乱に動揺しているようだったが、やがて決心したように口を開いた。
「……僕は、不死川伊織といいます。6つです。こっちは妹のすず、2つです」
あぁ、とその場からため息のような声が漏れた。不死川、などという苗字がそうそうあるはずもない。伊織、と名乗った少年は、感情に揺れるまなざしを実弥に向けた。
「……父から聞いていました。鬼殺隊の風柱様は、僕たちの腹違いの兄だと。今の剣舞を拝見して恐れ多いことだと思いましたが……」
6歳と言う年齢にしては大人びた言葉遣いをする。幼い頃から大人に混じって働いていた兄の姿が重なった。実弥と玄弥は愕然と顔を見合わせた。
「お前たちの父親って、どんな奴だ」
玄弥が息せき切って尋ねた。
「不死川朔弥、体が大きくてすぐに暴力を振るう、嫌な奴です。三ヶ月前に家を出て行ってから、会っていません」
「あンの、人でなしがァ……」
思わず、兄弟の声が重なった。

二人の父、朔弥が生きていると知ったのが、約半年前の出来事だった。この二人の兄妹の年齢からして、実弥・玄弥たち一家が離散してからほどなく、この伊織という少年が生まれた計算になる。あの男に道徳心など求めても無駄だが、それにしても新しい家庭でも甲斐性がなかったことは、この二人のみすぼらしい格好を見るに明らかだった。

「あの……やっぱり」
「異母きょうだい、ということだろうよ」
実弥はあっさりと認めた。残念ながら、そういうことをやりかねない男だと言うことは知っている。
「あのくそ野郎が」
家の金を使い込んで遊び歩き、気まぐれに帰ってきては家族に暴力を振るう、玄弥には殺したいほどに憎い相手だった。子供に何の愛情もなくあれほど苦しめたくせに、他所でも不幸な子供を作っていたかと思うとやりきれない。少年は玄弥の怒りに身をすくませた。よせ、と実弥が玄弥を制した。
「……あなたは」
伊織は玄弥に問うような視線を向けた。
「不死川玄弥、俺の弟だ。……お前には兄貴に当たることになるのか」
「そうなる、んだよな」
実弥に紹介されて、不思議な気持ちになる。もう兄と呼ばれることはないと思っていた。実弥はため息をついた。
「確かに父親は糞だが、お前らには関係ねぇ話だ。……それで、どうして今、子供だけで会いに来た? 母親はどうした」
母親、という言葉を聞いた伊織は、唇を噛んだ。
「……助けてほしいんです」
「まんま、まんま」
カナエに抱かれたすずが、タイミングよく言った。