30分後。
柱と炭治郎たちとはその場で別れ、不死川きょうだいと胡蝶カナエ・しのぶは近場の飯屋へと場所を移していた。鬼殺隊での責任感を誰よりも問う悲鳴嶼が、子供たちを優先してやれと実弥に言ったのが意外でもあった。そして今、カナエとしのぶは、襖をはさんで、不死川きょうだい4人の隣の座敷に陣取っている。とはいえ襖は開けられ、にこにこしているカナエとまじめな顔をしているしのぶの表情は筒抜けになっていた。

視線が背中にちくちくするようで、背中を向けている玄弥は落ち着かない。隣に胡坐を掻いている実弥がうんざりした表情で振り返った。
「オイ、なんでついてきたんだ。おい妹、胡蝶を連れて帰れ」
本人に帰れと直接説得するのは諦めているらしい。しのぶが眉を吊り上げた。
「私にも胡蝶しのぶ、という名前があります! 姉さんがどうしても行くっていうから」
「ええまぁ、おもしろそうっていうのもあるんだけど。お役に立てそうな気がしたのよ。私たち医療班だから」
実弥の不機嫌もどこ吹く風で、カナエは笑った。後半は子供ふたりに目をやっていた。

伊織は、手持ちの金が無いことを気にしてなかなか注文せず、実弥に
「ガキがそんな心配すんじゃねぇ」
と怒られてようやく品書きを手にしていた。実弥自身が「そんなこと」を心配しなければいけない子供時代を送っていたことを、玄弥は誰よりもよく知っているから、複雑な気分になった。同じ父親のせいで、同じ長男である実弥と伊織が同じように苦労しているのを見ると、今更のように父に対する怒りがこみ上げてくる。でも実弥と伊織の二人は、それほど父に対する怒りを露にしない。それが、長男とそれ以下の違い、なのかもしれなかった。

そして今子供たちは、運ばれてきた食事をものすごい勢いで掻きこんでいた。捨てられた子犬や子猫が、久しぶりの食事に食らいついているようだった。すずに至っては手を直接皿の中に突っ込み、全てを飯まみれにしながら食べている。伊織もそんなすずを気にしつつ、目の前の食事に我慢できなくなったのだろう、年相応の表情で飯を次々におかわりしていた。
「……本当に、ろくな食事をしてなかったのね」
しのぶが手拭で、すずの顔や手を拭いてやりながらそう言った。
「すみません。甘味まで頂いてしまって」
我に返ったらしい伊織が恐縮している。しかし腹いっぱいになって緊張がほぐれたのか、固かった表情はずいぶんと和らいでいた。
「いいのよ。あなたのお父さんはお金持ちだから。遠慮なく何でもお世話になればいいわ」
隣の座敷からにこやかにカナエが声をかけた。
「ととー」
ふと気づくと、テーブルの下を四つんばいで這ってきたすずが、実弥の膝に乗り上げていた。
「そっちは鬼よ、すずちゃん」
「黙れ妹」
「胡蝶しのぶです。それにしても、本当に懐いてますね。どこがいいのかしら……」
「オイ胡蝶、この生意気な妹を黙らせろ」
「しのぶ。どうしてそう突っかかるの。あなたには目上に当たるのよ」
カナエがさすがに妹を嗜め、言葉を継いだ。
「いいところいっぱいあるわよね。睫毛も長いし髪も綺麗だし甘味も好きだし、意外と女子力が高……」
「やめろ」
「意外と子供力が高いバージョンもあるわよ」
「二人とも簀巻きにして店から放り出すぞ!」
二人のやり取りに、思わず玄弥は噴出した。実弥はひょい、とすずの小脇に両腕を回して持ち上げた。そしてその顔を近くで眺めた。すずは無垢な瞳で実弥を見返し、顔一杯に笑みを広げた。思わずその場の全員にうつってしまうくらい、その笑みには伝染力があった。
「こいつは母親似なのかねェ。しかし親父って呼ぶなら玄弥だろうに。玄弥のほうが父親似だろ」
「いくら兄貴でもそれだけは言わないでくれ」
伊織が微笑んで二人の兄を交互に見た。
「確かに顔は、玄弥さんのほうが父によく似ています。でも、風柱様の声は父そっくりですね。すずが赤ん坊の時に出て行ってしまったから、すずは父を知りません。でももしかしたら、声は少しだけ覚えているのかもしれないですね」
「声? 全然似てねぇだろ」
「そっくりだよ。自分じゃ気づかねぇものんかな」
「止めろ玄弥」
今度は実弥が心から嫌そうな顔をした。膝の上に下ろされると、さっきまで元気だったにも関わらず、すずは実弥の腹にもたれて眠ってしまった。鬼にさえ恐れられる兄に無邪気に懐いている様子がほほえましかった。時刻は夕方の5時を回っている。腹がいっぱいになって、旅路の疲れが一度に出たのだろう。


その場の空気を引っ掻き回していた乳児が寝て、その場は静かになった。
「……で、話があるんだろ?」
玄弥が尋ねると、伊織は思いつめた表情に戻って頷いた。実弥が茶を口に運びながら伊織を見返した。
「あの糞親父の元にいたんだ。まともな生活を送れなかったのは身に染みて分かる。あいつは今、どこにいる?」
「……見つけたらどうするつもりなの」
カナエが口を挟んだ。彼女には珍しく、眉をひそめている。
「殺す」
実弥の返答はこれ以上ないほど短かった。玄弥を諌めるほど冷静だと思っていた兄が、自分と同じような境遇の子供を懲りずにつくっていた父に対して、どれほど腹に据えかねているか。思い知らされる一言だった。
「ちょっと、この子達の父親でもあるんですよ」
しのぶが眉を上げた。伊織は苦笑して首を横に振った。
「いいえ。そう言われても仕方のない父ですから。……でも三ヶ月前に家を出て行ってから会っていませんし所在も分かりません」
「じゃあ、お袋さんが一人でお前達を育ててるってことか。お前達に他に兄弟はいるのか?」
玄弥の問いに伊織は首を振った。
「いいえ、僕たちふたりだけです。母は三ヶ月前から寝込んでいます。肺結核を患って働けなくなってしまったんです」
「まさか。自分の女房が結核と知ったから出て行ったんじゃねぇだろうな」
玄弥が顔を引きつらせると、伊織はうつむいた。本当にそうなのだ、と察した。
「あいつ。本当に、本当に人でなしだな……」
「滋養のある食事と、休養が必要と言われています。でも、家にはもう何もなくて。母が弱るのを待っていることしかできなくて。そこで、風柱様の話を以前父がしていたのを思い出して、行方を捜したんです」
「よくここが分かったな」
実弥が口を挟んだ。確かに、鬼殺隊の情報は基本的に外部からは探れないようになっていて、少なくとも子供に柱の所在を調べることはできないはずだった。伊織は頷いた。
「近所に鬼殺隊の方が出入りしていて、以前から顔見知りだったので。その方から聞きました」
「……おいおい、その馬鹿隊員は何勝手に教えてんだ……」
「……僕が、風柱様によく似ていると、前から気に留めてくれていたようで……事情を話したら、教えてくださいました。僕が無理に頼んだんです」
「……鬼殺隊員が出入りって言うのは、気にかかるわね」
カナエが首を捻った。
「お前、住所は?」
「ここです」
伊織は、懐から紙を取り出して実弥に渡した。自宅に届いた郵便物の住所を切り抜いて持っていたらしい。その住所を一瞥した実弥は嫌な顔をして、玄弥にそれを見せて寄越した。
「げ。前の俺達の家の目と鼻の先じゃねぇ……?」
「いちいち腹が立つ糞親父だぜェ。京橋は誰の管轄だ?」
「煉獄くんじゃない?」
実弥とカナエは顔を見合わせた。伊織は改まって正座をし、実弥と玄弥に向かって頭を下げた。
「急に現れて図々しいと思われてもしかたありません…。でも、どうかお願いです。母を助けてください」


一時間後。
玄弥は眠ってしまった伊織を背負い、店を出た。金を払っていた実弥が後から出てくるのが見えた。すずを片腕に抱いている。
「……なんか、弟妹を思い出すなァ」
思わず玄弥は顔をほころばせた。こんな風に、途中で眠ってしまった弟妹を、よく手分けして運んでいたのを思い出していた。   
「まあ、実際弟妹だからな」
他所できょうだいをつくっていた父親のことは許せない。しかし、こんな年になって新しく弟妹が登場して、そう思ってはいけないと戒めつつ少しだけ嬉しくもあった。もう二度と、抱くことがないと思っていた温もりだったから。
それにしても、伊織の用件が玄弥の心を打っていた。自分でも妹でもなく、母を助けて欲しいとは。母さえ元気になれば、自分が働いて家族を支えます。伊織ははっきりそういった。まだ六歳で、こんな背負った体は軽いのに。ますます兄と重なり、何も言えなくなった。

「なあ、さっき、どこに手紙送ってたんだ?」
玄弥は先を行く兄に尋ねた。さっき実弥は、店で紙と鉛筆を借りるとさらさらろ何かを書き付け、鎹烏にそれを運ばせていた。
「気にすんな。たぶん杞憂だ」
としか、実弥は応えなかった。こういう時は、それ以上聞いても返事が戻ってこないと分かっている。
「にしても、これからどうする? この子たち」
伊織は、眠る直前までしきりと、母の元に戻らなければと言っていた。もう二日も家を空けていて、心配でたまらないのだと。ただ、この場所から京橋までは相当距離があり、子供の足では今日中にたどり着くのは難しい。
「お前は、風邸にこいつらを連れて行け。連れて行けば家の者がどうにかしてくれる。俺はこの住所へ行ってくる。放ってはおけねぇだろ」
「……風邸で面倒を見るつもりなのか?」
「母親とやらの病状が落ち着くまでだ」
「兄として、育ててあげないんですか? あなたを頼って来た子たちなのに」
店を出て追いかけてきたしのぶが声をかけた。
「俺は稀血だから鬼を引き寄せる。自力で自分を鬼から守れない奴は身辺に置かないと決めてる」
実弥に淡々と返され、さすがにしのぶも黙った。
同時に、所帯は持たないと明言したようなものでもあった。きっといい父親になりそうなのに、少し玄弥は寂しい気持ちになる。
「お母様も結核と言うことだし、蝶屋敷で引き取る手もあるわよ。面倒を見てくれる子もたくさんいるし」
カナエの言葉にも、実弥は首を縦には振らなかった。
「蝶屋敷では不満ですか?」
「蝶屋敷がどうこうじゃねえ。鬼殺隊の息がかかったところに置くのはどうかって話だ。不幸な生い立ちで鬼殺隊に身を寄せる子供は、大抵鬼殺隊になる。鬼殺隊になればほとんどが鬼に殺される。間違っても身内にさせたい職業じゃねぇだろ」
しのぶは返答せず、唇を噛んだ。重い言葉に、それぞれが黙り込んだ。