ざざ、と音がして、深々と頭を垂れた竹から雪が零れ落ちた。
舞い落ちた雪は、すぐに地雪の白と同化してしまう。
直立の姿勢を取り戻した竹も、背後の山も、雪とは対照的に黒々としている。
太陽は出ていない。
白い空は、どこまでが大地でどこからが空なのか、境界線をあいまいにしている。
そのせいか、光がなくとも辺りは薄明かりに包まれているように見えた。
「日番谷たーいちょ。お茶、入りましたよ」
障子を半開きにして、外の景色を眺めていた俺の視界で、蜂蜜色の髪が揺れた。
振り返ると、湯気のたつ白い湯呑みが差し出され、俺は礼を言うとそれを受け取った。
「絶景ですね〜! 流魂街の景色も、なかなか捨てたもんじゃないですね。
なんか旅館に遊びに来たみたい♪」
自分の湯呑みを口に運びながら、松本は歓声をあげると、障子の向こうに目をやった。
「仕事だぞ、これは」
俺だって雪は好きだ。しかし、別に俺達はここに遊びに来てる訳じゃない。
釘を刺して松本の横顔を見るが、こいつの耳は都合の悪いことは聞こえちゃいねぇんだ。
「知ってましたか、隊長? 現世だとこういう時、殺人事件が起こるんですよ。
サスペンス劇場! ○○温泉殺人事件!とかいう」
「知るか」
ヒトが現世に疎いと思って、適当なことを言いやがる。
大体、そこら中で殺人事件なんか起こったら、俺らの仕事が忙しくなる一方だろ。
俺は、松本の横顔を見る目に力を込める。が、それでもこいつは聞いちゃいねぇ。
「だいじょーぶ、今夜隊長が温泉に浮かんで土佐衛門になってても、あたしが名推理で犯人を捕まえてみせますから」
「ここは現世でも温泉旅館でも、サスペンス劇場でもねーよ」
俺は松本との不毛な会話を切り上げ、松本を押しのけると障子を開け放ち、縁側へ出た。
外の冷たい空気が、頬を撫でる。
空気に冷やされた縁側は裸足にひやりと冷たいが、心地いい。
縁側から見下ろすと同時に、崖下からの冷たい風が吹き上げ、前髪を揺らした。
―― 確かに絶景だな、こりゃ。
この小さな庵の向こうは、小さな日本庭園を挟んで、50メートルはある断崖絶壁になっていた。
巨大な絶壁に彫りつけたように、小さな石階段が延々と続いている。
下からここまで上がってくるのに、一体どれくらいかかるのか想像したくもない。
絶壁の下には、長屋のような建物が幾棟も見える。
かなり巨大なのだろうが、こんな高さからみると、玩具のようにしか見えなかった。
そして建物の向こうには、バケモノ染みた巨大さの塀が、延々と張り巡らされていた。
西を見ても東を見ても、全く終わりが見えないほどに馬鹿でかい塀だ。
それはまるで地平線のように、近くだけ見ると真っ直ぐだが、遠くを見ると円を描いているのが分かった。
この塀の内側が広大な「流魂街」、外側が現世とつながりを持つソウル・ソサエティの外部だ。
そして、俺が立つ位置からは、塀に設けられた巨大な門が見える。
門はわずかに開き、そこから蟻の群れのような長蛇が、長屋のほうへと向かっていた。
よく見れば、列を作っているのは人間だということがわかる。
ここは「死者の門」。現世で死んだ魂が、あの世へと渡るための関門だ。
松本も縁側について来ようとしたが、足が床についただけで、
「おお寒!!」
と、部屋の畳の上に足を引っ込めた。
「よく裸足でそんなトコ歩けますねー。子供は風の子ですもんね」
「子供扱いすんな。俺は寒いほうが得意なんだ」
確かに俺の見た目はガキだが、死神に外見年齢なんてなんの役に立つだろう。
俺がそう返したとき、締め切った廊下へ続く、木製の引き戸が控えめにノックされた。
「日番谷十番隊隊長殿、松本副隊長殿はおられますでしょうか?」
「入ってくれ」
告げると、音もなく戸が引き開けられた。
そこで頭を下げて正座していたのは、小柄な爺さんだった。
白っぽい着物に、山吹色の羽織をまとっている。
「失礼致します」
皺に埋もれた柔和な瞳が、俺達に向けられた。
「本日は、このような僻地までご足労いただき、ありがとうございました。この西関門を預かります関守、祠堂(しどう)と申します」
部屋におかれた座布団をそっと避けると、畳の上に直に座り、もう一度頭を下げる。
瀞霊廷の死神、特に隊長格ともなれば、めったにこの辺までは出張ってこないからな。
こんな僻地で、バカ丁寧な扱いをされることには慣れてる。
「いいえぇ。ここの処、瀞霊廷に押し込められる一方だったんで、ありがた……」
「松本!」
俺は松本をにらみつけた。さすがに松本が黙り込む。
「関守殿。概要は聞いてるが、昨日、何が起こったか説明してくれ」
「は」
祠堂は、意外そうな表情で、俺を見返した。
関守に比べれば、圧倒的に地位が上の俺が、敬称で読んだから違和感があったのだろう。
年寄りを呼び捨てにするのに抵抗があるのは、婆さんに育てられたからかもしれない。
祠堂は俺と並んで、眼下に広がる景観に目をやった。
「日番谷隊長もご存知かと思いますが、ここはソウル・ソサエティに4箇所ある関門のひとつ、西関門です。
現世で死した魂は全て、どれかの関門をくぐり、流魂街の各地域に割り振られてゆきます」
「すっごい、列ねぇ」
いつの間にか隣に来ていた松本が、振り分け待ちの死者の列を見下ろした。
「そうですね。死者の数にもよりますが……大体並ぶ時間は一ヶ月ほどです」
「いっ……、一ヶ月?」
松本が素っ頓狂な声を上げた。
「あたし、よくこんな所並んだわァ……ていうか隊長、西流魂街出身ですよね。てことは」
「西流魂街のご出身なんですか? それなら、この西門を通られてますな」
祠堂が、意外そうな声を上げて俺の顔を見た。
確かに、死神といえば瀞霊廷出身の貴族、ていうのが相場だからな。
流魂街出身なんて少数派だ。
「あぁ。でも、全然覚えてねぇな」
「隊長、意外と頭悪いですか?」
「答えようがねぇ質問すんな! お前こそ、覚えてんのかよ?」
「あたし、バカですから」
「お前も覚えてねぇんじゃねーか」
俺達のやり取りに、思わず、といった感じで祠堂が口元を和らげる。
「まぁ、現世で死んでから関門をくぐり、流魂街に居つくまでの記憶は、あいまいになることが多いのです。おかしなことではありません」
とりなす様に、やんわりと割って入られ、俺達は口をつぐんだ。
「話が逸れるからしゃべんな、松本。それで、昨日誰かに襲撃されたって聞いたが」
は、と祠堂は頷いた。
「突然現れた人外の者によって死者が攻撃され、塀の一部も破壊されました。
その時は瀞霊廷の門番、児丹坊殿のご尽力で追い返せましたが、またいつ襲来されるやら」
「児丹坊?」
唐突に出てきたその名前に、俺は組んでいた腕を解きかける。
それは、ガキのころからの俺の友人の名だった。
「知らなかったな。ここの警備もやってんのか」
「はい。瀞霊廷とこの関門の距離はかけ離れておりますが、穿界門を使って行き来して頂いています」
松本が、俺の後ろから身を乗り出す。
「人外の者って言ったわね。どんな外見だったの?」
昨晩のことを思い出したのか、祠堂は表情を曇らせた。
「体長は10メートルほど。人間のように二本足で立ちますが、全身は長く茶色い毛で覆われていました。
顔にはまるで仮面のようなものをつけ、衝撃波のようなものを口から吐いておりました」
「虚だな」
俺が断じると、祠堂は意外そうに顔を上げる。
「ホロウ……とは?」
「死んだ魂が転じて、虚っていうバケモノになることがあるのよ。まぁ、ソウル・ソサエティにやってくるなんて、きわめて稀なケースだけどね」
「大体、話はわかったぜ」
俺はそう言いながら、小さな庵の玄関にとって返した。
「とりあえず、襲撃された場所を見たい。あと、児丹坊を呼んでくれ」
「隊長? なんで草履を手に持ってんです?」
俺が手にしている自分の草履を見て、松本が目を丸くした。
俺はそんな松本を無視し、縁側へと向かう。
「ひょっとして。すんごい横着しようとしてません?」
「松本。お前は関守殿と後で来てくれ。先に行ってるぞ」
「ちょっと!」
話聞いてんですか! という松本の声は、風の音に掻き消された。
俺が、縁側から一気に、崖下に飛び降りたからだ。
死覇装が風にあおられ、バタバタと音を立てた。
視界に大きく関門の様子が迫ってくる。
建物の周囲には、関門の門番らしき人影も見えるが、全く気づいていない。
まさか、上から俺みたいなのが降ってくるとは思ってないんだろう。
―― 霊圧がある敵向けの戦闘教育は、受けてない、か……
死神だったら、俺の霊圧にすぐに気づくはず。
まぁ、ソウル・ソサエティに虚が入り込むことなんて極めて稀だから、必要ないんだろうが。
「見覚えねえなー……」
俺は無意識のうちに呟いていた。
その時。俺を見つめる目線を感じ、俺は視線を関門の外にやる。
そして、難なく視線の主を見つけた。