チチチ……
鳥が囀りながら、地面から飛び立つ。
見慣れた土の道。見慣れた、道を行きかう粗末な和服の人々。
俺は片腕に赤ん坊を抱えたまま、辺りを……流魂街西地区、潤林安の町並みを見渡した。

―― 本当に、穿界門通れば一瞬だな……
なるほど、便利なものだ。
関門の奥で厳重に警備されていた穿界門を潜り抜ければ、そこは数先キロ離れているはずの潤林安だった。
確かにこれなら、距離が離れていようが、児丹坊は瀞霊廷と関門の両方を護れるだろう。。
それに、騒動が起こることなんて、それぞれ何十年に一度あるかどうか、くらいだ。
俺は、肩に背負った斬魂刀を腰に差しなおすと、刀を結わえていた紐で子供を背中にくくりつけた。
多少ザツに扱った自信があるが、赤ん坊はスヤスヤと寝息を立てている。


人の気も知らねーで……
どこかで、お前の親は、お前を失って、泣いてるんだろうに。
最近の現世では、親が子を殺すこともあるって噂で聞いたけど。
お前みたいに笑える奴は、きっと違うんだろ?
そう思っては見たが、こんな幼さで命を絶たれたこのガキは、問答無用に哀れだった。

あまり隊首羽織姿でうろつくのも嫌だったから、瞬歩を使った。
見慣れた家の前で、俺はほっと息をつく。
こじんまりとしたその一軒家には、俺と雛森を育ててくれた婆さんが、今は一人で暮らしている。
この俺の面倒を見てくれたような人だから、このガキ1人くらい、何とかしてくれるだろう。


「婆ちゃん、いるか?」
ガラリ、と戸をひき開け、俺は玄関に足を踏み入れた。
いつもだったら、
「あぁ冬獅郎、帰ったのかい」
軽い足音と共に、巾着のように皺だらけの口元をほころばせた婆ちゃんが現れるはずだった。

でも、家の中はしぃん、と静まり返っている。
いないのか?一瞬そう思ったが。
その静けさからは、何かイヤな気配がした。
俺は手早く草履を脱ぎ捨てると、中に上がりこんだ。

「おぃ、婆ちゃん?」
婆ちゃんのお気に入りの、日当たりのいい小部屋の戸をひき開けた時だった。
「!」
俺はその場に棒立ちになる。
赤ん坊を背負っていることも、その一瞬で頭から吹き飛んでいた。

そこには、机の上に突っ伏した婆ちゃんの姿があった。
様子がおかしいことは一目でわかった。
全身はガタガタと震え、その横顔はロウソクのように白い。
「あぁ……冬獅郎、戻ったのかい」
「ンなことはどうでもいい、大丈夫かよ?」
それでも、笑みを浮かべようとする婆ちゃんに、俺は駆け寄った。


***
 

赤々と炊かれた炎が、夜の関門を照らし出している。
炎の下で、多くの人の影が、ちらっ、ちらっ、と映っては消えてゆく。
松本乱菊は、遥か眼下に広がる景色を、何とはなしに見つめていた。

「どうですか?軽く一口」
穏やかな声に振り向くと、杯を持った祠堂と目が合った。
「いいわ。いつ敵がやってくるか判らないしね」
笑って軽く首を振る。

乱菊は、酒に弱いわけではない。むしろ、ザルやワクの類である。
しかし、戦いのカンが鈍るのは確か。よろめきでもしたら、即、死につながりかねない。
何より、隊長の日番谷にこの場を任されたのだ。
どんな理由があろうと、失敗は許されない。

祠堂は、そんな乱菊を一度しげしげと見つめると、ふっ、と頬に笑みを広げた。
「何よ?」
「いえ。日番谷隊長殿といい、松本副隊長殿といい……想像していた「死神像」とは、かなり違うと思いましてね」
「なーによ。女子供とは思わなかったって?」
別に怒っているわけではないが、頬を膨らませてみせる。

外見で言えば、乱菊で二十代半ば。日番谷に至っては、十代にも届かない。
日番谷の外見と実力の格差は、瀞霊廷では神秘とまで言われているが。
その名声も、こんなソウル・ソサエティの最果てには届かない。

「いいえ。外見というよりも中身ですよ。死神といえば、我々にとってはまさに『神』。
私のような者に対する、丁重とも言える態度には、正直驚きました」
「まぁね」
日番谷が、同僚の隊長格の中では「生意気」キャラで通っていることは伏せることにする。
歯に衣着せぬ物言いは、相手が目上でも代わらない。
ただ、相手が老人となると、話は別だ。

「隊長、流魂街の出身ってことは言った通りよ。で、隊長を育ててくれたのはお婆さんなの。
義理堅いトコのある隊長だから、死神になってからもヒマ見つけては会いに行ったりしてるわ。
祠堂サンみたいな人を見ると、どこか重ねてしまうんじゃないかしら」
「しかし」
そこで、祠堂は誰が聞いているわけでもないのに、声を潜めた。
「他言しないほうが良いのでしょう?日番谷隊長殿が、赤ん坊を引き取られたことは」
「……まぁ、ね」
乱菊の声も、わずかに切れが悪くなる。

死神は、死者には一律に接しなければならない。それは、死神の鉄則だ。
隊長たるものが、赤ん坊とはいえ死者を引き取るのは、その原則に真っ向から反する。
「隊長が、なんであの子をそんなに気にするのか、理由はわからないわ」
乱菊の知る日番谷は、稀に見るほど情に深い少年だ。
しかし同時に、理性的でもある。
赤ん坊の一人や二人引き取った所で、何にもならないことはわかっていたはずなのだ。
それなのに、なぜ。

乱菊が、そこまで考えた時だった。
遥か下の関門の炎が、ふっ、と消えた。
一瞬で、全てである。
関門は一瞬のうちに漆黒の闇に閉ざされる。
混乱した守衛達が呼び交わす声が聞こえてくる。

「来たわね」
乱菊は脇に立てかけていた刀をひきつけ、スッと立ち上がった。

 
***


パチパチ、と囲炉裏の中で火が穏やかに爆ぜる。
俺はは、氷水に浸した手ぬぐいをぎゅ、と絞った。
そして、囲炉裏の傍の布団に横になっている婆ちゃんの額に、ゆっくりと置いた。
「……ありがとうね。お前が帰ってきてくれて助かったよ」
その表情は、もう苦しそうじゃない。
それを見て、俺は心中でホッとする。
ここしばらく、仕事が忙しくて様子を見に来れなかったのが心苦しい。
「本当だぜ。この寒いのに、火もいれねえで」
それなのに、口をついて出てきたのはそっけない言葉で。
我ながら、本当にひねくれてると思う。

「だー!!」
突然、静かな室内に能天気な声が響き渡り、俺と婆ちゃんは同時に振り向いた。
「オイ! そっち行くな!」
上機嫌で囲炉裏に突っ込もうとしていた赤ん坊を、俺は慌てて引き戻す。
さっきから、寝たり起きたり這い回ったり、片時も目を離せないのだ。
「しかし、どうしたんだい、この子?」
落ち着いた婆ちゃんがそう聞いてくるのは、当然といや当然だろう。

「拾ったんだ。西関門で」
「関門?」
「あぁ。治安の悪い地域に送られようとしてたんだ。連れてきた」
「……そうかい」
「自分がやってもらったことは、ちゃんと返してやらなきゃな」
ばあちゃんは布団の中から目を細めて赤ん坊を見てたが、俺がそういうと、俺の顔を見上げた。
「ほんに、お前は良い子だねぇ」
「……そんなんじゃねーよ」
柄にもねえが、思わず赤面した。
良い子、なんて護廷十三隊の隊長に言う奴がほかにいるかよ。

「まーま!」
囲炉裏を諦めた赤ん坊は、今度は氷水に満たされた盥(たらい)に手を伸ばす。
「冷たいぞ、離れてろ」
俺が引き離す前に、ぺとり、と指を氷につける。
その途端、ばしゃんと音がして、氷が瞬時に水に変わった。

「……へ?」

俺はとっさのことに事態を飲み込めず、固まった。
相当間抜けな顔をしていたに違いない。
赤ん坊が、俺の顔を見て腹が立つくらい笑ったから。
「オイ笑うな。お前、霊圧があるのか?」
そんなこと言っても、相手はしゃべれもしねえガキだ。
でも、盥に手を突っ込んで、水を飲む姿に確信を持つ。
普通の死人は、何も口にする必要がねえ。飲み食いするのは、霊圧がある奴だけだ。

「氷を、水にする能力?」
変なところに這い出さないようにしっかり捕まえながら、俺は赤ん坊を見下ろした。
「冬とか生活に便利でいいねえ」
布団の上に半身を起こしたばあちゃんがウンウンと頷く。俺は答えなかった。

一瞬びっくりしたが、考えてみると、この力何か役に立つのか?
俺と似てるが、霊圧は氷雪系とは明らかに違うようだ。あえていえば「水」系か。
瀞霊廷にも、こんなおかしな能力を持った奴はいなかったはずだ。

俺が考え込んでると、ばあちゃんは赤ん坊の顔を覗き込んで、言った。
「名前、つけてあげなきゃねえ。しゃべれないんじゃ、名前も分からないだろうし」
「名前な……」
俺も赤ん坊の顔を覗き込んだ。
ヒトに名前をつけたことなんて一度もねえから、気がきいたことを返せるはずもない。

「澪、はどうだい」

「みお?」
「水脈、ていう意味もあるし、お前が連れてきたんだ。どっちにも縁がある、この名前がいいよ」
水はとにかく、俺に縁がある名前か。俺は改めて、赤ん坊の顔を見下ろす。
氷雪系の力を持つ俺の子供分か? 年は子供ほど離れてねえから妹分か。
その名前を、ずっと、死ぬまで呼ばれ続けるのかと思うと、それはとてつもなく重い気がした。

「……まぁ、今すぐつけなくてもいいさ」
俺はそう返すと、話を切り上げた。
赤ん坊は、そんな本人にとって重要なことが話されてるとも露知らず、揺れる火を見ている。
それを見て、ふっと眠気が襲ってきた時……伝令神機が鳴った。
接受画面に出ているのは、松本の名前。

「俺だ」
「隊長っ!」
「何事だ?」
その声だけで、何かが起こったのは明白だった。
「大虚が、予想以上に力をあげていて……このままじゃ、関所にも被害が出ます!」
「わかった、今すぐ行く!」

松本は、戦闘業務ではそうそう助けを求めてこない。
事情は分からねえが、一刻も早く行ったほうがいいのは確かだった。
立ち上がって、ふと赤ん坊を見下ろした。
このまま、弱ってるばあちゃんに世話を任せていくわけにもいかねえ。
俺は少しためらったが、赤ん坊を抱き上げ、紐を引っつかんだ。
「ばあちゃん、ちょっと出てくる」
「……冬獅郎」
「ん?」
戸を開けたときに呼ばれて振り返る。
「……すまないねぇ」
「? 何言ってんだ。すぐ戻る」
音を立てないように戸を閉め、俺はダン、と地を蹴った。