あいつのところには、いつも風がある。
あの、誰にも似ていない白髪は、いつも風に揺れていた。

「おい! 十弥。てめぇ勝ち逃げかよ」
博打仲間になじられつつ、店を出た。懐は潤っている。気分が良かった。
塀の脇の暗がりで、知っている白い頭が覗いた。
声をかけず、歩き出す。奴もかろうじて視界に止まるくらいの距離でついてくる。まるで野良猫でも拾った気分だった。
父親である俺に頼りたくない、でも一人では帰れない。やけっぱちになっても、なりきれないところが、俺との大きな違いだ。
その時、違和感を覚えた。初めは何か分からなかったが、やがて気づいた。こいつ、少し前についたはずの頬の傷が、もう治っている。初めからなかったかのようだった。


世の中の普通の男なら、昔は多少悪かろうが、女房を持ちガキを持てば変わっていく。でも俺は、俺のままだった。
博打と酒と女しか俺の生活にはなく、家族が入る余地などはじめからなかった。たまに帰宅しては、こんな生活もあったかと思い返すくらいのものだった。
家族のことを嫌っていたか、といえばそうでもない。気分が良ければ何もしないし、気分が悪ければ怒鳴るし殴りも蹴りもする。
本人たちが怒りのきっかけだろうがそうでなかろうが、俺のことをどう思っていようがどうでも良かった。
一言でいえば、はけ口。性欲の便所が女だとしたら、感情の便所は家族だった。

実弥のことは、可愛げのないガキだと思っていた。
そもそも、あの髪の色から俺の子ではなく、女房のひのとが外で拵えたのかと疑っていた。まあ、ひのとはそんな女ではないから、事実俺の子ではあるのだろう。
あいつも俺のことを、母と二人の生活に乱入してきては暴力を振るう嫌な奴、くらいにしか思っていなかっただろう。父と直接呼んだことがない姿勢には、ガキながら意志を感じた。
思えば、家族のことを「気味が悪い」と初めて思ったのは、実弥が産まれてあの髪を見たときじゃなかったか。家族を殴る回数はまだ、少なかった頃だ。


家まではかなり距離があった。歩いているうちに、半ば実弥のことを忘れていた。
そのうち、秋祭りをやっている通りに差し掛かった。家族連れが笑いさざめきながら屋台を見て歩いていて、道は人で溢れかえるようだった。
実弥が傍に来た気配で思い出した。単に人ごみの中で俺の姿を見失いそうになったのだろう。
見下ろすと、自分に見られているとは気がつかずに、実弥は行き交う人々を見ていた。
普通のガキなら、店を見るだろうに。自分と同じくらいのガキが幸せそうに両親と手をつないでいるのを、じっと見ていた。

一緒にはいる。でもこいつが求めているのは俺ではない。どこまで行っても俺は一人だし、お前も一人だ。
「おい。置いてくぞ」
後になって考えても、どうして俺はあの時、あいつに声をかけたのだろう。
「……帰らない」
そしてどうしてあいつは、俺を見返したのだろう。
あの時にいきなり訪れた短いやりとりは、後にも先にも一度もない、普通の父親と息子のようだった。

「母ちゃんが、いなかったんだ」
切り出したのは、実弥のほうだった。
「一緒に居るって約束したのに。帰ってきたら誰もいなかった」
「……どうせ玄弥がらみで病院に駆け込んでたんだろ。いつものことだろうが」
「でも、今日は俺の誕生日なのに」
「……お前、いくつになった」
「6つ」
今日が誕生日だということはおろか、年齢さえも覚えてなかった。

ふうん。
どんどん暗くなる家で孤独に耐えられなくなって、家を飛び出してきたわけか。
玄弥が生まれるまでは、5つになっても母親にまとわりついて離れないような甘ったれだったから、自分が構われなくて鬱憤を抱えていた、なんていかにもこいつにありそうな話だ。
俺でもいいから話したいと思うほどに、かなしかったのだろう。
とはいえ、俺になぐさめの言葉を求めるなら相手が悪い。
 「……次、家を飛び出したら、もう連れ戻ってやらねえぞ」
おら行くぞ。そう言ってはじめて、実弥がさっきまで見ていたものに気づいた。


***


玄弥が父と遭遇してから、2日後。
藤の里の麓で、秋祭りがあった。本当は1ヶ月以上早く行われる予定だったが、台風やら何やらで流れたのだ。
もう11月も下旬だったが、穏やかな小春日和で、里に一つある神社の参道には屋台が並び、人々でにぎわっている。

玄弥はぶらぶらと屋台を冷やかして歩いていた。
ここに来る前に、神社に程近い場所にある、風邸に立ち寄っていた。しかし、住み込みの者から柱会議に出席中だと聞かされた。
玄弥が弟だということは知っていたらしく、御用なら中で待ちますかと聞かれたが、首を横に振った。
会いに来た理由はあったのだが、そのためにわざわざ自宅に上がりこんで待っているのは、なんだか照れくさい気がしたから。

食べ物の屋台には興味はなかったが、皆が楽しそうに店を覗き込んでいるのを見るのは、何となく好きだった。
お面、風車、めんこ、紙風船、こま、10年前くらいならわくわくして覗き込んだだろう玩具が所狭しと並んでいる。
年末に近いから、来年に向けた破魔矢やら、達磨やらを見ているのを面白かった。
「わぁー! これ欲しい」
「いいよ。買ってあげる」
仲睦まじい会話に、ふっと玄弥は我に返った。慌てて声の主を探すと、子供たちに混じって、ひときわ大きな背中が二つ、並んでいた。
誰が買うんだ? とさっき思った、派手な色のカエルのおもちゃを手にとって眺めているところだった。

「炭治郎! 禰豆子! 来てたのか」
そう声をかけると、揃って二人は振り返った。兄妹だけに、やっぱり顔がよく似ている。
「玄弥! 久しぶり」
「お久しぶりです」
二人とも弾けるような笑顔で、玄弥は何だか少し、まぶしくなる。
禰豆子も人間に戻り、こうやって二人で楽しそうにしているのを見ると、柄ではないが心からうれしい。

無惨の死後、炭治郎は鬼殺隊に籍を残しつつ、家の家業である炭焼きに戻った。
ただし、度々藤の里に呼ばれ、柱会議にも出席していると聞いていた。
「何しにきたんだ?」
「うん……」炭治郎の声が少し翳った。
「お館様から頼まれてたんだ。新しい鬼が出てきてないか、調査して欲しいって。その報告で、さっき柱会議に出てたんだ」
「はぁ? 無惨が死んで、全ての鬼はいなくなったんだろ?」
「そのはずだし、少なくとも奥多摩周辺には鬼の匂いはない。そう報告してきた。柱もみんな元気そうで良かった。それに……」
言いかけた炭治郎が急に笑い出した。
「なんだ?」
炭治郎は禰豆子と目を合わせて、更に笑った。禰豆子が言った。
「玄弥さん、ちょっと付き合ってもらえませんか。探しているものがあるんです」
まっすぐに見られて、玄弥は思わず耳が赤くなるのを感じた。
鬼だった頃の禰豆子は、玄弥にとって犬っころみたいなもので、よしよしと頭を撫でても何の違和感もない存在だった。
だが今の禰豆子はその頃が想像つかないほどに大人びていて、よく見ると思ったよりずっと女だ。そのことに気づいて、今更のように玄弥は狼狽した。



その頃。
産屋敷邸では、柱会議がすでに終盤に差し掛かっていた。
産屋敷も退出し、重い議題もなく、間延びした空気が漂っている。

実弥はちょんちょん、と後ろから突っつかれて振り返った。しのぶが眉を上げてこちらを見ていた。
「不死川さん、結局治療に来ませんでしたね」軽く睨まれる。
「あぁ? また頬の傷の話かァ? どいつもこいつも大袈裟だな」
「そういう傷から、破傷風になるんです!」
「もう治ってる」
「治りません。全治三週間です。まだ二日しか経ってないのに、絶対に治りません」
「治ってる!」
二人のやり取りに、「痴話ゲンカかよ」隣にいた宇髄が噴き出した。

面倒くさい奴ら。そんな感情を思い切り表情に出しながら、実弥は頬の絆創膏をはがした。
しのぶと宇髄が、ん? と目を見開いた。
「怪我、違うとこじゃねぇの?」
「いや……本当に、治ってる……のに、なんで絆創膏貼ってたんですか?」
「顔は見えねぇから普通忘れるだろ」
「忘れません普通。自分の顔くらい自分で管理してください」
「うるせぇなぁ……」
こういうやり取りは全く辟易する。実弥は立ち上がった。が、不意に思い出したようにしのぶを見下ろした。
「この間は、厄介な奴を運び込んで悪かったな」
いうまでもなく、この間運び込んだ浮浪者のことだ。実弥と玄弥の父親だ、ということは後になってすみから聞かされた。
「かまいませんよ。蝶屋敷に来るのは、皆大なり小なり厄介ですし。怪我人や病人がいるなら鬼殺隊かどうかに関わらず、診ますよ」
「まだ死にそうにねぇか、あいつは」
「ただ衰弱されているだけで、命には別状はありませんでしたよ」

ふぅん、と実弥は鼻を鳴らした。
丸くなった、とその姿をみて思う。以前の実弥なら、謝るなんて想像もつかなかった。
下手に話しかけ、逆鱗に触れようものなら、同じ柱相手でさえ血なまぐさい殺気をぶつけてきたのは、そう昔の話ではない。
丸くなったといえば、あの弟もずいぶん変わった。玄弥はかなり前から蝶屋敷に通っているが、少し前までは誰とも必要以上のことは話さずいつも周囲を睨みつけていて、すみやアオイを恐れさせていた側だったからだ。
ともに抜き身の刀のようだった二人だが、やっと互いが収まる鞘に再会できたようだ。にこにこしていると、実弥は気持ち悪そうな顔をした。
「もう何にも議題ねぇだろ。帰る」
それに関してはしのぶも同感だった。鬼の出没も報告されていないし、次回から柱会議の間隔を週単位から月単位に開けることも決まっていた。

「いや、まだある!!」
突然その場に響いた場違いなまでの大声に、皆ぎょっとしてそちらを見た。
煉獄が仁王立ちで、実弥を見下ろしていた。それにしても、距離が近い。実弥はのけぞって同僚を見上げた。
「今日は何の日だ? 気づかないのか不死川!」
いきなり話題を振られた実弥は、憮然として首を横に振った。宇髄が頷く。
「実弥ちゃんは時々抜けているからな」
「ああん?」
煉獄の大声に宇髄の冷やかしに実弥の怒りに、辟易していたらしい義勇が立ち上がる。
「それでは私はここで失礼する」
しのぶがその袖をすかさず捉えた。
「失礼しないでください。また皆に嫌われてしまいますよ」
「まるで今は嫌われていないような言い方をするな。もう既に嫌っているから、その懸念は不要だ」
伊黒がすかさず口を挟んだ。甘露寺が焦って伊黒と義勇を見る。
「もう、そんな言い方しちゃだめだよ」
「それで、なんなんですか?」
考え事から、煉獄の大声でちょっと我に返ったらしい無一郎が、一同を見渡した。

実弥は皆の取りまとめ役の、悲鳴嶼を見た。本当に何のことやら分からない。
「失礼致します。少々よろしいですか」
上座側の襖が開き、すでに退出したはずのあまねが姿をあらわした。子供たちの姿はないが、産屋敷も後ろに座っている。
完全に足を崩して車座に座っていた柱たちは、慌てて姿勢を正す。あまねが彼女には珍しく、少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。
そして、背後から徳利と杯が乗った盆をそっと前に出した。人数分、すでに酒が満たされている。
「22歳のお誕生日おめでとうございます、不死川さん」
そう言われて、手をついて頭を下げようとしていた実弥は、思わず前につんのめった。
「誕生日おめでとう不死川!」
煉獄の声に皆がパチパチと拍手し、狼狽した実弥は柄にもなく汗を掻いた。
「いい年して誕生日も何も……」
悲鳴嶼があまねから盆を受け取りながら返した。
「まあそう言うな。柱にとって、生きて年を重ねられるだけでも得難いことなのだから。炭治郎がお前にと、何かを買いに走ったぞ」
「どこに」
「祭の屋台に」
「俺をいくつだと思ってるんだ、あいつはァ……」
あまねが微笑んだ。
「柱会議が誕生日に被ること自体が珍しいですね。……私も時々はこれが楽しみたくて」
本当は、かなり嗜むほうなのかもしれない。一方で飲まないだろう産屋敷も後ろで微笑んでおり、これ以上は何もいえなくなる。

杯が全員にいきわたったところで、産屋敷があたたかい声をかけた。
「おめでとう、実弥」
「アリガトウゴザイマス……」
あまりに似合わない言葉に、皆が笑いを堪えながら杯を空にした。





update 2019/11/23