今日が実弥の誕生日だと聞かされたので、お祝いの品を探しに来た、と炭治郎と禰豆子は言った。
過去何度も対立したことがあるが、今は屈託なさそうなのが玄弥はうれしかった。
それにしても、こんなところに兄が喜ぶものがあるのか? 弟だから当然分かるだろうと思われているが、役に立てるものか地震がない。
それでも、それを口実に、三人であれやこれやと屋台を見て回るのは楽しかった。

―― それにしても、何かを誕生日に贈るって発想がなかったな……
おめでとう、と伝えたいとは思っていたが、極貧だった不死川家では、贈り物を渡すような習慣はなかったから。
せいぜい、精一杯の好物が夕食に出てくるくらいのものだった。でも、あの頃は楽しかったな、と思い出す。
きょうだいのなかで実質父親の立場で、別格だったのが実弥。
誰もが実弥の言うことは聞いたが、その一方でいつもなけなしの食事を下のきょうだいに譲り、何かある度庇ってやっていた。
大柄とはいえ、実弥が玄弥よりもわずかに小柄なのは、あの時無理したのが原因じゃないかと思うくらいだ。
二番目が玄弥で、三番目以下はどんぐりの背比べのような関係だった。
文字通り身を寄せ合って暮らしていた、でもじゅうぶんに幸せだった。
あの父親がいなければ。

ただ、二日前に再開した父のことは、不思議なほどに気にならなくなっていた。
形式上の父親で、お前とは違う、と兄から言われたことで、心の折り合いがついた気がしていた。
父とは互いに情はなく、これからも接点を持ちたいとは思っていない。
仲が良い父子は世の中に腐るほど居るが、自分たちはそうでなかった、それだけの話。
それなら、もうそれ以上は何も考えるまい。
自分には兄が居るし、師も仲間も居る。だからそれでいい、と割り切っていた。

「……玄弥?」」
気づけば、炭治郎と禰豆子が下から覗き込んでいた。ぼうっとしているように見えたらしい。
「ああ、何でもねぇよ。どうした?」
「これから産屋敷邸に、これを持って行こうと思うんだけど。実弥さんまだ居そうだしね。玄弥も一緒にどう?」
「……いや、いいや。もう少しこの辺見てるから」
玄弥も含めて通常の隊員は、産屋敷邸の場所をそもそも知らされていない。炭治郎と禰豆子が例外なだけだ。
もう鬼は居ないとはいえ、その規律を破るのは気が引けた。

「そうか。あと何日か、宇髄さんとこに泊めてもらってるから、また会おう。玄弥は悲鳴嶼さんのとこにいるんだよね?」
「ああ」
「じゃ、会いに行くよ」
二人が手を振りながら、去っていくのを見送る。
それにしても、あれを渡された時の兄の反応は少し見てみたい、と思った。


***


思いがけず炭治郎と禰豆子に会い、いい気分だった。
玄弥はほとんど食べ物を摂らないが、酒の一口くらいは口にしたい気分だった。
参道を出て、ちょい飲みの屋台が並んでいる場所を通りかかった時、その気分を台無しにする声を聞いた。
「いい酒だった。ここの支払いは、不死川実弥につけておいてくれや」
「はぁ? 風柱様のことですかい? お知り合いで」
「父親だ。顔見りゃ分かるだろ」
「はぁ……まぁ、確かによく似てらっしゃるが」
まだ近くにいたのか、と不快感が胸にせりあがってくる。
見ると、すぐ脇の屋台で、知っている背中が見えた。買い換えたのか、ずたぼろだった服は別のものに変わっているが、父だ。
もう関わるな、と兄の言葉が耳に蘇り、とっさにそちらに向かおうとした足を止める。背中を向けようとした時、会話の続きが聞こえてきた。
「で、この辺に女が買える店はあるかい」
「あんた、息子の金で女遊びかい? そういうのを、ろくでなしって言うんだよ」
「あぁ? てめぇの知ったことか?」
ばたん、と音を経て、父が椅子を蹴倒して立ち上がった。その巨体は、屋台の天井を凌ぐほどに高い。
やめてくれよ、という声を聞いた時には、玄弥はずかずかと父に歩み寄り、肩をつかんでいた。

「おい。いつまでこの辺をうろうろしてんだ。迷惑なんだよ。とっとと出てけ」
「またお前か」
父は顔をしかめて振り返ったが、こっちの台詞だと思う。
それにしても、二日前に比べて、明らかに生気が戻っていて10歳くらい若返ったように見える。
兄の金で十分に食事を摂り遊び、身なりも整えたらしい。
こけた頬が少し戻った姿は、確かに、兄や自分によく似ていた。
「便利なんだよこの辺は。実弥の名前を出せば全部タダになるからな」
いけしゃあしゃあと父は言った。この調子では、連絡はとっくに実弥のほうにも行っているだろう。
「その金は、兄貴が柱として命懸けで戦って、人を守ってきた証拠なんだぞ。あんたのくだらねぇ道楽のためにあるんじゃねぇ」
言いながら、むかむかと怒りがこみ上げてくるのを感じた。
「近づくな。俺たちの父親を名乗るな! 親じゃねぇし、子でもねえ」


父と玄弥が至近距離でにらみ合った、その時。
「鬼が出た!!」
遠くのほうで叫び声がして、玄弥はハッとそちらに目をやった。さっき炭治郎たちと屋台を見ていた参道の辺りだ。
声を聞くと同時に、身体が反応して玄弥は駆け出した。

―― 鬼? まさか……
そんなはずはないよな、とすぐに走りながら気がついた。
鬼は絶滅しているはず。それに、考えたくはないが万が一鬼がまだどこかで生き残っていたとしても、今はまだ夕暮れだ。
鬼は日の光を浴びれば死ぬから、夕暮れだろうが少しでも日光が残っている間は現れない。

果たして、玄弥が駆けつけると一人の男が暴れているところだった。
人々が悲鳴をあげながら逃げ惑うなか、屋台を蹴飛ばし、訳の分からないことを泡がこびりついた口から撒き散らし、手にした匕首で周囲を威嚇している。
酒に酔っているのか、阿片でもやっているのか、明らかに正気ではない。
しかし、鬼ではない。鬼殺隊員から見れば、目が赤くない時点で一目瞭然だった。

鬼でなかろうが、居合わせた以上は放置するわけにもいかない。
取り押さえようと玄弥が動く前に、鬼殺隊員たちが何名か、いっせいに男に飛び掛った。
鬼を相手にしてきた隊員たちに取ってみれば、男を一人取り押さえるくらい何のこともない。
たわいなく地面に押さえつけられ、腕を縛りあげられる。

周囲を見渡したとき、参道の手前のほうから、実弥がやってくるのを目にした。
実弥の顔は藤の里に住んでいる者なら皆知っている。さらに、この藤の里は風の管轄のはずだ。人並みがさっと割れ、実弥を通した。
「不死川さん!」
駆け寄ったのは、確か風の甲に当たる階級の隊員だった。
「すみません、お越しいただいて」
「鬼じゃなかったろ」
「はい」
「……正気に戻るまで、鬼殺隊の牢にでも放り込んどけ」
地面に押さえつけられたまま何やら喚いている男を一瞥してそう言った。実弥は周囲を見回し、
「おい、見せもんじゃねえぞ! 鬼じゃねぇ、ただの酔っ払いだ」
とこともなげに言った。

ほっとしたざわめきが周囲に広がり、
「鬼じゃなかったのか」
「良かった……」
人々の声が耳に届いた。
鬼が絶滅したことは、もう人々には広く伝わっているはずだ。しかしそれでも、人々の心の中には、鬼に対する恐怖が深く残っているのだと、思い知らされる。
人々が鬼を忘れるのは、どれくらい先のことになるだろう。


声をかけようと近づいた時だった。急に、ピリリと空気が張り詰めた。
―― 何だ?
全身の産毛が逆立つような気配が、水紋のように辺りに広がっていく。
一般人は気づいていないが、隊員たちは皆いっせいに表情を変えて周囲を見回した。張り詰めた空気の中心を探して、玄弥は絶句した。
「兄貴……」
そこにいたのは実弥だった。右手の親指で刀の鯉口を切り、わずかに腰の重心を下げていた。
ほんのわずかな動きだったが、それだけのことで場の空気が明らかに変わった。
周囲をうかがう眼光は鋭く、殺気がみなぎっている。緊張している、と言ってもよかった。

「……鬼か?」
駆け寄り、短く訊ねる。
事実だとすると、二重の意味でありえない事態だ。
無惨の死後、鬼が初めて現れたということ。そして何より、今はまだ日没前だということ。
しかし玄弥には、鬼らしきものの姿は見えなかった。
「玄弥か」
実弥は視線を周囲に向けたまま言ったが、少し表情を和らげたようだった。口を開く前に、
「不死川」
音もなく姿を現したのは伊黒だった。彼もまた、刀の柄に手をやっている。
ざっと周りを見回して、実弥のところへやってきた。
「何があった? 鬼ではなさそうだが」
「……今、一瞬だが鬼の気配を感じた気がしたんだが……」
兄には珍しく、歯切れの悪い口ぶりだった。話しながら、刀身を鞘に戻していた。
「今は何も感じねぇ。気のせいか……?」
「……鬼の気配、か」
伊黒はなんともいえない表情をした。本来、鬼には気配、というものは存在しない。
それでも、幾多の鬼を相手にしてきた実弥の言葉には説得力があった。

実弥と伊黒はその場を離れ、小声で二人で話をしていた。風の甲の隊員も混ざり、
「……報告するか?」
「いや。……」
途切れ途切れに会話が聞こえてくる。どうやら、産屋敷に報告をあげるかどうか話し合っているようだ。
ここで自分も甲かせめて乙の兵なら会話に入れるのだが、悔しいが玄弥はそこまでのレベルに達していない。

見守っていると、実弥の声がひときわ大きく聞こえた。
「ま、もうしばらくこの辺にとどまってみるさ。風の隊員も増員する。それでいいだろ」
「……分かった。なにかあれば援護するから声をかけろ」
伊黒が頷くのが見えた。実弥も頷き返し、会話を切り上げると玄弥のほうに歩いてきた。
「いったん、俺の権限内で対処することにした。おまえは帰っていいぞ」
「それなら、俺だってここにいるよ」
伊黒が背後から声をかけてきた。
「お前の鬼喰いの弟か! ……まさかそいつに反応したんじゃないだろうな」
「阿呆か。そんな訳……」
言いかけた実弥が、言葉を止める。伊黒が、玄弥ではない方を見ていることに気がついたからだ。
「……ん? 別人か?」
伊黒が見ていたのは玄弥ではなく、こちらへダラダラと歩いてきた父のほうだった。
伊黒は彼には珍しくぽかんとして、実弥、玄弥、父、と順番に見た。
「……妙に弟が老けたと思ったら」
「やめろ」
「やめてください」
実弥と玄弥がほぼ同時に言った。



伊黒が去ると、実弥は改めて父に向き直った。やたらと元気そうな姿を見て、嫌そうな顔をする。
「出てけと言っただろうが。あちこちでツケてきやがって」
「ケチケチすんなよ。柱の給料は言い値なんだろ? 親を養うのは成人した長男の義務だろうが」
奇しくも先日、実弥自身が口にした言葉と一緒だったが、
「……早く死ねばいいのに」
ぽろりと実弥がこぼした言葉に、玄弥も心から同意した。

暴れていた男はとっくに連れ出され、何事もなかったかのように祭の喧騒が戻っていた。
その時、5〜6歳くらいの男の子が一人、つつ……と実弥の後ろに近づいてきた。そして、その背中を突っついたように見えた。
「なんだ?」
玄弥が覗き込むと、実弥が背中のベルトに青い風車を差しているのに気づいた。上着の陰になって今まで隠れていたものらしい。
実弥が振り返ると、子供はその風車をちょんちょん、と突っついて回そうとした。
「いいなぁ、これ」
「こら! 風柱様、申し訳ありません」
飛んできた母親が、その子供の襟首を引っつかんで引き剥がし、慌てて頭を下げる。
「買ってやれよ……」
しきりに恐縮している母親に、小銭を渡しているのが微笑ましかった。

「……なんの冗談だ、そりゃ」
父が風車を指差すと、実弥は嫌そうな顔をした。
「誕生日とやらで、隊員にさっき渡されたんだよ」
間違いなく炭治郎と禰豆子のことだ。
「風柱だから風車って、馬鹿にしてねぇか?」
一緒に選んだとは言えなかった。
明らかに不釣合いなのに、さっきの子供にやってしまわなかったのは一応贈り物だからだろう。
その辺りが顔に似合わず妙に律儀ではある。


「もうしばらくこの辺にいるんだろ。ならちょっとつき合えよ」
父は実弥に向かって酒を飲む手つきをしたが、実弥は視線だけで拒否した。
息子たちと親交をあたためる気がこの父にあるはずはなく、どうせ禄でもない話だ、と玄弥も思う。
「父親の誘いは受けるもんだ」
「お前が父親らしかったことが一度でもあったか?」
ふむ、と父は考えたようだった。ほどなく、あぁ、と大声を出した。
「あった! その風車見て思い出した。お前の6つの誕生日、屋台で同じような青い風車買ってやったろォ」
玄弥は実弥を見た。記憶の限り、父が子供に何か買ってやったところなど見たことがない。
むしろ母や実弥、玄弥が必死で稼いできた金を使い切るイメージしかない。

実弥は訝しげな表情で首を横に振った。
「覚えてねぇのかよ。あの時だよあの時! お前、家出したら帰り道わかんなくなって、泣きべそ掻いてたろ」
「兄貴が家出なんかするはずねぇだろ……なぁ?」
と玄弥が振り返ってみると、実弥はうつむき、左の掌で顔を覆っていた。
「ええ? 本当なのかよ!?」
父と玄弥の声は大きい。否が応でも周囲の注目を集め、周りがどよめいた。
「ほら。ここにいると気まずいぜ。こっちへ来い」
「……」



屋台の店主は、さっき追い出したと思っていた男が、今度は実弥と玄弥を付き従えて戻ってきたから驚いた顔をしていた。
「―― 風柱様。忠告させていただくが――」
「こいつが禄でもねぇのはよく分かった上でつき合わされてんだよ」
忌々しそうに実弥は言った。
「……何か飲みますかい、もう一人の若い人も。風柱様のご兄弟なんでしょう。顔がよく似てる」
「―― こいつは」
飲まない、と兄は言おうとしたのだろう。鬼喰いは食事を摂らないことを知っているからだ。だから、
「俺も飲む。一杯くれ」
と玄弥が言うと、少し意外そうな顔をした。

実弥をはさんで、父と玄弥が両隣に座る形になった。前には、杯が一杯ずつ置かれている。
この兄が子供の頃に家出をした、という事実は玄弥にとって衝撃だった。
玄弥の知る兄は、いつも忙しかった。外では大人に混ざって働いていたし、
家では兄であると同時に、必要であれば父と母の役割もしていた。家出などする暇があるはずもなかった。
「……なんでまた、家出なんかしたんだ?」
押し黙った実弥に変わって、父は打って変わって膝を打って笑い出した。
「また思い出した! 原因はお前だ、玄弥」
「は? 俺が、なんで……」
「お前が産まれて、母ちゃんを独り占めにできなくなったから、ふて腐れて家出したんだよ!
一人っ子の時は、一言目には母ちゃん、二言目には母ちゃんで、こんなに甘ったれなガキは見たことがねぇとその頃思って……」
実弥に椅子を蹴倒され、父はひっくり返った。ひっくり返ってもまだ笑っている。
「暴力はいけねぇよ、風柱様」
そう言いつつも、店主も声が震えている。
鬼殺隊で最も恐れられている風柱の意外すぎる過去に、笑いを堪えていることは想像に難くない。
「まぁ、言ってる間に次々弟妹生まれたから、お前も長男らしくなったな。俺のおかげだ」
椅子を直し起き上がった父は、追加の酒を注文しながら言った。
「いい加減黙らねぇと黙らせるぞ」
「しかし、風柱か。おまえは昔から妙に、風車だの紙飛行機だの、風で遊ぶのが好きな、変なガキだったな」
「……関係ねぇだろ」

かつて一方的に暴力を振るう側と受ける側だった二人が、普通に話をしているのを見ても、不思議と腹が立たなかった。
玄弥には、父と、まだ幼かった兄が二人で歩いていた姿が見える気がした。それはきっと今日の、秋祭りのような雰囲気だったのだろう。
兄がちらりと屋台で売っていた風車に目をやり、それに気づいた父が買ってやるところまで、目に浮かんだ。
自分にとっては父はただのろくでなしだったが、玄弥が生まれるまで、実弥が一人っ子だった時代は5年間はあるわけだ。
父が化物ではなかった記憶が、この二人にはあるのかもしれない。





update 2019/11/25