その頃。
そんな悪だくみが進行しているとは露知らず、日番谷冬獅郎は書類に視線を落としながら、十番隊隊首室への廊下を歩いていた。
―― この仕事は、松本に振ってやるか。
乱菊の実力なら問題なく倒せる虚だし、なにより場所が空座町だ。
空座町にお気に入りの服のブランドがあると言ってはばからない乱菊にこの仕事をやるのは、甘いのかもしれないが。
まぁ、今やっている山積みの仕事をかたづければ、これくらいの役得はいいだろう。
「おい、まつも……」
指令書を片手に、隊首室の開いたドアから中を覗き込もうとした時だった。
「はーい、ちょっとごめんよ」
その声は、すぐ耳元で聞こえた。

「て……」
てめぇ、京楽! そう言おうとした言葉は、顔に伸びてきた大きな掌にあえなく遮られる。
「縛道の二十六、曲光」
囁かれた言葉と同時に、日番谷と京楽の周囲に、巨大な鏡のような物体が現れた。
縛道の一種で、外からの光をかく乱し、その術をかけられた者の姿を、外からは消してしまうものである。
「声は聞こえちゃうから。静かに頼むよ」
声を出すどころか、肩と口を両手で押さえつけられているために、動くことさえままならない。
白昼堂々、隊長が他の隊長を捕らえるとはいい度胸だ。

氷輪丸を使って思い切り暴れてやってもいいが、それにしても当惑のほうが強かった。
思い切りにらみつけてやると、京楽は怒る力も抜けるようないたずらっぽい笑みを返す。
「今から、面白いものが見られるからさ。ちょっとだけ我慢してよ」
それは、わざわざ俺を無理やり押さえつけるほどのものなのか。どれだけ面白いんだそれは。
日番谷が回りに視線を走らせたとき……視界に飛び込んできたありえない人影に、息を飲んだ。



―― お、俺?
死覇装姿に、「十」の数字がくっきり刻まれた隊首羽織。銀髪に白皙の肌、翡翠色の瞳を持つ少年。
これが日番谷冬獅郎でなくて、一体誰だというのか。
あまりのことに、きょとん、と目を見開いたままの日番谷に、京楽がそっと耳打ちした。
「あれだよ。現世で君が使ってた義骸。キングだったっけ」
あれかアァァ! 口をふさがれていたのでなければ、そう叫んでいただろう。
アレは現世から戻ってきた時に、技術開発局に返却したはずなのに。

京楽は、日番谷の疑問を見透かしたように続けた。
「義骸はただの器だけど、義魂丸は使い続けるうちに、それぞれ独自の意思を持つって言うしね。
乱菊ちゃんに会いたい一心で、逃げ出してきたみたいだねぇ」
経緯は、どうだっていい。しかし日番谷の心を凍りつかせたのは、後半の一言だった。
まさか。まさかとは思うが、アイツ。

ドキドキしてるのが一目で分かる、上気した頬。
大きく見開かれた瞳は、副隊長席で必死に書類と格闘している乱菊に注がれている。
ごくり、と唾を飲み込むのが分かるような、硬直した全身。
そんな経験は金輪際ないが分かる。この外見だけは自分にそっくりなキングが、一体なにをしようとしているのか。


「あれ? 隊長? どうしたんですか?」
目の前に差し込んだ影に、乱菊がようやく気づいて顔を上げた。
「ら、ら、乱菊さん……」
はい? と乱菊の眉が跳ね上がる。乱菊、なんて日番谷が呼んだことなど一度もないのだから当たり前だ。
「てめっ、はなせ……」
日番谷は全力でもがいたが、京楽は余裕の表情である。
「いーじゃない、一花咲かせてあげても」
一花咲かせるのは勝手だが、それに人の姿を使うな。

「じ、じじじつは、伝えたいことがあるのだ」
気づけ! 日番谷は心の中で念じる。
明らかにソコのソレは俺じゃねぇだろ。言葉遣い間違ってるし、大体キャラが別人だ。

「は? ていうかあんた、誰?」
と、あからさまに不審な視線を向ける乱菊もしくは、
「やーだ、何言ってんですか隊長ったら」
全く本気にしない乱菊を想像した、その時。
日番谷は思わず、抵抗も忘れて目の前の風景に釘付けになった。

「な、なななんでしょう」
お前も義骸なのか? そうなのか? と言いたくなるほどに、別人と化した乱菊がそこにはいた。
いつも豪快なその姿が嘘のように、その頬は赤く、そもそも日番谷(キング版)を正視できないもようだ。
「じ、じつは、俺はずっと君のことを……」
「はいっ!」
ちょっと待て。ちょっと待て。そのまま続けられては困る。
日番谷は、まるで昼下がりのメロドラマに見入る主婦のように、その場に釘付けになっている京楽を焦って見上げた。

「それは俺が言うんだ!」

え、と京楽が日番谷を見下ろした。その大声に、乱菊とキングが扉のほうを見やる。
パリン、と音を立て、曲光が砕け散る。
そこに落ちた沈黙には、気まずい4人が取り残された。