ひとりの女が、純白の庭に裸足で立ち、樹一杯に花を咲かせる紅椿を愛しげに見上げている。
その小さな後姿を隠すように、大きな牡丹雪が音もなく、庭にさくさく降り積もってゆく。
空も白く、雪にけぶって見える地上との境界線も見えないくらいだった。

辺りは静寂、そのものだった。

雪や空や地の白さに、音という音が吸収されてしまったように。
その場に立ち尽くしていると、辺りから白い壁が迫ってきそうな、妙な息苦しさを感じた。

「桜の花が赤いのは、下に死体が埋まっているから・・・なんて、きっと嘘」
その女は、それこそ椿のように紅い唇から言葉を紡いだ。
「こんなに血の色の花があるのに」
手に摘んだ椿のビロウドのような花弁を、下にはらはらと落とすと、私の方を振り返った。

艶やかな着物を雪の中に翻したような、そんな衝撃が私に走る。
漆黒の髪が、動きにあわせて一つの生き物のように揺れる。
そして驚くほど大きな瞳は、異様なほどに澄み渡り輝いている。

「私は朽木白哉(くちきびゃくや)。そなたは・・・何者だ」
「ヒサナ」
妖しいまでに美しい女は、そう言って微笑んだ。

 

花の名  

 

パチパチと音をたて、囲炉裏の炎が爆ぜた。

パキッ!

ひときわ大きな音に、私は目を覚ます。
上半身を布団の上で起こすと同時に、胸に激痛が走った。
傷を見ようと胸に手をやり、その辺りに漂う、かすかな霊圧の残り香に気付く。

――治癒能力か。
四番隊にこのような霊圧を持つものはいないはずだ。
そもそも、このような流魂街(ルコンがい)の僻地に、四番隊が居合わせるはずが無いのだ。
傷を負ったその時は重傷だと思ったはずだが、傷は既にふさがっているようだった。

痛みをやり過ごして周囲を見回すと、そこは10畳ほどの座敷、3畳ほどの土間だけの、粗末な小屋だった。
壁は荒く木の板を張り合わせ、隙間を蝋か膠(にかわ)のようなもので塞いであるだけのものだ。
私が寝かされていた座敷の中央には囲炉裏があるが、家の主人の長い不在を示すかのように、既に燃えつきかけていた。

その時、近づいてくるかすかな足音に、戸口のほうに目をやった。
ガタリ、と音がして、粗末な着物を着た娘が、伏目がちに現れた。
昨日、ヒサナと名乗った娘だ。腕には細い枯れ木の束を抱えている。

引き戸の向こうは、しんしんと音もなく降り続く雪。
雪とその娘の姿は、まるで額縁に入れた絵のように見えた。

「・・・そなた。霊圧があるのか」
薪を囲炉裏の脇に置き、無言で私のそばに正座した娘に、私は問うた。
すると娘は、ずっと伏せていた瞳を上げ、まっすぐに私を見た。
何かを訴えようとしているかのような目だ、と私は思う。
昨日会ったときと同じように、黒曜石のような輝きを放っている。
「霊圧、というものを私は存じません。しかし、傷を治すことは、少しだけできます」

それきり娘は無言になり、枯れ木を短く折り、囲炉裏の中にくべた。
その手は、白を通り越して青白い。
しかし、よほど寒風に吹かれたものか、その指先は血がでているかのように赤かった。
多少の痛みがあってもおかしくないが、娘は何も感じないように、無心に木の枝を折り、火にくべ続ける。
やがて、湯のような温かさが狭い部屋を覆った。

娘は手を休めると、ポツリと言った。
「・・・あなたが昨日、月斎(げっさい)と戦っている所を見ました」
月斎。それは、私が総隊長より直々に、討伐の命を受けた流魂街の住人の名だった。
流魂街の者が霊圧を持つ確率は多くは無いが、それでも全土で見れば数多く要る。
中には、死神でもないのに斬魂刀を携える者さえおり、死神と同等の力を得た者は、かなりの確率で反旗を翻す。
月斎はその筆頭にもあげられる人物だった。

――しかし、あれほどとは・・・
月斎の仲間は、ほとんど斬り捨てた。
そして、それを見た月斎が振るった渾身の一撃は、私の技を潜り抜け、この胸に傷を負わせた。
月斎の残党に追われて彷徨ううち、この娘に出会ったのだ。

「ヒサナと申したな。なぜ、あのような所にいた?」
あの辺り一帯は、月斎の縄張りだったはずだ。
「生き別れの妹の手がかりはないかと思い、月斎に面会を乞いました。
丁度2日前のことです」
「生き別れの、妹・・・?」
「月斎は、反乱を起こす前、現世で同時に死んだはずの息子を探し、百年近く流魂街全土を彷徨っていたと聞きます。
私が探す妹にも、もしかすると会っているかもしれぬと・・・わずかな可能性を求めて、この地にやってまいりました」
「そして、見つからなかったのだろう」
私がそう返すと、娘はまた、私の顔を見返したまま、黙った。

「流魂街は広大で、人一人捜すのは不可能だ。そのような愚行は即座にやめることだ」
「愚・・・行」
「情とは、執着に過ぎぬ。護る愛するなどと言っても、それは自己満足に過ぎぬ。
本分に従い、静かに流魂街で暮らすがよい」

娘は私の言葉を、静に考えるように聞いていた。
そして、それには何も答えず、私の胸の前に手をかざすように置いた。
その手が灯りに似た朱色の光を発し、それと同時に、疼いていた私の傷の痛みが引いていく。
その手を間近で見ると、今ついたばかりのような細かい傷が無数にあり、さきほどまで血を流していたような生々しいものもある。
それを問いただそうとして娘の顔を見た。

泣いている。

あの黒曜石のような瞳を、濡れた睫が彩っていた。
ぽつり、ぽつり、と涙が膨らみ、頬を音もなく滑ってゆく。
なぜ、あのようなことを口にしたのかは分からない。
「そなたの妹とやらは、どのような外見をしている?」
娘は、弾かれたように顔を上げた。そして、ややおいて、静かに首を振った。
「名前は、ルキア。
髪と瞳の色は黒。私に似ているかもしれませぬが、分かりません。
私が妹と別れたのは・・・いえ、妹を見捨てて逃げたのは、まだ妹が赤ん坊の時でしたから」
そして、私を見上げた目は、諦めながらも問いかけていた。その妹を知らぬかと。
私は、無言で首を振った。もとより、流魂街の人間に普段、接点などないのだ。
ヒサナに、ルキア。精霊廷の中では聞かぬ種類の名だ。
貴族の名は必ず漢字と決まっている。カタカナ名は、下賤とされている。
この娘の境遇を見れば、身分などは考えるまでも無いが。

娘は唇を噛み、目を伏せた。
「あなたが、おっしゃるとおりです」
娘は、しばらく置いて呟いた。
「人が、人を、護ることなど、できはしないのです」
妹を護れなかったことを言っているのか、それとも一般論を言っているのか、私には分からぬ。
娘は、流れる涙を止めようともせずに、私を再び見つめた。
「それでも、失った半身を求めるように、誰かを求め彷徨い続ける。
人は、ひとりでは完成しないのです。
それが人の、本分というものではないのでしょうか?」
「・・・分からぬな」
私は少し置いて返した。
「分からぬ。人は、人を必要としない。必要だと感じたことも無い」
その言葉に、娘はまぶしそうに私を見た。
そして、かすかに、口元に笑みを浮かべて呟いた。
「護る人を持たない人と、護る人を失った人と、どちらが寂しいのでしょうね」