明朝。
戸を開けると、既に雪はやんでいた。
うっすら光が差す程度に曇っているため、白銀の世界でも眩しいほどではない。
振り向くと、薄暗い部屋の片隅で膝を抱き、眠る娘の姿が見えた。
「・・・世話になった」
私はそう呟くと、右の手のひらを上げる。
その手の中に、半透明の四面体が現れ、小屋を包み込む。
鬼道の一つ、「鏡門(きょうもん)」と呼ばれる結界を張る技だ。
内側からの衝撃には弱いが、外からの攻撃には強い。
月斎とやらが私の霊圧を追い、ここに追ってきたとしても、ここにいれば侵入はできないだろう。
私は結界が小屋を覆っていることを確かめると、戸を閉め、白銀の世界へと足を踏み出した。
まだ傷が癒えきっていないのか、思い出したように胸が痛んだ。
ぎし、ぎし、と雪が真新しい音をたてる。
丘の上で来し方を振り返ったとき、私はふと目を留めた。
「墓、か」
森が開けた場所のところどころが、人ぐらいの大きさに盛り上がっている。
そして、膨らみの中心には、枝がつきたてられていた。
そして、かすかにその周辺から、私はあの娘の霊圧を感じ取る。
「月斎の部下を、埋葬したのか・・・」
私が斬り殺した月斎の部下の数と、木の枝の数は、ぴたりと一致した。
傷ついて気を失った私を小屋に運んだ後に現場に戻り、一人一人埋めたとでもいうのか。
なんのために・・・
私は、改めてその場所を見渡した。
名も無き者の墓標は、雪の中でどこまでも清浄だった。
「おぉ、白哉様。戻られましたか」
精霊廷、朽木家。門の前でどれほど立っていたのか、老僕はかすかに疲れの見える表情で、私に向かって頭を深く下げた。
私の死覇装に、血痕があることを瞬時に見たのだろう。
「白哉様、お怪我を・・・」
「かまうな。既にふさがっている」
一歩歩み寄った清家を制する。
清家(せいけ)は物言いたげな目で私を見上げたが、何も言わず下がった。
「本日の五大貴族の会合ですが、いかが・・・いたしますか?」
「予定に変更はない。お通ししろ」
今年は、五十年に一度の、神具「王印」の奉納場所を転移する年に当たっている。
五大貴族が代々その任を負うが、今年は朽木家がその役割に当てられていた。
何百何千もの年を重ね、連綿と続けられてきた貴族の伝統。
精霊廷の秩序を守るためには必要な儀式だった。
「清家。ひとつ、調べてほしいことがある」
すれ違いざま、私は老僕に声をかけた。
五十畳ほどの仏間で、私は先祖の霊に手を合わせていた。
正月も過ぎ、三が日の間に飾られていた装飾は既に取り払われていたが、線香の香りが濃厚に漂っていた。
ちら、と私の目の先で、蝋燭の炎が揺らめく。
それは私に、昨夜の娘の、何かを訴えかけるような目の輝きを思い出させた。
「――白哉様」
引き戸の外で、静かな清家の声が聞こえた。
「何だ」
「さきほどの件、調べがつきましたので、ご報告申し上げます」
引き戸を開けたまま、次の間に座して清家は続けた。
「月斎という者の息子の消息はすぐ分かりました。
今より約百年前、現世から草鹿に送られて直ぐ、現地で暴漢に襲われ、命を落としております」
「・・・そうか」
私は、それだけ答えて清家を下がらせた。
あの娘は、月斎が反乱を起こす前の百年間、息子を捜していたと言っていた。
現在は捜していない、と取れるその言葉はつまり、息子の無残な死を知り、治安の悪いエリアに息子を送った精霊廷を憎んでの反乱、ということなのか。
――そのような背景は、指示にはなかった。
それを思い、瞬時にその考えを振り捨てる。
当然ではないか。そのような背景など理由にはならぬ。
治安を維持し、ソウル・ソサエティの秩序を守ること。
それが、護廷十三隊の隊長たる、私の役割ではないか。
その時、廊下から男女の声が高く響いてきた。
その声に耳を澄ませ、私はため息をつく。
――志波(しば)海燕(かいえん)。
五大貴族の一人で、私たちの代では最年長の男。
私はこの男と反りが会わぬ。
厭うている訳ではない。纏っている空気が、そもそも違うのだ。
そしてこの声、その妹、空鶴(くうかく)と、四楓院(しほういん)家の息女、夜一(よるいち)が訪れたに違いない。
とはいえ、当主の私が出向かぬわけにはいかぬ。
私が膝に手を当て立ち上がろうとしたとき。違和感を感じて動きを止めた。
――この気配。
私が今朝張った「鏡門」の周りに、強い霊圧が近づいている。
「・・・月斎か」
討伐命令が出ている以上、いずれ近いうちにまた対峙することになる。
しかし、人一人の討伐と五大貴族の会合では、重さは計るべくも無い。
おそらく月斎なのだろう、強い霊圧が何度も「鏡門」にぶつけられるのを感じる。
――娘に、あの地を離れるよう、言っておけばよかったかも知れぬな。
月斎に面会を乞うた二日後に私が月斎を襲撃に訪れたことは偶然だが、邪推できないことではない。
その上、あの娘が私の看病をしたことが知られれば、娘が密通者であったとの推測は確実に真実味を帯びてくるだろう。
そうなれば、娘の命はあるまい。
鏡門の中にいる限り、身の安全は護られるだろうが・・・
そう思った時だった。
ふ、と娘の重さが無いような白い手が、結界に置かれるのを感じた。
その手の傷は、いまだ癒えていない。
そのまま力を入れ、一歩、外に踏み出した。
「・・・なに」
乳白色に見えていた結界の壁が霧消する。
娘の霊圧が、月斎のそれと対峙するが、その力の差は比べるべくも無かった。