朝焼けが、夜の闇を連れてくる。
 ジェオはコックピットに座り、もうすぐオートザムへ到着するというアナウンスを聞いていた。見なれた祖国の基地が見えるに従って、観念に似た気持ちが頭をよぎる。これから、自由に大気を深呼吸さえできない国に戻らなければならないのか。もちろん、祖国を愛する気持ちは十分にある。しかしジェオにとって、上司であり、親友でもあるイーグルが不在のオートザムは、気の抜けた炭酸のように味気ないものだった。

 美しい宇宙の向こうに、ドス黒い惑星が見える。オートザムに近づいていくにつれ、星の色が黒いのではなく、星の周囲を取り巻く雲の影響で全体が黒っぽく見えるのが分かる。人が住めないほどに大気が汚染された星、オートザム。今は夜明けの時間帯のはずだが、大気汚染により朝と夜の見わけもつかない。自分たちが正しいと信じ、発展させてきた結果が、これだ。厚い雲の中に突っ込んだ時、ジェオは渋面を浮かべていた。

「はやく着かねぇかな」
 隣で、目にも止まらない早さでキーボードを叩いているザズは、対照的に機嫌が良かった。その隣には、クレフが創ってくれた土産が大事そうに置いてある。ジェオの目には大きなしゃぼん玉のように見えるが、その中にセフィーロの空気が閉じ込められていると言う。何日にも渡る旅の間も壊れることなく、きらきらと輝いて見える。妹に渡すのが待ち遠しいのだろう、ちらりとそれを見やる目は、楽しそうだった。そうか、とジェオは不意に気づく。今のオートザムを心から愛せるかどうか。それは、大事な者がその星にいるかどうかで変わってくるのだろう。

 その時、ピーピーと甲高いアラート音がコックピットに鳴り響き、ジェオは我に返った。
「なんだ? またか」
 背後を振りかえり操縦士に声をかける。軍服を纏った若い男が、眉をひそめて返した。
「はい。大気中にある何かがレーダーに干渉しているようで、もうこれで今日で8回目です」
「何かが干渉って……」
 ザズは怪訝そうな顔をしたが、ジェオは手を振った。
「航行に問題ねぇなら後回しでいい。戻ってから調べればいいさ」
 ジェオは渋面を浮かべ、コックピットから見える分厚い雲を眺めた。特にいつもと違う要素は見当たらず、こんなことは初めてだった。戻ったらレーダーの故障でないか調べる必要があるな、とジェオはため息をついた。

 雲の中を突っ切り、視界が一気に開けた時、ジェオは目を見開いた。
「……なんだぁ?」
「どうしたんだよ、ジェオ」
「見てみろ、前を」
 ジェオはコックピットに身を乗り出し、基地の方を指さした。ん? とザズが怪訝そうに眉をひそめた。
 オートザムの首都の外れにあるこの基地には、常時何隻かの戦艦が停泊している。しかし今、その数が何倍にも膨れ上がっていた。
「……10、11……12隻もいるぜ」
 ザズも顔色を変えている。
「戦争でもおっ始めようってのか」
 二人は顔を見合わせた。おかしい、と思った。もしも本気でどこかの国と戦争をしようというのなら、その情報はジェオにも来ているはずだ。しかし今回、何の前情報も受け取っていなかった。ジェオはザズの目を見据えた。
「ザズ。楽しみにしてるとこ悪いけどな、お前はここに残ってこの船を見ててくれ」
「……諒解。気をつけろよ」
「セフィーロで捕えたあの三人も、オートザムにはまだ上陸させるなよ。……もし俺が戻らなかったら、お前が自分で判断して動くんだ」
「ああ。あの手は?」
「いや、それは最後の手段に取っておけよ」
「……分かった」
 ザズは言葉少なだったが、この事態を異常だと思っているのは伝わってくる。ジェオは相棒を安心させるように、通りすがりに彼の肩をぽんと打った。


***


 磨きあげられ、埃ひとつない床を踵で鳴らしながら、ジェオは大股で歩いていた。大統領府にあたるこの建物は、セフィーロの城とほぼ同じ大きさである。建物内の大気は浄化され、マスクをしなくても過ごせるようになっていた。しかし閉め切られた窓から見る景色は、明らかに異常だった。黒っぽい霧が濃く立ちこめ、目を凝らすと黒い粒子が漂っているのが微かに見える。粒子の正体が、汚染物質なのは言うまでもなかった。死の霧と呼ばれ、無防備な状態でこの中に立つと、一時間でほぼ全員が気管支系の病気に倒れるという。数メートル先の建物ですら霞み、空と地面との境界は全く分からない。上空には、白っぽい円が浮かんでいる。それは、セフィーロでは燦々と光を投げかけている太陽だった。

―― こんな国を、セフィーロみたいな国に戻せるのか? 本当に?
 かつてオートザムが美しい国だったということも、まるで嘘のように思えてくる。元に戻すことなど、できるのだろうか? 皆がそれを目指しながらも、心の底では「不可能だ」と悟っているのではないのか。この大気を見るたびに、楽観的なジェオでさえ絶望的な気持ちにさせられる。事実上、不可逆性となっている、この大気汚染。もうこの国には人は住めないと言われてから、すでに20年が経過している。大気を浄化する決定打は未だなく、国民の平均寿命はじわじわと短くなりつつあった。

 廊下の角を曲がったところで、ジェオは同期とすれ違った。
「おう、ジェオ! 戻ってたんだな」
「ああ……ていうか、あのものものしい戦艦は一体なんなんだ?」
 挨拶もそこそこに、自分より頭一つ分小さいその男に声をかける。あぁ、と男は言葉を濁らせた。
「戦争ができるレベルだよな」
 ジェオは言い募る。しかしその頃には、嫌な予感は確信に変わりつつあった。
「お前は知ってんだな。俺に通知が来てない理由は……侵攻する対象が『セフィーロ』だからか?」
「俺たちも、ほとんど何も知らないんだ。なぜ今なのか、そもそもどうして攻めるのか、理由も聞かされてない」
 問いに対する直接の答えではなかったが、Yesと言ったに等しかった。
「理由も分からねぇのに、てめえは上の命令だったら何でも従うのかよ!」
 ジェオの大声は廊下中に響き渡り、人々が一斉に振り返る。ジェオは大きく息をつき、うなだれたまま何も言わない同僚を見下ろした。
「すまねえ」
 八つ当たりを含んでいたことに気づき、唇をかみしめて頭を下げる。軍にとって、上官の命令は絶対だ。命令に対して、なぜかなどと質問すれば、殴られ異動になる世界だった。この男には、セフィーロに接点はない。立場を賭けて反駁する理由もないだろう。とすれば、それはジェオの役割だ。

「おい、ジェオ!」
「大統領に直接、問いただす」
 イーグルの親友だったということもあり、ジェオは元々大統領とは気やすく口を聞く仲だった。一国が一国を攻める事態なのだ、国を束ねる大統領の決断であることは間違いない。イーグルを浚おうとした三人組のことは、その時は頭から飛び去っていた。男は引き留めようと前に一歩踏み出したが、無駄だと思ったのか足を止めた。
「……確かにお前なら、大統領に理由を聞けるかもしれないな。でも、分かってるだろ? 大統領は、一度決めたことは必ず最後までやり遂げる方だ。途中で意見を翻すことは、ありえないぞ」
「……分かってるさ」
 息子のイーグルと、その点では瓜二つだった。多少の犠牲は厭わないところも似ていた。ジェオは唇を引き結び、その場を後にした。


***


 今すぐ大統領に会わせろ、というジェオの無茶な主張は、意外にも聞き届けられた。というより、大統領の執務室の近くで職員ともめているところに、大統領が顔を見せたのだ。ジェオの顔色を見ただけで状況は理解したのだろう、入れ、と顎で執務室を示してみせた。部屋に入りドアを閉めるなり、大統領は灰色の目でジェオを見据えてきた。
「言っておくが、私は今忙しい。今も、本来は人と話す約束があるのだ。時間は取れないぞ」
「『セフィーロ』に侵攻する準備ですか」
 時間がない、と言っている相手に回りくどく話してもしかたがない。ジェオは単刀直入に尋ねた。
「そうだ」
 直截すぎる問いかけに、大統領は即答した。その言い方に、これはもう覆らないな、と分かってはいたが諦めに近い気持ちがよぎる。

 大統領は颯爽とした足取りで部屋の中央に向かうと、椅子に腰を下ろした。詰襟の軍服は、最上位を表す漆黒だ。その胸にはいくつもの勲章が輝いていた。大柄なジェオと比べると一周り小柄で細身の方だが、均整のとれた姿のいい男だった。そして、視線を交わすだけで物凄い圧迫感を覚える。まだ40代と歴代の大統領の中で最も若い。学校を首席で卒業してすぐに政治家に選ばれ、一気に大統領の座まで駆け上がった挫折を知らない男だ。髪の色こそイーグルと同じプラチナだが、顔立ちは彫りが深く男性的で、中性的な優しい顔立ちのイーグルとは全く違っていた。しかし、その目が同じだ、とジェオは改めて向き合って思った。誰よりも意志が強い、相手を呑むような鋭い瞳だ。
「――だから、」切り出した声が意に反して掠れ、ジェオは強く言い直した。「だから、イーグルだけは救うために、事前にセフィーロから脱出させようとしたんですか? 刺客まで差し向けて」
「作戦は失敗したと聞いているが……妨害したのはお前たちか」
「ええ」
 実際に手を下したのはほとんどクレフとプレセアだったが、ジェオは敢えて頷いた。この状況下だ、少しでもセフィーロに不利になる発言は避けたほうが無難だった。大統領はため息をついたが、責めている風には見えなかった。そして頬杖をついたまま、感情のない瞳でジェオを見返してきた。
「セフィーロを追いつめれば、おそらくイーグルを人質として交渉のカードに持ち出してくるだろう。イーグルは大統領である私の息子である上に、オートザム内での人気は未だに高いのでな。全体の士気に影響しては困るのだ」
 まるで、士気に影響しないならどうなっても構わない、とでも言いたそうな口ぶりだった。
 
―― そうだ、こういう男だった。
 イーグルがいなくなってから足が遠のき、大統領に会わない間に忘れていた。この男は間違いなくオートザムで最も明晰で指導力を持つが、その一方で私情を交えないことで有名だった。話し続けるほどに不快感がせり上がって来るのを感じた。

「……私のことを、機械のように感情のない男だと思っているのだろう?」
 大統領は、余裕さえ感じさせるゆったりとした口調で言った。その口角がわずかに上がっている。
「ただし、お前が心酔するイーグルも、その点では私と同じだぞ。あれは、必要とあらばいくらでも冷徹になれる男だ」
「……イーグルは貴方とは違います!」
 声が思わず大きくなり、相手の顔を見返した時に気づいた。この男は、楽しんでいる―― 唇を噛んだ時、ドアがノックされた。
「何事ですか? 大統領、入室しても?」
 大統領の警護部隊だろう。踏み込まれれば、ジェオなどは部屋から引きずりだされるに違いない。初めからこのつもりだったのか、とジェオは察する。騒いでいたジェオをいったん自室に招き、イーグルの話で挑発し、感情的になったところで体よく部屋から追い出す。そして、肝心の話はさせないつもりだったのだろう。ジェオは大きく息をつき、暴れ出しそうになった感情を腹の底に飲み下した。

 ジェオが見る限り大統領には、喜怒哀楽の感情はある。しかし「愛情」だけが欠落しているように思えるのだ。元々無い感情だから、公務と私情の間で苦しむこともない。一方でイーグルは愛情という気持ちを知りながらも、父親にだけはそれを決して見せない。ジェオはその理由が、この冷徹な父親にあるとほぼ確信していた。自分を愛さない親を持つことが、どれほど子供にとって苦痛か考えるまでもない。だから、他の誰でもない大統領自身が、イーグルを「冷徹」だと評するのはジェオには我慢ならなかった。

 でもイーグルがもし今のやり取りを知っても、眉ひとつ動かさないに違いない。そんなことで感情を荒立てるなとたしなめられるのが落ちだろう。
―― あなたが腹を立てる必要はありませんよ、ジェオ。
 イーグルの声が、頭に響いた。確かに彼ならきっと、そう言うだろう。ジェオは大きくため息を吐きだした。
「……申し訳ありません、大統領」
「大事ない。控えていろ」
 ジェオが頭を下げると同時に、大統領はドアの向こうに声をかけた。


「……話を続けてもよろしいでしょうか」
「かまわん」
 口調こそ穏やかだが、一本の棒を互いに押し合っているような緊張感がその場を支配している。
―― この男は、俺よりも上だ。
 ジェオは目を合わせただけで、そう感じずにはいられなかった。軍人の性なのか、相手と向き合う時には必ず、こいつと戦って自分は勝てるかと考える。率直に言って、このオートザムで自分を上回る者に、ほとんど出会ったことはない。しかし大統領は、その稀な一人だった。この男と敵対しても無駄だ、と自分の本能が言っている。そして目の前で余裕の態度を崩さないこの男も、この力関係に気づいている。
 
 俺にはきっと、どんな手を使おうとこの男を止められない。そこまで考えて、ジェオは心の底で笑った。
―― 情けねぇな、俺は。
 今、イーグルがこの場にいたら助けてくれるだろうかと思ってしまった。昔から、大統領と対等に議論を交わせるのはイーグルだけだった。息子だからと言って手加減するような父親ではないから、純粋にイーグルの実力だろう。イーグルなら、この流れを変えられるのではないか、と無意識のうちに考えていた。でも、イーグルがこの場にいたら、いつになく弱気なジェオを見て笑うだろう。自分たちはそもそも、助けたり助けられたりという関係ではないのだから。

「セフィーロに再侵攻する理由は何ですか?」
 自分より上の相手に、小手先の技術は通用しない。ジェオは単刀直入に尋ねた。
「セフィーロは今、私たちがかつて侵攻しようとしたにも関わらず、オートザムの大気汚染の浄化に力を貸してくれる最大の友好国です。どんな大義があって、再び軍を進めるのですか」
「……自衛のためだ」
「は?」
 意外な答えに、ジェオは勢いを殺がれた。大統領は肘掛けに肘をつき、ジェオを見返した。
「知っての通りオートザムは、大気浄化のためにとてつもないエネルギーを使っている。再侵攻などに貴重なエネルギーを好きで費やすわけではない」
「待ってください。まさか、セフィーロがオートザムに危害を加えようとしている、と?」
「結果的にそうなる可能性がある」
 は、とジェオは思わず息を漏らした。
「僭越ながら大統領、それはあり得ません」
「どうかな」大統領は笑みを残したまま目を閉じた。「セフィーロは、この四つの国の中で最も多くの内乱が起こった国。国民がほぼ絶滅するほどの戦闘も経験しているのだ、ただの平和主義の国ではない。……何も知らないのは、お前の方かもしれないぞ」

 沈黙が落ちた時、ガリッ、と微かな音が聞こえた。ジェオは周囲を見まわした。どうやら外部から誰かが通信しようとしているらしい。雑音の中に、男の声が混ざった。
「……。しもし。聞こえてるんかな?」
「……なんだ? 大統領、切りますか?」
 大統領に話しかけるにしてはぞんざいな言葉遣いだ。間違ってこの部屋に繋いでしまったのか、とジェオが立ちあがろうとした時、大統領がそれを制した。
「かまわん。元々その男と打ち合わせの予定だったのだ。音量を上げろ。お前も同席したければ、して構わん」
「この男は、誰なんですか」
「チゼータの『預言者』だ」
「はっ?」それを言いだしたのが大統領でなければ、ここまで驚かなかっただろう。「預言者って、占い師ですか? こんな大事な時期に……」

 大統領はジェオを見たまま黙っている。その答えを肯定と捉えたジェオは言い募った。
「そんな真偽もはっきりしない職業の者の言葉に、耳を貸すなんて間違っています。あなたらしくもない」
 俯いた大統領がクックッと笑っているのに気づいたのは、言い終わった後だった。
「私に間違っているなどと明言できるのはお前だけだよ、ジェオ。お前のそういうところを、私は嫌いではない」
「……って、そういう話をしているのではないでしょう!?」
「安心しろ。私は知っての通り、科学的根拠のないものは信じない主義だ。私が信じているのは彼が持つ『古文書』。そして、チゼータ王家という彼の『立場』だよ。あの男は使えるのだ。……つなげ、ジェオ」

 ―― チゼータの王家、だと……?
 タータとタトラからは、預言者という職業の者のことなど聞いたことがなかった。何にしろ、胡散臭いことに変わりはない。いぶかるジェオをよそに、大統領と見知らぬ男は会話を始めた。
「待たせたな」
「ああ、繋がって良かったですわ。……もう一人、そこにいはります?」
 開口一番、男はそう言った。ぎくりとしたジェオをよそに、大統領は平坦な声で続けた。
「同席させてかまわん」
「そうですか。私の名前はマスターナ。チゼータの、一応王家に当たります」
「……ジェオだ」
「……ふうん。なるほど」
 一体何を感じたというのか、マスターナと名乗った男は含みのある言葉を寄こした。理由はわからないが、何となく相手を不快にさせる男だ。ジェオが言葉を継ごうとした時、マスターナは話題を切り替えた。

「先日お送りした古文書のデータ、届きました?」
「ああ」大統領が応じた。「解読には苦労したがな。言語学者、考古学者を全員動員したが読み解けず、結局オートザムの全言語を網羅したコンピューターで照合した。出自は不明だが、オートザムで遠い過去に使われていた言語だということだ。解読は終了している」
「さすが、話が早いですわ」
「……一体、どういうことですか?」
 話についていけず、ジェオは大統領に尋ねた。

 大統領は、指先を執務室の壁面に向ける。すると、映像が二つ、壁に映し出された。右側に映っていたのは、ひたすら文字の羅列だった。これが例の古文書の中身か、と思ったが、全く見覚えのない複雑なものだ。当然、何が書いてあるのかも分からない。左側に映し出されていたのは、一人の若者の顔だった。
―― こいつが、マスターナか。
 髪の色といい肌の色といい、チゼータの二人の姫によく似ている。この男の言葉を信じるなら、チゼータの王家なのだから血のつながりがあるのかもしれない。背後に、碧の若葉が揺れていた。
 


* last update:2013/7/15