ジェオはさっきから、狭い部屋の中を落ちつきなく行ったり来たりしていた。檻の中の獣じゃあるまいし、と思いつつ、今のこの状況はそれ以外の何ものでもないことに気づいて自嘲気味に笑う。大統領の警邏の者たちに捕えられ、この空間に押し込められてから数時間は経ったようだが、正確な時間は分からなかった。

 この部屋は、最低限の生活の設備がある以外は無機質な部屋だった。自動ドアが目と鼻の先に見えているが、ジェオが手を伸ばすと、見えないバリアのようなものに阻まれ、ドアに近づくこともできない。ジェオ自身、軍で学んでいたころ、精神エネルギーで作られロケットランチャーでも破れないと教えられた軍自慢のバリアだ。外側から内側には自由に入れるが、内側から外側には出られない仕組みになっている。こんな風にその強度を思い知ることになるとは、学生だった当時は夢にも思っていなかった。

―― イーグル、ザズ……セフィーロはどうなるんだ……
 飛び出して行きたいほど気は焦るのに、どうすることもできずに窓の外を見やった。ドス黒い色をした雲は空を阻み、昼間でも明かりが必要なほどに暗い。大統領は、軍艦をセフィーロに本当に差し向けるのだろうか。その砲弾の先には、息子であるイーグルがいるというのに。砲撃が行われる前に、クレフが投降すると踏んでいるのかもしれない。でも、もし必要とあらばためらわず攻撃する、確信があった。大統領は、口でやると言ったことは本当に実行する。

 ちっ、と何度目かもしれない舌打ちをした時だった。不意に、ドアが音も立てずに開いた。
「ジェオ。お前に聞きたいことがある」
 そう言って現れたのは、軍服姿の三人の男だった。一番後ろにいる男は、台車を引いている。台車の上には、厳重にバリアで包まれた虹色の球体が置かれていた。それは、導師クレフがザズに託した「セフィーロの大気」であることは一目でわかった。ザズもさすがにあの状況で、持ち出すことはできなかったか。

 怜悧な声で、先頭の男は告げた。
「いったいこれは何だ? コックピットにあったものだが、オートザムの物質ではないな。危険物ではないのか」
「危険物を、コックピットに置く馬鹿がいるかよ」うんざりしてジェオは返した。「そいつは、導師クレフからの土産で、セフィーロの空気が入っている。ザズが妹のために頼んだものだ。それ以上でもそれ以下でもねぇよ。大層にバリアで包むようなものじゃねぇ」
「それをどうやって証明する? 内部組織を調べようにも、スキャンも一切通さず破壊もできない」
「知るかよ」
 馬鹿馬鹿しい。上司からの命令なのだろうが、そんなことよりも大事なことがあるだろうに。ジェオは床の上にくるりと胡坐を掻き、三人を見上げた。

 その時、ばたばたと足音が聞こえた。その場にはそぐわない少女の声が、廊下に響き渡る。その声にジェオは聞き覚えがあったが、こんなところで聞くはずがないものだった。ジェオは驚いて体を起こした。
「……ジェオ!」
 軍人たちを押しのけるようにして現れたのは、大人の腰ほどしか背丈がない十歳あまりの少女だった。長い鳶色の髪が、背中に流れている。白い肌に少しそばかすが見えたが、青い目の可愛らしい少女だった。FTOに乗って脱出したザズの妹、ソアラに違いなかった。

「ソアラ! お前……家を出て、大丈夫なのかよ」
「それどころじゃないわ。お兄ちゃんが脱走したって連絡が来て、皆ここに呼ばれたの……どういうことなの?」
 本来、家の外に出られる体ではないはずだ。肌は真っ白を通り越して青白くなっている。ここは大気浄化がされているが、ここに来るまでの道のりは彼女にとって苦しいものだったに違いない。
「お前がその体だって知っていながら呼びつけたのかよ、軍の奴らは!?」
「そうじゃないわ。あたしは子供だからいいって言われたけど、あたしの意志で来たの」
 ジェオの突発的な怒りを押さえつけるほど、少女の言葉は冷静だった。見た目は幼く華奢だが、ザズに負けないくらい芯はしっかりしていたことを思い出す。

「両親についていなさい!」
「嫌よ。軍なんて大嫌いよ」
 扱いに困っているらしい軍人たちに、ソアラは退かずに言い返した。その視線が、台車の上に置かれた球体に吸い寄せられる。
「……何? これ……綺麗な色」
「ザズの、おまえへの土産だ。導師クレフが創ったセフィーロの大気だ」
「……空気? これが?」
 ジェオが教えると、ソアラは目を丸くして一歩、台車に近づこうとした。しかしそれを軍人たちが阻む。
「危険物かもしれないんだ。子供は下がっていなさい」
 ソアラはまじまじと、その球体を見た。
「なんだか、しゃぼん玉みたい。すごく優しい気配を感じるわ。危険だなんて、おじさんたちは本当に思ってるの?」
 優しい気配、というのは当たっているとジェオは思った。妹を思うザズによって頼まれた、クレフが作り上げたものだ。そこに何の悪意もあるはずがないのに。誰も敵などいないのに周囲に牙をむくオートザムが、ジェオの目には傷ついた獣のように見えた。

「これが、この子への贈り物だというのか?」
「……ソアラはザズの妹だ。この子なら、この球体の正体を確かめられるだろうぜ」
 ジェオの言葉に、半信半疑ながら軍人たちが動きを止める。ソアラがもう一歩歩み寄り、その球体に指先を触れようとした、その時だった。

 突然、カメラのフラッシュのような強い光が窓から差し込んだ。次いで、視界が真っ赤に染まった。元々光に慣れていない目が瞬間的にずきりと痛む。何事だ、と目をこすった時、経験したこともない強い揺れがオートザムを襲った。
「なんだぁ?」
 とっさにソアラに駆け寄ろうとしたが、その手は敢えなくバリアに阻まれた。ソアラが頭を押さえて、その場にしゃがみこみ悲鳴を上げる。数秒後、まだ揺れが収まらない内に、建物内の灯りが唐突に切れた。

「ソアラ! そのまま伏せてろ、動くなよ!」
 薄暗い中、ジェオにはそう言ってやることしかできなかった。大勢の人々の悲鳴が建物内に反響する。この大地震が電気系統のシステムを破壊したのだろうか。それなら復旧を待てばいいが、と辺りを見回した時、急に胸苦しさを感じてせき込んだ。
「大気浄化システムもか!」
 ジェオはうめいた。驚くというよりも恐怖が襲ってきていた。わずかな濃度でも、この国の大気をまともに吸い込めば呼吸困難に陥り、長時間にわたりその状態が続くと命にかかわる。ジェオは、服の内側に取りつけていた簡易マスクを引っ張り出し、叩きつけるようにはめた。この国の人々は皆、肌身離さずマスクを持っているから当座は問題がないが、仮に復旧が長引くようなら大問題となる。

 その時、激しい咳にジェオは我に返った。
「ソアラ! 大丈夫か!」
 暗がりの中、彼女が軍人の一人に支えられ、マスクを顔に当てているのが見えた。しかし、大気汚染に元々弱いソアラが呼吸困難に陥っているのは一目瞭然だった。
「息ができない……誰か」
 苦しげに吐かれた少女の声はか細く、そのまま消えてしまいそうだった。
「ちくしょ……どうにかなんねぇのかよ!」
 ジェオは無駄だと思いながらも、もう一度ソアラに近づこうとした。すると、感じるはずだったバリアの抵抗は何もなかった。そのまま前に出る。

――まさか。
 電気系統と大気浄化システムだけではなく、バリアまで影響が出ているとすれば、それぞれの機動部分に同時に問題が出たとは考えにくいのだ。それぞれが、十重二十重のセキュリティシステムによって保護されているのだから。となれば、その根幹となる「精神エネルギー」に何かしらの問題が起こっているのか。そう思った時、建物内にアナウンスが流れた。

「午後4時32分、宇宙からの衝撃波がオートザム全土に到達しました。衝撃波から国土を保護するため、瞬間的にバリア生成に精神エネルギーを費やした影響で、現在全システムが停止しております。全員、すぐに保護マスクを装着し建物内に避難してください。繰り返します――」

「一体どういうことなんだ!」
「宇宙からの衝撃波だと? 一体どうして――」
 建物内に、怒号とも悲鳴ともつかない声が飛び交う。
「馬っ鹿野郎……」
 保護マスクだけでは耐えられないソアラのような者だっているのだ。激しく呼吸しようとするソアラの肩を支えてやることしかできず、ジェオは歯噛みした。

「たすけて……」
 ソアラが、息苦しさから涙を浮かべながら、半ば無意識にだろう、あの球体に手を伸ばした。全システムがダウンしているというなら、病院に連れて行っても何も処置できない。ジェオは少女の行動をただ見ていることしかできなかった。

 震える華奢な指先が、球体に触れる。その時ジェオは、少女が助かるように、と強く願った。ソアラの指先が何の抵抗もなく、球体の中に潜り込む。次の瞬間、球体が淡い光を放ち、膜の部分が弾け飛んだ。虹色の光が一瞬、皆の体を通り抜けて行く。さぁっ、と霧のような雨が、体に降り注いだ気がした。しっとりと湿った夜の空気、名前も知らぬ異国の花の香り。どこからともなく聞こえる鳥や虫の声、波のざわめき。人々の声まで、聞こえた気がした。
「―― セフィーロ」
 果てしないような距離を越えて届いたかの国の空気は、泣きたいような懐かしさでジェオの胸に通った。ソアラの口から、マスクがぽろりと落ちる。
「息が……息が、できるわ」
 荒くついていた息が少しずつ鎮まり、紅潮していた頬が元の色に戻って行くのを見て、ジェオはほっとした。おぉ、と軍人たちも声を上げる。と同時に、部屋の灯りが再びぱっと止まった。ジェオの背後に、バリアが復活するのが、かすかな作動音から分かった。

「なんだ? 今、全システムがダウンしたと言われたばかりなのに……」
「……あの球体だろう」
 ジェオはマスクを外し、大きく息を吸い込んだ。その大気は、いままでオートザムで感じたことがないほどに澄んでいた。
「あの球体は、セフィーロ最高の魔導師の、精神エネルギーそのものだ。解放されれば、この建物のシステムを復活できるほどの力があるということだろう」
「馬鹿な!? たった一人の精神エネルギーで何ができるというのだ」
 軍人たちは、明らかに信じていない声を出した。

「……俺は、セフィーロでいろんな不思議なものを見た。これと同じくらいの城が、精神力だけで創られているとも聞いた。そのうちの半分以上のエネルギーを一人で提供したのが、導師クレフだそうだ。意志の強さが全てを決める世界だ。できないことはない」
「……意志?」
「セフィーロほどじゃないが、意志が物事を決めるのは、他の国だって同じだろ? 俺たちは軍人だ、国の手足になるのが仕事だ。それでも、何がこの国にとって本当にためになるのか、俺たちは一人ひとり考えなきゃいけねぇだろ」
 少なくとも、オートザムが守れなかったこの一人の少女を守ったのは、セフィーロの意志だった。
 ザズに頼まれて、考え込んでいたクレフの表情を思い出した。ソアラはもちろんオートザムが良くなるよう願いながら、あの球体を創ってくれたに違いなかった。それなのに今、オートザムは彼を標的に戦艦を出そうとしているのだ。

「……ソアラをご両親の元に送り届けろよ。きっと心配してるだろう」
ジェオはソアラを、軍人達の方にそっと押した。
「どこへ行く!?」
「大統領にもう一度会う。こんなことは、絶対に間違ってる」
「……悪いが、行かせるわけにはいかない」
「また、上官の命令かよ!」
 ジェオが声を荒げた時だった。じっと黙っていたソアラがいきなり、思い切り三人を部屋の内側に押した。彼女もろとも、部屋の内部に踏みこんだ形になる。
「しまった……」
 軍人たちは慌てて身をひるがえし、外側に出ようとしたが、出現したバリアがそれを阻んだ。

「ソアラ……」
「行って!」
 ソアラはためらったジェオに一声叫んだ。
「セフィーロの導師さまにお礼を。それから伝えて。いつかお目にかかりたいって」
「……分かった」
 軍人とは言え、ソアラに危害を加えることはないはずだ。ジェオは後ろ髪を引かれる思いで、その場から駆けだした。


***


 ジェオは自動扉から廊下に出た。揺れは収まっていたが、まだ地面が揺れているかのようだった。マスクを外した人々が、当惑したように言葉を交わし合っている。灯りがついた廊下は薄赤く、不気味な色に染まっていた

 混乱している今なら、マシンを一体拝借してセフィーロに向かうことはできる。でも、今何が起こっているのか確かめずに逃げるのは、ジェオの愛国心が許さなかった。迷わずに、廊下を壁伝いに走り司令部に向かった。初めに目にした軍人に声をかける。
「おい! 一体何が起こったんだ! 何か情報はねえか」
「分からない! ただ、精神エネルギーの残存量が激しく低下していると聞いた。このままでは、国が――」
 ジェオが捕えられたことを知らないのか、知っていてももう余裕がないのか、脱走したことを咎められはしなかった。ただ、度を失ったその態度から、ただならぬものを感じた。

 エレベーターはまだ止められているのか使えなかった。ジェオは手すりにつかまりながら、がむしゃらに階段を何階か上がり、司令部へのドアをこじ開けた。その部屋には何人もの幹部が到着していて、その中には大統領の姿もあった。厳しい表情で腕を組み、モニターを見上げている。

 モニターに大きく映し出された映像に、ジェオは目を疑った。そのネックレスのような特徴的な形の星は、チゼータに違いなかった。しかし今、その星の色は真っ赤に染まっている。温度を示すパラメーターは、炎の域まで達していた。チゼータがたった今、燃えている――
「なん……だ? 自然災害なのか」
 唖然としたジェオの声に、大統領は振り返った。ジェオを見ても、脱走したことを咎める素振りは見せなかった。もっともこの状況では、一軍人にかまっている場合ではないだろう。
「原因は不明だ。15分前、チゼータに謎の爆発が起こり、星全体が1分も経たない間に炎に包まれた。10分前、オートザムを衝撃波が襲ったのは知っての通りだ。このままでは、第二・第三の衝撃波も考えられよう」
「そん……な、あの星には、ランティスと光が……」
「一時オートザムに滞在していた者と、魔法騎士か」
 大統領は一瞬瞑目するように視線を下に向け、次いでチゼータに戻した。
「この状態では、チゼータは滅亡はまぬがれまい」
 生存は絶望的だ、と言われたに等しかった。淡々とした口調に、逆にぞくぞくと恐ろしさが背中を駆けあがった。確かに、この星を覆い尽くした炎の中で、生きていられるとは思えなかった。
―― まさか。
 あの二人が、死ぬはずがない。そう思ったが、連絡する手段もない。ただ生存を信じるほかなかった。

 頭の中に唐突に、マスターナの声が浮かんだ。
―― 「ただ、チゼータは、もう、間に合わなかった」
 炎が見えるとも、彼は言っていた。ジェオはあの時取り合わなかったが、「こういうこと」だったのか? 冷静に、大統領がこちらを観察している視線を感じた。
 それに、古文書には、740年前に起こった災厄により、国の南東部が壊滅状態になったと書かれているという。今回はチゼータの方向、北東部からの衝撃ではあったが、まともに食らっていれば広範囲が吹き飛ばされたはずだ。大気や動植物の異変、戦争という同じ同じ前兆を経て、オートザムを襲った災厄。関係ないと言えるのか。冷たい汗が背中を流れた。

「あと、15日だ」
「は?」
 大統領の言葉に、ジェオは我に返った。そして、大統領が続けた言葉に、彼は耳を疑った。
「オートザムに残された時間だ。何も手を打たねば、あと15日間で、我が国も滅びることになる」
 水を打ったような沈黙が拡がった。誰も、すぐには反応できなかったのだ。それほどに大統領の一言は重かった。

「どういうことです! オートザムは今の攻撃を防げたはず――」そこまで言って、すぐに気づいた。「さっき流れたアナウンスでは、システム全停止の原因はバリアを張って国を守ったからだと言っていた。まさか、そのバリアで全精神エネルギーを遣い切ってしまったということですか」
「さっき届いた第一波は、オートザムの最新鋭の大砲10,000発分の威力に匹敵する。エネルギーの寿命を一気に縮めることになるが、この場合他に選択肢もない。非常用電源をこの建物内のみ、作動させる。全ての国民をここに集めよ」
「……非常電源が持つのが、15日、ということですか」

 今や、ざわめきが指令室全体に広がっていた。この場で動揺を見せていないのは、大統領だけだった。全ての住人を中心部に集め、それ以外の土地は廃墟となる―― これでは、まるで三年前のセフィーロではないか。
「いや、非常電源が持続できるのは、12日間だ」
「え?」
「ジェオ。さっき、お前が閉じ込められていた部屋を中心に、膨大な量の精神エネルギーが放出された。この建物を3日間維持できる量だ。今、非常用電源は作動していない。それなのにこの建物が維持されているのは、そのためだ。……導師クレフの『魔法』だそうだな」
 二人の視線がぶつかった途端、
―― しまった!
 ジェオは、愕然とせずにはいられなかった。あの時同じ部屋にいた軍人たちの誰かが、大統領に一報を入れたのだろう。遅かれ早かれ分かることとはいえ、ジェオは口にするべきではなかった。冷静にジェオの反応を見守っていた大統領の口角が、わずかに上がっている。
 
「……魔法だと?」
 二人の会話を聞いていた幹部たちの間から、ざわめきが漏れた。
「そんな非科学的なもので、このオートザムのシステムが支えられるわけがない」
「しかし、オートザム内のあらゆるシステムが落ちていた状況で、復旧できた要因が他に見当たらないのも確かだ」
「なるほど。半信半疑、という体だな」
 大統領が一同をざっと見まわした。こんな時だと言うのに余裕を失わない彼に、その場の全員の視線が向けられた。

「セフィーロをモニターに映せ」
 セフィーロの全容がチゼータの隣に映し出された時、おぉ、と一同の間からどよめきが漏れた。セフィーロ全体を、わずかに青みがかった乳白色の光が覆っていた。いくつか拡大画像が映し出された中に、セフィーロ城のものがあった。ざっと見て、城が傷ついているようには見えない。しかし、城から離れた森や海にはところどころに爪跡が見られる。大統領が見上げながら言った。
「セフィーロとチゼータの距離は、オートザムとチゼータと比べて3分の1しかない。単純に考えて3倍の衝撃が襲ったはずだが、それでも城を守りきるとは、導師クレフの魔法は大したものだな」
「これが、セフィーロの『魔法』の力なのか」
「これだけのエネルギーを人間が生み出せるというのか……」
 幹部たちは、互いの顔を見合わせた。絶望に塗りつぶされていた顔が、チゼータの赤い光を受けて照り輝いているように見える。その表情の変貌ぶりを、ジェオは違和感と寒気を覚えながら見守った。片や衝撃波から国を守り、まだ余力を残しているように見えるセフィーロ。そして片やエネルギーが決定的に枯渇しているオートザム。現時点で、二つの国の間に接点はない。それなのに皆、まるで救いを見つけたかのような表情をしている。
  
 大統領が、決定的な一言を放った。
「導師クレフの力があれば、この国を救えるかもしれんな」
「大統領……!」
 ジェオは大統領に大股で近づこうとしたが、傍にいた警備兵がそれを阻んだ。
「そうだ! ひとつの魔法でこのタワーを3日間維持できるんだ。導師がいれば、この国のシステムを保てるかもしれんぞ」
「ふざけ……!」
 ジェオは大声で会話を遮ろうとしたが、それ以上に声を張り上げる幹部たちの異様な興奮の中に飲み込まれてゆく。
 
 大統領は側近の一人の声をかけた。
「戦艦の状況は?」
「各々、非常用電源を作動し全システム復旧を終えています。しかし、この状況では――」
「我々の目標は変わらない。セフィーロは我々の唯一の希望なのだ。進軍せよ」
「はっ!」
 全員の声が、大統領の力強い声に呼応した。

 ジェオは思わず、まじまじと大統領の横顔を見やった。10艦以上の戦艦を稼働できるだけのエネルギーがあれば、国の寿命を15日よりも更に何日、うまくやれば何週間かは伸ばせるのではないのか。その一方で、セフィーロとオートザムの間は、どんなに早くでも往復で14日間かかる。セフィーロ侵攻によって国が助かるかどうかは、冷静に考えれば非常に危険な賭けだった。しかし、唯一の希望にすがりついた人々は、その事実に気づかないか、気づいたとしても目を向けようとはしないだろう。
 大統領は、ジェオが見る限り一度も動揺を見せなかった。おそらくそれは演技なのだろうと思う。危機に瀕し、皆が動揺している中では、冷静でいる者が最も周囲を引きつけるからだ。その表情、声音、全て周囲をコントロールするために使われている。こんな事態でも自分を保ち、逆境をも利用して自分の目指す方へ国民を引っ張る精神力は物凄いものがあるとは思う。しかし、ジェオには、長い間知っているはずのこの男の素顔が見えなくなっていた。

「イーグル……」
 無意識のうちに、親友の名を呟いていた。この国は今、狂気を原動力に動きだそうとしている。狂気はぐんぐんとスピードを上げ、何かにぶつかって壊れない限りは止まれなくなる―― 
 操縦しきれるのか? この国を。
 ジェオは大統領を睨みつけた。
 彼の目的はおそらく初めから一つ。セフィーロという広大な土地と、導師クレフという無尽蔵な力、この二つを手にすることだったのだと、今さらのようにはっきりと気づいた。彼はその目的を果たすためなら、自分の国の全てを手段として使う。
 
「……それでも私は、戦争には反対です」
 ジェオは声を絞り出した。何か他に道はないのか。戦いを乗り越えて、やっと四つの国が手を取り合い、よりよい方向に全てが進んでいたというのに。創り上げるには長い時間がかかる。しかし、壊すのは一瞬だ。
「今までの3年間を思い出してください。一度でもセフィーロが、我々に非協力的だったことがありますか? 今ならまだ間に合う、状況を説明し、助けを乞うべきです! そうすれば……」
「『助けを乞う』だと? オートザムが、セフィーロにか」
 取り巻く人々の一人から声が飛んだ。そうだそうだ、と同調する声が響く。何気なく言った言葉が思わぬ反感を生み出したことに、ジェオは思わず言葉を止めた。

「我々は科学という人類の英知を極めたオートザムなのだ。他の3国とは違う。頭を下げて協力を乞うなど受け入れがたい」
「そうだ! 一度力のバランスが逆転すれば、今後の関係にも影響しかねん」
「な……にを、言っているんですか」
 言葉の節々から、今までもオートザムの人々が自国を特別だと思っているのは感じていた。でもこれほどまでにむき出しにに、特権意識をぶつけられたことはなかった。追い詰められた末の言葉だと言う事はできるだろう。しかしセフィーロにとって敵は大統領だけではなく、人々の心に潜む優越感なのかもしれない。
 
 大統領の視線を感じた。彼は、どこか憐れみに似た視線をジェオに向けていた。
「おまえの一本筋が通ったところを、やはり私は気に入っているよ。しかし、綺麗事は平時にのみ光るのだよ、ジェオ」そう言いながら彼は、灼熱に燃えるチゼータを指差した。
「これが『現実』だ」
「そうだ!」
「ジェオ。おまえはオートザムとセフィーロ、どちらの味方なのだ」
「私は……」
 周囲に責められ、ジェオはうつむき唇を噛んだ。この流れを変えることは、もう不可能に思えた。背後から歩いてきた男が、ぽんとジェオの肩を後ろから叩いた。イーグルの後、軍の最高司令官を継いだ男だった。

「おまえは優秀な軍人だ。今ならまだ間に合う。考えを翻せ。これは命令だ」
 こんな時なのに、イーグルに「ジェオは真っ直ぐにしか物事を口にしない」と言われたことを思い出した。まさに、タイミングのいい助言だったわけだ。ジェオは心の底で苦笑した。
「……私は、オートザムの味方です」
 大統領が意外そうにジェオを見た。ジェオはすぅ、と腹の底まで息を吸いこんでから続けた。
「FTOの母艦を正確に操縦できるのは俺だけです。俺も乗せてください」


* last update:2013/7/17