「どういうことなの?」
 海の声が、静まり返った部屋に響いた。その声は固かったが、語尾は動揺に震えていた。
「どうして、オートザムはクレフを捕まえようとするの? 捕まえて、どうしようというのよ」
「ウミ」
 クレフが後ろから海の袖を引いたが、彼女は止まらなかった。
「答えて!」
 大声が弾け、ザズは俯いた。

「ザズは、危機を伝えるために危険を冒してここまで辿りついたんです。責めないでください」
 イーグルがザズを庇った。拳をぎゅっと握りしめていた海は、頬をはたかれたような表情になって立ちすくんだ。
「海さん」
 風は、海に歩み寄るとその肩に手を置いた。かすかに、肩が震えているのが掌に伝わってきた。いつも気丈な彼女が、本当は人一倍優しく繊細な心を持っているのを知っている。特に、相手がクレフであれば尚更だ。
 海は、クレフへの気持ちを風や光に打ち明けたことはない。海なりの理由がそこにはあるのだろうと思う。だから、踏み込んで慰めたりはしない。海と風の視線がぶつかった途端、海の目が涙をたたえたように光った。

「……ごめんなさい。ザズが悪いわけじゃないわ。わかってるのに」
 イーグルはいいえ、とすぐに微笑んだ。
「あなたが、ザズをどれほど心配してくれていたか、僕は知っていますからね」そう言うと、すぐにザズに顔を向けた。「でも、ウミの言う通りです。ここにいる全員が、どうして導師クレフが狙われるのか、理由を知らなければなりません」


 ザズはこくりと頷いた。
「……導師クレフが、ソアラ……妹にくれたお土産の『セフィーロの大気』。あれがきっかけだったんだ。オートザムのエネルギーシステムがブラックアウトした直後、なぜか『あれ』が弾けた。その時に放たれた精神エネルギーは、オートザム中心部の3日分のエネルギー量と同じだったらしいんだ。だから、導師クレフならオートザムを助けられる。そう考えたのが、ひとつだと思う」
「他にもあるの?」
 海の言葉に、ザズはしばらく言葉をためらった。
「俺には、到底信じられないんだけど」と前置きしてから続けた。そして、口ごもりながら続ける。「……導師クレフに、オートザムを含む周辺国を滅ぼす力があるっていうんだ」
「だから、オートザムには大義があるというのか?」ラファーガが声を荒げた。「到底信じられぬ。自らを正当化したいだけだろう、オートザムは」

「……『禁術』のことが漏れたのでしょうか」
 風は顎に指を置いて言った。『禁術』は、言わば不死の軍隊。策略に使われたことで、国々に危機をもたらしたという話は、まだ生々しく風の耳に残っている。
「『禁術』?」
 ザズは眼を丸くした。
「導師にだけ使える『魔法』だそうです。……教え子にあたる方を『コピー』することができると」
 風は、背後にいるクレフを気にして言葉を止めた。一体どうして、彼は何も言わないのだろう? 風の言葉に、うぅん、とザズは首をひねった。そして、小さな声で、それは違うはずだ、と言い、言いにくそうに続けた。
「俺にも詳しくは分からないんだ。ただ、そういうレベルじゃないと思う。チゼータを滅亡させた災厄の原因が、『導師』にある、ていう言い方だった……」
 その場の全員のどよめきが、ザズの口を止めた。ザズもこれ以上言葉をつづけたくはなかったらしく、そのまま黙り込んでしまった。
「……馬鹿な!」
 フェリオが吐き捨て、ラファーガは天を仰いだ。
「……この場に、チゼータの人達がいなくてよかったわ。ひどすぎる」
 海が唇を噛んだ。

「一体、情報ソースはどこなんですか?」
 イーグルの問いに、ザズは頭を振りながら答えた。
「チゼータの『預言者』が持ち込んだ古文書に書いてあったらしいんだ。ええと、名前はなんだったっけ」
「は?」
 フェリオが気が抜けた声を出すのと、海の驚きの声が重なった。
「マスターナって言う胡散臭い男?」
「そうだ! 確かそういう名前だった」
 風は、顔色を無くした海が気がかりだった。フェリオが、はっ、と声を漏らした。
「何かと思えば、占い師だろ? オートザムみたいな機械化された国が、なんでそんなの信じるんだ」
「――でも、マスターナは『チゼータの滅亡』を預言したって」
「まさか。後なら何とでもいえるぜ」
「私……」
 ザズとフェリオの会話を遮ったのは、海だった。彼女は、言うか言うまいか戸惑っているようだった。その時、穏やかな声が海に続いた。

「マスターナという男に、ウミと私はセフィーロで会ったことがある。ウミによれば、その男は、チゼータに帰れと言ったウミに対して、『チゼータにいては危険だ。どうせ、セフィーロに来ることになる』と返したらしい。チゼータ受難の数日前のことだ」
 今の今までずっと黙っていたクレフだった。口調は穏やかそのものだったが、その場の全員を黙りこませる衝撃的な一言だった。

「……じゃあ。そのマスターナさんという方は、チゼータ受難の後、セフィーロに避難する事まで、預言していたということですの?」
 どうしてそんなことをクレフが言うのだろう、という気持ちの方が風には強かった。マスターナの預言が当たると言うなら、クレフについての彼の言葉も事実の可能性が高くなる。
「全く、混乱させる方ですね、そのマスターナという人は……それに、忘れないでください。大統領は、決して理由のない行動はしない人物です」
 イーグルは、自分の父親を赤の他人のように口にした。
「大統領は、FTOがセフィーロに向けて脱走したことを知っていたはずです。当然、軍への機密情報は流れないよう通信を切断するはずなのに、そうしなかった。その理由は二つでしょう。一つは、導師クレフへのメッセージ。もうひとつはザズ、それを知ったあなたが、導師クレフを説得するのを期待しているからです。あなたの家族は、オートザムにいますからね」
「……俺は何も言わない。言うもんか」
 ザズは、俯いたままそう言った。彼が、心の中で戦っているのがよく分かった。一方的に攻撃を仕掛けるオートザムに非があることは明らかで、ザズにはセフィーロとの間に信頼関係もある。それでも、祖国が滅亡するかどうかという瀬戸際で、苦しむのも当然だと思う。家族が向こうにいるならなおのことだ。妹への土産をクレフからもらったザズが、嬉しそうに微笑んでいた姿を、風は思い出した。それがクレフが狙われる原因のひとつになってしまうとは。切なさが、ぐっと胸にこみ上げた。

 この状況下で、クレフやイーグルのように落ち着き払っているわけにはいかなかったが、それでも風は冷静に考えを整理できつつあった。
 クレフが、オートザムを救えるという可能性。それは難しいだろう、というのが風の推論だった。確かにオートザムを一時的に永らえさせることはできるかもしれないが、クレフの力にも限度があるからだ。それに、それが可能であればクレフならとっくに実行しているはずだ。
 もうひとつの、クレフがチゼータを滅ぼした可能性については、考えるまでもなかった。どれほど力が強かろうが、一人の人間が星を滅ぼすなど現実的ではないように思えた。何よりクレフが、自らの意志でチゼータやオートザムを滅ぼすはずがない。

 その場の全員の視線が、自然とクレフに集まった。自分が台風の目になっているというのに、どうしてほとんど口も効かずにいるのか、みな不思議に思っているに違いなかった。周りが驚き慌てているだけに、余計に彼の冷静さが際立つ。クレフは、みなが自分を見て言葉を止めたのを見返し、ようやく口を開いた。
「皆、落ちつけ。セフィーロは戦場にはならん」
「なぜ、そう言い切れるのですか、導師」
 ラファーガが問うた。
「考えてみろ。『預言者』はセフィーロにいるのだぞ。危険を知っていてチゼータから離れた男が、更に危険な国へ行くとは思えん」
「確かに……」
 フェリオが唸った。風は疑問を口にした。
「……クレフさん。あなたは、マスターナさんの言葉を信じているのですか?」
 クレフの今の言葉は、セフィーロが戦場になることは否定しているものの、預言そのものは否定していない。クレフは風の言葉に、わずかに口の中で唸った。
「力が本物だろうが、口にする言葉がいつも本心とは限らん。人の心は私にも分からぬ。ただ、イーグルがさっき言った通りだ。マスターナという男は、周りを混乱させる。彼の言葉に惑わされるな」

 その場に沈黙が落ちた時、黙っていた海が口を開いた。
「……ね、クレフ。オートザムに行ったりしないわよね?」
 クレフは、その場の全員に視線を順番に移した。ぴんと張り詰めた緊張が、その場を支配した。

「残念だが、私にはオートザムを救う力はない」
 クレフは、静かに、しかしはっきりと言い切った。ザズが目を閉じるのを、風は眼の端に捉えた。
「私の精神エネルギーを使えば、ある程度持たせることは可能だ。しかし永遠に精神エネルギーを放出する事ができない以上、時間の問題に変わりはない。それに……私には、私の役割がある。今オートザムに行くわけにはいかないのだ」

 海がそっと息をつきながらも、気遣わしげにザズとイーグルを見やる。風は、クレフの言葉は正しいと思いながらも、かすかな違和感を感じずにはいられなかった。ここまではっきりと、彼がオートザムへの助力を拒むとは思っていなかったのだ。そういって仲間を安心させて、独りオートザムに向かうつもりなのかもしれない、という考えがちらりと胸を掠めた。しかし風たちを見つめたクレフの瞳は誠実そのもので、とても嘘をついているようには見えなかった。
「……ザズ」しばらくして、イーグルが口を開いた。「動けますか?」
「もちろん」
 ザズは頷いた。
「FTO、壊れてしまっていますよね。整備できますか?」
「……え」
 顔を上げたザズに、イーグルははっきりと答えた。
「僕も、いよいよ寝ている場合ではなくなってきましたから」
 一拍の間があった。
「俺はメカニックだぜ。任せてくれ」
 ザズは眼を覚ましてから初めて、笑った。




* last update:2013/8/3