「すまないな、イーグル。話の邪魔をした」
 遠ざかるクレフの足音に、ランティスの声が混ざった。感情が感じられない淡々とした口調だが、彼とのやり取りになれているイーグルには、ランティスが心から申し訳ないと思っているのが伝わってきた。
「いいえ、いいんです。ヒカルたち三人が一緒に空から降ってきたら、あなたの精獣で受け止めるのは大変そうですし」
 ランティスの精獣は猛々しい雄馬の姿をしているが、さすがに4人乗るのは無理があるだろう。
「導師はフューラを召喚できるからな」
「フューラ?」
「空を飛ぶ魚だ」
 付き合いに慣れているとは言っても、どうしてもランティスは口数が少ないと思うのはこんな時だ。
「魚……の姿をした精獣だ」
 そう付け加えられても、ぴんと来ない。が、のどかな外見であることは間違いなさそうだ。

 ランティスが扉を閉め、部屋に入ってくる足音がした。ランティスは、セフィーロにいる時は、日に必ず一度はイーグルの元を訪れる。本を読んでいたり、剣の手入れをしたり、眠っていたりと自分の好きなことをして、好きな時に帰っていく。基本的に、無言だ。夢から意識が浮上して、ふと気づくと部屋にいることも珍しくない。かすかな衣擦れやページを繰る音で、ランティスがいると気づく。それは何ともいえず、心やすらぐひと時だった。

 ランティスは、ベッド脇に立つと、イーグルを見下ろした。
「何を話していたんだ?」
「あの方に遊んでいただいていただけです」
「またか。あまり導師を困らせるな」
 かすかにため息をついたようだ。どうやら、とっくに気づかれていたらしい。クレフのことを話す時のランティスの声音は、いつも何ともいえず独特のものに変わる。優しさとも、労わりとも尊敬とも聞きとれる反面、呆れたり心配したりしているようにも思える。本人は自覚していないかもしれないが、これほどランティスが感情をにじませるのは珍しかった。イーグルはランティスに笑顔を向けた。

「時折、導師クレフは、本当にあなたの師なのかと思うことがありますよ」
「昔話した通りだ。兄と共に魔法を教わった」
 ランティスの声が、懐かしさを帯びた。今は亡き兄に対してか、師に対してか、その声音はとてもあたたかい。きっと、両方だろう。ランティスの視線を頬の辺りに感じた。
「なぜそう思うんだ?」
「いえ。セフィーロに侵攻する前、僕はあなたの師ならどれほど攻撃力に優れている人なのかと警戒していたんです。たまに、それを思い出すんですよ」

 当時、導師クレフを警戒していた理由は、今目の前にいるランティスにある。ランティスを知る前のイーグルは、正直、セフィーロの人々の力を低く見積もっていた。セフィーロは意志が全てを決める国。その分、肉体的な強さは重要視されないのではないかと思っていたからだ。極端な話、幼児であろうと意志が強ければ大の大人を倒せるということだろうが、それはあくまでセフィーロだけの話。セフィーロの人々が国外に出た場合、決して強いとは限らないのではないか。しかしその思いこみは、ランティスに会って完全に覆された。

 ファイターとしてのランティスの腕前は、彼にとって本職ではないにも関わらず、イーグルとほぼ対等だった。マシンに乗ってさえその状態で、直に戦った場合、ランティスに勝てる気はしない。鍛え上げられた肉体と精神力は、イーグルにとって衝撃的でさえあった。だから、警戒したのだ。そのランティスの師であれば、戦闘力はランティスを上回るに違いない。セフィーロ侵攻時に脅威になる、と。ランティスが師の名前を口にすることはあっても、師の力を話さないのがますます懸念をあおった。
 
 そこまで考えて、イーグルは眉を下げた。
「それが、空を飛ぶ魚を操るような方だなんて。本当に、意外です」
「導師は、自分や周囲を守りはしても、やむを得ない時を除いて敵を攻撃しない。使うのも、初級の攻撃魔法に限られている」
「……オートザムがセフィーロに侵攻した時も導師は出撃せず、城の守りに徹しておられたようですしね」

 ランティスがベッド脇の椅子に腰を下ろす音を聞きながら、イーグルは思っていたことを口に出した。対して、ランティスの答えは簡潔だった。
「導師はあの時、城の中央で自分の体を楔にして、城の周囲にバリアを張り続けていた。自由に動ける状態ではなかったのだ」
「ということは、導師クレフを攻撃すれば、あのバリアは解けていたということですか? ……いや、この議論は無駄ですね」
 イーグルは自ら話を中断した。確かにクレフを攻撃すればバリアは破れただろうが、そもそもバリアを破らないとクレフを攻撃できない。

「攻撃しても、一戦艦ではあのバリアに傷もつけられない」
「最高の防御力を持てば、攻撃の必要はない、ということですか」
「そうだな」
 ランティスは一瞬言葉を切る。イーグルを見下ろす視線を感じた。
「ただし。『攻撃しない』ことと、『攻撃力がない』ことは決定的に違う」
「……そうですね」
 本気を出せば一番恐ろしいのは、案外クレフのような者かもしれない。クレフにも三年前のイーグルのように、自らの意志で剣を取り、己の願いのために戦った時代があったのだろうか。しかし、イーグルにはどうしても想像ができなかった。

 イーグルはわずかに息をつき、言葉を継いだ。
「……僕は、ずっと不思議でした。導師クレフほど心の強い方がどうして、セフィーロの『柱』にならなかったのかと。でも、最近分かってきました。ヒカルと僕が『柱』になれるかどうかを分けたのは、『自分を大切に思っているかどうか』です。自分を大切にできない人は、自分の心から生まれた『願い』もまた、大切にできないでしょうから。……クレフは、一輪の花のためにも命を捨てるような方ですね。己のために、何かを願うことすらないのでしょう。ある意味、もっとも『柱』からは遠い人物です」

 「願い」とは、決して美しいばかりではない。極めて利己的ともいえる感情だ。見方によってさまざまに色を変える世の中や、人々全てに公明正大にと考え出せば、願いなど持つこともできなくなる。イーグル自身、ランティスを死なせたくない、ただそれだけの願いのために『柱』を目指していた。その結果、オートザムを救う手段が失われ、セフィーロが人の住めない廃墟となるのは当然わかっていた。ランティス一人の命のために、二つの国を滅ぼすつもりだったのか、と責められても何も否定できない。 
 善悪に関係なく、誰よりも強い意志を持つ者が全てを決める国。それは「独裁国家」と言ってもいい。タトラが言ったように、セフィーロは確かに危険な国だったのだろう。だからこそ光は、一人が全てを決める今までの形を終わらせ、皆が話し合って行く末を決める国へと変えた。

 
 ランティスはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「俺はあの人の生き方から、貴いのは『不動の心』だと学んだ。それは、この国の原動力となって来た意志の強さとは全く異質のものだ。例えるなら、静と動のように。性質こそ逆だが、どちらもセフィーロの存続には欠かせない『柱』だった。導師クレフはセフィーロそのもの。『柱』制度が崩壊しても微動だにしない、この国のもう一つの『柱』だ」
「……二本の『柱』。なるほど、だからセフィーロは危険な国でありながら、今まで滅びずに来たんですね」
「いや」ランティスは静かに首を振った。「かつて、セフィーロは滅びたことがあるそうだ。導師クレフがそう言っていた」
「……え?」
 初耳だった。聞き返そうとした時、ランティスが身じろぎする気配がした。

「―― ランティス?」
「ヒカルたちが、セフィーロに着いたようだ。三人の気配がセフィーロ上空に現れた」
 ランティスは、自分で気づいているのだろうか? そう口にした自分の声が、いつもよりはわずかに明るくなっていることに。
「よく、分かりますね」
 セフィーロの人々が言う「気配」というものを、イーグルは全く読みとれない。遥か遠くに離れているはずの人の存在を、どうやったら感知できるのか想像もつかない。ランティスは小声で何かを言った。聞き慣れないその言葉は、どうやら魔法のようだ。数秒後、元気な光の声が、突然部屋中に響き渡った。

――「フューラ、久し振りだ! ありがとう、助けてくれて!」
 「上空の様子を、壁に映し出しているのだ」
 見えないイーグルのために、ランティスが朴訥な口調で説明を加える。
「フューラの背中に、ヒカル・ウミ・フウが落ちたところだ」

 実際は、海と風の声に掻き消されて、ランティスの声は半分も聞き取れなかった。
―― 「いつも、すごくタイミングいいわよね! フューラ偉いっ!」
―― 「来ていただけて良かったですわ、フューラさん。そうでなければ、私たちは今頃……海の藻屑でしたから」
―― 「……縁起でもないこと、演技でもない口調で言わないでよ、風〜」

 二人の会話の裏で、ごろごろ、と猫が喉を鳴らすような音が響き続けている。
「なんですか? この音」
 イーグルが尋ねた。
「フューラだ。機嫌がいい時、この声を出す」
「……魚ですよね?」
「魚の姿をしているが精獣だ。……そろそろ、城に着くところだ。導師とプレセアが迎えに出ている」
 いったい魚のどこからそんな音が、とイーグルが考えている間にも、フューラは城に接近しているようだ。

―― 「クレフ―! プレセア!」
―― 「おまえたち、もう少し登場の仕方を考えろ! せめて陸上に現れてくれ。おちおち夜も眠れないではないか」
 三人娘の明るい挨拶に、クレフが苦り切った声で開口一番、説教を垂れている。
―― 「大丈夫よ、夜は来ないから」
―― 「そういう問題ではない!」
 海にクレフが突っ込んでいる。その隣では、プレセアと少女たちがにぎやかに挨拶を交わしている。

―― 「本当にごめん、クレフ。最近はちゃんと思ったところに出られるようになってたんだけど。私たち学校の試験の後で、あまり寝てないんだ。だから、うまくコントロールできなかったのかも」
 しゅんとした口調で謝ったのは光だった。
―― 「まあいい。今回は、ランティスが早めに教えに来てくれたから助かった」
 ストレートに謝られると、クレフとしてもこれ以上言い募ることはできないらしい。
―― 「クレフさん、光さんにはいつもお優しいですわね」
―― 「ちょっと風。それって私には冷たいってこと?」
―― 「ランティス、今日はいるのか?」
 はずんだ光の声が二人の会話を遮り、聞いているイーグルは少しだけ複雑な気分になる。
―― 「ああ、この間は短い旅に出ていて不在だったな。今日はいる」

「迎えに行ってあげないんですか? ランティス。お待ちかねなようですよ」
 本当はすぐに出て行きたいのに、そうできないのがランティスのランティスたる所以だと思う。なかなか人に対する好意を口にしないが、案外こういうタイプが、心に決めると逆に、ストレートに愛を口にできるのかもしれない。
「イーグル」
「身動きもできない僕が、あなたの背中を押そうとしているんですよ。行ってください」
 かすかにランティスが微笑む気配がした。きっと今、優しい表情をしているのだろう。
「ヒカルは、おまえに会うのをいつも楽しみにしているからな。後で連れてくる」
「ええ」
 ランティスは立ち去り際に、自分の掌をそっとイーグルのそれに重ねた。そして、さっと身を翻すと、部屋を後にした。ほどなく現れるだろう光が思い浮かび、イーグルはひとり微笑んだ。




* last update:2013/7/11