穏やかな午後の太陽が、少しずつ西の空に移っている。ぱしゃん、と水音がして光が窓の外を見やると、遠くの海でフューラが飛び跳ねるのが見えた。いつも空を飛んでいるイメージがあるが、やはり魚の姿をしているだけあって水辺が好きらしい。セフィーロ城の周囲には360度、海が広がっている。船を出せば、まるで空中に浮かんでいるように見えるほど透明度は高い。海底の砂が白いため、明るいエメラルドグリーンに輝いて見える。
 
 白波が打ち寄せる渚に、三体の巨大な影が停泊していた。一体はオートザムの戦艦、後の二体はファーレンとチゼータからの飛行艇だった。光・海・風がセフィーロに到着してからほどなく、ほとんど同じ時刻に到着したのだ。それぞれの国の将来を担う若者たちが毎月、セフィーロの『柱』制度が崩壊したその日に、セフィーロを訪れて意見交換を行うことになっていた。いわば月例会議だが堅苦しいものではなく、皆その日を楽しみにしていた。今日の会合は90分ほどで終わり、皆三々五々、セフィーロの午後を楽しんでいる。


「みんな浜辺に出て来てるよ!」
 イーグルの部屋の窓から波打ち際を見やった光は、チゼータやファーレンの姫が、海や風と談笑しているのを見つけて歓声を上げた。
「なんか、みんないるとお祭りみたい! 賑やかで嬉しいな」
 部屋の中にはジェオとザズの姿があった。それぞれがソファーに腰掛け、くつろいだ姿だ。
「はーっ、ここに来るとほんと生き返るぜ。外で深呼吸できるなんて、オートザムじゃ夢のまた夢だもんな」
 ジェオが、丸太のような腕をうーんと天井に向けて伸ばす。ザズは、隣で深呼吸している。

「妹に、ここの空気をお土産に持って帰ってやりたいんだけど……難しいよな」
「あとでクレフに聞いてみたらいいよ。きっと方法知ってるよ! ね、ランティス」
 光ににっこりと笑いかけられ、ランティスは表情を緩める。その肩を、ジェオが肘でつっついた。
「おい。客が来てるってのに、あっちに案内しろよ。ほっと、無愛想な奴だな」
 本気で怒っているような口調ではない。ランティスは無表情のまま見返した。
「イーグルを置いて行くわけにもいくまい」
 あん? とジェオは片眉を跳ね上げる。そして、逞しい腕をぐいとまくり、筋肉を露わにした。
「誰が置いて行くと言ったよ。イーグルも連れて行けばいいじゃねえか」
 ちょっとジェオ、とイーグルが抗議の声を上げるのも聞かず、ジェオは布団を跳ねのけると、イーグルをひょいと横ざまに抱きあげた。

「おまえ、三年間も寝たきりの割にゃ重いよな」
「筋肉や組織が退化しないよう、治療していただいていますから」
「そいつは良かった。目が覚めたら、いきなりFTOを乗りまわせるだろうぜ。FTOは、ずっとおまえを待ってんだ」
「そーだよ。FTOだけは、他の誰にも触らせてねぇぜ。いつでも動かせるように整備してるんだからな」
 ザズの言い方には、オートザムナンバーワンのメカニックとしての自信がみなぎっている。イーグルがくすりと笑った。
「FTOを頼みますよ、ザズ」
「まーかせて!」
 ジェオがドアを足で跳ね開けた。

「おいお前ら、後に続け!」
 案内しろ、と今しがた言ったのを忘れたかのように、どんどん外に向かって先頭を切って歩きだしてしまう。もっとも、ジェオやザズにとっては完全に勝手知ったる城内だ。そもそも、案内がいるはずがなかった。

「おい、待てよ!」
 ばたばたとザズが続き、部屋には光とランティスが残された。
「私達も行こ? ランティス。海ちゃんがケーキ持ってきてくれたんだよ」
「ケーキ?」
「私達の世界のお菓子だよ。海ちゃんのケーキ、本当においっしいんだよ!」
 弾むような一言一言がくっきりとした輪郭を持った光の声。楽しい時も、悲しい時も、その瞳は硝子のように感情を透き通らせてしまう。ふわりと、黒いスカートの裾が広がる。今同じ高校に通っているという三人は、ここに来る時はよくお揃いの黒のワンピースを着ていた。「制服」というものなのだとランティスは光から聞かされていた。袖の部分がふわりと膨らみ、首もとはリボンが結ばれている。リボンの色だけ光が赤、海が青、風が緑と異なっていた。
 出会ってから三年が経つが、凛とした意志の強さと、乙女らしい繊細さが混ざり合った、不思議な雰囲気を持つ少女だと思う。未だに、彼女のもつ雰囲気に慣れない。ハッとさせられることが数多くあった。

「……ランティス?」
 のぞきこんだその瞳には、ランティス自身が映っている。他人を基本的に気にかけないランティスだが、この瞳に映る自分だけは、常に強くありたいと思っている。自分のためではなかった。光は相手の感情をそのまま受け止め、自分のものとしてしまう癖があるからだ。相手が嬉しければその目は喜びに輝くが、相手が悲しんでいればその目も曇ってしまう。だからこそ、その目に悲しいものが映らぬよう、守ってやりたくなる。

 あと一歩踏み出せば触れあう位置で立ち止ったランティスを、光は不思議そうに見上げた。彼女には、ランティスがもう少しだけ、二人でこの部屋にとどまりたいと思った気持ちなど、わからないのだろう。あの戦いから三年が過ぎ17歳になっているが、外見だけだと15歳くらいにしか見えない。三人の少女の中では最もあどけなく、まだまだ少女の面差しを残している。そのはずなのに、ランティスは光の頭を撫でようと無意識に伸ばした手を、途中で引っ込めた。
 撫でてやれば、きっと子犬のように気持ちよさそうな顔で微笑むに違いない。過去何度もそうだったし、今回もそうだろうと思った。しかし、今至近距離で見つめた光の中に、思いがけないほど大人びた表情を見つけて、ランティスは戸惑った。

「どうしたんだ?」
 首を傾げた光を見て、ランティスは今度は確信する。子供だ子供だと思っていたが、こうして面として向かいあうと、もう結構「女」だ。
「ヒカル」
 そっと首筋に手を伸ばしたランティスに、光がわずかに目を見開いた。その時、
「光! おやつよー!!」
 遠くから海の声が大きく響いてきた。
「光さーん? お茶の時間ですわよ」
 追いかけるように、風の声も続いた。光の表情がぱっと輝く。
「行こっ?」
 ランティスが伸ばした手を取り、引っ張るようにして光は明るい笑みを向けた。そして、先に立って駆けだした。

―― やっぱり、まだ子供か……?
 食べ物につられるところが微笑ましいが、少々複雑な気持ちでランティスは光の後を追った。



* last update:2013/7/15