「光さん。苺のショートケーキとアップルパイ、どちらがよろしいですか?」
 さっきまで、せっせとイーグルの寝椅子の準備をしていた光を思い出し、風は声をかけた。
「あら? 光さん?」
 寝椅子はきちんと整えられ、イーグルが心地よさそうにおさまっているが、隣に光の姿は見えなかった。ランティスが、寝椅子の傍に腰を下ろしている。ランティスは風と目が合うと、自分の隣を指差してみせた。

「光さん」
 そっと近寄ってみると、ランティスと寝椅子の間に隠れるようにして、光が木の幹に背中をもたせかけていた。目をつむり、表情は自然と微笑んでいる。夕日の温かさが心地いいのだろう。まるで、日向ぼっこしている子犬のようで、風もつられて微笑んでしまう。

「ん……あ、風ちゃん!」
 視線を感じたのだろうか、ぱっちりと両目が開いた。そのまま両手を前に出して、ぴょこんと上半身を起こした。
「ごめん、寝ちゃってた! どうしたの、風ちゃん」
「いいえ、こちらこそ起こしてしまってすみません。光さん、苺のショートケーキとアップルパイだとどちらがよろしいですか? どちらも、海さんの自信作だそうですわよ。ランティスさんもぜひ」
「ううーん……ランティス、どっちにするんだ?」
「……アップルパイを頼む」
「じゃあ私はショートケーキで! ランティスと一緒に食べたいな」

 わずかに動揺したランティスを横目で見て、風は思わず微笑んでしまう。ここは、動揺に気づかないふりをしたほうがランティスのためだろう。そもそも、ランティスと光が恋仲だということに皆感づいているが、当の二人だけは皆が知っていることを知らない。光は恋愛事にはうといように見えるが、時々ドキリとするようなことを言う。

「準備しなきゃね! ……えっと、椅子とテーブルは……砂だから、動かすの大変かなあ」
 ううん、と唸っている光の視線の先で、ケーキが入った大きなバスケットを持った海が、クレフを手招きしている。


 海は、クレフが仰け反るくらい近くにスタスタと歩み寄った。最近では身長は170cm近くまで伸び、160cmくらいの風、155cmくらいの光と並んでもぐんと背が高い。光が着るとかわいらしい雰囲気が漂う同じ制服でも、海が着ると気品があるように見えるから不思議だ。
「なんだウミ、身長で威嚇するなと三年も言い続けているだろう!」
「百回は聞いたわよ。そんなことよりクレフ、椅子とテーブルがないの!」
「……いったい私を何だと思っているのだ」
 クレフはあきれ顔だったが、手にした杖を中空に掲げた。すると、ざっと20人分の椅子とテーブルが、まとめて現れた。といっても、椅子にもテーブルにも足の部分がなく、宙にふわふわと浮かんでいる。

「魔法みたいなのじゃ……」
「魔法です、アスカ様」
 思わず感嘆の声をもらしたアスカに、チャンアンが教えている。サンユンが、空中に浮かんだままの椅子やテーブルをせっせと押して配置している。アスコットがそれを手伝った。


 風はざっとその場の人数を数えた。風たち三人に、セフィーロからはクレフ、プレセア、フェリオ、ラファーガ、アスコット、カルディナ、ランティス、イーグル。オートザムからはジェオとザズ。ファーレンからはアスカ、サンユン、チャンアン。そしてチゼータからはタータとタトラ。総勢18人いるから、途中で誰か参加するとしても、20人組くらい準備しておけば十分だろう。
「20人ね。もしかしたらちょっとケーキが足りないかも。クッキーが焼ければいいんだけど……クレフ、オーブン出せる?」
 全体を見まわしていた海が、クレフに尋ねる。
「おーぶんとは何だ?」
「そっか、この世界にはないのね。これくらいの大きさで、熱くなるの。で、お菓子が焼けるんだけど」
 海が両手で空中に長方形を描きながら説明し、クレフは顎に指をおいて考え込んでいる。
 
 ストレートに、あれが欲しいこれが欲しいとはっきり言える海と、呆れつつも大体のことは何とかしてしまうクレフ。風は、この二人のやり取りを見ているのが好きだった。こんなことを言ったら海が怒るだろうが、子供向けの教育番組に出て来る先生と生徒のようだ。
 杖をちょっとかざしたクレフが、ちょっと違うと思ったのか動きを止めてまた考えている。あまり料理などしなさそうだから、イメージしにくいものは難しいのかもしれない。クレフが困っていると思ったのだろう、隣にいたプレセアが、胸をどんと叩いた。
「創師の私にお任せください、導師クレフ、ウミ!」
「創ってくれるの?」
「当たり前よ! さあウミ、おーぶんの原料を取ってくるのよ!」
「そこから!?」

 やいやいと言いあっている一同を見て、光は楽しそうだ。
「本当に、海ちゃんの周りっていっつも楽しそうだよね!」
「―― ジェオに聞いてみてください。あの人、常に艦の中にお菓子を大量に隠してますから」
 イーグルの声が突然頭に響く。どうやら、今の会話を全部聞いていたらしい。風が見る限り、寝椅子に悠々と寝そべって両手を組み、ゆったりと眠っているように見える。その右手が不意に動いて、戦艦の方を指した。
「うんっ! 私、聞いてくるね!」
 光が素早く立ち上がると、軽い足音を立てて戦艦に駆け出した。その後ろ姿を見送りながら、風はイーグルを見やった。

「もう、手が動かせるんですのね」
「ええ、フウ。みなさんが回復を願ってくださっているおかげでね」
「良かったですわ」
 微笑んだとき、
「それもかよ!?」
 遠い戦艦から、ジェオの大声と、ザズがゲラゲラ笑う声が聞こえてきた。どうやら、お菓子のコレクションが光に見つかったらしい。ほどなく、サンタクロースのようにお菓子を詰め込んだ袋を担いだ光が砂浜を駆けてきた。
「大量♪ 大量♪」
 カルディナが袋を受け取り、中身をタータとタトラに見せる。褐色の肌をした三人の娘は、異国の菓子に物珍しそうだ。


 セフィーロの面々も次々と砂浜に下り、お茶会の準備がちゃくちゃくと進められている。手伝おうと風が立ち上がった時、ジェオがイーグルのところへ歩いてくるのが目に入った。その表情が、さっきとは打って変わって真面目なもので、風と駆けてきた光の二人は動きを止める。
「どうしたんですか? ジェオ。何かありましたか?」
「今、お前の父君……本国の大統領から連絡が来たぜ。お前と俺宛だ」
 小さなモニターを手に持っている。どすっと音を立てて、イーグルの寝椅子の隣に腰を下ろした。眠るように目を閉じていたランティスが、ちらりと二人を見やった。
「何と言っていますか?」
「帰国しろって」
「困りましたね。そう言われても、僕は身動きできませんし……」
「だから、連れ帰るようにと俺に指示が来てる」

 起き直ったランティスは、険しい表情をしている。ランティスとイーグルを見比べた光は、不安げな顔を見せた。イーグルはにっこりと笑った。
「心配しないでください、お二人とも。ジェオは、僕が望まないことはしませんよ」
「そう言われても、俺も困るんだけどよ」
 大統領とイーグルの間で板挟みになっているジェオは、複雑な表情だ。

「ジェオは真っ直ぐにしか物事を口にしませんからね。時には『うまくやる』ことだって必要ですよ」
「悪いな、おまえほど俺は器用じゃねぇんだよ」
 ジェオは肩をすくめると、イーグルを見下ろして続けた。
「まあ、父君のほうが無理を言ってると俺も思うぜ。お前の病は、オートザムの医学じゃ治療不可能だ。意志の世界であるセフィーロでしか治癒の可能性はねえし、実際この国で、病気は少しずつ良くなってる。その上、この国じゃテレパシーが使えるからコミュニケーションには困らねぇが、オートザムじゃ意志を伝えるのもひと苦労だ。……父君は、本当にそれを分かっているのかね。もしかしたら、単純にお前を心配してるんじゃねぇのか? 何しろ、三年前にオートザムを出て、それきり会ってねぇんだろ。ちょっとくらい顔見せたらどうだ?」

「父は、そういう人ではありませんよ」
 にこやかにイーグルは否定し、すぐに続けた。
「眠りから覚めたら、自分の足で一度は帰国しますよ、用事もありますし。ただ、オートザムに長居はしませんが」
「なんでだよ。お前の国だろ? オートザムは」
「もう、帰る気はありませんよ。僕の国とも思っていません」
「……イーグル」
「というよりも、僕に資格がありません。僕は、オートザムにとって『裏切り者』ですから」
「そんな……!」
 光が、ぐっと拳を握りしめた。

「僕の『願い』は、セフィーロの『柱』になり、セフィーロと共に永遠の眠りにつくことでした。オートザムは、セフィーロの『柱』システムを解明して自国を再生させるか、それができなければ移住地としてセフィーロを考えていた。だからこそ、軍費を割いて僕らを送り出したのに、です。もしも僕の『願い』が現実になっていれば、『柱』システムの解明も、移住も不可能になります。オートザムは滅びの道を突き進むほかなかったでしょう」
「でも、そうはならなかった」
 光が何度も首を横に振った。
「それは、あなたがいたからですよ、ヒカル。現実にならなかったけれど、僕がオートザムを裏切った事実は変わりません」
「そんなことない」
 光はもう一度、きっぱりと言った。
「今のセフィーロは、ここに住んでる全ての人の意志で成り立っているんだ。あなたの意志も、その中に入ってる。『柱』の解明はできなかったけど、みんなが今、オートザムの大気がどうやったら綺麗になるのか考えてる。いざとなったら移住だってできる。状況は、よくなってるとわたしは思う。絶対、だいじょうぶだよ」

 だいじょうぶ。そう光が言うと、本当にすべてが問題ないように思えてくるから不思議だ。
「ヒカルの言う通りだぜ。それに……おまえはもうオートザムとは縁を切ったつもりでいるかもしれねぇが、あっちの国民が同じことを思うかどうかは、別の話だ」
 付け加えるように言ったジェオの言葉が、風の頭に引っかかった。遠まわしな言い方ではあるが、オートザムの人々がイーグルの帰還を望んでいる、ということだろう。元々、次期大統領の最有力候補だと聞いたことがある。風は寝込む前のイーグルと会ったことはないが、それでも今のイーグルと話していて、非常に有能な人だということは分かる。 
 イーグルが日々回復しているのは嬉しい。しかしその反面、もし完全に回復すれば、今の平穏な日々は終わってしまうのかもしれない。

 風は、視線を砂浜に転じた。育ちも考え方も違う人々が協力しあって、テーブルと椅子を並べ、ケーキを皿にもりつけ、紅茶を淹れている。三年前には想像もつかないくらい、全てが良くなった。争っていた四つの国は手を取り合って、今は互いの良いところから学んでいる。
 セフィーロも変わった。かつてのような、『柱』の意志しだいで全てが可能となる世界と違い、より全てが複雑になった。問題が起こっても、今は自分たちで解決しなければならない。でも、最も強い意志を持った者が、自分の心と体を殺さなくてもよくなった、それだけで素晴らしいことだと思うのだ。 人は、「国」のような曖昧なものだけを愛するようにはできていない。そこに愛する人がいるから、その人たちが住む国を愛し、護ろうとするのだ。国だけを愛し、国よりも人を愛する事を許されないなんて、絶対に間違っていると思う。

 それなのに三年前、風たちは『柱』制度に従い、『柱』を、この手で殺した。その感触ははっきりと両手に残っている。エメロード姫が例えそれを心から望んだとしても、その事実は変わらず、いまだに風は何度も悪夢にうなされる。
「……風ちゃん?」
 ふと気づけば、光が心配そうな顔で、風を見上げていた。風はにっこりと笑って首を横に振った。こんなことを話したら、光が傷つくだけだ。その上、過ぎ去ったことを悔やんでも、誰にもどうすることもできないのだ。「死んだ者は、生き返らない」のだから。だから、過去ではなくて今だけを言葉にした。
「光さん。私達は魔法は使えますが、魔神を失った今、もう魔法騎士ではないのかもしれません。それでも、私たちは一生懸命、この国々のためにできることがしたいと思います。セフィーロを愛して、みなで幸せになること。エメロード姫ができなかったことをやること。それが、私たちにできる唯一のことですから」
「……うん、そうだね」
 頷いた光は、風のいいたかったことをきっと分かっているのだろう。そんな時の光の横顔はいつも凛として強く、風はハッと魅入られる思いがする。

「なにやってるの、光、風! 準備できたわよ!」
 かいがいしく働いていた海が、二人を見やる。ザズが、人数分の紅茶をお菓子を持ってきてくれた。風が見ると、確かに皆もう準備は万端らしく、木陰で仲睦まじく話をしている。透き通るような明るい緑の葉が、彼ら彼女らの頭上に降り注ぐようだった。
「本当にこの国の緑は美しいな。チゼータではこんな柔らかな色にはならないんだ」
「ファーレンにもこの色はないのだ。この季節のセフィーロは本当に美しいのう」
「そうなのか? オートザムから見りゃ、植物があるだけで貴重だと思うけどな」
 確かに、と会話を聞いていた風は思う。東京とも異なる、幻想的とさえ言える美しい色をしていると思う。その時、突然誰かの腹が鳴る音がした。

「……ごめん」
 口元を手で覆った光が、顔を真っ赤にしている。
「お、俺だ! 俺の腹の音だ!」
 ザズが光を庇おうとしているのを見て、風は思わず噴き出した。和やかな笑いがその場に流れる。そして、その場の視線が自然とクレフへと集まった。海と話していたクレフがそれに気づき、紅茶が満たされたティーカップを少し差し上げた。
「この『美しい』国に」
「乾杯!」
 全てが美しい、確かに思っていたのだ、その時は。



* last update:2013/7/11