一瞬、耳をつんざくような音が周囲に響き渡った。地上門は、もうもうとした煙に覆われて、周囲からは何も見えない。しかし、一陣の風が吹き、煙の大部分を吹き払った。

「……あれは」
 イーグルが呟いた。
 稲妻のように明滅するバリアが、地上門を取り囲むように張られていた。地上門を襲った本団は、間一髪で現れたバリアによって弾かれ、霧散していた。
「プレセア……」
 何人もの魔導師の中央に立っていたのは、金色の髪をなびかせたプレセアだった。その頬にはまだ涙の後が残っていたが、その目は涙か、感情の昂ぶりかキラキラと輝いて見えた。

「次いつ発射されるかわからないわ。杖は構えたままでいて」
 プレセアの言葉に、はい、と魔導師たちがうなずき、それぞれが手にした杖を宙に掲げた。それぞれの杖から発せられた力が、プレセアに集中している。その「力」はプレセアの手の中で収縮し、巨大なバリアを創り出していた。
「それは……」
 プレセアの隣にいた風が、プレセアの手元を見て目を見張った。
「私が創りだせるのは、形ある武器だけじゃないわ」
「私も……」
「いいえ、フウ」
 プレセアは、駆け寄った風を見下ろし、微笑んだ。
「今このセフィーロで、傷を癒せるのはあなただけよ。力は残しておいてほしいの」
「いいえ、それだけではなく……大丈夫ですか? プレセアさん」
 風の言葉に、プレセアは少しだけ目を見開いた。その口元が、ほろ苦い笑みに彩られる。
「頭のいい子ね。まだ、悪い夢を見続けてるみたいよ。目の前のことが現実なのかわからないの」
「プレセアさん……」
「でも、クレフは私に仰ったもの。『セフィーロを頼む』と。もうあの人はいないのに、それでもあの人の言葉は私を縛る」
「きっと、戻って来られますよ。クレフさんはそういう方ですもの」
 心を込めた風の言葉に、プレセアは目を閉じてうなずいた。同時に、新しい涙がその頬を濡らした。

 プレセアは、上空の戦艦を見据えた。隣に、ラファーガが並んだ。
「導師がいないからといって、セフィーロの力を見くびるなよ」
 プレセアを守るように、数多くの魔導師や戦士たちが杖や剣を手に、戦艦と向き合った。
「ラファーガ!」
 フェリオが一声、鋭く叫んだ。脇から何人ものゲリラ兵が飛び出し、襲いかかってくるのを目の端に捉えていた。
「カルディナ、フウ、アスコット! おまえたちは居住区へ。敵が侵入しないように通路の警備を固めてくれ、早く!」
 フェリオの声に三人は同時にうなずき、踵を返した。その背後で、剣を抜いたセフィーロの戦士とオートザムのゲリラ兵が鍔競り合いを繰り広げている。

 戦いに加勢しようと駆け出したフェリオは、剣を抜き、背を向けたラファーガにさえぎられた。
「馬鹿者! 最前線に立つな」
 フェリオに銃口が向けられたが、ラファーガは間髪入れず懐の短剣を投げつけた。手から血を流したゲリラ兵が背後に跳び下がる。
「でも、こんな時に……!」
 自分だって戦えるのに、ラファーガに守られているのが納得いかず、フェリオは声を張り上げた。
「こんな時だからこそ、自分にしかない役割を考えろ! お前は王子だろう!」
 びくり、とフェリオの体の動きが反射的に止まった。

 フェリオは、その場に立ち、ぐるりと周囲を見渡した。戦艦は、もがきながら沈んでいく巨大な獣のように、その身を海に沈めていっている。それを、中空に浮かんだままのFTOが見守っていた。ゲリラ兵は次々と身柄を確保されたが、その半面でセフィーロの者たちも何人も傷つき、居住区のほうへ運ばれてゆく。

 これはなんなんだ、とフェリオは怒りに近い感情を覚えた。わずか2週間前、この国の平和と美しさを讃え皆で乾杯したことが、嘘のように思えた。これは現実なのか? そう思いそうになる自分を、ぐいと現実に引き寄せる。


「……勝負ありましたね」
 やがてイーグルは、静かな声でそう言った。その場の全員が快哉の声を上げても、FTOは微動だにしなかった。今沈もうとしている戦艦は、彼の母国のものなのだとフェリオは思わずにはいられなかった。不意に、FTOが振り返った。
「どうしますか? フェリオ。ご決断を」
 FTOは、まっすぐにフェリオのほうを向いていた。戦いをやめたセフィーロの者たちも、アスカたちも、皆フェリオを見つめていた。

「俺、は……」
 セフィーロにしてみれば、今のオートザムは「敵」でしかない。最高責任者が不在のセフィーロの「王子」として、国まで攻め込まれておいて、生ぬるい決着をつけるわけにはいかない。そもそも、このまま甘い処遇に終わらせたりすれば、次の攻撃を招くだけだろう。

 考えてみれば、寛大な決断のほうが、厳しい決断よりもよほど難しいのだ。それなのにいつも、敵に対しても寛大な対応を続け、周辺国の信頼を得てきたクレフの指導者としての能力を、今にしてフェリオは思い知っていた。そして今まで、クレフに国の重責を預けて、王子とは名ばかりの自由な身でいたことを、思わずにはいられなかった。そしてクレフは、そんなフェリオに何も言わなかった――。

 俺は、オートザムをこのまま、亡びさせたくない。
 それが、フェリオの偽ることなき本心だった。高い技術力を持っていることや、この世界を構成するひとつだということは理由の一つではあるが、大して重要ではなかった。イーグルが生まれ育った国だ、ということが重要なのだ。フェリオはイーグルと三年間の間、特に彼の意識がはっきりし始めた2年前からは、よく話をかわしてきた。取るに足らない雑談だったり、政治にかかわる話だったり話題はバラバラだったが、それでも、イーグルという人間を好きになるには十分な時間だった。

 だから、フェリオには手に取るように今のイーグルの気持ちがわかった。本当は、オートザムを亡びさせたくはない、それどころか救いたいという気持ちで心を痛めているに違いないのだ。それなのに、今の立場からそれを口にできずにいる。

―― でも……
 そんなことができるのか、オートザムと共存するなどということが? この決断を、後で後悔することにはならないか。判断を誤った時の代償は、セフィーロの国民の命かもしれないのだ。
―― 導師クレフ……
 フェリオは、彼の名を心で呼んだ。弱気な声になっていたのは否めない。判断してくれとは言えない。ただ、この判断が正しいのかどうなのか、一言聞いてみたかった。

 その時、背後から差し込んでいる影に、フェリオは気づいた。そして背後を振り返った時、彼は立ちはだかっていたものの巨大さに、息を飲んだ。

 それは、クレフが新たに創ったセフィーロ城居住塔のうち一塔―― チゼータの国民が入居したのとは逆の、第5塔と呼ばれる塔だった。その時、この塔を巡って風とかわした会話が、急に思い出された。
―― 「チゼータの人々じゃ、増えた一柱分でさえ十分に余るのに。どうしてもう一柱増やされたのかな」
―― 「……オートザムからも避難民が来る可能性があると、お考えなのではないでしょうか」

「……」
 そうだよな、とフェリオは、背中が温められるような気がしていた。いったい何のために、クレフがこの塔を残していったか初めて腑に落ちた。クレフの答えは、この巨大な塔そのものではないか。いつだって、セフィーロだけに縛られることなく、すべての人々の平和を第一に考える人だった。

「……アスカ。悪いが、もう一度幻術で戦艦の動きを縛ってくれ。そしてザズ、ハッキングを解いてくれ。そうすれば、戦艦の沈没は止まるし、オートザムの反撃も防げる」
 フェリオはゆっくりと、しかしはっきりと口に出した。
「そのうえで、第5塔にオートザムの全兵を収容する。そして、唯一復路のエネルギーが残っている艦には俺が乗る。オートザムへ向かい、大統領と話す」
 その場の全員の意識がフェリオに集中し、そしてそれぞれが心のうちでうなずいたのを、フェリオは確かに感じた。

 これでよかったのか、そんなことは後にならなければわからないのかもしれない。
 ただ、祈るような気持だった。




* last update:2013/8/3