善は急げとばかりに、その日の夕食後すぐに、光とランティスはチゼータに、風とフェリオはファーレンに旅立つことが決まった。半月程度で帰国する予定だったが、王子としての責務を考えると、意外と周囲に引き継いでいかなければならない仕事も多い。行儀が悪いと風に怒られそうだ、と思いながら、フェリオは携帯食をくわえたまま、当座の身の回りのものを鞄に突っ込んでいた。

 一人で旅支度をする時、こんな上機嫌にはならない。やぱり風が一緒に来てくれることを意識せずにはいられない。あんなにきっぱりと、自分も行くと言いだしてくれるとは思っていなかった。意外だったが、嬉しかった。いつも風たちは「ドヨウ」か「ニチヨウ」という休日にやってきては、夜にならないうちに異世界へと帰ってしまうから、半月も一緒にいられるのは初めてのことだった。「ガッコウ」は大丈夫なのかと聞いてみたが、セフィーロにいる時間は異世界ではカウントされないらしい。長時間セフィーロにいても、戻ってくれば異世界では一秒も経っていないということだ。それならいつも、もっと長くいてくれたらと思うが、やはり彼女たちにとってみれば「異世界」での生活がメインなのだろう。淋しくはあるが、それを言えば風が苦しむのはわかっていた。

「……なんだ?」
 部屋の中がチカッと光ったような気がして外を見ると、真っ暗な窓の向こうで、稲妻が明滅するのが見えた。
「魔法か?」
 フェリオには魔法は使えない。だが、空は雨の兆しがなく、雷だけが光っている状況から、魔法だと想像するのはたやすい。でも誰が、と思った。もし魔物か何かが襲ってきているのなら大騒動になっているはずだし、誰かが魔法の練習でもしているのだろうか。急いではいたものの気になり、フェリオは荷物をそのままに、廊下へ出た。そしてほどなく、中庭に見知った長身の後ろ姿を見つけた。

「アスコット! なにやってんだよ、こんな時間帯に」
「ちょっと、この間習った魔法を復習したくなっちゃって」
「それはいいけどよ……」
 まだ、セフィーロの人びとは、三年前の混乱から完全に立ち直っていない。特に、雷に怯える人は全体の何割にも及ぶ。なぜなら、崩壊寸前だったセフィーロの城の窓からは、いつも闇の中に稲妻が閃めくのが見えたからだ。「稲妻が国土を打ち砕く」と怯えた者も多かったはずだ。この場所に一般の人びとはまず来ないが、それでも稲妻が居住区域から見えないとも限らなかった。

 フェリオの表情が曇った理由に気づいたのだろう、アスコットはうなだれた。
「ごめん、こんな夜に……だめだよね。もう止めるよ」
「……いや。もう一回だけ、やってみな」
 早めに切り上げるべきだと知りながら、アスコットの表情が妙に気になった。何か、思い詰めている。体は大きくなってもまだ子供のようなところがあるアスコットを、フェリオは弟のように思っていた。うん、とアスコットは素直に頷いて、手を前にかざした。掌に、光が集まってゆく。
「稲妻招来!」
 強力な花火を何百も同時に破裂させたような、まばゆい光にフェリオは目を閉じた。そして目を開けた時には、アスコットの目の前の地面に、大きなくぼみができていた。フェリオは思わず口笛を吹いた。この威力なら、セフィーロを闊歩する魔物を一撃で倒せるだろう。

「すごいな、大したもんだ」
 率直な称賛が勝手に口をついて出た。クレフに魔法を習い始めて三年、筋がいいと噂に聞いていた。しかしアスコットは、満足していない視線を地面に向けている。
「強くなるって決めたんだ、ウミのために。もう、魔神はいないんだから。僕がウミを守るんだ」
「……アスコット」
 アスコットが海を好きだということは、彼を知る人なら大抵知っている。海の話が出ただけで赤面するのだから、よほどの鈍感でも気がつかないほうが難しい。ただ、運がいいのか悪いのか、海は稀有な鈍感の一人のようだった。
 海の心の中ではアスコットは、初めて会った時の子供のままなのかもしれない。アスコットの恋路は険しい、というのが全員の意見の一致するところだった。

「お前は立派だよ。大事な人のために何ができるか、お前なりに一生懸命考えてるんだから」
「でも、わからないんだ。僕は、ウミのために何ができるんだろう」
 何気ないアスコットの呟きに、フェリオはハッと胸をつかれた。俺は、風のために何ができるんだろう、そう言い変えてみた。フェリオは自分でも、人の心を推し量るのが苦手だと思う。自分の目標ばかり追って、周りに目をやる余裕がない自分は、アスコットよりもよほど幼いのではないだろうか。いつも風が隣にいてくれるから、甘えていた。

「俺なんかは、人の心にうといから、優しくしたくてもやり方が分からないんだ。代わりに、強くなって大事な人を守りたいと思うけどな」
「でも、強いって何?」
 アスコットはフェリオをまっすぐに見返してきた。
「小さかったころは、体が大きくなれば強くなれるかと思った。大きくなってからは、自分の力で戦えたら強くなると思った。でも、それだけじゃないみたいだ」
 そう言われて、フェリオは自分が知る「強い」人々を思い浮かべた。

 初めて会ったころ、窮地に陥りながらもフェリオを頼らず、自分たちで戦いを乗り切ろうとした風に惹かれた。一緒にセフィーロを巡回したことがあるラファーガの剣術に目を見張った。三カ国に同時に攻められながら、微塵も揺るがない精神力でバリアを張り続けたクレフに敬服した。
 決意の強さだったり、実力だったり、勇気だったりと「強さ」を感じるものは数多いが、強い者は全て独特の「空気」をまとっている。でもそれは、考えて身につけるものではないだろう。
「分からない。でも『守るべき者がある者は強い』と俺は思う」
 フェリオはぽん、と自分よりも高い位置にある、アスコットの肩をたたいた。
「だからお前も、『強い』んだよ。自信を持って、ウミを守ってやりな」
 そう言うと、アスコットは一瞬驚いた顔をしたが、やがて微笑んだ。


* last update:2013/7/11