コン、と一度、襖が遠慮がちに叩かれ、更木はふっ、と目を開いた。
縁側に続く、障子には明るい午後の日差しが注がれ、畳に透けている。
「隊長?」
聞こえるのは、斑目一角の声。寝起きの悪い自分を起こすのに、気を使っているのが丸分かりだ。

昼間っから寝ている隊長を起こすために、気を使う第三席。
考えてみるとひでぇ話だ・・・と、寝ぼけているせいか珍しく殊勝に考える。
「おぅ・・・」
返事をして起き上がったとき。


ばしゃーんばしょーん


耳をつんざくような音に、更木は目を剥いた。
「剣ちゃーん、朝だよー起きて!」
「てめぇ・・・シンバル打ち鳴らすんじゃねえ!」
更木はとっさに(とっさにこういう行動が出るのは問題だが)一足飛びに襖に近づくと、そのまま襖を蹴倒した。
確かな手ごたえを、踏みつけた襖の下に感じる。
「てめぇ、やちる!俺の安眠を・・・」
「きゃははは!」
「ん?」
見れば、シンバルを手にしたまま、中庭を飛び跳ねてゆくやちるの姿。
と、すれば、下にいるのは・・・
「てめぇ、もう少し要領よくならねえか?」
「こ・・・心がけます」
更木は襖を持ち上げ、下敷きになっている一角を救い出した。


「で?何だよ」
「はぁ」
一角は、さっき下敷きになった時にイカレたのだろう、曲がった首を元に戻そうとしながら言った。
「コレなんですがね」
懐から、一枚の紙を取り出す。
「日番谷隊長が、更木隊長にコレをと。今月は一枚だけですね」

「面倒くせぇな・・・」
吐き捨てながらも、畳に置かれた紙を広げ、墨書きしてある書状にチラリと目を通した。
通常だったらまず間違いなく目も通さずに放り出す。
それをやらないのは、依頼主が十番隊隊長・日番谷冬獅郎だからだ。

日番谷が、十一番隊の業務の割り振りをするようになって、何年にもなる。
それまでは、十一番隊の滞納業務はほぼ全て、押し流し的に十番隊に行っていた。
ある日、マジギレした日番谷が十一番隊に乗り込み、おっとり刀で飛び出してきた更木と決闘すること丸三日。
流血、罵詈雑言、野次馬・・・そんなものが無駄に飛び交った後、
日番谷が割り振る。十一番隊はそれをこなす、というルールが作られたのだった。

そうでなくても、十番隊には、草鹿やちるという小爆弾が年中炸裂している。
それを思うと、鬼の更木剣八と言えども、十番隊の依頼を無碍にはできないのだった。

「西流魂街55番。『猫目(ねこのめ)』で、暴動が起きてるそうです。
まぁ、この程度、隊長が行かなくても大丈夫ですが。
どうして日番谷隊長は、この仕事を更木隊長に振ってきたんでしょうね?」
何なら俺が、と一角が身を乗り出したが、更木は畳に胡坐をかいたまま、不機嫌そうに押し黙っている。

「オイ」
ぎろり、と更木は一角を睨む。
「なんで、日番谷は、俺が『猫目』に住んでたことを知ってる?」
「は?」
一角が、その吊り目を見開いて、更木を見た。
「『猫目』にコネがある俺なら、大した反抗無しに押さえ込めると踏んだんだろうよ。
だが誰が知らせた?」

更木が、人の口を気にするのは、極めて珍しい。
「やちるじゃないスか。最近もヒマになると十番隊に行ってるらしいスよ」
一角が答えると、ふぅん、と更木は鼻を鳴らした。
それきり、関心がなくなったかのように大欠伸をする。
「ま、ヒマつぶしに行ってみるさ。馴染みの顔もあるかもしれねえ」
そして、ごろりと無造作に転がしてあった斬魂刀を手にして、立ち上がった。


やちるは、シンバルを朽木家の秘密基地に隠した後、弾むような足取りで、十一番隊に戻っていた。
春になり、寝てばかりの更木が起きている。これは滅多に無いチャンスだ。
「剣ちゃーん。どこかなー?」
蹴破られた襖から部屋の中を覗き込んだが、そこに更木の姿はない。
「剣・・・」
部屋に足を踏み入れたとき、気配を感じた。

ふぅ。
同時に、ため息が聞こえる。
息の音でも、やちるにはそれが更木のものだと分かる。
縁側に立つ見慣れた人影に、パッと振り返ったとき・・・声が、聞こえた。

「やちる」

ぴたり、と、やちるはその場で動きを止めた。
飛びつこうとした中途半端な体制のまま、更木の表情をうかがおうとするが、この体勢では見えない。
「やちる」
もう一度、繰り返される。
それは、やちるが聞いたことが無いほど、小さく、かすれてさえいた。
少なくとも・・・「やちるを呼んでいるわけじゃない」。
やちるが唇を噛んだ瞬間、縁側から気配が、消えた。
慌ててやちるが縁側に出たとき、更木の姿は、もうどこにもなかった。