西流魂街第55番地区、『猫目』。
流魂街にはめずらしく、風光明媚な土地柄である。
町の中心部には蒼い湖があり、湖の北側には、湖を護るようになだらかな丘が広がっている。

その丘沿いに、白壁・臙脂色の瓦の家々が、ずらりと立ち並んでいた。
治安のいい地区からの旅行者も多い地だが、旅行客を狙った犯罪が多いのもこの地の特徴だった。
55番、という地区からも伺えるが、決して治安のいい地とは言いがたいのだった。

やちるは、楽しそうに鼻歌を歌いながら、細い通りを踊るような足取りで歩いてゆく。
やちるにとって、大きな湖など、これまで見たことがなかったから。
町を流れる水の流れ、町に並べられた色とりどりの魚、ひとつひとつ見入らずにいられなかった。
見慣れぬ子供が歩いていても、旅行者になれているこの町の人々は、特に奇異な目を向けたりはしない。

「どこかな、剣ちゃん・・・」
水槽で泳ぐ、赤色の魚に目を奪われながらも、やちるはポツンと呟いた。
日番谷は、やちるをここまで連れてくるが早いか、
―― 「更木を探して来いよ。俺はこの辺で待ってる」
そういって、湖畔に座り込んでしまったのだ。きっと今頃寝てる、とやちるは思う。

―― でもあたし、ひとりじゃ剣ちゃんの気配わかんないよ。
やちるは、日番谷の背中にそう声をかけた。
いつも近くにいすぎるせいで、自分の霊圧との区別がつかないのだ。
―― 大丈夫。あいつが暴れれば、イヤでも分かるから
日番谷は彼にしては間延びした声で、そういっていたが。

「ホントかな・・・剣ちゃん」
やちるは顔をあげて、丘の上のほうに向かって広がる、街並みを見上げた。
その時。
何の前触れもなく、町の一角が爆発した。

「ひええ!更木だ!更木剣八が戻ってきたぞ!」
「逃げろ!とにかく逃げろ!!」
「オイコラ、てめーら!人の顔見た途端逃げ出すんじゃねえ!!」
男達の悲鳴に混ざって聞こえてきたのは、聞き間違えようも無い更木の声。

「きゃは!剣ちゃん見っけー!!」
やちるは、ぽん、とその場を蹴り、体重が無いかのような身軽な動作で、屋根の上へ飛び上がった。
パラパラと瓦のカケラや壁の塗料が撒き散らされる中、やちるは騒ぎの中心に向かって駆けた。

「とうちゃーく!」
タンッ、と下に降り立ち、やちるは満面の笑みで周囲を見渡した。
「あえ?」
右を見れば、そこには刀を抜き放った剣八の姿。
左を見れば、家の隅に追い詰められ、震え上がった男が数人。逃げ遅れたのだろう。
「やちる?てめえ、方向音痴の癖に、なんでここまで・・・」
「ひっつんが連れてきてくれたの!」
「あのガキ・・・。
オイ、下がってろ。こんなクソ面白くもねえ仕事、さっさと片付け・・・」
更木が、肩に担いだ刀をヒュン、と振り下ろしたときだった。

「オイコラ更木!このガキの命が惜しかったらな、刀を引いて出て行け!」
「お?」
更木のほうを向いていたやちるの首筋に、突然短刀が押し付けられた。
ぜえ、ぜえ、と荒い男の息が首筋にあたる。その手は、ガタガタと震えていた。
「あたしにそんなことしても、ダメだよ」
やちるは、男の顔を見上げて、首をかしげた。
外見は子供とはいえ、十一番隊の副隊長なのだ。
霊圧もない男が何人束になったところで、やちるの相手にはならない。

「黙れ黙れ!おとなしくしてろ!」
「剣ちゃん、あたし――」
ちょっとこのヒトなんとかするね。
そう言おうとしたやちるの声は、そこまでで断ち切られた。
「やちるに触んじゃねえ!!」
怒号と同時に、一瞬のうちにやちる達の目の前に現れた更木が、男の腹を蹴飛ばしたからである。

男は声も上げずに吹っ飛び、背後の壁に大穴をあけ、家の外に転がり出た。
スピードなら護廷十三隊の誰にも負けないはずのやちるが、目で追うのがやっとの速さだった。
「剣ちゃん!あたし大丈夫だよ!」
笑顔を浮かべて更木を見上げた・・・やちるの表情から、笑顔がスッと消えた。
更木の表情に、これほどの怒りが刻まれるのを、初めて見たからだ。
「剣、ちゃん」
やちるの、知らない表情。
それを目の当たりにして、やちるは一歩、更木から下がった。
「ひいい!」
男が空けた穴から、残党達が我先に走り去って行く。
わずか5秒後には、周囲は静寂に包まれていた。

ふぅ。
更木は、ため息をつくと、刀を鞘に納めた。
そして、大きな手のひらを、ぽん、とやちるの頭に置く。
置かれた手の指の間から、やちるは更木の表情を垣間見る。
置かれた手も、その表情も。十分すぎるほど、その意味を理解できたから。

「剣ちゃん、だいすき!!」
やちるは、手をのけて歩き出した更木の肩に、満面の笑みで抱きついた。