「ったく、どうなってるんだ……」 吉良は、騒然としている隊士たちを掻きわけるように足早に、真央霊術院へ向かっていた。 突如空座町に「獄門」らしき者が現れたこと。幸い死人は出なかったが建物は崩壊し、現世が大混乱に陥っていること。 そして理由は分からないが、「獄門」が引き上げ、後には真央霊術院の学生が三人残されていたこと。 ―― まったく、無茶をする学生がいるもんだ…… ふう、とため息をついて、ふとほろ苦い微笑みを浮かべる。 霊術院には様々な学生が残した「伝説」があるが、その五本の指に入ると言われているのが、 一年生の癖に先輩を助け、未知の能力を持つ虚と戦った三人組のことだ。 最も先輩もろとも殺されそうになり、当時の隊長と副隊長だった藍染と市丸に助けられた。 藍染も、市丸も、そして最も勇敢だった彼女も消えてしまった。吉良は笑みを掻き消し、唇を引き結んだ。 「あ、吉良副隊長だ!」 「ホントだ、吉良副隊長!」 ごった返する霊術院の門を潜り抜けると、生徒から声が上がる。 伝令神機で写真を撮っている者までいる。全く、と吉良は苛立ちを募らせる。 自分たちが学生の頃は死神は尊敬の対象で、特に隊長や副隊長は目を合わせるのすら恐れ多かったというのに。 最近の学生は先人を敬う心に欠けていると思う。 人混みの中心に、三人の姿を見つけるのはたやすかった。 「日番谷桃第一席! 浮竹銀次二席! 斑目一三席!」 思いがけず大きな声になり、一番手前にいた斑目一は、びくりと肩を震わせて振り返った。 「吉良副隊長……ご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした」 次に振り返った日番谷桃が、殊勝に頭を下げる。両脇の男二人が、其れにならって不器用に頭を下げた。 とりあえず三人とも無事なようだ。 銀次は着物の肩の辺りが破れているが、治療されたのだろう、至って元気そうな動きからも傷ついているようには見えなかった。 ほっ、とそこで胸をなでおろす。三人とも血筋が血筋だけに、万一死にでもすればとんでもない事態になるところだった。 もう少し立場もわきまえてほしい、と今度は腹が立ってくる。 「全く、君たちは……」 そう言いかけた時、腰がふっと軽くなった。ふと見下ろすと、腰に差していた斬魂刀がない。 はっ、として振り返ると、巨大な虎が刀を咥え、一目散に逃げ去って行くところだった。 「コラ、銀虎! イタズラはやめなさいって!!」 桃が「あちゃぁ」という顔をして、吉良に目礼してから猛然と追いかける。 吉良は続きの小言も忘れて、ぽかんとして一人と一頭を見送った。 「銀虎?……日番谷君の斬魂刀か? どうして具象化してるんだ?」 「日番谷が思い通りにならないのは銀虎くらいのもんッスよ。さっきも、敵を攻撃しなかったって言って銀虎に怒ってました」 銀次にそう言われて、ここに来た理由を思い出す。改めて、残った二人に向き直る。 「君たちは、あれが虚ではないと気づいただろう。どうして瀞霊廷に助けを求めなかったんだ」 「本当に、申し訳ありません」 深く頭を下げた一の頭を、ぐいと上から掴んで銀次が身を乗り出した。 「やっぱりあれ、『獄門』だったんですか? 吉良副隊長」 やはり気づいていたか、と吉良はため息をつく。 「それを分かっていて、尚も戦おうとしたのか? 無謀にもほどが……」 言いかけた吉良を銀次が遮った。 「くっそー、滅多にないチャンスだったのに! もっと粘れば良かっ……」 舌打ちした銀次を、今度は一が遮った。 「銀次君! 今は、戦ったら駄目だったっていう話なんだよ。『獄門』なんて本来、レベルが違いすぎる」 吉良は話を二重に遮られたことも忘れて、まじまじと二人を見比べた。 「君たち、本当に銀次君が浮竹隊長の親戚で、一君が斑目三席の息子さんなんだよね? 逆じゃないよね」 「違います!」 同時に二人が返した。一は母親に似ているし、浮竹十四郎も病む前は銀次と同じ鳶色の髪だったという。 外見が似ても、親子が中身まで似るとは限らない、といういい例だった。 「まあ、三人とも無事で良かったが……一体どうして『獄門』は去ったんだ?」 「俺は気を失ってました」 悔しそうに銀次が答え、一をちらと見やった。 「お前は起きてたろ。何があったんだ」 「それは」 一はそこで口ごもった。空気を読むこの少年のことだ、おそらく言って不都合なことがないか心配しているのだろう。 そして、自分のことなら素直に謝る性格に見える。銀次が伸びていたとなれば、秘密を持っているのは桃に違いない、と見当をつけた。 こういう少年は、一度口を閉ざすと中々しゃべりださない。どうするか……と思った時、たむろしていた学生たちが再びわっと湧いた。 「おいどけ、お前ら! 騒ぎを聞いて集まって来たのか?」 「あー! 檜佐木副隊長に、阿散井副隊長まで来た!」 「おつかれさまですー!」 「おー」 「おう」 檜佐木はまるで不良少年のように両手を脇に突っ込み、恋次は大柄な体を曲げるようにして門をくぐっている。 吉良が来た時よりも、あきらかに盛り上がっている。こんな不躾な挨拶にも、律儀に返すからかもしれない。 吉良は檜佐木に頭を下げると、自分より頭ひとつぶん高い恋次を見上げた。 「どうしたんだ阿散井君、檜佐木先輩まで」 「なんだじゃねぇよ。この話題で、隊首会が盛り上がっててよ。三人を連れてこいって、総隊長が」 くいっ、と恋次は背後を指差してみせる。その向こうには、一番隊舎がある。 「本当かい? 学生が隊首会になんて……」 「総隊長がいいっつってんだ、かまわねぇだろ。……一人足りねぇな」 檜佐木が伸びあがるようにして学生たちを見渡す。 「もう一人はあちらです」 吉良が、今はもう豆粒くらいのサイズにしか見えない桃と銀虎を指差した。恋次は背中を逸らして、大声を出した。 「おい、日番谷桃! 銀虎! 親父殿がお呼びだ!」 遠目でも、ひょい、と二つの頭が恋次の方を向くのが分かった。そのタイミングや動きが全く同じで、吉良は思わず感心した。 言う事を聞かないと言っても一心同体のようなものだ、思考回路は同じらしい。 一目散に戻って来る桃と銀虎を見て、恋次は思わず、というように噴き出した。 恋次が三人の頭をがつん、とそれぞれ一発ずつ殴り、頭を抱えた三人を連れて一番隊舎へ戻ってゆく。 その後ろ姿を見て、吉良に並んだ檜佐木は微笑んだ。 「なんか、思い出すな。お前らもここに通ってたころ、いつも三人でつるんでたろ」 「どれだけ昔の話ですか」 吉良は苦笑いし、自分も少し前まで同じ事を思い出していたことには触れなかった。 自分たちの代では、一見大人しいが、抜群の鬼道の才能を見せた雛森桃が首席だった。 全ての教科をそつなくこなした吉良が第二席、戦闘能力では一番だったが鬼道が泣き所だった恋次が三席。 自分の方が上だと優越感を持ちながら、腕力が圧倒的に恋次に劣るのがコンプレックスだったことを懐かしく思い出す。 ……いや、コンプレックスというよりも、自分の力の弱さを雛森に知られるのが嫌だった、本当はそれだけだった。 あの頃の自分は幼かった、と思う。いっそ愚かしいほどに。 「お前がいつもストッパーで、恋次が無茶やらかしてよ。でもその実、いざとなると一番大胆なのが――雛森だったよな。 俺が実習の時に虚に襲われた時、真っ先に助けに飛び込んできたのがあいつだっただろ。まだ実戦経験もねぇのに」 「そうですね」 吉良はわずかに口角を上げる。 「僕はいつも、二人の後をついていくばかりで。斑目一の立場は他人事じゃないです」 「……やっと、雛森のことを話すようになったな、お前も」 そう檜佐木に言われて、複雑な表情に戻る。 「ふっきれたわけじゃないですよ。彼女の記憶を、死ぬまで持っていく覚悟ができただけです」 護れなかった少女の面影は、今でも時折夢に現れて吉良を苦しめる。 痛みはいつの間にか、遠のくどころか吉良の中で深く結び付き――吉良の魂と痛みは、もはや切っても切り離せないものになりつつある。 その時、背後からぐん、と背中を押されて振り返ると、銀虎がごろごろと喉を鳴らしていた。 体当たりするように檜佐木にもぶつかり、檜佐木がよろめく。 「ヤンチャな奴だな、こいつが銀虎か。日番谷桃が手を焼いてるっていう」 ぽん、と檜佐木がその巨大な頭をなでてやる。体高こそ二人の方が高いが、体長で見れば3メートルはある銀虎の方が明らかに大きい。 「斬魂刀が強すぎるんですよ。聞きそびれましたが、たぶん『獄門』を退けたのはあの娘ですよ。行く末恐ろしい子供です」 「ま、親が親だしな。今頃、顔合わせてるころだろうよ」 檜佐木と吉良は揃って一番隊舎を見やった。
2012/7/11