真央霊術院の屋根のてっぺんに取り付けられた古い風見鶏が、かたかたと音を立ててまわっている。
夕焼け空が教室の窓からは見渡せた。帰って行く生徒たちの笑い声が、校庭から聞こえてくる。
「こら、斑目。手が動いてないぞ」
ぼうっと外の声に耳を傾けていると、すかさず壇上から声が飛んできた。
慌てて、机の上のテスト用紙に視線を戻した。まだ、半分ほどしか埋まっていない。
戦術についてのテストだった。特進学級は、皆将来の席官を想定して授業を受けている。
その分、より上の立場から、下の者をどのように動かすか、という視点での教科が多い。

ただ、一は戦術の授業が苦手だった。自分一人を動かすのでも苦労しているのに、誰かを動かすなんてとんでもないと思う。
鬼道は得意だが、集団的な戦術として鬼道を使うとなれば全く適性は別だと思わざるを得ない。
百人や二百人レベルの死神をどう配置し、どのように攻めるのが効果的か、などと問題が出ると困ってしまう。
結局、誰かの上に立つような器ではないのだ、と自分で認めるほかなかった。そもそも、誰かと戦い殺し合うなどできれば避けたかった。
本当なら、四番隊に入り、治療を専門に学びたい。でもあの父にそれを言えば、烈火のように怒り狂うことは分かりきっている。
それに一の中でも、父親の影響なのかもしれないが、「男たるもの強くなければいけない」とも思っている。
結果的に、卒業を半年後に控えた今も、一は自分の進路を決められずにいた。

ちらり、と一は隣で同じように机に向かっている銀次と桃を見た。
銀次は、くるり、くるりと指先で鉛筆を回しながら思案の表情だ。でも、もう解答用紙はほとんど埋まっている。
こと戦術については、銀次の成績は桃を抜いて一番だった。
銀次は、敵を見つければ真っ暗闇だろうが足元も確かめず、迷わず駆けだすような無鉄砲な男だ。
それでも、必ず帰って来る。実は頭はいいし、戦いのセンスは抜群だと皆が認めている。

それに、「獄門」との戦闘の最中に一が逃げ腰になった時、銀次から投げつけられた言葉が突き刺さる。
―― 「じゃあ逃げるか一? 逃げたら、そこにいる人間たちがこいつを倒すのかよ? 今ここで、戦えるのは俺たちしかいねぇんだぞ」
ただの戦い好きではない。よく全体を見ているし、全体の中で自分がどういう役割を果たし得るか、よく分かっている。
子だくさんの一家の長男、という生まれから、自然に人の上に立つことを学んだのかもしれない。
一人でも戦えるが、集団の中でも力を発揮する。案外こういう男が一番早く隊長になるのではと思う。
一は訊いていないが、すでに十一番隊への入隊が決まっているとのうわさもあった。
決してうらやましいとは思わない、が、あの父に銀次が認められているのを知るのは、複雑な気持ちだった。

桃は、というと、渡り廊下の向こうの景色に目をやっていた。
それなのに一と違って怒られない、という時点で、すでに試験内容は書き終えているのだろう。頬杖をついて、壇上の席に座っている志波を見返した。
「ねぇ、志波先生。鬼道と体術って、どっちが強いですか?」
「そりゃ、単純に比較はできないさ」
志波は苦笑する。そろそろ退屈そうだった銀次が身を乗り出した。
「でもよ、さっき、あの斑目三席を鬼道で押さえてただろ。戦いの続き、見てみたかったぜ!」
「はは、俺は斑目三席には勝てないさ」
あっさりと志波は手を振った。
「は? でも先生、さっき自信満々だっただろ?」
「あの時は、ああいう態度でああ言うのが一番いいと思っただけさ。ハッタリだよ」
「……ある意味すげえよ」
銀次が呆れたように言って、椅子の背に背中を凭せ掛ける。
「お父上には黙っててくれよ」
悪戯っぽく笑って志波が一を見た。一はこくこくと頷く。
一からすれば斑目一角は、挑発するどころか、軽口をたたく日さえ一生来ないと確信できる、恐怖の対象だった。
下手な口をきこうものなら、言葉の綾ではなく文字通り殺されかねない。
一角に比べて、学者風でぱっと見ひ弱な志波は対照的で、間違っても志波のほうが強そうには見えない。
それなのに、しゃあしゃあとした態度を見ていると、今「勝てない」ときっぱり言ったことさえハッタリで、更に裏がありそうにも思えてくる。


生徒たちからの問いただすような視線を感じ取ったか、ぱん、と志波は掌を打ち鳴らした。
「はい、テスト終わり。後はテキストの第三章、137ページ目から章の終りまで目を通すこと。黙読したら、帰ってよし」
首席から三席までが揃っているせいもあろうだろうが、一たちの前では志波は時におざなりだ。
普通の授業なら音読させた上で解説するだろうに、自分たちが黙読している間に今のテストの採点をする魂胆なのだろう。
「第三章?」
しぶしぶテスト用紙を一に手渡した一が教本をめくってみると、そこには「第三章 王廷と瀞霊廷の貴族との関わりについて」と書かれていた。
ずらずらと長い文章を隣から覗き込み、銀次があからさまにため息を漏らす。桃はすぐにページを繰っていた。

この世界には、ソウル・ソサエティや現世だけではなく、数限りない「世界」が存在する。それを知った一年の時、胸をときめかせたものだ。
三年になって、その世界全てを支配する「王廷」というレイヤーが存在するのを知った。すごいとは思ったが、胸のときめきは小さくなったようだ。
六年になった今、王廷のトップに立つのが「霊王」であることも、瀞霊廷をどのように支配してきたのかも知っている。
今はもう王廷は想像の産物ではなく、ただの知識のひとつとして理解するようになっていた。

そして、王廷と瀞霊廷の接点は、ここ百五十年ほどの間に、徐々に縮まって来たのだそうだ。
護廷十三隊から王属特務に昇進する者は昔からいるし、少し変わった形としては、現総隊長の日番谷が少年時代、王廷で学んでいたのは知られた話だ。
もっとも、日番谷自身が王廷での体験について語ることはほとんどないと言う。みだりに口外しないようにと口止めされているのかもしれない。
中央四十六室が失脚した今となっては、王廷との接点は四楓院家などの貴族と、一部の死神に引き継がれている。

「……ねぇ、志波先生」
黙って読んでいた桃がふと顔を上げ、ページの端を指差した。
「王廷と接点がある瀞霊廷の貴族は、元々は六大貴族って呼ばれてたのに、途中から五大貴族に変わっています。
このページの隅の方に小さく、『志波家の失脚により五大貴族となった』って注釈があるけれど。これって、先生と関係あるんですか?」
そう言われてページを何枚か戻ってみると、確かにそう書かれている。正直、注釈など気にしていなかった。
志波はうぅん、と唸る。いつも飄々としたこの男にしては珍しい反応だった。
「皆気づかないか、気づいても遠慮して聞かないんだけどね。ま、珍しい名字だしな」
「ってことは。先生、昔偉かったのか?」
銀次が言って、自分で吹きだした。悪いが一も同感だった。
見る限り、志波は威厳もなければ王子様然とした美形ではないし、「貴族」のイメージが全く当てはまらない。志波は頭を掻いた。
「あのなあ。志波家が失脚したのは大昔だ。俺が生まれたころにはもう、志波家は失脚してたんだから。
俺が流魂街の隅っこにある、いつもへんてこな家で育ったのはお前たちに話したことがあるだろ?」
ああ、と三人は三様に頷いた。一には今いちピンとこないのだが、その家の前に置いてある「オブジェ」はいつも見る度に違っていて、
どれもこれも変なのだという。だから、「いつも」へんてこな家だと呼ばれているらしい。
「……どうして、失脚したんですか?」
ドキリとするほど、桃の質問はストレートだった。自分にはとても、こういう聞き方はできないと一は思う。

志波は頭を掻いたが、やがてふぅ、とため息を漏らした。
「志波家はね、罪を犯したんだ。死神として、絶対やっちゃいけない罪を。だから、貴族の座を追われたんだ」
「罪を犯した代だけじゃなくて、そのあとの世代もずうっとか?」
銀次が眉をひそめた。浮竹家を背負う立場にいるのだ、気になるのだろう。
しかし一は、志波の口角が少しだけ上がるのを見た。口調も、決してネガティブなものではない。
「……先生、なんかちょっと、嬉しそうね」
桃の言葉に、一も頷いたほどだ。
「すまないな。それは、口外してはならないんだ」
志波は首を振ったが、やがて付け加えた。
「でもね。志波家の先祖がやったことは、『犯罪行為』ではあるけれど、『恥ずべきこと』とは思わない。
だから俺も、こうして教師として教壇に立てるんだけどね」

もしかしたら、これほどさらりとこの章を終わらせようとしたのは、
桃なら意図的かと疑うほど細かい字で書かれた注釈を見つけ、問いただしてくると読んでいたからかもしれない。
しかし志波はそれきり口をつぐみ、それ以上詳しく聞くことはできなかった。

2012/7/19