1月2日。テレビはお正月番組を次々と映していた。
なつめ堂は、大通りから一本入った立地にあり、大通りの突き当たりはお寺になっている。
大通りは初詣の人たちが行き交い、一年で一番、と言ってもいいくらいの賑やかさであふれている。
なつめ堂にも賑わいは届いていて、お客さんの何割かはお店の前も通って行く。
「あれ〜? このお店、なんか雪多くない?」
「ていうか、雪降って来たよ! 急ご」
女の子たちの賑やかな声が部屋の中にも聞こえてくる。はあ、とわたしは思わず、ため息をついた。
実を言うと、かなり、困っていた。

わたしは、喪中なのにうっかりやってきた年賀状をめくりながら、窓の外を見やった。
11時過ぎの空は、風景も青く染まりそうなほどに晴れ渡っていた。窓の外には、ちらり、ちらり、と気まぐれな雪が舞っている。
思わぬ置き土産は、5センチメートル四方くらいの小さな座布団をへこませて、ずっしりと座っている。
言わずと知れた、大晦日の夜に、冬獅郎くんがくれた花形の刀留めだ。
もともとこの座布団は写真立ての下に敷くために作ったけど、今見ると狙ったようにサイズがぴったりしている。

わたしからするとお店のお客さまだけれど、れっきとした「神様」らしいし。
とすると、これは神様からの授かりもの、でもあるわけだ。
というか、もらったつもりはないから「預かりもの」に近い。

あの時、顔には出さなかったけど、言動から見て冬獅郎くんは、したたかに酔っていた。
あの様子では、今頃わたしに刀留めをくれたことを思い出して「しまった」と思っているか、
最悪、あの刀留めはどこにいったんだろうと探している可能性もある。
とはいえ、こちらから冬獅郎くんに連絡を取ることはできないから、あちらから来てくれるのを待つしかなかった。
急ぐことではないし、一週間でも一カ月でも待つつもりだったのだけれど……事情が、少し変わった。
その刀留めには、思わぬご利益があったのだ。


異変に気付いたのは、今朝のこと。
正月三が日にお店を開けるのは、こせこせして嫌だったから、入口には「骨休み」の札を出している。
でも前に人が通った時に見苦しくないよう、雪は綺麗に掃いておこうと外に出ると、10センチほど真っ白い雪が積もっていた。
意外と積もっているのに驚きながら、箒を本格的な雪かき用のシャベルに持ち替える。
雪を集めては排水溝に落としていると、向かいの和菓子屋さん「さくら」の戸が、がらりと開いた。

六十代後半くらいのおばあちゃんが店主をしている。こじんまりとしたお店だ。
その名の通り、春の桜餅が昔ながらの味で本当においしくて、よそに呼ばれた時、よくおもたせにしている。
いつものように手拭いで頭を包んだおばあちゃんは、すぐにわたしに気づくとニッコリ笑って頭を下げた。
「あらぁ、棗ちゃん。あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ。あけましておめでとうございます」
ちょっと新しい気持ちで頭を下げ合う。その言葉も終わらないうちに、おばあちゃんは小首を傾げた。
「それにしても、なつめ堂さんとこは雪がすごいねぇ。吹きだまりになったのかねぇ」
「そういえば……」
「でもおかしいねぇ。その辺は吹きだまりにはならないはずなんだけど。風向きが変わったのかしら」
改めて見てみると、「さくら」の軒先には、せいぜい5センチほどしか積もっていない。なつめ堂の半分だ。

風の流れを読むように、上空を見上げる。いくつもいくつも綿を薄く重ねたような空に、太陽が少しのぞいている。
辺りの建物はどれも同じくらい低めで、建物の谷間でもなく、突き当たりでもないこの場所に、これほど雪が積もるのはおかしい。
実際、去年はこんなことはなかった。おばあちゃんは私の顔を見て、ほほ、と上品に笑う。
「雪も、きれいな娘さんのところに集まるのかしらね」
「まさか」
苦笑いして打ち消した時、頬を雪がかすめた。見上げると、真っ白い雪がはらり、はらりと落ちてくる。
雪雲は出ていないのに、と思って通りの向こうを見ると、そこには雪は降っていなかった。
―― うちの周りだけ、雪が降ってる……?
まさか、そんな不思議なことが起こりうるだろうか。そう思ったけれど現に、雪は一時間経っても、なつめ堂の周りだけに降っていた。


もっとも、注意してみなければ分からないほどの違いだし、雪の降りかたも気まぐれなものだから、目には止まらないだろう。
それでも、何をしていても気になった。掃除をしながら、料理をしながら、きものを片づけながら、ふっ、と窓を見る。
すると、窓の外には相も変わらず雪が降っている。

この程度の雪にしても、毎日毎日この状態が続いたらさすがに困る。
こんな不思議な現象、誰に相談したらいいのだろう、とわたしは途方にくれた。
―― 冬獅郎くんなら……
あの、子供の外見には似合わない落ち着き払った彼なら、たとえこんな珍妙な相談にも、「そうだな」と当たり前のように返事をくれそうな気がする。
そこまで考えて、はっ、とわたしは気がついた。
「……刀留め?」
何事も起こっていなかった昨日の夜まではなくて、今手元にある不思議なもの。
まさか。まさかとは思うけど、消去法で言って、うちの中に正体不明のものはこれしかない。
二階に上がり、座布団の上に鎮座しているそれを手にとってみる。ずっしりと重く、そして腕に鳥肌が立つほどに冷たかった。


その時点でも、「まさか」という気持ちが頭の大勢を占めていた。
ちょっと試してみるだけ、と自分に言い聞かせながら、きものの袂に刀留めを滑り込ませて、人目を避けるように外に出た。
大通りに出て、なつめ堂を振り返る。そして、足から力が抜けそうになった。
雪が、ちらり、とわたしの肩に落ちる。なつめ堂は……雪が降っていない。
「……わたし?」
まさかわたしが、今年を初めに雨女ならぬ、雪女になったとか? そんなあり得ない想像まで頭に浮かぶ。

逃げるように、誰もいない方へと歩く。そして、近くの公園へと辿りついた。
公園と言っても、猫の額くらいの土地に、ベンチと鉄棒とブランコが数台あるだけのさびれた場所だから、子供の姿はまるでない。
わたしはベンチに、刀留めを置いた。そして、少し離れた場所からそれを観察する。

……それは、不思議な光景だった。
誰もいない、ありふれた公園の中で、ベンチの周囲だけ雪が舞っている。
紺碧の空から、ふわりと雪片が現れ、ふわふわと舞っては風に流され、地面に落ちるか落ちないかの間にふっと消えてしまう。
それは奇妙と同時に、何やらかわいらしい風景でもあった。
でも目下のわたしは、見とれてばかりもいられなかった。……雪を呼ぶ、刀留め。わたしはこれをどうしたらいいのだろう?


結局わたしは、その刀留めを元通り袂に入れて、お店に戻った。そして座布団の上にちょんと置く。
どこか害のなさそうな場所に、とりあえず置いておこうかしら……とも思ったけれど、思いつかなかったし。
それに、艶々と磨き上げられた刀留めを見ると、とても目がとどかない場所に置くことはできなかった。
きっとこれは、わたしにとっての裁縫箱と同じ。大切に大切に使われてきたものだ、というのが見れば分かった。
それに、酔っ払っていたとはいえ、冬獅郎くんはきっと、自分にとって大切でないものを人に贈ったりしない。

「あんたのご主人は、どこにいるの?」
指でつついてみる。もちろん不思議な刀留めは返事をくれない。
彼がどこから来て、どこへ去っていくのか。これまで敢えて聞かなかったけど、少しくらいは話しておけばよかった、と今頃になって後悔する。
大体季節に変わり目に訪れるから、次に冬獅郎くんが来るのは春の兆しが見えるころ……おそらく、2月の終わりだろう。
それまで二カ月間、この刀留めと同居していける自信がなかった。
―― 雪に埋もれてしまいそう……
はぁ、とため息がもれる。
「やめやめ」
声に出して行ってみた。このまま堂々巡りで考えていても、結論などでない。
単調な仕事でもして気持ちを紛らわせよう、と年賀状の整理に戻った。束にして、とんとん、と炬燵の上でそろえる。
何気なくそれを見下ろして……不意に、ひらめいた。

「会員登録カード!」
思わず、声をあげていた。
そういえば、かなり前のことになるが、冬獅郎くんに「なつめ堂」の会員登録のお知らせのハガキを手渡したことがある。
渡した時途方にくれたような顔をしていたから、きっと戻ってくることはないと思っていたけれど。
ある日、郵便ポストに切手も貼らないのに届いていた。
ご丁寧にも「お名前」の「お」の字を斜線で消し、堂々たる毛筆で「日番谷冬獅郎」と書かれていたから、思わず動きを止めてしまった。
返事が来た、それだけでも驚きだったけど、一番衝撃的だったのは名前ではなかった。目にした時、
「……えっ?」
つい、声をあげてしまった。どうして? という気持ちが大きかった。

会員登録カードをまとめて仕舞ってある引き出しを開ける。
一枚だけ取り分けておいた冬獅郎くんのカードはすぐに、見つかった。わたしは、住所欄に目を通す。
「空座町、クロサキ医院……?」
初めて読んだ直後、地図を引っ張り出して、実在の場所かどうか確かめた。
空座町は隣町だから、調べるまでもなく実在することは分かっているが、「クロサキ医院」は本当にあるのか?
その結果は、一分もせずに出た。地図上に記された「クロサキ医院」の名前を、わたしは半ば呆れて見下ろした。

何度も、行ってみたいという誘惑に駆られた。でも、結局足を向けなかった。
「クーラー」も知らなかった冬獅郎くんが、この世界で暮らしているとは思えなかったから、行っても会えないだろう。
おそらく、なつめ堂のように、彼にはこの世界で足掛かりになる場所がいくつかあって、「クロサキ医院」はその一つなのだろう。
深く追求しなかったのは、きっと冬獅郎くんは、深く追求をされたくはないだろうと思ったからでもある。
でも今は、そうも言っていられない。

冬獅郎くんに会えることはないだろうけど、クロサキ医院に行けば、何かしら手掛かりはあるかもしれない。
一度そう思うといても立ってもいられなくなり、わたしは慌ただしく出かける準備をした。


Last updated 20190214