戸口が、ガタガタと音を立てるのを、遠くの物音のように聞いていた。
初め、風が立てつけの悪い戸を鳴らしているんだと思ってた。
「うう……ん」
こたつに突っ伏して、いつの間にか眠ってしまってたのか。変な格好をしていたせいで、肩が痛い。
ぐるりと肩をまわして壁時計を見ると、午前2時を少し回ったところだった。
「シロちゃん、帰ってこないなぁ」
死神になってからも、年末年始は流魂街のおばあちゃんの家で過ごす。
それは日番谷くんとあたしの中で、暗黙の諒解になっていた。
でも、日番谷くんが隊長になってからは、そうも言っていられなくなった。
死神で大々的に行われる大晦日の忘年会の締めに総隊長による新年の訓示があって、
隊長はその時まで残って、訓示を聞かなくてはいけない、と半ば義務付けられているためだった。


あたしは副隊長だから、出席はするけどいつ帰っても自由だ。
ご飯とお酒を少しだけごちそうになって、日番谷くんに「先に帰るね」と声をかけに向かったのは、まだ8時半くらいだったと思う。
大勢の人の脇を通り抜けたり、ごめんなさい、と言いながら跨いだりして、日番谷くんのところに辿りついた時、あたしは一瞬、声をかけるのをためらった。
何しろ、胡坐を掻いていつものとおり仏頂面の日番谷くんの膝の上に、乱菊さんが取りついているというか、うつぶせに寝転んでいるものだから。
膝……枕? というか、クッション代わりに下に敷いているというか……とにかく完全に乱菊さんが酔っ払っているのは間違いない。
「え……と。日番谷……くん?」
「言うな」
にべもなく言った日番谷くんの眉間のしわは、よく見たらいつもの5割増しになっていた。
上目遣いの乱菊さんの頬は赤く染まっていて、女のあたしから見ても色っぽい。
「あらぁ。雛森じゃないのー。まだまだ、お酒が足りないわよぅ♪」
「乱菊さんは、足りすぎてるみたいですけど……」
「カタイこと言わないの。夜はまだまだ、これからよ!」
「ていうか乱菊さん、痛くないんですか? その恰好」
女の人の正座した膝の上ならまだしも、男の子のあぐらの上に陣取ったって骨ばってて心地よくなさそうだけど……
あたしがそう言うと、乱菊さんは自分の胸をぱしん、と叩いた。
「あたしにはこの胸があるから♪ ぜんぜん平気よう」
そう言って、ぐいぐいと胸を日番谷くんの膝に押しつける。でも日番谷くんは平然と……というか、冷然とお酒を飲み続けてて、ある意味すごい、と感動する。

「松本。お前、今すぐどかねぇと、氷輪丸が霜天に座すぞ」
「もう、いいじゃないですか、年に一度の無礼講なんだから」
「お前は年がら年じゅう無礼講だろうが!」
「年越しまで一緒にいましょうね♪」
乱菊さんは、聞いちゃいない。
「で、年が変わったらお年玉ください♪ 服とかー。宝石とかー」
「なんで俺がお前にお年玉なんだ。図体から言えば逆だろうが」
「あらやだ隊長、いつも俺は子供じゃねぇ! って言ってくる癖に、こんな時ばっかり子供のフリですか?」
「ぐっ……」
「あたし、隊長とおいしいもの食べに行きたいです♪ オゴリで」
日番谷くんに、どこか恨みがましい目で見られて、あたしは戸惑う。そんな目つきをあたしにされたって困る。
「とにかく。あたし、もう帰るから。おばあちゃんと待ってるね」
「うらやましいぜ……」
心の底から、という声で日番谷くんがぼやく。
「爺さんの年始の挨拶だけ聞いたら、抜けてくる。つきあってられっか」
昔から全く変わらない生意気な口調だから、あたしもつい、昔みたいな口をきいてしまう。
「ちゃんと皆さんに挨拶はして、抜けてくるのよ」
「うるせぇな。ああそれと、家ついたら待ってなくでいいからな。先寝てろよ」
その後、雛森ばっかり優しくしてもらってずるいー、と乱菊さんが大声を出して、日番谷くんが怒りだして、逃げ出すように帰ってきてしまった。
おばあちゃんの家に帰ったのが9時ごろだったから、それからもう5時間以上経過していることになる。


うぅん、と小さな声を聞いて、あたしは我に返った。
こたつの向かいで、おばあちゃんがさっきまでのあたしと同じように、こたつに突っ伏して眠ってる。
シロちゃん戻ってこないねぇ、と眠気をがまんして待っているうちに、ふたりとも眠ってしまってたのだ。
ちゃんと布団を引いて寝ないと、風邪をひいてしまう。おばあちゃんを起こそうとこたつから抜け出した時、がたん! とひときわ大きい音がした。
「……誰? 日番谷くん?」
呼びかけても、返事はない。と思ったら、がらりと戸が乱暴に開かれた。
そして、重い足取りが聞こえたと思ったとたん、何かを突き崩したような大きな音とともに、どん、と床に感じるほど重い音がした。
おばあちゃんは、と思って見たけど、深い眠りにあるのか微動だにしない。

あたしは、床の間に置いてあった刀を、鞘のまま手に取った。そして入り口に向かう。
潤林安の治安は流魂街の中では飛びぬけていいけど、それでもたまに暴漢が入り込んでくることも、ないとはいえない。
入口に向かう、と言っても実際は、隣の部屋の次が土間で、土間の次は入口になっているこじんまりとした家だ。
「誰!」
押し殺しながら鋭い声を上げ、土間への扉を開ける。次の瞬間、あたしは短い悲鳴を上げた。
「シロちゃん! 大丈夫!?」
たたきのところに、日番谷くんが倒れ伏してた。刀は背中に担いだままで、あたしには覚えのない赤いマフラーを巻いていた。
うつぶせになっているせいで表情は分からないけど、尋常な様子じゃない。
身体に全く力が入ってなくて、意識を完全に手放しているようだった。少なくともあたしは、日番谷くんがこんな状態なのを初めて見た。
誰かに襲われたのか、病気なのか、とあたしは土間に裸足で降り、日番谷くんを抱え起こした。

「シロちゃん! どうしたの?」
口元で、日番谷くんが何かをつぶやいた気がして、耳を寄せる。
「……もう、飲まねぇぞ……」
「はい?」
改めてあたしは、日番谷くんを見下ろした。……お酒、臭い。
「ちょっと、もう……しっかりしてよ!」
一瞬身の毛がよだつほど心配しただけに、今度は腹が立ってくる。
両脇の下に後ろから腕を通して、よいしょっと部屋に引っ張り上げる。でも、刀を背負っているせいか、元々筋肉質なせいか、小柄なくせにやたらと重い。
しかも身体から完全に力が抜けていてぐったりしてるから、余計重く感じる。
おばあちゃんにこんな状態の日番谷くんを見せるにしのびなく、一人でウンウン言いながら、ずるずる土間の隣の部屋に引っ張る。
部屋の真ん中あたりまで引きずったところで、たまらず二人とも後ろに転げた。

「あいたたた……」
転げた時に、日番谷くんが背負った刀の柄が頭を直撃し、うぅん、と唸っていた時、開けっぱなしになっていた戸から誰かが覗いているのが見えた。
あたしと目が合うと、あらぁ、と目が弓型に変わる。
「もしかして、ちょっといいとこだったかなぁ。ごめんね邪魔して」
「ちょ……京楽隊長! 違うったら、違います!」
折り重なって抱き合っているように見えなくもない目下の状況を見て、あたしはうろたえて手を振る。
ていうか、見てるんだったら手伝って欲しい。
「なにしてるんです? こんな夜中に……」
「いやぁ。みんな酔っ払っちゃってさあ。山爺の長ーーーい訓示の後に、変なテンションになっちゃって。
帰るって言い張る日番谷くんを半ば力づくで引きとめてさぁ。『乱菊ちゃんの胸の感触はどんな感じか』って、問い詰めたんだよね」
「は……はぁ?」
あまりのセクハラ発言に、まともに受け答える気もしない。
あからさまに呆れたあたしをものともせず、京楽隊長は上機嫌で話し続けている。

「ほらほらあ。なんかよく、コミュニケーションだか何だか知らないけど、胸の谷間に埋まってるじゃない? 
今日なんてほら、ずーっと逆膝枕状態だったじゃない。あれ見て、みんな……特に檜佐木くんとか阿散井くんとかうらやましがってさあ。
妙に殺気立ってみな聞きだそうとするんだけど、頑として言わないからさ。酔いがまだ足らないってなっちゃってさ。ついつい」
あたしは、ぐったりしている日番谷くんを今度は同情をもって見下ろした。
これで、乱菊さんの胸の話題で一緒に盛り上がったなんて言われたら、今後見る目が変わってしまうところだった。
「で……京楽隊長は、どうしてここに」
「いやあの後、もうみんな潰れてたんだけど。日番谷くんがフラフラ出て行ったから、さすがに心配になって霊圧を追ったんだよね。無事に帰れたようで良かった、良かった」
「……よくないです」
「はい?」
「ぜんっぜん良くないです! こんなんだけど、まだ子供ですよ! 意識なくなるまで飲ませるって、ひどいです!」
「ごめんごめん、本当に悪かったよ」
京楽隊長はあっさりあやまると、手を合わせて見せた。
「明日は、出廷しなくていいからって、起きたら言っておいて。たぶん二日酔いで無理だろうしねえ。じゃあ、あけましておめでとう」
じゃあねぇ、軽やかに言うと、ぱしん、と戸が締められる。挨拶も返せず、あたしはぽかんとその場に取り残された。


***


京楽隊長の言葉は当たっていた。
もともと、お正月三が日は、全死神の三分の一ずつ出廷することになっていて、本格的な仕事はじめは四日だ。
日番谷君は元旦が出廷予定になっていたようだけど、それは見事な二日酔いになっていて、休みだったあたしは介抱に明け暮れることになる。
「死んだほうがましだ……」
布団から出られず、額をおさえてうめく日番谷君の枕元に、お盆に載せた薬と白湯を置く。
「二日酔いで死んだ人はいないわよ。薬飲んで、大人しくしてたら治るわよ」
「水も飲みたくねぇ……」
「わがまま言わない。ほら、起きて」
いやいやながら薬を飲んでいる日番谷くんを見ていると、なぜか、くつくつと笑いがこみあげてきた。
「なに、笑ってんだ」
「隊長とは思えないなぁ、って思って」
ぼさぼさ髪に、白い寝間着姿。目は半分閉じてるし。いつも「日番谷隊長!」って部下から慕われてるのと同一人物とは、どうしても思えない。
「なんだと……」
「治るまでは、シロちゃんって呼ぶわね」
「日番谷隊長だ! ていうか笑うな、声が頭に響く」
台所では、おばあちゃんが背中を見せて、食器を洗っている。
布団の中から顔と指先だけ出して、無心にそれを眺めている日番谷くんを見ていると、なぜだか急に頭を撫でたいような気分になって困った。

強く、もっと強く。日番谷くんが先へ先へと急ごうとするのを知っている。
その原点は、おばあちゃんとあたしにあることも、分かってる。
でも、先へ行かずにここへとどまってくれている、今みたいな瞬間を、おばあちゃんもあたしもどれだけ愛おしく思っているか。
きっと、わからないんだろうな。

昨日とっ散らかした刀や着物などを取り揃えて片づける。
刀を床の間に置こうとした時、
「あれ?」
あたしは刀をひっくり返した。
「なんだよ、人の刀をジロジロ見んな」
日番谷くんが不満そうな顔をする。たしかに、自分の斬魂刀を凝視される、というのは、なんだか自分を見られているようであまり居心地がいいものじゃない。
でもあたしが見ていたのは、刀じゃなかった。
「ていうか、刀留め、どこやったの?」
「え?」
意外だったか、枕の上に肘を立てて、あたしと刀を見やる。
「ほら。ないでしょ」
実際は確かめるまでもない。刀の背負い紐に、いつもくっつけている刀留めがないことは一目瞭然だった。

日番谷くんが気まずい顔をしたように見えたのは、気のせいじゃない。
あの刀留めは、日番谷くんが死神になった時、お祝いにおばあちゃんとあたしが選び、プレゼントしたものだった。
実用面はもちろん、瀞霊廷にある由緒ただしいお寺に一旦納めて、無事に帰って来れるように願をかけてもらった。
そんな迷信、と日番谷くんは鼻で笑っていたけど、それでも肌身離さず大切にしてくれているのを知っていた。
「どこでなくしたか、覚えてない?」
日番谷くんはしばらく唸っていたけど、ふと右の掌に目をやった。
「確か、手でもったような感触を覚えてるんだが……どうしたのか覚えてねぇ。忘年会の前は確実にあったんだがな」
「……そんな曖昧な記憶しかないの?」
「お前が先に帰るって言いに来た、その後くらいから無ぇよ」
「威張って言うことじゃないでしょ!」
明らかに日番谷くんが自己嫌悪に陥っているから、責めることもできやしない。

「問題ないわよ。忘年会に行く時はあって、今ないんだったら、会場に多分、あるでしょ。
あんなもの、帰り道で落とすってことはあんまりなさそうだし。あたし、聞いてくる」
「いい。明日、俺が直接聞いてくる」
何度聞いても、自分が行く、と頑として聞かないから、あたしは諦めて他の物を片づける。
「……これ、乱菊さんの?」
綺麗な赤いマフラーに触れると、頬ずりしたくなるほど柔らかかった。
なにでできているのか、瀞霊廷にはないものだ。寝ている日番谷くんに合わせてみると、意外とよく似合っている。
ふわり、といい香りがした。和風の、女性の香りだ。
「知らねぇけど、少なくとも松本のじゃねぇよ」
「知らないって、昨日首に巻いて帰って来たじゃない」
「え? 俺が?」
「……ていうかもしかして、他の人の勝手にもってきたんじゃないでしょうね」
「……」
「……ほんと、お酒、ほどほどにしなさいよ……」
「……」
自分のものを置いて来て、他人のものを持ってくるって、もう重度の酔っ払いだと思う。

マフラーに触れると、日番谷くんは少し目を細めた。
「この香り、知ってるんだが……誰だったか、思い出せねぇな」
何気ない発言だったけど、ドキリ、とした。
やわらかく、穏やかでありながら、大人の女の色香も同時に感じさせる香り。あたしの知っている範囲で、この香りを身につけている人はいない。
いくらなんでもまだ、本気の恋をするような年齢ではないだろうけど、
あたしの全く知らない女の人の影は、思いがけないくらいあたしの胸を波立たせた。

あたしは日番谷くんの手からマフラーを取ると、丁寧に畳んでこれも床の間に置いた。
「今日中に思い出して、明日元気になったら、届けに行ったらいいわよ。今日は体調第一! おとなしく寝てなきゃね」
うるせえな分かってるよ、と可愛くない返事が返ってきたあと、ほどなくスースーと寝息が聞こえ出した。

last updated 20190214