現世では、正月の三が日は基本的には仕事も勉学も休みで、もっぱら家でゴロゴロしていていいらしい。
瀞霊廷に盆暮れもあったものじゃないが、それでもこの三日間は、交代制でそれぞれ一日だけ出廷すればいいという気楽なものだった。
俺を仕事中毒のように呼ぶ奴もいるが、勘違いも甚だしい。周りがサボリ魔ばかりだから必然的にそうなっているだけで、休みは人並みに楽しみにしている。
特に……こんな最悪な体調の日は、できることなら布団の中にこもっていたい。

「あ〜……気持ち悪ィ……」
一日中寝ていた昨日よりは相当楽になっているが、まだ頭痛と吐き気は残っている。二日酔いならまだしも三日酔いなんて聞いたことない。
流魂街の実家から瀞霊廷の十番隊舎まで、いつもは瞬歩で数分の道のりだが、珍しく徒歩だった。
今、瞬歩のような激しい運動をしたら、ほぼ間違いなく吐く自信がある。

さらに気が滅入るのは、通りですれ違う死神たちがどいつもこいつも、「あけましておめでとうございます」の決まり文句の後に、
「体調は大丈夫ですか? うちの隊長(副隊長、のこともある)がご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません」
と同情顔で言ってくることだ。よく利く酔い止めですとか、この茶を飲むとさっぱりしますとか、
いろいろくれるのはいいのだが、いい加減持ち歩くのに邪魔になってきていた。

忘年会での出来事は瀞霊廷全体に知れ渡り、ということか。
そもそも、どのような「ご迷惑」をかけられたのか覚えていない辺りが情けないが、後であいつら覚えてろよ、と顔を脳裏に刻みつける。
俺にとってみれば、忘年会の名残は、使うわけにもいかず風呂敷に包んで持って来ている赤いマフラーと、なくなった刀留めだけだった。

無意識に、手を胸元にやっていた。いつもなら当然のように感じる、ずっしりとした刀留めの感触はなく、着物の生地が冷たく指に触れるだけだ。
あれをなくした、と雛森に知られた時は、視線を感じつつも見返すことができなかった。
あれを身につけるようになったのは、初めて死覇装に袖を通した時と同じ。
雛森とばあちゃんが、俺の無事を願って、どこやらの有名な寺で願掛けまでした上で、俺にくれたものだった。

二人の前では、「そんなの迷信だ」と嘯いていたが、戦いに慣れなかった新人の頃は、戦いの前にはよくぎゅっと握りしめていた。
それだけで気持ちが落ち着く気がした。そんな根拠もない考え、本当は軽蔑しているはずなのに。
隊長になり、さすがにそんな縁起担ぎはしなくなったし、身につけていることさえ普段は意識しなくなっていた。
でも、いざなくなってみると、胸元がスースーするようで落ち着かない。


***


道端で出会う他隊の死神に心配されるくらいなのだ。十番隊に着いた時はもっとひどかった。
「あけましておめでとうございます」さえなかった。
「たたた隊長! 起きていて大丈夫ですか?」
「ああ?」
「大晦日に、それはそれはひどい目に遭われたと……」
「あのな、怪我でも病気でもねぇんだぞ……」
さすがに「二日酔いだ」とは皆分かっていることにしても言いだしづらい。自然と語尾が小さくなる。
「おいたわしい、そんな弱られた声で……すぐに救護室にお連れします!」
「てオイ、歩けるに決まってんだろ!」
「みな、隊長がお休みになられる! 薬と毛布を持ってこい!」
「休まねぇって」
「担架、こっちだ!」
「人の話を聞け!」
……という具合で、あれよあれよという間に担架に乗せられ、隊首室に担ぎこまれたのだ。救護室でなかっただけマシだった。

「いいですね〜隊長、看病してもらって」
やっと隊士たちを隊首室から追い出した俺を、興味半分、心配半分で状況を見守っていた松本が声をかけてくる。
「あたし、二日酔いになっても、そこまで心配されたことないですよ」
「お前の二日酔いは年中だからだろ」
俺の皮肉を意に介することもなく、松本は机の上に積み上げられた薬の山を物色している。
「あ、このサプリ、よく効くんですよね。現世で売ってるものですけど。もらっていいですか?」
「勝手にしろ……」
酒豪伝説、と書かれたパッケージの文字に、げんなりする。こんなものを買ってまで大酒を飲む奴の気が知れない。
「でも、これがお年玉代わりとは言わないでくださいね」
「あぁ? そもそも、お年玉なんかやるとは言ってねぇ」

口を利くのも大儀だが、それでもさっき飲まされた薬が効いてきているらしく、気分は幾分よくなっている。
―― お年玉?
不意に頭にひらめくものがあった。確かこんな会話を、大晦日にもしたような気がする。
思い出そうとしたが、頭痛がその邪魔をする。うまく思考がつながっていかない感じに早々にあきらめた。
松本はそんな俺をよそに、言い募る。
「言いましたよ! 欲しいものはなんでも買ってやる、て忘年会で!」
「絶対に、ねぇ」
「……ちっ……」
「人が記憶なくしたと思って、ねつ造すんな」
「やだ隊長、記憶なくしちゃったんですか? まさか、すっぽりと??」
今度は俺が舌打ちする番だった。そうか、黙ってれば俺が記憶をなくしたことまではバレなかったか。

「バレたからには仕方ねぇ」
「って何開き直ってるんですか?」
「これ、見覚えあるか?」
「見覚えもなにも、隊長のじゃないんですか?」
俺がズイと差し出した赤いマフラーを手に取り、松本は首を傾げた。
「こないだの忘年会で、年が変わる直前に、ちょっと出てくるって言っていなくなったじゃないですか?
……ああ、覚えてないんですよね、いなくなったんですよ隊長が。で、すぐ戻ってきてたけど、その時にはもうこのマフラーしてましたよ。
ちょっと隊舎に戻りついでに、持って来たのかと思ってました」
「俺の部屋にはこんなのねぇよ」
「ヤだ隊長、重症」
「……雛森にも昨日言われた」
これ以上言い募るのは気の毒だと思ったのか、松本は言葉を止め、しげしげとマフラーを見下ろした。
そして、ふぅん、とすぐに頷く。こいつは時々、「女の勘」とでもいうのか、妙に鋭い直観力を発揮する。しかしさすがに、
「これ、なつめ堂で買ったでしょう」
と言われたのには、驚いた。

「は? なんでそう思うんだ?」
「だって」
松本は、大したことを言う風でもなく、マフラーを俺に返して寄こした。
「この赤、派手じゃなくて落ち着きがあって、着物にも合う和風な色でしょ。質もいいし、カシミアですね、きっと。
そもそも、この素材は瀞霊廷じゃ手に入りませんよ。あの目利きの店主さんだったら、いかにも好きそうな感じ」
「素材は、確かに瀞霊廷にはねぇだろうけど。それ以外は推測だろ?」
「隊長、この手のことには鈍いですよねぇ」
松本は本格的に同情のまなざしを寄こしてくる。腹が立つが、分からないのだから仕方ない。
「決め手は、残り香ですよ。このマフラーにほんの少しだけ移ってるの、わかりません?」
「残り香?」
そう言えば、どこか懐かしいような香りはしたのだ。でも、どこで感じたのか覚えてはいなかった。
「この香りは、白梅香っていってとても珍しいんですよ。あの店主さんの着物から薫ってたじゃないですか」
「……」
とっさに黙ってしまった俺に、松本は駄目な生徒に答えを教えるように続けた。
「残り香があるってことは、つい最近でしょうね。隊長、あの時、棗ちゃんに会ったんじゃないですか?」

―― 「お年玉代わりよ」

不意に、棗の声が頭の中を横切る。
二階の灯りが差しこんできている一階の階段に立っている着物姿。
暗がりの中、袖から控えめに覗いた手首の白さ、指先の細さ。その手が差しだした暖かそうなマフラー。
ふわりと肩にかけられた時、わずかに薫った白梅の香り。

「……あ」

そうだ。大晦日の忘年会の最中で俺は、あのままじゃ完全に酔いつぶれると思って、夜風に当たろうと外に出たんだ。
そして、現世でもこんな風に皆起きているんだろうかと、白い息を吐きながら考えていた。
そこでふと、棗のことを思い出したのだ。

きっとあの女は、店を守るためにも実家に帰りはしない。ということは今頃店に一人でいるといることになる。
現世では正月は皆家族が集まるという。そんな時に一人なのは、あの気丈な棗でも、きっと淋しいに違いない。
繭の中のように閉じた部屋の中で、明かりを頼りに、手仕事をしている棗の後ろ姿が、ふと浮かんだ。
と、思った時には、足が勝手に現世に向かっていたのだ。
「……あ〜……」
「って、隊長? なに、一人でへこんでるんですか?」

そうだ。お年玉だ。
俺は何を思ったのか、このマフラーを貰ったお返しに、あの刀留めを手渡したんだった。
適当なものをやる訳にはいかないと酔っ払った頭で考えて、「大切なもの」を探したつもりだった。
俺にとってあれが大事なものでも、他の奴にとって大事なはずがないじゃないか。
「ねー、隊長? ほら、悲しいことも分かち合えば、悲しみは半分になるって言うじゃないですか」
「……まずい」
「何がですか?」
あれ自体はただの刀留めにすぎないが、俺が長年身につけてきたために、俺の霊圧を浴びてしまってる。
俺の身から離して現世なんかに置きっぱなしにしたら、何が起こるかわかったもんじゃない。少なくとも、周りの霊を引き寄せる。
「松本。ちょっと抜けていいか。現世へ行ってくる」
俺はマフラーをひっつかんで、毛布を滑り落として立ち上がった。こうしてはいられない。
「えええ、あたしを置いて? 隊長ばっかりズルイです」
「お年玉、何がいいか考えとけ」
「行ってらっしゃい、隊長!」
現金にも態度をころりと変えた副官を置いて、俺は隊士の目を盗むように隊首室から姿を消した。
我ながら、こんなどうしようもない年始は初めてだ、とげんなりしながら。

last updated 20190214