午後、十時。
乱菊は自室の縁側でひとり、杯を口元に運んでいた。闇の中に、ふわり、ふわりと雪が散る。
子供の頃は、冬の寒さは嫌いだった。寒さは「死」と「寂しさ」を今でも連想させる。
冬がを美しいと思えるようになったのは、日番谷に会ってからだった。
少し前までは酒の雰囲気が好きで、瓶ごと呷るような呑み方をしていた。酒のひとしずくの味を愉しめるようになったのは、これでも大人になった証拠かと思う。
 その瞳は、屋根の向こうの燈に向けられ、かすかに炎色にきらめいている。

「……隊長の、バカ」
視線を、杯に落とす。まだ煌々とつけられたその燈は、隊首室のものだった。こんな時間まで残業を余儀なくされているのだろう。でも、日番谷の手助けはしてやらない。これは……自業自得、なんだから。
―― 乱菊ちゃん。最近お宅の隊長、色気づいちゃってどうしたの。ウチにも来られたよ。
昼間、行きつけの呉服屋でそういわれたのを、思い出していた。
―― ウチの店頭に置いてた着物をじーっと見ててねぇ。何か御用ですかって聞いたら、これに似た桃の花はどっかにないかって言うんだよ。確かに、キレイな桃花の柄だったけども。花屋にもないし、あてもなく女物の店回ったりもしたみたいだよ。なんだか困っているのが微笑ましくてねぇ。

「知らないわよ、もう」
もう一度、自分に言い聞かせるように呟く。花→女→女物、という方程式でも働いたのだろうか。藁(ワラ)にもすがる思いで探したのだろうが、冬にいくら店をめぐったところで、桃の花があるわけ、ないだろうに。そういうのを知りたければ、噂話好きで、ちょっと人付き合いが得意で、気がきく年上の女に相談すればいいのに。
バカだ。もう知らない。そう本気で思う。そんなことをして、一体何になる? 雛森は、桃の花を贈られれば、誰からか贈り主が分からなくとも、藍染を想いだして幸せな気持ちになれるだろう。だが、日番谷は? 日番谷の気持ちは、一体どうなる。
恋愛を知らないなんて、とんでもなかったわね。
かなわない恋は、純粋なゆえに美しい。でもそんな恋を、日番谷にはして欲しくなかった。
近いようで遠い燈を見つめる。
「気づきなさいよ、雛森。あんた、世界で一番優しい男に、恋されてるんだから」


午後、十一時。
ゆらり……と、燈が揺れた。
窓の外は雪なのだろう、夜だというのに妙に明るく見えた。
日番谷は、隊首室で山積みの資料と向き合っていた。書類を読もうにも目の焦点が合わなくなってきているのに気づき、日番谷はひとつ欠伸をした。誰かに手伝ってくれというわけにはいかない。これは、自分が招いたことだからだ。
―― 昼間っから店めぐりしてて、仕事ができなかったなんて言えねーしな……
ただ、店は昼間しか開いていない。書類仕事は夜でもできる。そうなると、自然と今のような事態になる。多少の睡眠不足には慣れているが、こう続くと眠気が蓄積してくる。

日番谷は目をこすると、傍にかけてある日めくりに目をやった。12月23日。クリスマス、とかいう日まであと2日だ。
「店がダメなら、書類でも当たるか……?」
こと情報収集においては、日番谷の右に出る者はまずいない。しかし、それはあくまで仕事に関係する出来事の場合だった。「冬に桃の花が咲いた」なんていう椿事となると、まずどこから当たってみればいいのかも見当がつかなかった。
「……藍染に聞いときゃ良かった」
思わず独り言を言って、自己嫌悪に駆られた。よりにもよって藍染を思い出してどうする。

 肩をぐるりと回し、再び書類に向き合ったときだった。
「……ん?」
日番谷は、書類の中からはみ出した、妙に明るい色彩に目を留めた。引っ張り出してみると、それは一冊の雑誌だった。日番谷も名前くらいは知っている、「死神婦人」という月刊誌である。その名が示すとおり、非常に趣味の悪いゴシップを扱う雑誌で、間違っても隊首室の書類に紛れ込むようなシロモノではない。
「なんだ? 一体誰がこんなモン……」
脇にのけようとして、日番谷はふとその表紙に書かれた目次を見下ろした。
「『怪奇! 真冬に咲く桃』?」
がば、とページを繰ると、日番谷は記事に慌てて目を通す。しばらくして、ふと我に返った。どうしてこんなものが、こんなタイミングでここにあるのだ?
「……松本、か」
日番谷は、ふと顔を上げる。そして、窓の向こうに見える、かすかな燈に目をやった。その方向は、乱菊の私室のはずだ。
「……ありがとう」
ゆっくりと目を伏せ、呟いた。