「ひっつーん! 遊びに来たよーー!」
そして、開かれた戸の向こうの光景に、一角と弓親は絶句することになる。
「ひ、日番谷隊長……!」
そこにいたのは。
執務室の机にぴくりともせず伏せた、日番谷の後頭部だった。
倒れたとか、失神しているとか、そういったことではない。
ぐっったり、という風情である。
仕事の鬼、来た仕事来た仕事斬っちゃ捨て斬っちゃ捨て、の勇姿と同一人物とは、とても信じがたい。

「ひっつーん……」
そろり、そろり、とやちるが日番谷の机まで歩み寄る。
正体不明の日番谷隊長を心配そうに見下ろし、やおら……
「てめえコラ! 体の回りにチョークで線引くんじゃねえ!」
「きゃははは、殺人事件ごっこー!!」
はしゃぐやちるのピンク色の頭を、一角がわしっと掴んで引き戻した。


「んー? やちる??」
ぎゃあぎゃあと騒いでいる声に、むっくりと長椅子から人影が起き上がる。
寝すぎで腫れた目をこすり、ふわぁ、とアクビをしてみせる。
日番谷にこれほど近い位置にいながら微塵も働かない、その存在が護廷十三隊の謎の一つ、松本乱菊副隊長である。
「あら、なぁにやちる、あんたまた氷?」
伸びをしながら立ち上がり、日番谷が突っ伏す机に歩み寄った。
机の上に放り出してあった団扇を手に取ると、ぱたぱたと日番谷を扇ぐ。

「ま……松本、コレは……」
一角が「コレ」すなわち日番谷の頭を指差す。
「隊長、ほんと夏弱いのよ。9月の頭までは、ずーっとこんな感じよ」

そうだったのか……!
確かに、年がら年中氷を出しているこの隊長の夏嫌いは、聞いたことがあるような気がする。しかし、これほどまでとは思わなかったのだ。
一番初めに一角と弓親が思ったのは、八月は、あの仕事の山から解放されるか、ということだった。
しかし、そうなれば九月の十一番隊は存在自体が危ない。

「ひ、日番谷隊長?」
恐る恐る、弓親が日番谷に呼びかける。
十一番隊のためにも、今ここで沈没されると困る。
日番谷は、返事だか呻きだか区別がつかない声を漏らして、自分を見下ろす四人の顔を緩慢な動作で見返した。
「てめえらにやる氷はねえ……」
まるで借金の取立てを食らった中年男のような物言いを残し、ばたり、とまたうつぶせに戻った。

「ほらね」
乱菊は日番谷を扇ぐ手を休めずに言う。
ホラネーじゃねえだろ! 一角は突っ込む。
十番隊の心配なんてする余裕があるはずもないが、この調子じゃ無敵の十番艦隊すら危うい。


やちるがニコニコしながら日番谷の背後に回る。
とにもかくにも、やちるがゆっくり人に忍び寄るときには、ロクなことが起こらない。
やちるは、そーっと両手を高く上げ……
「えーいっ、くすぐり攻撃!」
唐突に日番谷の脇腹に両手を差し込む。
「ひゃはは、やめろコラ、草……っ」
普段の彼からは信じられない異音を発し、日番谷が後ろを振り返り……その拍子にガン、と肘を椅子の背もたれにぶつけた。
「……!」
無言で肘を押さえ、机に再び突っ伏す日番谷隊長。
――今絶対、キーンってなってる……
全員がそう思ったとき、罪の意識はまるでないやちるは、日番谷を指差して笑っている。
「やーい、ひっつん、バカー!」
十一番隊の隊士どもの中で、十番隊隊長様ともあろうお方を馬鹿呼ばわりできるのは、やちるくらいのものだろう。

「斑目……綾瀬川」
その激痛でちょっと我に返ったらしい日番谷が、若干涙目で、話がまだ通じやすそうな二人を見上げる。
「コイツを連れてどっか行け。バカが移る」
自分の今しがたの行動がバカッぽいという自覚はあるようだ。

「ひっつんが氷出してくれたらどっか行くー!」
両手で背もたれにしがみつき、やちるが日番谷を見下ろした。
日番谷が心から面倒くさい、という顔で振り返る。
「いい加減にしろ。毎日毎日……いつまで出させる気だ」
「秋が来るまで!」
「つまみ出せ」
やちるを指差し、日番谷が一角と弓親を見やる。


「いいじゃないですか、隊長。氷出したら隊長も涼しいでしょうに」
「何だ松本、助け舟出すのか?」
「そんな舟出しませんてば。カキ氷あたしも食べたいし」
結局それか。日番谷がおそらくいいそうになった言葉を飲み込む。
「力使った後はますます暑くなるんだよ。大体業務中だぞ、今は!!」
「寝てたじゃないですか」
「てめえだって寝てただろ!」
まぁまぁ、と弓親が、レベルの低い二人のやり取りをとりなした。

「いいじゃん。まだ二週間くらいしか頼んでないし」
「二週間……てお前、二週間も連続で出してんじゃねえか!」
やちるを日番谷が振り返る。どうやら火に油だったようだ。
やちるが口を尖らして叫んだ。
「じゃぁ、勝負しようよ、ひっつん!」
「しょうぶ……しょうぶって勝負か?」
とっさに漢字が分からなかったか、日番谷が返事しようがないコメントを発する。
ネジが緩んでいるせいもあるだろうが、やちると、勝負が言葉として結びつかないのだ。
うん、とやちるは自信満々にうなずく。
「オセロで勝負しようよ! あたしが勝ったら、ひっつんは毎日氷を出す。ひっつんが勝ったら、もう出さなくていいよ!」

あーー……
一角と弓親は、一瞬にしてやちるの魂胆を見抜いた。
この副隊長は、基本頭を使うことが苦手……というよりも、どこかで太い神経一本切れてしまってるんじゃないかと思うくらい、頭を使うことができない。
しかし、なぜか、本当になぜか、オセロだけは恐ろしく強いのだ。
一角などは、先日驚異の二百連敗を喫したばかりだ。

「おんもしろそうですね!」
それに乗ったのは松本だった。
日番谷が文句を言うよりも先に、どこかへバタバタと走って言ったが早いか、すぐにオセロの盤を持って戻ってくると、長椅子の前の机に置いた。
「はい! 準備完了!!」
こんな時ばかり手際がいい己の副官を、日番谷は恨みがましい目で見上げた。
しかし、ここで対局する労力と、これから秋まで毎日氷を出し続ける労力を天秤にかけたのだろう。
ややあってため息をつくと、椅子から立ち上がった。