苔むした石段を、日番谷は軽い足取りで駆け下りてゆく。
談笑している娘の脇を潜り抜け、子供たちの中を走り、老婆の隣を通るときだけ足を緩めた。
これだけの人ごみで誰の邪魔にもならず、また邪魔されることもなく駆け続けるのは、よく見れば普通ではない。しかし、それに気づく者はいなかった。

「ぼっちゃん、桜のお遣いかい!」
誰のことだ? とチラリと目をやり、小太りの中年女が自分を見て微笑んでいるのを見つける。
「は?」
まさか俺を呼んだか? そう聞き返す前に、ズイ、と手にしたものを日番谷に突きつけられる。
とっさに受け取ってみると、笹の葉に包まれた三色団子だった。
「働き者の死神見習いに、おばちゃんから贈り物だ」
―― 死神見習いじゃねえ、俺は隊長だ!
心で叫びながら、
「……ありがとう」
礼を言って受け取る。


隊首羽織をわざと脱いできたのは自分だ。
気づかれないならそれほどにうまく霊圧を殺せているのだと思うが、実はちょっとだけ、おもしろくない。
食べ終わった団子の串をゴミ箱に投げ捨て、日番谷は思う。

たとえば他の隊長なら……狛村とまではいかなくても、浮竹でも京楽でも総隊長でもいいが、いくら気配を殺しても殺しきれない気配があるはずだ。
体格であったり、眼光であったり。自分にはどちらも足りない、まだ子供だということか。
なんだかつまらない結論だ。そう思った時、ふと昔聞いた言葉を思い出す。
―― 「能ある鷹は爪を隠す、だよ。冬獅郎」
死神に入隊したてのころ、あまりの外見の幼さに馬鹿にされることも多かった。
隠していた力は先輩死神の誰よりも強い自信があったが、やり返そうとする度、祖母にそうたしなめられたものだった。

なんとなく、祖母の言いつけは納得しようがしまいが守ってしまう。
それは子供の頃から隊長になった今も、変わらない。

ざぁ、と風が吹き抜け、腕に抱えた桜の黒い枝がしなるようにゆれ、花弁が白い輝きを放つ。
はやく、桜を持って帰ってやらなければ。大切なひとたちが、楽しみに待っているのだ。
大事に枝を抱え直し、また走り出そうとした時だった。日番谷はどこかで見たような顔を、人ごみの中に見つけて足を止めた。


―― あいつは……
栗色の、くるくるとウェーブがかった髪が特徴的な少年が、きょろきょろしながら歩いてくる。その顔は、今にも泣きそうに歪んでいる。
―― 確か、インコのシバタ、とかいう……
思い出すことがあるとは思っていなかった名前だった。
黒崎一護を始めとする、旅禍の侵入事件のささやかな置き土産のような記憶だ。
日番谷が「インコのシバタ」に会ったのは、一護たちが現世に戻る前日のことだった。


***


日番谷はその日、瀞霊廷内をゆっくりと見まわっていた。
藍染に斬られた傷は癒えていたが、霊圧が完全に戻っていなかった頃だった。
―― それにしても、暴れまくったもんだぜ……
瀞霊廷全体にわたり、竜巻でも来たかと思うような壊れ方だ。
死神たちも今だけは襷掛けをし、刀の代わりに金槌や鋸を持って建物の修繕に当たっていた。

十番隊は奇跡的に無傷で済んだが、隊によっては壊滅的な被害をこうむったところもある。
動ける隊士を手伝いに行かせるか、と人数を胸算用していた時、。
「おーい!!! とーーーしろーーー!!」
数えていた人数が頭から吹っ飛ぶような大声が、瀞霊廷に響き渡った。

周囲の死神が、
「とーしろー? 誰だ?」
「っていうか、誰の声だ?」
と顔を見かわしている。まさか、隊長をこんな大きな声で呼びつける者がいるとは誰も思わない。
「あの野郎……!」
大きな声で呼ぶなと言ったのに。日番谷は慌てて、声がする方へと瞬歩で向かった。


「なんだ、児丹坊! デカい声で呼ぶなっつったろ!」
瀞霊廷西門の上にひょいと飛び乗り、日番谷ははるか下に目をやった。そこにいたのは、見慣れた大男。ただでさえ巨大な目が、ますます大きく見開かれた。
「ったく、何回言っても……」
「おー、冬獅郎!! 来てくれたか! やっぱりおめは、いい奴だなぁ」
続けようとした文句は、顔一杯に笑顔を広げた児丹坊の大声に、あえなく掻き消された。
「どした?」
「……なんでもねーよ、もう」
頭をガリガリ掻きながら、身を空中に躍らせる。児丹坊の肩にいったん着地し、すぐに地面に飛び降りた。
「何だよ、何か用か?」
「おー。ちょっと頼まれごとでな。面倒見て欲しい奴がいるんだ」
「……は?」
いよいよ人懐っこい笑みを浮かべて続ける児丹坊とは真逆に、日番谷の瞳はますます吊り上る。

「馬鹿野郎、俺は忙しいんだ。人の面倒見てる場合じゃねぇよ」
「いやぁ、でも聞いてくれって。信頼できる死神に頼みたいって言われてんだ。おめは、俺が知ってる中でいっちばん信頼できる奴だ。違うか?」
「俺に聞かれても」
「いいや、間違いねぇ!」
そう言われても困る。しかし、どうしたって児丹坊は声が大きい。全ての会話が周囲の死神や流魂街の住人に筒抜けになってしまう。
こういうバツが悪い事柄で、延々と言い合いをするのはご免だった。
「……なんだよ」
吐き捨てるように言うと、
「引き受けてくれるか!」
待ってました、と児丹坊が手を叩くのに、日番谷は思いっきりため息で返した。

そのタイミングを計っていたかのように、背後から低い声が聞こえた。
「日番谷……隊長」
聞き覚えのない声だ。肩越しに振り返った途端、何でいままでコイツの存在に気づかなかったんだろうと思った。
初めに見えたのは胴。一歩下がっても胸の辺りまで。デカイ奴だな、と思ったが、全身に視線をやって一瞬、軽く驚いた。
海風にさらされた漁師のような赤銅色に焼けた肌。きつく彫りこんだかのように凹凸がはっきりした顔立ちに、針金のような黒髪はウェーブして肩に軽くついている。
流魂街では見ない顔だな、と思い、ふと旅禍のひとりにこんな外見の奴がいたらしい、と思い出した。改めてその顔を見上げる。
目の辺りまで髪に覆われているが、意外に穏やかな瞳が、髪の間から日番谷を見返していた。
「お前。旅禍か」
ああ、と男は頷く。
「俺は茶渡泰虎。あんたに頼みたいことがあるんだ」
「……頼み?」
「ああ」
茶渡に深く頭を下げられ、日番谷は少し戸惑った顔をした。大体、まだ頼みとやらを聞いてもいないのに、頭を下げられても困る。
「……なんだ、一体」
落ちた沈黙の間にそう返してしまう自分は、まさかお人よしじゃないだろうか。

その時日番谷は、チャドの後ろから、怖さ半分、好奇心半分といった表情をした子供が、覗いているのに気づいた
。茶渡が余りに威容で、存在に気が回らなかったのだ。
「……インコのシバタだ」
「インコ? どこが」
自分の目にはどうしたって人間の子供に見えるが。茶渡は笑いもせず、至って真面目に返した。
「現世で死んだ後、インコの姿をしていた時に出会ったんだ。死んだ後の魂には形がないからな」
「は! はじめまして!」
ぎくしゃくと進み出た「インコのシバタ」は、日番谷に向ってぴょこんと頭を下げた。
「この潤林安で仲間と一緒に暮らしていて、死に別れた母親を探している。俺は現世に帰らなきゃいけない、その後この子が無茶しないか見ていてくれるか」
「……『死神たるもの、一魂に心を奪われるべからず』
「え? どういう意味?」
シバタが、茶渡と日番谷を交互に見比べた。対照的に茶渡はむぅ、と口の中で唸る。

それは、死神百人に聞けば百人とも答えるだろう、基本中の基本だ。真央霊術院の教科書の一番初めのほうに書いてある。
死神は、全ての魂に公平に接しなければならない。なぜなら、魂を支配し、上に立つべく「神」だからだ。
「冬獅郎よ……でもなぁ」
「いや、アンタの言ってることは正しい」
眉を下げて口を挟んできた児丹坊の言葉を、遮ったのは茶渡だった。
「え? 何?」
「なんでもないんだ」
言葉の意味が分からず、首をかしげたシバタに茶渡は微笑み、日番谷に軽く頭を下げる。

「……心配するな」
日番谷の声に、背を向けていた茶渡が肩越しに振り返った。
「潤林安は俺の管轄だ。ここにいる限り、誰ひとり住人に危害を加えさせたりしねぇよ」
豪快な児丹坊の笑い声が聞こえた。
「……感謝する」
茶渡は穏やかに微笑み、シバタの前にしゃがみこんで言い聞かせるように言った。
「いいか。絶対に、潤林安から出るんじゃないぞ」
「うん!」
はっきりとシバタは頷いていた……、はずなのに。

「何やってんだ、あのガキは……」
日番谷はため息をつくと、桜の中、泣きそうな顔で周囲を見渡しながら歩いている「インコのシバタ」の元に向った。 


***


「おい」
きょろきょろしていたくせに、注意してどこも見ていなかったのだろう。シバタの驚いた顔が日番谷に向けられ……すぐに、ホーッとその表情が緩んだ。
「よかった、ボク、道に迷っちゃって……」
「迷うっつっても限度があるだろうが。潤林安から出るなと言われたはずだろ?」
厳しい声で言ってやると、シバタが縮こまる。桜花楼は潤林安の隣町とはいっても、子供の足では一日以上かかるはずだ。
「一緒に住んでる仲間、いるんだろ。連絡はしてきたのか?」
「……ううん」
「馬鹿野郎」
低い声に込めた怒りに気づいたのだろう、シバタはますます小さくなった。
「なんで、こんなとこまで来たんだ」
 「……おととい、桜がいっぱい咲いてる町があるって聞いて……気がついたら、向ってたんだ。
僕より先に死んだお母さんがね、桜が好きだったから。もしかしたらいるかなって思ったんだ」
日番谷は一瞬言葉をなくし、小さな拳をぎゅっと握りしめて俯いているシバタを見下ろした。

―― 無理に決まってる。
即座にそう思った。ソウル・ソサエティは、各地に無作為に割り振られた死者同士が再会するには、あまりにも広すぎる。
―― 「んー、一億円の宝くじに十回連続で当たるくらいの確率だね」
昔、京楽がそんなことを言っていた。なんのことかよく分からないが、とにかく可能性は恐ろしく低い、ということを言いたかったのだろう。
それに、仮に出会えても次に生まれ変わるまで百年。百年たてば全ての記憶は消去され、死神の導きのもとで、別の人間として生まれなおす。
いつかは、別れなければならないのだ。永遠に一緒なんて夢物語はありえない。

「ソウル・ソサエティがどれだけ広いか、分かってんのか?」
「無理……かな」
たよりない視線を、シバタが向けてくる。どうか否定して欲しい、という願いが、その目の端いっぱいにたまっている。日番谷は思わず、目を伏せた。
支配する死神と、支配される死者。越えようのない境界を見せ付けられた気がしたのだ。
「ああ。無理だ」
どうにも、してやることはできないのだ。もし今諦めさせなければ、この少年は行けるところまで行こうとするだろう。
しかし、流魂街は治安の悪い地域のほうが圧倒的に多いのだ。ただの子供が無傷で行けるほど甘くはない。
シバタの顔が見る見る間にゆがみ、涙が零れ落ちるのを、なすすべなく見下ろした。
現世で死に別れた親に、親友に、恋人に会いたい。ソウル・ソサエティに来た者の誰もが望み、誰もが叶えられない願い。
それでも諦めずに探し続けて、最終的に幸せになれたものを、日番谷は未だに知らない。


「ホラ、来いよ」
町の外れまで来た時、時折しゃくりあげながら、とぼとぼと後をついてきたシバタの手を取った。
そのままぐいっと左手で胴体を抱え上げ、右腕に桜を抱えなおすと地を蹴った。
瞬歩を使えば、潤林安には三十分やそこらでたどり着ける。シバタは身をすくめ、高速で流れる景色に目をやっていたが、やがて慣れてきたとき、ふと口を開いた。
「流魂街にいる時間が、百年もあるって、本当なの?」
「ああ」
「会いたい人にも会えなくて、転生する時に思い出も消えるんなら……どうして、百年もここで暮らさなきゃいけないの?」
「現世と、流魂街……まああの世だな。二つの世界の魂の総量を同じにするためだ。
百年っつっても目安で、もっと長い場合もあれば、ずっと短い場合もある。現世で大勢人が死ねば、流魂街の魂はその分多く転生するんだ」
まあ、どうして百年近くもあるのか、という答えにはなっていないか。答えながら日番谷は思う。
実際のところ、この二つの世界ができたころからそうなっていたのだから、自然の摂理としか答えようがない。

そういえば、流魂街で暮らしていた頃、自分もそう思っていたな、と思い出す。
自然の摂理に理由はない。でも人には理由が必要なのだ。ここでの人生が蛇足ではない理由が知りたくて、祖母に訪ねて困らせた。
「でもね、冬獅郎。その百年があったから、ばあちゃんとお前は出会えたんだ。ばあちゃんはその時間に感謝してるよ」
そう言われたことは、今でもはっきり覚えている。

「ここには、お前が会いたい奴はいないのか?」
「……え?」
ざっ、と砂を鳴らし、足を止める。シバタを抱えていた腕を放した。
「もう、ここ潤林安なの? すごい……」
シバタが信じられないように辺りを見回した。


「おぉい、ユウイチ!」
砂埃の立つ通りの向うから、走ってくる人影に、シバタは目を見開いた。
「あ! お兄ちゃん!」
表情をぱっと明るくし、シバタが手を振る。お兄ちゃん、と呼ばれたのは、坊主頭に刈り上げた粗末な単衣を着た少年だった。
「どこ行ってたんだ、みんなものすごく心配して探してたんだぞ!」
笑顔で駆け寄ろうとしたシバタの頭を、いきなりガツンと殴りつける。
「いたっ!」
驚き半分、痛み半分でポカンとしたシバタを、今後は手を伸ばしてワシワシと撫でる。
「心配したんだぞ」
「……ごめんなさい」

その二人のやり取りを聞き、日番谷はそっと背中を返す。
「ありがとうございました!」
その背中に、少年ふたりが頭を下げる。
シバタもいつか、この世界に生きる価値を、自分の中に見出してくれるだろう。
「気をつけて帰れよ」
それだけ返して、日番谷は再び歩き出した。


―― インコのシバタ、か……
 どういう理由で鳥の姿をしていたのか、シバタにも茶渡にも聞くことは無かったが、現世で迫害でもされていたのか。
どんな理由であれ動物に姿を変えるなど、本人の意思とは思えない。そう思った時、日番谷の頭にふと甦ってきたセリフがあった。
―― 「死んだ後の魂には、形がないからな」
これは……そう、茶渡の言葉だ。ピン、と心に小石が当たったような、軽い衝撃がはしった。
「まさか……アイツは」
視線を束の間地面に落とし、一人で呟く。そして、考えを振り切るように言葉を加えた。
「仮にそうだったとしても。もう時間がねぇ」
日番谷は軽く頭を振り、道を急いだ。