それは、正月にほど近い師走のこと。
この次期には珍しく小春日和で、道端には数日前に降った雪が残っていた。
そんな昼下がり、その飯屋の前では「材料切れのため臨時閉店」と書かれた紙を、看板娘が汗を掻き掻き張り出していた。

「うまい!」
「おいしい!」
「うまい!」
「おいしい!」
餅つきの合いの手のようにテンポのいい男女の声が、店の中に延々と響き渡っていた。
二人のいるちゃぶ台には綺麗に食べ終わった皿が積み重ねられ、二人の姿も隠れて見えなくなっていた。

店に居た他の客も、当然気づく。何人もが伸び上がってそちらを伺っていた。
「あの客、一体だれだ?」
「鬼殺隊だよ。あの、髪の毛がおかしい柱の人」
「ああ。赤毛の?」
「それと、桃色と緑のもいる」
「二色かよ!?」
こそこそと店内で話し声が漏れた。

果たして、そこに居たのは炎柱の煉獄と、甘露寺の二人だった。
甘露寺はもともと煉獄の継子として師弟関係にあったが、あまりに個性あふれる甘露寺に、煉獄は炎の呼吸を継ぐのをとうに諦めている。
甲の隊員にして、鬼を五十体倒した実績が条件を満たしたため、年始からは「恋柱」として柱の仲間入りをすることが決まっていた。

「おめでとう甘露寺!」
既に10回目以上になるが、煉獄は初めて言うように大声を出した。めでたいから何度でも言う、というつもりらしい。
「今の柱は、岩・風・炎・水・蛇・音・蟲の七人。上から4人は呼吸の力のみで鬼と渡り合える!
蛇は知略に長け、音蟲は爆薬や毒などを利用して自分の呼吸を底上げしている! いずれにせよ強い。今の柱は実力的に過去最高と言われているほどだ。
甘露寺も来年からは晴れてその一員だ。頑張るんだぞ」
「ええ」
五杯目の天丼を空にしながら、甘露寺は物憂げなため息をついた。
「どうした、甘露寺らしくもない! 元気がないな」
「私……こんな性格なので、柱合会議でうまく皆さんに自己紹介できるのかが不安で……
何か失敗しちゃいそうで、ここのところ食事もほとんど喉を通らないんです。こんなことは初めてで」
切々とかつての師に訴えた。うむ! と十杯目の味噌汁(好物の薩摩芋が入っているのが気に入った)を飲み干しながら煉獄は頷いた。
「大丈夫だ、甘露寺!」
「何が大丈夫なんですか?」
「失敗したって大丈夫だ!」
自信に満ちた表情だった。失敗することは織り込み済みなのか、と突っ込めないほどに、本当に自信に満ちた表情だった。

煉獄さんは本当に素敵、と甘露寺はうっとりする。
今までは師匠だからと感情は封印してきたが、柱として形式上は同格になるから、これからは恋愛対象に含めてしまってもいいのだろうか。
「甘露寺なら、絶対にうまくやれる。素の自分を隠すことなどないさ。ありのままの自分を出せばいい。みんな必ず受け入れてくれる」
煉獄は、甘露寺の肩をつかんで、励ますようにそう言った。その口調はあたたかかった。
鬼殺隊に入る前の甘露寺が自分を偽り、非力な娘として暮らしていたのを知っている。
そして、これまでの生活だと隠さなければいけなかったその体質が、鬼殺隊ではむしろ長所として賞賛され、甘露寺がやっと、自分の居場所を見つけたと思っていることも。
「皆さん、お嫁さんにしてくれますかね?」
「うん。うん? いや、まぁ、それはとにかく、柱として受け入れてくれるはずだ! 何も心配いらないさ」
はっはっは、と煉獄は朗らかに笑った。


  
***


「はぁ? コイ柱? なんだそりゃ」
実弥は、飯屋で伊黒と向かい合って昼食を摂っていた。聞きなれない言葉に眉を顰めている。
行きつけの店がなぜか材料不足とやらで臨時閉店していたため、少し離れた別の店の暖簾をくぐっていた。
「恋柱だ。次の柱合会議がお披露目になる」
伊黒は基本人前で食事をしいない。せいぜい茶を飲むくらいで、今も伊黒の前には湯呑ひとつしか置かれていない。
実弥もそれを知っているから、特に気にかけることもなく自分の食事を掻き込んでいた。

この二人には一見、何の共通点もないように見える。
体格も大柄と小柄で、見るからに違う。性格も片や傍若無人、片や神経質と対照的だった。
だが、同じ歳ということもあり、二人は初対面の時から不思議と馬が合った。
年に二回の柱合会議がない時にも、鬼の情報交換のために時々顔を合わせる間柄だった。伊黒は意外と情報通で、実弥もそれを重宝している。
年始から新しく柱に昇格することが決まった隊員についても、伊黒はすでにいろいろと、情報を持っているらしい。

「鯉……柱?」
伊黒の発音を聞いても、どんな漢字を当てるのか分からない。とりあえず知っている漢字を脳内で当てはめてみたものの、何をする柱なのかぜんぜん見当がつかない。
「そうだ。恋柱だ」
まじめくさって伊黒は頷いた。
「魚でも出すのか?」
「サカナ?」
二人で顔を見合わせて、認識が噛み合っていないことに気づいた。互いに、空中に字を書いてみる。
「はァ? コイって、恋のことか? 一体何ができんだ、そいつはァ……」
一気にうんざりした表情になった実弥を、伊黒はじっと見つめてきた。機嫌を損ねたのだ。
「何ができるとはご挨拶だな。蛇の呼吸だからと言って、俺から蛇が出るか? 馬鹿め。
貴様の灰色の人生からは想像がつかない語彙だろうがな、恋柱だ分かったか」
「勝手に俺の人生を灰色にすんな。妙にそいつの肩を持つな? 強ぇのか」
「強いとか弱いとか、そんな判断でばかり物事を見るから」
「俺の人生は灰色なんだろ分かったよ。で、どんな技を使う奴なんだ」
とうとうと皮肉を並べ立てる伊黒に頓着せずに、実弥はもう一度聞いた。
伊黒のやたらと長い口上はこんにちは位の意味で、聞き流したほうがいいことをそれなりの付き合いで学んでいる。

伊黒は怒りをおさめ、首を横に振った。
「詳しくは俺も知らん。ただ、実力は申し分ないはずだ。なにしろ、煉獄の継子だったからな」
「ほぅ?」
実弥の口調が変わった。煉獄には継子がいたが、炎の呼吸ではないと聞いたことはあった。
詳細は知らないが、煉獄の影響下にあるなら実力はお墨付きだと安心していた。性格面では若干の不安が残る。
「ま、どんな野郎か知らねぇが、俺には関係ねぇ」
実弥は皿に残っていた肉を、伊黒が連れている蛇に食わせてやりながら、間延びした声を出した。
自分の呼吸を恋と呼んで憚らない男とは反りが合わなさそうだし。
基本の呼吸から離れ、聞きなれない呼吸であるはあるほど死にやすい、という経験則から、それほど長い付き合いにもならなさそうだ。

伊黒はもう一度首を横に振った。
「野郎ではない、女だ」
「へぇ」
女と聞いても実弥の態度は変わらない。
「会ったのか?」
「ああ。18だと言っていた。今までの柱にはない、明るく素直な娘だ」
さりげなく胡蝶しのぶが貶められた気がしたが、そこは聞き流した。
「髪は桃色で毛先が緑色だった、それから……」
「髪の色がなんだって?」
また、とうとうと特徴を語りだしそうな伊黒を実弥は遮った。
「もともとは黒髪だったのが、桜餅の食べすぎで髪の色が変わったらしい」
「なんだか色々冗談みてぇな女だな」
実弥は空になった皿を押しやって、店員が新しく持ってきた皿を受け取りながら言った。
「お前も、おはぎばかり食べていると毛先が小豆色になるかも知れんぞ」
「……」
今まさに箸をつけようとしていたおはぎを見下ろし、実弥は沈黙する。
「冗談だ。それより貴様、次の柱合会議で恋柱に対して、いつもの無礼で無遠慮で無神経な物言いをしたら、貴様とはいえ許さんから十二分に注意するんだな」
「本当に肩入れすんだな。しかしそんな女がなんで鬼殺隊に? 普通に暮らせばいいのに」
「……柱の中から、理想の殿方を見つけるためだそうだ」
「……」
頬杖をついていた実弥の顎が掌から落ちた。
「駄目だ駄目だ、次の柱合会議は欠席する」
「馬鹿め。貴様が理想の殿方のはずはないから、その心配は無用だ」
「そっちじゃねぇよ! そんな奴を前にキレねぇ自信がねぇ。鬼殺隊が何するところか分かってんのかそいつはァ。秒でキレるぜ俺は」
伊黒はなだめるように片手を実弥のほうに伸ばした。
「そんな理由で欠席できるはずがないだろう。大体長い付き合いになるんだ、お前ならなんだかんだで上手くやっていけるはずだ。良い娘だぞ」
「そう言うなら、お前が嫁にすりゃどうだ」
何気なくそう言って、伊黒を見返す。伊黒も実弥を見返した。あれ? と思った。いつもの皮肉がかえって来ない。
一丁前に照れているらしかった。
―― うわ、この野郎、本気かよ……
どうやらこの陰気な男は、その陽気らしい女に惚れているらしい。

この会話は鬼門だ。それに気づいた実弥は、残っていた茶を一気に飲み干して席を立った。
「なんだか知らねぇが、とっとと相手見つけて柱どころか鬼殺隊辞めるべきだぜ。明日の命も知れねぇのに」
「……まぁ、それは確かにそうだな」
顔を見合わせて、ため息をついた。






Update 2019/11/27