その頃。浦原商店の巨大な地下空間は、もうもうとした土煙に覆われていた。
「な、なんだぁ?」
斬魂刀を構えていた一護は、煙の中にウルキオラを見失い、顔をしかめて煙から飛び下がった。その瞬間、土煙の中に現れた複数の気配に瞠目した。
―― この気配、恋次、ルキア! 一角さん、弓親さんも……
しかし、それだけじゃない。同時に感じる破面の気配に、一護はギリ、と歯を食いしばった。
「……グリムジョー」
過去に何度も何度も刃を交わした気配は、五年経っても昨日会ったかのように鮮やかだ。

「黒崎サン、アタシも参戦します。遅くなりました」
スッ、と背後に現れた影に、一護は視線もくれずに答えた。
「準備とか言ったのはこのことか? 浦原サン」
「ええ。街中でドンパチやられると被害は甚大だ。ここなら、多少暴れても大丈夫ッスから」
「けどよ。雑魚八体はとにかく、ウルキオラとグリムジョーは手強い……」
そこまで一護が言いかけ、唐突に言葉を切った。
「黒崎サン」
ほぼ同時に、浦原が気づいた。
「どうやら招かざる客がいるようだ。ご注意を」
それは、浦原がそういい終わるか、言い終わらないかのわずかな間。ぐっ、という何かが潰れたかのような呻き声と同時に……ドスッ、と鈍い音が響いた。

「なんだ……」
「破道の二、旋風(ツムジ)!」
浦原が早口で鬼道を唱える。すると、その場を覆っていた土煙が風により吹き飛ばされた。
ようやくはっきり見え出した景色と同時に、濃厚な血の匂いが鼻腔に届いた。
「なっ……」
茶色にかすんだ景色の向こう。それを見た一護が初めに漏らしたのは、驚愕の呻きだった。
グリムジョーが、ごほっ、と口から血を吐くのが見えた。そして、その腹を貫通していたのは、血にまみれた拳。
「まず一体」
全く波立たない、平静な声と同時に、拳が引き抜かれる。
ピシッ、と拳にまとわりついた血を払い、音もなく崩れ落ちたグリムジョーの体の向こうに現れた、漆黒の姿。
年のころは13〜14歳くらいか。冬獅郎よりも身長はわずかに低いようだが、体格は一回りがっしりしている。
今まで一護が見た死神や破面の中には、こんな奴は一人もいなかった。ごくり、と思わず唾を飲み込む。
敵が一体減ってラッキーだ、とは到底思えなかった。自分がかつて苦戦したグリムジョーを、一瞬で倒すなどとは。
その禍々しい霊圧に押されるように、一護は斬月の切っ先を少年に向けた。感情のない漆黒の瞳が、一護に向けられる。

「なんだ、てめ……」
「黒崎サン、駄目だ!」
刀を向けようとした一護を、常に似合わない焦りの声をにじませた浦原が止めた。
「なんだよ、浦原さん。あれが誰か分かるのかよ?」
「死神じゃない。破面でもなさそうだ。とすると……まさか」
「鉄」
少年の答えは、これ以上ないほどに簡潔に返された。思わず、といった素振りで、浦原が一歩背後にさがる。
そんな浦原と一護を、少年は感情のない瞳で見据えた。
「邪魔だ。死ぬ気がねぇなら退がれ」
「……御意」
有無を言わさぬ力で、浦原が一護を下がらせる。鉄って何だ、と軽々しく聞けない空気を、その緊張した横顔から感じた。


少年は、チラリ、と冷たい目を周囲の八体の破面に向けた。
次の瞬間。体内の爆弾が炸裂したかのように、その破面の体から爆発的に血が吹き出した。
「……刃、か?」
卍解状態の斬月に似た漆黒の刃先が、ボロキレのように宙を舞った破面の向うに見えた。
一護を愕然とさせたのは、その刃が外から突き刺したものではないということだった。全く逆に、内側から、刃先が腹や背中を破り外側に飛び出している。
一体どうやればこうなるのか、想像もつかなかった。ただ、内側から突き上げてくる刃をかわしようがない、ということはすぐに分かった。

少年の一分の温度もない瞳が、もう一度、一護と浦原に戻ってくる。一護はとっさに、浦原を庇うように前に出た。
さっきこの少年は、まったく攻撃する素振りを見せなかった。文字通り「目線で殺す」ことができるのなら、防ぎようがない。
「……あんたは、誰なんだ」
刀の切っ先を下ろし、しかし相手の反応によってはすぐに斬りつけられるように力を込めながら、一護は少年に向き直った。
「王族ですよ」
「あぁ?」
そっと浦原に耳打ちされて、一護は思わず頓狂な声を上げた。まじまじと少年を見返す。浦原が、声を低めて続けた。
「ソウル・ソサエティの頂点に君臨する『霊王』の存在は知ってますよね。霊王の側近が王族です。
『紫』の紫城(シジョウ)家、『黒』の鉄(くろがね)家、『紅』の緋鹿(ひが)家、
『黄』の玉(ギョク)家、『白』の東雲(しののめ)家、『蒼』の琉染(ルゼン)家の六家。
本来は雲の上の存在なんですけどね。こんな現世(ところ)にいるとは、前代未聞です」
「わたくしがお連れしました」
涼やかな声が、血なまぐさい地下に響き渡った。完全に煙が晴れた岩場に腰掛けていたのは、藍色の着物を着た娘。
大輪の花がほころぶかのように微笑む姿は、さきほど藤棚に腰掛けていた時と同じように、優美に見えた。

「……貴女は」
「緋鹿家が息女、恵蓮と申します。そちらは鉄家の御子、逸輝殿」
「……これはまた」
浦原は、自分が招いてしまった思わぬ客に、頭を掻いた。
「……こんなむさくるしいところへ、いきなりお連れして申し訳ないですね」
「かまいませんわ」
にっこり、と娘は邪気のない笑みを浮かべた。しかし、眼前の惨状を見やると、その表情に憂いが浮かぶ。
死者をいたむようにゆっくりと瞼を閉じた恵蓮は、やがてゆっくりと囁いた。
「いけませんわ。わたくしを人質に取ろう、などとお考えになっては」
「……っ、ウルキオラ!」
その方向を見やった一護が、地面に向けていた斬月の切っ先を、ウルキオラに向けた。
今まさに、恵蓮に向かって跳ぼうとしていた白皙の男は、無言で動きを止めた。

「良かったな、忠告されて」
恵蓮の背後に、スッと黒い影が降り立った。
「恵蓮に刃を向けた奴は、絶対に殺す」
「逸輝」
ゆるり、と首を動かして振り返った恵蓮が、その逞しい腕に細い指を添えた。その動きは、体を預けたようでもあり、戦いにはやるこの少年を諌めたようにも見えた。
ただ、目で見るよりも先に、指先で探り当てるように触れるしぐさが、その娘の視力がかなり悪いことを示していた。

「お前がこんな戦場に来る必要、なかったのに」
逸輝の漆黒の衣に、亜麻色の髪が流れる。それをそっと梳(す)いた逸輝の指は、つい1分前、破面9体を倒したとはとても思えない。
「ごめんなさいね。ただ、見ておきたかったのです」
何を? おそらく、逸輝はそう聞こうとしたのだろう。しかし、その問いは、突然のウルキオラの動きにさえぎられる。
瞬速でその場から消えたウルキオラが次に現れたのは、瀕死の状態のグリムジョーの傍だった。
そのまま、軽々と肩に担ぎ上げると、ちらり、とその場の4人を見やる。

「今更死神に手を貸す、目的は?」
そのウルキオラの問いに、彼だけでなく一護と浦原も、王族の二人を見やった。
「『真実』を、見届けるため」
その返答は、恵蓮の口から、まるで何かの宣託のように告げられた。それを聞いたウルキオラが、わずかに訝しげに眉を潜めた。

「緋鹿家……王族の中では、占や預言をつかさどる一族だったな」
その澄んだ翠の瞳は、ウルキオラを映してはいない。
「もはや『死神』は、ソウル・ソサエティの歴史からは抹消された種族。今、何をその盲いた瞳が映すのかは知らぬが……もう、手遅れだと言っておこう」
その問いに、恵蓮は否とも是とも答えなかった。ただ、静かにその瞳を閉ざしたのみ。
ウルキオラは、そんな恵蓮を一瞥する。それとほぼ同時に、その姿がフッと溶けるように消えた。

 


「アイツらは……!」
一護は、ウルキオラの気配がその場から完全に消えたのを確かめると、斬月を背中に収めた。そして、かすかな気配を頼りに、岩伝いに跳躍する。
「ルキア、恋次! 弓親さん、一角さん……」
難なく岩場の影に、気を失って倒れた4人を見つけ、駆け寄った。

「空間の転送に、体が耐えられなかったみたいですね。今の状態なら、無理はないかもしれませんが」
一護はそれぞれの口の前に掌をやり、規則正しい呼吸を確かめると、ほっ、と息をついた。
「何なんだ、こいつらは?」
足音もなく背後に現れた逸輝が、眠る4人を見下ろした。
「破面たちには死神だって追われてたようだが、こいつら霊圧はただの人間だぜ?」
「破面が正しいんです」
その問いに答えたのは、浦原だった。その腕には、四振りの刃を抱えていた。

夏梨が氷輪丸を発見した、同じ穴の中に隠されていた斬魂刀。
蛇尾丸、藤孔雀、鬼灯丸、そして、袖白雪。
どれも、死神の手に在った時の輝きを忘れたかのように、くすんだ鈍色に沈んでいる。
「この方たちは間違いなく死神。前世が死神だったなんてオチもないっスよ。つい五年前まではこの刀を手に、最前線で破面たちと戦っていた」
「じゃぁ、この霊圧の低さはなんだ? なんで覚えてねえんだよ?」
「封魂術、という術、ご存知ですか? 文字通り、魂を封じ込める術。こいつをかけられると、全ての霊圧と記憶はゼロに帰します。
もっとも、奪うというわけではありません。『封じ込める』だけのものですが」
「術をかけたのは、お前なのか?」
「ちょっと技術を加えて、適当な過去を吹き込んでおきましたがね。まぁ、封魂術は元来不完全な技です。
術者のアタシの霊圧を、もしも被術者の六人全員の霊圧が上回れば、封印は解けます。永遠じゃぁない」
そう言って、浦原は四人を見下ろした。
「ただ通常、それはありえないことでした。それぞれバラバラに暮らしている以上はね。でも、彼らは出会ってしまった。
一人ひとりは微細な霊圧でも、六人いれば、少しずつ封印のタガが緩むくらいの現象は起こります。
そして、タガは加速度的に緩み始め……もう、この人たち、部分的には死神の気質や記憶が戻りかけてますね」
「こいつらのことは分かった。でも何で、そんなまだるっこしいことする必要があったんだ?」

「死神の血を、絶やさないためじゃねえか……」
ルキアの前にしゃがんでいた一護が、逸輝に背を向けたまま、つぶやくように言った。
そして、バッ! と振り返る。その瞳が怒りに満ち、まっすぐに逸輝を射た。
「なんで、あの時……破面と死神が全面戦争になったとき、死神を助けなかったんだ? アイツらは!! 
藍染の手からお前たちを……王廷を護るために最後まで戦ったんだぞ!」
張り詰めた緊張が、その場を覆った。


「……そして、『瀞霊廷』は、歴史から消えた」
その瑞々しい声に、一護はぎりっ、と歯を食いしばる。視線の先には、恵蓮の姿があった。
「教えてくれよ。あんた先を見る目があるのなら……こいつらを除いた死神は、どこ行っちまったんだ?」
その言葉に浦原は視線を落とし、逸輝はその表情を崩しはしなかった。
「……」
「見つからないんだ。どこを探しても」
一護の瞳には、もう、怒りは浮かんでいなかった。その代わりに、はっきりと見えたのは、苦悩の色。

その感情の動きは「見える」のか……恵蓮がスッ、と目を細めた。
「それを伝えるのは、わたくしの役目ではありません」
「じゃあ、誰の」
その問いに答えず、恵蓮はその翠の双眸を見開き、浦原に向けた。その穢れを知らぬようなまっすぐな瞳が、帽子の鍔の奥に隠れた浦原の瞳とぶつかる。
「……畏(こわ)い方だ、貴女は」
永遠に続くかのような、息詰まる沈黙の後。
浦原は囁くように、そう言った。

「仮初の平和。6人は、その中で生きてきた。偽りの記憶に気づくこともなく。でも彼らは、再び出会ってしまった。もう後戻りは、できないっスよ。彼らが望もうと、望むまいと」
「……浦原サン。こいつらの記憶が完全に戻るってことは……封印が切れるってことはありえるか?」
一護は立ち上がると、浦原に視線を向けた。浦原はその問いに、どこか寂しげな笑顔を返した。

「五年前、日番谷サンはアタシに言いました。『自分たちの未来は、自分で選ぶ』と」
ハッ、と一護は、四人を見下ろした。
事態の急転に気が回らなかったが……ここにいない、ここにいるはずの二人。日番谷冬獅郎と、松本乱菊はどこにいる?
その時、気配をさぐった一護の脳裏に……忘れられるはずのない、懐かしい霊圧がよみがえった。

―― 冬獅郎……?
そして。
それに呼応するように、ぽぅ……と四振りの刀が、光に覆われてゆく。
「浦原サン!」
一護の叫びを、よそに。
「今がその時です」
浦原は静かに、目を閉ざした。



「王家」は、当家のみの捏造です、念のため。
原作では、霊王−王属特務、という構成らしいので、
その間に王家が入る余地はなさそですが^^;
last update:2010/7/2