「……すまねえ」 一護の声が薄暗がりに響き渡り、余韻が消えても……誰も、言葉を発しなかった。 破面の手から瀞霊廷を護れなかったことへの謝罪なのか、封魂術に結果的に手を貸したことへの謝罪なのか、黙って聞いていたルキアには分からなかった。 ただ、自分が怒ることがあるとすれば、後者に対してだと思った。 自分は、一護に護られるほど弱くはない。例え絶望的な状態だったとしても、一方的に護られるくらいなら、共に戦って死んだほうがマシだった。 しかし。 ―― 「元気でな、ルキア」 あの言葉に込められた祈りが、今となればはっきりと分かる。そしてルキアはそれを思うと、何もいえなくなる。 肩に手を置かれた時の余韻がまだ残っている気がして、ルキアはそっと右肩に手をやった。 乱菊が、手を貸そうとした織姫を制して、布団の上で上半身を起こした。 「一護。この場の誰が、あんたを責められるっていうのよ。顔をあげなさい」 「でも俺は……やちるも、護ってやれなかった」 「バカにしないでほしいね」 一護が、ハッと顔を上げた。視線の先には、弓親の姿があった。 「知っているかい? 死神とは、自分の意志で辞めることができないんだよ。死神が死神でなくなるときは、死ぬ時だよ。 物理的な死だったり、精神的な死だったり。死に方は違うが、ほぼ例外なく、ね」 一護が、充血した目を弓親に向けたまま、黙っている。 「ヒトの命を奪い続ける仕事なんだ。命を奪われて終わるのは、因果応報なんだろうね。死神になる者には、全員覚悟があるんだよ。殺す覚悟と、そして殺される覚悟だ」 「やちるも、覚悟があったって言いてえのか?」 「例え僕達が、副隊長に何を望んでいたとしてもね」 少なくとも。 こんな結末を、誰も望んでいなかったはずだ。 その場は、重い沈黙に包まれた。まるで、黙祷のように。 「……隊長?」 不意に、乱菊が冬獅郎に呼びかけた。ルキアが眼をやると、話の最中ずっと黙っていた彼は、両耳を押さえるようにして視線を畳に落としている。 「……何を、言ってんだ? そりゃ、何か変だ」 早口でつぶやいた言葉は、独り言のようだった。 「何が変だっていうんです?」 弓親の言葉には答えず、右手の指先で軽くこめかみを叩く。うまく頭の中で整理できない記憶を、もどかしがっているように見えた。 やがて顔を上げた冬獅郎は、まるで他人を見るような視線を、一護と浦原に順番に向けた。 「俺は、起こったことをそのまま言ってるぞ、冬獅郎」 一護が改まった声で、声をかける。分かってる、とばかりに冬獅郎は何度か、軽く頷いた。 そしてひとつ息をつくと、唐突にその場に立ち上がった。 「座ってても埒があかねぇ、瀞霊廷に戻るぞ。穿界門を開く。ついて来たい奴は、来い」 そして、握っていた斬魂刀を腰に帯びる。キン、と音を立てて鯉口を切った。 「え……穿界門、って」 驚いた声を上げた織姫を、冬獅郎はそのままの体勢で見下ろした。 「何、驚いてんだ。俺達は正式な死神だ。穿界門くらい開ける」 「でも、今行ったって……」 「今何が起こってんのか、実際に瀞霊廷を見てみるしかねぇだろ。それに、十刃が現世に現れてるなら、結界に異常ができた可能性も高い」 「そうこなくっちゃ」 一角と弓親が勇んで立ち上がる。ルキアと恋次は、思わず顔を見合わせた。 その時。浦原が、懐から出した扇子で、机の角を打った。その音に、全員の視線が浦原に向いた。 「アタマ、冷やしたほうがいいッスよ」 酷薄、と言っていいような低い声音が、浦原から放たれた。 「それがどれほど無謀か、ここまで説明を聞いて分からなかったんスか? 総隊長は五年前、アナタ達に生きるよう、最期の指示を出した。 玉砕覚悟で結界を閉じたのは、アナタ達には生き残って欲しいと願ったからだ。ハッキリ言いますが、五年前の護廷が敗北した敵に、アナタ達六人で勝つことは不可能っスよ」 「何事もなかったみてぇに、全部忘れて現世で生きろってか!」 「その通りです」 激昂した一角と、対照的に冷静な浦原が、その場でにらみ合う。 「……たとえ仮初の生活だったとしても。アナタ達が過ごした五年間は『ホンモノ』だ。その重さは、アナタ達一人ひとりが知っているはずだ。 大切なものも、たくさんあったでしょう。捨てられるのですか? 死神に戻る、というのは、そういうことですよ」 冬獅郎と、乱菊が。 恋次と、ルキアが。 それぞれ、顔を見合わせる。 互いの考えを、探るように。 「……それでも。俺は『死神』だ」 冬獅郎の言葉は、ぽつんと宙に放たれた。ルキアは、彼の肩の辺りを乱菊がじっと見つめているのに気づいた。 冬獅郎がそれに気づかないはずはないだろうに、彼は振り向かない。浦原に向かって、刀の鯉口を切った姿のまま歩み寄った。 ハッ、とその場の空気が緊張する。次の瞬間、刀を抜き放ってもおかしくないような、張り詰めた沈黙があたりを覆う。 「『死神』だから? ……なんだと言うんですか?」 「そして俺は隊長だ。死神のしぶとさはよく分かってる。……あいつらが全滅したとは、俺にはどうしても信じられねぇ」 「せ、僭越ながら、私もそう思います」 ルキアは思わず、ふたりの間に口を挟んでいた。それが確信なのか、願望なのか、自分でもよく分からなかった。 ましてや白皙の元上官が今何を思うのか、その本心は知る由もなかった。 浦原は、トントン、と畳んだ扇子で机の角を打った。その動作が、彼には珍しく苛苛しているように見えた。 ピンと張った緊張感をそのままに、浦原と冬獅郎が向かい合う。 「では、万歩譲って生き残りがいたとしましょう。だからといって、戦況をひっくり返すせる可能性はないでしょう」 「いや、まだある」 冬獅郎は言下に言い切った。 「何があると言うんです?」 それには答えず、冬獅郎は浦原に歩み寄る。 「あの戦争の前、万一に備えて涅の研究データのバックアップが浦原商店に送られたはずだ」 「……だったら、どうだというんです?」 「それが見たい。理由はお前も分かってるはずだ。見たんだろ? そのデータを」 「無駄ですよ、そんなことをしても」 「じゃあ瀞霊廷に戻って直接確かめるほかない。そっちはあんたに留める権利はねぇぞ。本来、涅のデータの閲覧を拒否する権利もねぇが」 事情が分からない一護や死神達は、会話に割って入れず、ただやり取りを見守っている。 浦原は、腕を組んで黙っている。平静な表情だが、戸惑っているのが伝わって来る。 瀞霊廷に死神達が戻るのを黙認するか、涅の研究データを見せるか、どちらがより彼にとってよい結果を生みだすのか、考えているのだろう。 しかし冬獅郎にも、前者はとにかく、なぜ後者を浦原が拒絶しようとするのかは想像できなかった。 「……アナタが期待できるようなデータは、何もないですよ。それだけは言っておきます。準備だけはしておきましょう」 「感謝する」 数秒の沈黙のうち、浦原が折れた。 無言の中で、死神達の気持ちが一つところにまとまったのを、ルキアは感じ取った。 いつか必ず瀞霊廷に、戻る。そして、仲間達が5年前そうしたように、死力を決して戦う、それ以外に道はないように思えた。 バン!!! その時、静まり返った空間に響いた音に、全員がぎょっとして視線を向けた。 突然浦原が畳の上に掌をつき、土下座したのだ。 「う、浦原……? 一体」 うろたえたルキアとは逆に、毅然とした声が浦原の口から漏れた。 「アナタ方が、全力を尽くして瀞霊廷を救おうとするのは当然でしょう。それでも、どうか。これから破面に襲われるだろう、この街を護るにとどめてください。 決して、瀞霊廷には戻らぬように。そうなれば、全てが『無』に帰してしまう――」 「……『ルーツに戻るな』か」 沈黙を破ったのは、冬獅郎だった。 「雛森といい。草鹿といい……どうして皆、同じことを言う?」 浦原は、答えない。まるで彼の意思を代弁するように肩に力を入れたまま、押し黙っていた。
last update:2012年 8月2日