「あんた、何やってたんだよ、五年間も全く連絡よこさねぇで! あたしがどれほど心配したか……何とか言えよ、冬獅郎!」 勢いに任せて、冬獅郎の両肩を掴んでいた。掴まなければ、抱きついていたかもしれない。 その剣幕に押されるように目を丸くした冬獅郎と、夏梨の目が至近距離で合った。 無表情ではあるが冷たくはない穏やかな表情に戻ると、冬獅郎は軽く、首を振った。 「悪いけど、人違いじゃねえか? 俺は、お前のことは知らない」 え? 冬獅郎の肩を掴んだ手が、震えた。 「な、に、言ってんだ? あんた、冬獅郎だろ? 死神の!」 「え?」 初めて当惑の色が、その端正な顔に広がる。 「死神……って、なんだ? 何かの比喩か?」 「な……にを」 冬獅郎は夏梨を押しのけるでもなく、ソファーに腰掛けたそのままの体勢で、夏梨を見返している。 やがて、ふぅ、とため息を漏らしたのが、夏梨の手を通して感じられた。 「……俺の苗字も、知ってるのか」 「日番谷! 日番谷冬獅郎。そうだろ?」 「どこで俺と会ったと?」 「ここだよ。この空座町。この家でも会ったことがあるんだ。最後に会ったのは、五年前」 思いつめた感情が顔に出てしまったのだろう。冬獅郎は少しだけ、気の毒そうな顔をした。 「それは、ありえない」 一瞬の間を空けて、穏やかに、しかしきっぱりと断じた。そして、夏梨の手をとるとそっと自分から離させた。 「俺の名は、確かに日番谷冬獅郎だ。でも俺は、五年前に初めて来日するまではノルウェーにいたんだ。ここでお前と出会うなんて、ありえない」 ふざけんなよ。 衝動的に夏梨は、子供のように喚いて地団太を踏みたいような衝動に駆られた。 この五年間、夏梨が何度も思い描いてきた再会の場面は、こんなものではなかった。 その翡翠も、落ち着いた声もその物腰も、間違いなく「日番谷冬獅郎」に違いない。 それなのに。夏梨を知らない、だなんて。どんな悪夢よりもひどい現実だと思った。 「そうよ……ね。びっくりしちゃった」 覚えがあるその声に振り向き、夏梨はめまいがしそうになった。 これまで冬獅郎のことで精一杯で他の人物には視線が行かなかったが、そこにいたのは確かに「松本乱菊」。夏梨の記憶の中の彼女は、冬獅郎の副官だった。 ―― 「はじめまして。あたしの名前は、松本乱菊」 その声も、金色の髪も、明るい青の瞳も、その頃と全く変わらない。しかし彼女が夏梨に向ける視線は、久しぶりに会った知人に向けるものではなかった。 「座れよ」 冬獅郎はスッとどけると、入れ替わりに夏梨をソファーに座らせた。立ちあがった時に体が傾ぎ、隣に来ていた乱菊が、さりげなく支える。 引きずっている右足の足首からは、真新しい包帯が覗いていた。 「今日の患者はコイツなんだ、夏梨。金ヅルと菓子もってきてやったからな」 ひょい、と後ろから顔を覗かせた一角が、おそらく気を使ったのだろう、いつもの調子で夏梨に話しかける。 「……一角さん」 その後ろから、弓親が微笑みかける。 「久しぶりだね、夏梨ちゃん。一角がボコボコにした相手を担ぎこんで以来かな? 覚えてる?」 「……治療費は、あんたが払ったよな。弓親さん」 「まぁね。一角はいつも金ないし、仕方なくだよ」 「お前だって言うほど金ねーだろうが!」 「治療費払わせておいて言うセリフじゃないね」 「あんたら、ホントいつも同じことしてんのねぇ。ホントいい迷惑」 一角と弓親のやり取りに、呆れた声で乱菊が割って入る。それを見守る夏梨の表情に、ゆっくりと微笑が戻った。 「次の客も控えてるんだろ?」 弓親は、恋次とルキアを視線で示す。 「こんな男のケガなんて診る必要ないと思うけど(何だコノヤロウ! と恋次が口を挟んだ)、まぁ客ならしょうがないね。僕らは帰ろうか」 「だな。菓子はリビングのテーブルの上に置いておいたから、後で家族と食えよ」 一角と弓親が夏梨を見る目は、兄のように優しい。ポン、と一角の大きな手が、夏梨の頭に置かれた。 「それじゃ、お邪魔したわね。治療ありがとう。一角、弓親、家まで送ってくわ」 「すまねぇな」 冬獅郎が、一角や弓親の肩の向うから、夏梨を見つめている。 「じゃあ冬獅郎、行こっか」 乱菊がその肩に手をやった。 行ってしまう…… ダメだ。 ここで別れたら、もう二度と冬獅郎には会えないだろう。 とっさに手を伸ばそうとするが、呼び止める言葉が思い浮かばない。 そのときだった。 「それで良いのか?」 懐かしいほど凛と澄んだ声が、リビングルームに響き渡った。 その場の全員が動きを止め、声の主を見やる。朽木ルキアが、きちんとソファーの上で背筋を伸ばし、まっすぐに夏梨を見ていた。 「それで良いのか?」 ルキアはもう一度、繰り返した。 「そこの少年だけではない、私の名前も的確に言い当てただろう? それも偶然なのか? 納得できないことがあるのなら、この場で言ってくれないか。 そうしないと、二度と同じチャンスはないぞ。少なくとも私は納得できない」 「……ルキア」 なだめるように肩に手を置いた恋次にかまわず、ルキアはきっぱりと言った。 「少なくとも、私にはお前が嘘をついているようには思えぬ」 「ルキア……ちゃん」 夏梨は、唇を噛み締めた。名前を知っている、だけではないのだ。自分が知っている朽木ルキアならこういう場面に、必ず同じ態度で、同じことを言うだろう。 「でも……よ。俺達は全然知らないんだぜ? こんなことってあるか?」 恋次が戸惑った声と共に、一角や弓親、乱菊を顔を見合わせる。。 沈黙が落ちた時、ぎい、と音がする。振り返れば、冬獅郎がリビングの椅子を引き、再び腰掛けたところだった。 「同感だな」 組んだ足の上に右手を置き、夏梨を見やる。残りの三人はうぅん、とそれぞれに唸りながらも、その場に足を止める。 こんな風景には、夏梨は見覚えがあった。 夏梨の知る冬獅郎は、「隊長」と呼ばれる、高位の死神だった。 外見は子供にすぎない冬獅郎の言葉に、他のずっと大人の死神が従うのを見て、目を見張ったものだ。 今の冬獅郎がただの少年にすぎないというならなぜ、他の大人たちは冬獅郎に従うのか? しかも、このメンツでまともに言葉を交わしたのは、初めてらしいのに。 まるで、遺伝子に行動が組み込まれているようだ、と思った。 何かが確実におかしいと思うのに、どこから手をつけていいのか分からない気持ちだった。 冬獅郎が、そんな夏梨を冷静な目で見ながら、口を開いた。 「夏梨、って言ったな。おまえ、もしかして松本のことも知ってるんじゃないか? コイツの顔を見た時、驚いた顔してたよな」 え、と乱菊が言葉を飲み込む。同じだ、と夏梨は心の中で、苦い微笑を浮かべる。何だって隠しておけない奴だった。 意を決して、夏梨はその場の全員を見た。 「……知ってるよ。日番谷冬獅郎、松本乱菊、朽木ルキア。それから……そこの赤い髪の人は『恋次』って呼ばれてた」 「……呼ばれてたって、誰に」 ぎょっとした表情の恋次を見て、考える。記憶喪失なのか、何なのか分からないが、このまま話しても何のことか分からない、という反応を示されるだけだろう。 何か手がかりになるようなことはないか、と考えて、ふと閃いた。 「さっきから気になってたんだけど……『五年前』って、何してたんだ?」 「空座町に来た」 一拍の間を空けてそう答えたのは、六人同時だった。同時に答えて、同時に顔を見合わせる。 「……私と恋次は、五年前に空座町に引っ越してきたのだが」 「俺も、ノルウェーから来日したのは五年前だ」 「えーと、あたしも似たような時に転勤で空座町に来たんだったっけ」 「自分で覚えとけ、松本。全く同じタイミングでここに来たのは運命に違いないとか、テキトーなこと言ってたろ」 「忘れちゃった♪」 「僕と一角が上京したのも五年前だね」 全員の答えが出揃ったところで、奇妙な沈黙が落ちた。これは偶然なのか? 同じ疑問が頭をよぎっていく。 東京には、全国や世界中から人が集まってくるから、五年前にこの都市に流れ込んできたこと自体は珍しくもなんともない。 しかし、六人が六人同じタイミングというのは、どれくらいの可能性なのだろうか? それに、奇しくも夏梨が最後に冬獅郎たちと会ったのも、同じ「五年前」だった。何かの符牒か、偶然か、判断ができない。 「……一兄に。黒崎一護に会ってくれないか」 ごくりと唾を飲み込み、夏梨は切り出した。全ての鍵は兄が持っている、そう夏梨は思っていた。 あれほど深く死神と関わっていた一護なら、今の状態を説明できる可能性はある。 「一護って、いっつもお前が自慢してる、医大に行ってる奴だよな、いーぜ、別に」 「自慢なんかしてねぇよ」 決まり悪そうに夏梨は肩をすくめ、一角は笑い出す。 「いーけどよ。いつ帰ってくるんだ?」 恋次の最もな質問に、夏梨は考え込む。 今の時間は夕方ごろ。大学の講義は終わっていないかもしれないが、携帯に電話して呼び出すか、と夏梨が思った時だった。 「ただいま」 あまりのタイミングに、夏梨は思わず背中を強張らせた。 その声が少し強張っているように思えたのは、夏梨の緊張を反映してだろうか。 「一兄!」 その場から逃げるように、夏梨は玄関に向かって駆けだした。 玄関で靴を放り出した一護は、明らかに息を切らせていた。 「一兄、ちょっと来てくれ」 有無を言わさずその腕を掴み、ぐいぐいとリビングに連れてゆく。そうでもしないと、泣き出してしまいそうだった。 この状況をひっくり返してくれるのは一護しかいないはずだった。 「夏梨! ちょっと待てって、落ち着け」 一護は足を突っ張って踏みとどまろうとしたが、結局引きずられる。リビングに一歩足を踏み入れた途端、夏梨は一護を振り返った。 「一兄、この人ルキアちゃんだろ? ここにいるの、冬獅郎だろ? みんな、あたしのこと知らないって言うんだ。あたしがオカシイのか?」 こらえていた感情が、いっきに爆発する。一護は片手に鞄を持ったまま、一護はその場にいた全員を一瞥した。 一護と日番谷の瞳が交錯する……が、視線は色を持たないまま、すれ違う。 誰も、何も言葉を発しない。 夏梨がじれったくなった頃、一護は乾いた声で言った。 「夏梨。この人たちは、別人だよ」 「何、言って……んだ」 「夏梨」 一護は、食って掛かった夏梨の腕を取ると、廊下に連れ戻した。 「何だよ? 一兄まで……!!」 「夏梨。ルキアも、冬獅郎も、他の奴らも。皆ソウル・ソサエティで元気に死神として暮らしてる。現世に来るはずがねぇ」 「そんなの……おかしいよ。絶対おかしい!」 夏梨は、気づけば駄々っ子のように叫んでいた。 「何で同じ名前で、同じ姿の奴がいるんだよ!」 「落ち着け、リビングに聞こえるだろ。理由は分からねぇけど……」 一護が言葉を濁らせた一護の胸を、どんどんと拳で叩く。 「納得いかねえよ、じゃあホンモノの冬獅郎に会わせてよ! それに一兄、なんで全然驚かずにいられるんだよ」 「……夏梨」 一護はだまって胸を叩かれながら、無言だった。 こんな風に感情を叩きつけたことなど一度もなかったから、こんなに思いつめていたのかと驚いていても無理はない。 無言のままの一護を見て、夏梨はふと、別人と話しているかのような錯覚に囚われた。 夏梨が知っている兄なら、状況が分からないにしても夏梨と同じように驚愕し、悩むはずだ。 分かっているなら、きちんと説明をしてくれるはずだと思う。それなのに一護の態度はどちらとも違っていた。 「……夏梨。聞け」 一護は、夏梨の肩をつかむと、身をかがめて至近距離から顔を覗き込んできた。 そして、半ば自分に言い聞かせるように、きっぱりと言った。 「今、リビングにいる奴らは、あいつらじゃない。冬獅郎は死神だ。俺たち人間とは、住む世界が違うんだ。 こっちに来ない方が、正常なんだよ。……夏梨、あいつらに再会するのは、もう諦めろ」 そんなのってないよ。 気づけば、涙がぼろぼろと夏梨の頬を伝わり落ちた。 そっくりな人間が現れて、期待するなと言う方が無理ではないか。そして期待した分だけ、絶望は大きくやってきた。 「嘘だ」 泣きじゃくりながら夏梨は首を振った。 「あいつは、戻って来るって……あたしと約束した」 一護は、夏梨の頭に手を置いた。そのまま、夏梨にはあまりに長い沈黙がつづいた。 「俺が話す」 一護はそれだけ言うと、黙ってしまった夏梨の肩をポンと叩き、リビングに戻った。 「お構いもせず、すいません。俺は夏梨の兄で黒崎一護といいます。はじめまして」 「あらー、いい男じゃない」 頭を下げた一護に向って、乱菊がウインクする。 「夏梨が言ったことですけど、気にしないでください。混乱させてしまったら謝ります」 全員を見回し、一護はきっぱりとそう告げた。後ろから顔を覗かせた夏梨が首を振りながら俯いたが、その頭にぽん、と手を置く。 「気にするなってことは、夏梨ちゃんの言ったことは勘違いか何か……だと?」 一護に一歩歩み寄った弓親が、いぶかしげに一護に問いかける。 「勘違いじゃ、ないんだ」 一瞬瞠目した後、一護は続けた。その視線はまっすぐに、冬獅郎に向けられていた。 「でもやっぱり、あんた達には関係ないんだ」 「……そうか。帰ろうぜ」 冬獅郎は頷くと椅子から腰を上げ、乱菊、一角、弓親を見回した。そのまま、右足を軽く引きずりながらリビングを出て行くのを、3人が慌てて追った。 そのコートの袖を、すれ違いざまに夏梨がそっと掴む。 「冬獅郎……」 諦められない。どうしても、諦められなかった。 そんな風に聞き分けよく捨てられる思いなら、五年間毎日毎日、思い出したりしていない。 「……俺が、お前の探してる奴だったら良かったのにな」 片方の口角だけを少し上げる、夏梨の知っている笑い方だった。それを見守る一護の眉間に、ぎゅっと皺が寄る。 「悪ぃな」 そのまま、通り過ぎる。コートを離した夏梨の指先が取り残された。 *** 夜10時。 冬獅郎は、窓際に置かれたノートパソコンの画面を、見るとはなしに眺めていた。やがて慣れた手つきで、検索エンジンに文字を打ち込む。 ―― 「死神」 出てきた画面に、見入る。 ―― 死神(しにがみ)とは、生命の死を司る神で、冥府においては魂の管理者とされる。 無機質に書かれた文字に視線を走らせると、ふぅ、とため息をつく。 「『死を迎える予定の人物が魂のみの姿で現世に彷徨い続け悪霊化するのを防ぐ為、冥府へと導いていくという役目を持っていると言われている』……か」 元の検索エンジンに戻り、しばらく画面をスクロールする。死神が出てくる小説やアニメを一瞥すると、ふぅ、とため息をついた。 夏梨という少女が口にした「死神」という言葉。何かの比喩かと思ったが、そうでもないらしい。 当然のことながら、全く現実味がなかった。 自分たちのことを前もって知っていた夏梨が、意図的にか無意識的にか嘘をついている……というのが、最もありうる話だ。 でも。 ―― 「少なくとも、私にはお前が嘘をついているようには思えぬ」 昼間のルキアの言葉には、冬獅郎も全く賛成なのだった。 もう少し、あの黒崎一護という兄にも色々聞いてみるべきだったのかもしれない。 しかし、「関係ない」と自分達の前に立ち塞がった彼は、瞳ではっきりと語っていた。「関わらないでくれ」と。 パソコンの画面を閉じ立ち上がっても、昼間の会話は頭を次々とよぎってゆく。 ―― 「5年間も全く連絡寄こさねえで!」 心配、驚き、そして歓喜。あんな風に迎えられる人間は幸せだと思う。彼女が知っている「日番谷冬獅郎」を思う。 自分と同じ名前、同じ姿、同じ声の奴が、いたとしたら……そして、それが死神だと呼ばれていたとしたら。 全てが事実なら、それをうまく説明できる、どんな状況があるというのだろう。 カタン…… 闇の中に、かすかに何かが落ちる音がした。 「今、ベランダから音がしなかったか?」 ベッドに寝転がって雑誌を読んでいた乱菊に声をかけたが、返事が返ってこない。 見ると、雑誌を広げたまま布団に頬を乗せて、眠り込んでいた。ゆっくりとベッドに歩み寄ると、ブランケットを彼女の背中にかけてやる。 眠っていてもそれが分かったのか、乱菊がふわり、と微笑んだ。それを見下ろす冬獅郎の心もまた、凪いでゆく。 腹を立てたり、怒鳴ったり、呆れたり。ひとつひとつの色はそんなのばかりだが。でも、まとめて一つの色にしてみると、その色は決して暗くはない。 幸せだ、と言っていいくらいに。大切にしたいと思う、今のこの何気ないけれど、平和な日々を。 音が聞こえたベランダのほうを、振り返る。立ち上がると窓を開け、ベランダへと出た。そして、クーラーの室外機の上に置かれた「それ」に気がつく。 「これは……」 室内の蛍光灯の光にぼんやりと照らされていたのは間違いなく、乱菊が昨日窓から放り投げた本だった。 あれから誰かが持って行ってしまったのか、道路を探しても見つからなかったものだ。 ―― ここ、3階だぞ…… 昨日落ちた時はかなりの音がしていたから、元々ベランダに落ちていたとは思いがたい。 だとしたら、誰がこんなところに本を置いていったのだろう。首をひねりながら、本を手に取った。紛れもなく自分のものだと、すぐに気がつく。 特に興味もない、この高い本を買った理由は自分でも分からない。ただ……その表紙が目に留まったのだ。 ―― HINA MORITA この作者の名前など知らない。正確には、そのスペルが気になって、HINA MORIのところにだけ、戯れにマジックで線を引いたのだ。 「ヒ・ナ・モ・リ」 冬獅郎はひとり、その「音」を口ずさんでみる。自分の人生に引っかかってきたことがあるとは、思えない名前だ。 その冬獅郎の姿を、上空……電柱の上に立ち、見守っていた男が、一人。首を捻っている冬獅郎を見下ろした口元が、ほろ苦い微笑みに彩られた。 バサッ…… 暗闇の中で、闇よりも暗い色の着物が、夜風になぶられ翻った。その背中には、自分の身長くらいの長さの巨大な刀を背負っていた。 捲きつけられた布の隙間から刀身が覗き、月光にギラリと輝いた。 「どうか、今のままで……幸せで、いてくれ。それが皆の願いだ」 黒崎一護の鳶色の瞳に、強い光が渡った。そして次の瞬間には、その影は掻き消えていた。
last update:2012年 8月2日