雲が晴れ、満月がのぞく。藤の里へとひた走るカナエの道を照らした。
いつもなら美しいと思う月光が、この時は不吉に思えてカナエの胸をとどろかせた。

藤の里に到着したのと、戦いに巻き込まれたのは同時だった。
―― こんなところにまで鬼が迫っているなんて。
人の気配がまだ無い所だったのが救いだが、産屋敷邸に向う裏道のすぐ手前だった。ざっと目視しただけで十体以上現れていた。
鬼は、階級が上がるほど人に近い見た目になる。一見して鬼で自我も薄いため下弦以下ではあるが、
普段集団では行動しない鬼が、これほどの集団で現れるのは珍しかった。

「一対一になるな! 二人組で当たれ!」
鬼殺隊隊員たちも既に到着していた。隊員たちの刀は揃って緑。風の隊員だ。
攻撃力に優れた風の呼吸だけに、仲間で連携して鬼と渡り合えているようだ。駆け寄ったカナエに気づく。
「花柱!」
「風柱は?」
「午後に別の場所で鬼の出没情報があり、そちらに。鎹烏が伝令に向っています!」
返したのは、先ほど叫んでいた赤目という男。カナエも顔は知っていた。
まだ若く少年のような面差しを残しているが、今一番柱に近いと言われている隊員だった。この場の指揮を執っていたのも彼らしい。

―― しのぶは……
後方支援に回っていてくれればいいが。
誰よりも熱心に修行に取り組んではいるが、彼女はほとんど呼吸が使えない。その上に小柄すぎて鬼の頚が斬れないのが致命的だった。
ここにきている風の上位陣の隊員たちより、明らかに実力は数段劣る。鬼と一対一になれば勝ち目はない。
それでも向っていくしのぶの気性を、カナエは誰よりも理解していた。
しかし柱として、藤の里を一番に守らなければいけない時に、妹の身だけを案じているわけにはいかなかった。
だが赤目は、カナエが一瞬視線を周囲に走らせたのを見逃さなかったらしい。
「こちらは大丈夫です! あちらで妹さんが戦っているのを見ました。行ってあげてください」
その道に立ちはだかった鬼を、壱の型・塵旋風を放ち隙を作る。
「ありがとう!」
カナエは走った。

しのぶの姿は、すぐに見つかった。複数の鬼に囲まれ、他の隊員たちから切り離されたところだった。
隊員たちもそちらへ向おうとするが、他の鬼に阻まれ近づけない。
「弱いなぁ、娘。本当に鬼殺隊か? しかし美味そうだなぁ」
「俺が喰う」
「俺だ」
しのぶが鬼達に囲まれるのを目の当たりにして、頭がすうっと冷える感覚があった。しのぶは、殺させない。絶対に、殺させない。
腰に帯びた愛刀を引き抜いた。
―― 弐の型。
多連撃を可能にする技だ。しのぶに迫っていた鬼を一息で斬り払う。
「姉さん!」
「怪我は」
「大丈夫。私に構わないで」
庇われた安堵と悔しさがない交ぜになった表情だった。肩に怪我を負っていたが、幸い大したことはなさそうだ。
鬼は一体ずつ確実に倒されているが、新手が来る可能性が十分にある。
このまま終わればいいが、と思った瞬間、吹き飛ばされてきた隊員がカナエにぶつかった。
「大丈夫ですか?」
「すみません花柱! 大物が混ざっていました、下弦の弐です!」
律儀にぶつかったことを謝り機敏に起き直ったのは、白羽という乙の隊員だった。
「下弦の弐?」
カナエは耳を疑った。とすれば柱以外では相手にならない。

「下がれ下がれ!」
「風の呼吸は使うな!」
息を荒げた隊員たちの声が行き交う。
―― 風の呼吸は使うな……?
カナエの疑問は直ぐに晴れた。風の隊員を何人も吹っ飛ばし、圧倒して現れたのは、炎を全身にまとった鬼だった。
大きな瞳の少年のような見た目だが、両手両足がなく刃物のように鋭くとがっている。その身体はわずかに宙に浮いていた。
大きな目には、下弦の弐の文字がはっきりと刻まれていた。
「風の呼吸か。これはいい。藤の里もよく燃えるね」
ぼっ、と音を立て、既にあちこちに火が燃えついている。

「相性が悪すぎる! 風の隊員は退きなさい。私が相手をするわ」
「姉さん!」
「しのぶも下がりなさい。相手は下弦の弐。あなたでは勝てない」
しのぶが唇を噛み、背後に下がるのが分かった。

「柱か。風の呼吸ではないんだね」
そう言うと同時に、下弦の弐は体重がないかのように軽やかにカナエに襲い掛かった。
ひゅん、と風切音が鳴るほどに素早い。はっとした時には、刃のような右腕が大きくしなり、カナエに襲い掛かってきた。
一歩も退かず、刀で受け止める。
「駄目だ花柱、接近戦は――」
赤目の叫びが聞こえた。受け止めた右腕から炎が噴出し、カナエの羽織にあっという間に火がついた。
カナエは咄嗟に羽織を脱ぎ捨て、鬼の眼前にふわりと投げつける。
鬼が叩き落とそうとした瞬間、羽織ごと斬った。手ごたえがあり、飛び下がった鬼の顔が真っ二つに両断された。
しかし頸ではない、あっという間に両手で顔をつなぎ合わせてしまう。
「今のは危なかったなぁ。頸じゃなくて、残念だったね」
地面に燃えついた炎のいくつかが、意志を持ってうごめく。あっ、と思った時には、一体の鬼の姿になっていた。

―― この下弦の弐は、鬼を作り出せるの……?
こんな力は見たことがない。とすると、ここに出没している他の鬼も、この下弦の弐が作り出したものなのか。
とすれば、この鬼を倒さない限り、鬼が増え続けることになる。
「他の鬼は炎は使わない! 風の隊員は他の鬼を叩け!」
隊員たちはひるまず鬼と対峙したが、明らかに手傷が増え動きは鈍ってきている。
鬼は無限の体力があり、傷を負わせても頚を斬るまでは死なない。その上、普通の人間を遥かにしのぐ身体能力を持っている。
長期戦は不利――しかし、このままではじりじりと体力を奪われ、弱いものから先に喰われてしまう。
柱は下弦の弐に張り付くしかないこの状況は悪すぎる。

一瞬悲鳴嶼の姿が脳裏に浮かび、頭から振り払った。
悲鳴嶼のように、鬼から人を救いたいのではないのか。こんな時に助けを求めてどうするのか。
私は、今は鬼殺隊の柱。私が最前線で戦い、皆を護らなければならないのに。

「危ない!」
背後の鬼に足元を掬われた一人の隊員に向って、上空から襲ってきた別の鬼が大きく口を開ける。
それを視界の端に捉えたカナエは考える前に跳んでいた。上に居た鬼を大きく振りかぶって切払う。
起き直った隊員が、背後の鬼を斬り捨てた。通常の鬼は連携しないが、この下弦の弐に作られた鬼は、互いに連携できるらしい。
「庇っている余裕があるの?」
ひゅん、と背後で風が鳴った。振り返るよりも前にまずい、と思った。下弦の弐の腕が迫るのが、振り返らないでも分かった。
「姉さん!」
一声叫んだしのぶが、なりふり構わず下弦の弐に体当たりした。
無謀な攻撃だったが、小柄な下弦の弐にはそれなりに効いたらしく、背後に吹き飛ばす。
カナエを襲った一撃は、腕を掠めたがかすり傷だった。
「ひどいなぁ。僕を突き飛ばすなんて。それにしても、美味しそうだね」
ゆらり、と下弦の弐が起き上がる。しのぶは刀を振りかぶり、一直線に頚を斬り付けた。その刃は頚を直撃したが途中で止まった。鬼がにんまりと笑った。
「いくら素早くても、頚が斬れなければ意味ないね」
あっ、という間にしのぶの刀を跳ね返した。その刀は宙を舞い背後にとんだ。
丸腰になったしのぶが大きく目を見開く。
「しのぶ――」
カナエが駆け寄ろうとするが、間に合わない! 頭が真っ白になる。
無我夢中で走り出したカナエは、自分よりふた周りほど大きな人影にどん、とぶつかった。

―― 誰?
いつそこに現れたのか。その人影は、弧を描いて飛んだしのぶの刀の刀身を、指先で受け止めていた。
柄を握り直すと、目にも留まらぬ速度で、下弦の弐に投げつけた。華奢な刀は鋭く回転しながら下弦の弐を襲う。
「!」
下弦の弐はしのぶを捨て身をかわす。ぎりぎり頚はかわしたが、その刀は真っ二つに胴を両断していた。鮮やかな鬼の血が宙を舞う。
しのぶは訳も分からぬまま、目の前に転がった血まみれの刀を拾い上げた。
「足手まといだ」
その頭上から、言葉が投げつけられる。
「不死川君……」
別の場所で鬼の掃討に当たっていたと聞いていた。藤の里でも出没したと聞いて全力で駆けつけたのだろう。
さっき打ちあたった身体は熱かった。しかしカナエやしのぶに向けた視線は、氷のように冷たかった。

実弥は無言のまま、下弦の弐に向き合った。右手で刀の鯉口を切っている。
「柱!」
「不死川さん!」
風の隊員たちの声が掠れた。歴戦の隊員たちでも、ほっと安堵しているのがその声から分かる。
「下弦の弐、鬼を生み出す力があります! 鬼は全部で20体以上。炎を使うため風の呼吸が使えません!」
赤目が息を弾ませながら報告した。
確かに、何時の間に更に鬼を生み出したのか、言っている間にも鬼の数が増えている。
下弦の弐が、ゆらりと起き上がった。両断されたはずの胴体は、血まみれになりつつも結合されていた。
「ひどいなあ。いきなり真っ二つなんて。……新手の柱か」
実弥は、傷ついた隊員たちと鬼、藤の里のあちこちで燃え広がりつつある炎を一瞥した。
「鬼は俺が斬る。お前たちは消火にあたれ。藤の里の住民を避難させろ」
「不死川さんは……」
返事の代わりに、実弥は自分の刀を抜き放ち、あっ、という間もなく自分の左腕を斬り裂いた。
「!」
しのぶが息を飲んだ。鮮血が腕から滴り落ちる。

カナエには突然の実弥の行動が理解できなかったが、鬼の態度の変化は明らかだった。
「なんだ、こいつの血の匂いは……」
「まるで極上の甘露のようじゃ」
鬼たちが隊員たちへの攻撃をやめ、申し合わせたように実弥ににじり寄って行く。下弦の弐が、にっこりとその口角を上げた。
「稀血……それもかなり珍しいものだね。僕は運がいいなぁ」
「俺のものだ!」
「いや、俺が……」
鬼たちがなだれ込むように実弥に突っ込んできた。
手前に居たカナエは刀を構えたが、実弥によってどん、と横に突き飛ばされた。
実弥は、一斉にかかってきた鬼たちを横一文字に両断する。そして、背後の樹上にひらりと飛び上がった。
「不死川君!」
風の隊員に肩を受け止められたカナエが叫ぶ。
かつて、下弦の壱を軽傷のまま倒した話は聞き及んでいたが、鬼に対して一対多数は無謀すぎる。
実弥はカナエを見下ろした。
 「ついてくるな。妹が殺されるぞ」
は、としのぶを振り返り、視線を戻した時には実弥の姿は消えていた。
「待て!」
下弦の弐と鬼たちが後を追う。後には、傷ついた隊員たちが残された。



***


集まりつつあった野次馬たちを安全な場所へと避難させ、あちこちで燃え広がった火を消した。
落ち着いたところで、カナエとしのぶは隊員たちの手当てにうつっていた。幸い、命に関わるような重傷者はいなかった。
「ここは風の管轄で、あたしたちは助けに行ったのに。足手まといなんて」
しのぶは余程悔しかったのか、赤目の腕に包帯を巻きながら涙を浮かべていた。それを聞いた赤目が苦笑いする。
「足手まとい、と言っていましたね。我々のことかと思いました。俺は甲で、今日で鬼を累計で50体以上倒しました。
柱の資格を得たことになりますが……不死川さんの役に全然立てていないのに、柱になんかなれませんよ」
「役に立ちたいなら、今から行けばいいじゃない!」
しのぶの苛立ちは赤目にも向った。まぁまぁ、とカナエはそれを嗜める。
「不死川さんは稀血を使う時、我々が近くで戦うのを赦しません。ここにいる隊員は皆過去に、それでも助勢に行って激怒された者ばかりです」
隊員たちは顔を見合わせて、それぞれに苦笑いした。それぞれ叱られたことを思い出したらしい。
「不死川さんは、鬼を斬ると言ったら斬ります。心配はいりません。でも本当は全員、力になりたいんですが……」
「……あなたたちは、十分な実力派ぞろいよ。藤の里が管轄になっているのはそれもあるのね」
カナエは立ち上がった。
「同じ柱として、一人で戦うのを見逃せないわ。そもそも、呼吸なしで鬼を倒すなんて無理よ。後を追います」
「……頼みます、花柱」



 

Update 2019/11/29